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太陽の憧憬

博物館へ行っても、何をどう見れば良いのかよく分からなかったので、とりあえず、陶器の傷だったり、失敗して塗りつぶされている文字だったり、を見ていた。

それを見ていると、自分と、昔の人は、そんなに変わらないんじゃないか、という親しみを感じた。人間味を感じるときは、いつだって不完全なもので、太陽とか、季節の移り変わりとかに人間味を感じることは、これからもないんだろう。そういう不完全な人間味のせいで、法律があって、警察がいて、刑務所があるんだろうし、だから、人間味を排除しようとして、AIとか自動運転とかが開発されていて、そのおかげで減らせる事件や事故があるんだろうけど。じゃあもし、法律も、警察も、刑務所もない世界が実現するとして、事件や事故がない世界が実現するとして、そういう人間味のない世界で、博物館に飾りたいものが生み出されてゆくんだろうか? 事件や事故は、法律を生んで、石器を生んで、悲しみを生んで、喜びを生んで、革命を生んで、歴史を生んでいて、もしそうなのだとしたら、少なくとも、完璧を追い求めることで起きてしまう事件や事故だけは、なくしてゆければいいんだけれどね。不完全な人間味が残ってゆくことを許してゆければいいんだけれどね。それでも、太陽や季節に憧れて、完璧を目指してしまうんだろうか。

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