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Mud Land Festのすべて

フェスをつくることは、もう1つの世界をつくるようなもの。

「マッドランド」という世界を、7年かけてつくった。

本記事は、その生まれから終わりまでの物語。

それは世界の99.9999999%以上が知ることのない

けれども確かにあった、泥の国の、本当の物語。


Mud Land Fest(マッドランドフェス)は2017年より千葉県山武市の有機野菜畑「たがやす倶楽部」を会場に7年で5回の開催をしてきた、野菜と音楽を味わう野外フェス。通称”泥フェス”

泥まみれになって遊べるダンスフロア

畑で泥まみれになりながらライブやヨガを体験し、有機野菜をその場で収穫して食べられたり、堆肥の発酵熱で温まれるサウナや、オーガニックなマルシェ、泥で描くフリーペイント「泥〜いんぐ」などなど「野菜が生まれた場所に埋まりに行こう」というタグラインのもと、有機野菜畑でできる遊びや学びを最大限に引き出してきた。

泥の国名物、生で食べられる白いとうもろこし

そもそもの企画の成り立ちとしては「ソーシャルフェス®︎」という”SDGsそれぞれのゴールが終わった後の世界”をフェスとして表現していくプロジェクトをしている自分が、SDGs12の中のフードロスやフードマイレージが解決された未来を描く中で生まれたものだった。

畑にエンターテイメントやレストランの機能を持たせ、ファーミングをチャーミングにすることで、生産者と消費者が直接つながり、採れたて野菜の美味しさを味わうことで、農業を始めたり、近くの直売所を探してみたりするきっかけになれば、という文脈で企画をした。

(ソーシャルフェス®︎の取り組みについては上記動画と下記記事へ)

そして生まれたコンセプトが”泥の国”「マッドランド」

泥の国の物語

マッドランドで年に1度開かれる収穫祭が「Mud land Fest」で、スタッフも参加者も、地球と共生することを選んだ泥の国の住人と同じように、できるだけものを無駄にせず、使い回し、土に感謝して、フェスづくりをしてきた。

アップサイクルした布で作ったサインを使いまわしてきた。

来場者にもマイ皿、マイコップを持参してもらい、フェス終了後に出るゴミは全体で数袋程度(これは野外フェスとしては本当に驚異的なこと)

野菜は自分で食べる分だけ収穫してもらうので、フードロスもフードマイレージも0。

そして先日、2024年7月21日にサブタイトルを「Harvest」として、マッドランドは幕を閉じた。

マッドランドがどういう体験を得られるものなのか、その魅力のすべては本番前に書いた上記の記事にまとめたので、未読の方はぜひ読んでほしい。

マッドランドの歴史

2016年:


異次元屋敷という世田谷にある一軒家、そのとあるイベントにて今後マッドランドを共に作っていくことになる富松さんと、その後マッドランドの装飾をお願いすることになるさやさんと、泥ーいんぐをお願いすることになる友さんと、ライブキッチンをお願いすることになるCocoさんと、全員とこの日に知り合う。

その頃の自分は、3月12日に主催した量子力学をテーマにした野外フェス「Quantum」を終えた直後で「次は生物に関わることがしたいなぁ」と畑で微生物にまみれながら、野菜をその場で収穫して食べられるフェスの妄想をしていた頃だった。

異次元屋敷とは大変異次元な場で、主宰のCocoさんは空想料理人という肩書きで料理人をしつつ、この場を開きアウトサイダーなアーティストや、娑婆の世界ではなかなか会うことのない人たちが集っていた。

そんな場だったから、何かいい縁がつながるかもしれないと思って、何者かも分からなかった富松さんにマッドランドの妄想を話したところ(この頃はまだマッドランドという名前も生まれてなかった)富松さんはその頃、都市と農家を直接繋ぐ仕事をベジリンクという会社でされていて「そういうこと自分もやりたいと思ってた」とシンクロした。

