肉体で感じる、ゆえに人生
耳が擦り切れるほど紋切り型の質問をする人は、きっと純粋なのであって、まだ何も持っていないんだろう。
だからこそ、人に答えを求めようとするんだし、頭で必死に考えようとする。それでも、自分の中にあるものは生きてゆかないと見つからないんだ、といつかきっと気づいてゆくんだろうね。やっぱり生きてゆくことって素晴らしい、ともう一回思えることがいいんじゃないでしょうか? 参照点を探そうとするけれど、座標すら描けていないんだから、人生なんて迷路みたいなもので、でも、だからこそ宝探ししているみたいな感覚を味わえるんだと思います。徳川埋蔵金が本当に存在していなくても、そういう都市伝説を残してくれたことが、人類に希望を与えているような気がしている。人生とはなんでしょうか、という質問をするよりも、そんなもの自分自身で感じた方がはやいんじゃないでしょうか? いくら哲学者が、膨大な文字を分厚い本に書き記したとしても分かるわけなんてなくて、だから人間は、精神と肉体を持っているんだ。精神だけで人生を知ろうとするなんてもったいないよ。
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