そして「それならいい人がいる」と今後マッドランドの会場となるたがやす倶楽部の齋藤完一さんを紹介してくれたのだった。僕らは渋谷で何度か打ち合わせして、完一さんの畑へ向かった。

エンカウント後、一番最初のメッセージ

道中、右手に聳えるディズニーランドの城を超え、千葉県、山武市、たがやす倶楽部。その後マッドランドとなる場所へ到着する。

そしてその場の小さな桜の樹の下で、その後マッドランドの王となる男、齋藤完一さんに出会う。

彼は30年以上この地で有機農法を続けるレジェンド農家で、既に富松さんと共に子ども向けの運動会を畑で開いたり、ただ野菜を育てるだけじゃない、人も育てる目線で農業を営み、実践していた。

なので、その時はとても話が早かったのを覚えている。自分と、富松さんと、完一さん、それぞれの活動がマッドランドフェスをこの場で開催する必然性を帯びていた。

そして早速2016年9月の開催に向けて、企画制作が始まった。

最中、突如アイディアが浮かび、マッドランドというコンセプトが生まれる。

当時の企画書を見ると、ほとんど自分と富松さんだけでフェスを作ろうとしていて、企画もほとんど間に合ってなかったし、今思うと相当無茶をしようとしていた。

そしてそんなことを天が察してか、開催当日、台風の予報。

開催は中止となった。
野外フェスの準備は本当に大変なので、既に100名以上の予約が入っていたマッドランドを中止にするのは、なかなか堪えるものがあったけど、今思うとそうなるべくしてそうなったようにも思う。

翌年への準備期間があったから、翌年無事に大きな事故なく、開催することができたのだと思う。

2017年:

2016年に企画していた内容をブラッシュアップしながら制作メンバーも増え、HIFANAのKEIZO machine!さんをヘッドライナーに招致するなどフェスとしてのグレードも上がり、快晴の本番を迎えることができた。

(2017年開催時のアフタームービー)

2017年のステートメントは下記でした。

Here is Mud Land

土はぼくらの臓器だ。
分解と構築の循環に、足の裏から繋がっている。
安心な呼吸も、動きたい時に動ける力も
すべて土が機能して生まれ、地球は恵みを分かち合う。
ここは泥の国。
土と一体になる場所。
音楽と共に、土の鼓動を感じよう。
生産と消費を0距離に。
地球と自分の間を泥々に。
たっぷりの恵みを全身で体感する。
農Music,農Life

100名弱の動員ながら、来場者がオフィシャルドリンクでプラコップを使うたびに、プラコップを1つ作るのに必要なCO2と同じ重さの重りを足につけてもらい、自分が温暖化することで地球温暖化を自分ごと化してもらう取り組みをするなど、かなりコンセプチュアルにSDGs12の後の世界を表現していた。

友さんに泥ーイングをしてもらい、Cocoさんにライブキッチンもしてもらった。

そして終演後。というか開演中も、完一さんの奥さんにこっぴどくクレームを入れられる。一般の農家宅で開催する以上、イベント会場ではないので利用規約等もなく、お互い綿密に確認をしながら準備を進めていく必要があるのだが、初回ということもありコミュニケーションエラーも多々あり「これはもう開催できないかもね」というところまでいった。

ましてや野外フェスという不特定多数のハレの場で、お酒を飲んで音楽を浴びてテンション上がった、100人以上の来場者を制御するのは、事前にどれだけ準備をしていても難しく、立ち入り禁止と張り紙をした場所にお客さんが入って行ったとか、来場者全てのエラーが主催1人の責任になる辛さや孤独に、自分ももう、やめようかなぁと思っていた。

いったいそこからどう自分のメンタルを回復させたのか覚えてないけれど、とにかく奥さんに謝りに行こうということになり、近くのレストランで会食の機会を持ち、自分と富松さんで奥さんから改善点を聞き出し、なんとか翌年開催に繋げた。

2018年:

最終撤収時の人員増加やそれに伴うスタッフのモチベーション管理など、昨年の改善点から必要な事項を洗い出し、スタッフの数を大幅に増やし、親睦会など開催して関係性を深めながら、企画制作に臨む。

この年から今後も使っていくこととなるKVが完成する

出店管理はOzoneのインターンに任せ、DJのブッキングは富松さんとさやさんに任せ、やっと少しずつチームっぽくなってきた頃かと思う。

また昨年は大赤字で、今年は会場ケア等で更に予算が必要になるため、クラウドファンディングも行った。

そして失敗する。チームっぽくなってきたとはいえ、基本的にまだなんの力もない自分がほぼ1人でやっていたので、他のタスクに追われて全然力が足りなかった。

そしてスタッフの数が増えてきたことに紐づいて、宿泊や賄いなどスタッフのマネジメント系の業務に倒れそうになり、途中から渡邉さんに運営を手伝ってもらってめちゃくちゃ助かり、運営系の業務は人に任せないとダメだということを学ぶ。

そして開催。

今回も100名ほどの来場者で、35万くらいの赤字。
ただ来場者からの感想は昨年に続きすこぶる良く、アンケートには「人生最高の体験だった」という声も。

日経新聞にも取材していただいた


一方で「パートナーが足を怪我した」とか「目に土が入った」とか、まぁこんな環境で遊ぶなら仕方ないよね、、と自分は思ってしまう類のクレームが関係者から来たり「なんかヤバそうな人が会場にいた」などDJのジャンルが変わったことによる客層の変化による、よくわからないクレームもあり、この年もたくさんの泥をかぶった。

眠れない日々を過ごしながら大赤字を抱え、会場からまたダメ出しされないように終わったあと1人で会場清掃してる時間は、いつもながら地獄を感じていた。

そして全身めちゃくちゃ日焼けして発熱してしまったこともあり、終わってからしばらく寝込んだ。ちなみにこの年まで運営が忙しすぎて、自分自身まだ1度も泥に入れてなかった。

2019年:

この年から自分は渋谷で「KaMiNG SINGULARITY」という新たなフェスティバルを始めることになる。それに注力したい意向もあり、PR等で関わりつつも、制作の大部分を富松さんに代わってもらった。

3回目の開催前の交流会。完一さん69歳の誕生日会。

交流会時にこれまでのスタッフが集合して完一さんの誕生日を祝う機会があって、本当いいチームができてきているんだなぁと、天王洲でしみじみ思ったのを覚えている。

そして開催。当日は150人近くが集まった。

日テレ「the SOCIAL」からも取材が入り、山武市も後援してくれることとなる。山武市の移住促進のHPではマッドランドのビジュアルが大々的に使われていた。

この年やっと、自分も一参加者と同じように泥プールに入って遊ぶ時間が取れて、みんなが「最高」って言ってたの、これかぁと分かる。

2020年:

2020年は課題だった金銭面をなんとかしようと企業協賛を狙いに、相性の良さそうな企業への交渉を回り、資金調達をかなり早くから動いていた。フェス自体も1泊2日で農泊体験も取り入れて、より畑を満喫してもらえる企画を2019年の開催直後から進めていた。

それまでは渋谷のボウリングカフェや100BANCHでmtgすることが多かったけど、2019年の終わりに逃げBarも作ったから、そこで集まって会議もしていた。

4月。
新型コロナウイルスの緊急事態宣言が出される。
3密回避にあたって企画変更しなくてはならない点が多数あり、どのように調整していくか連日会議する。会議の場所は店舗からZOOMになった。

世間のイベントがオンライン開催にシフトしていく中で、マッドランドも畑からのライブ配信などオンライン化に舵を切る判断をする。

しかし感染者数は収まることなく、緊急事態宣言は続き、少人数でも畑に行くことのリスクがどんどん増加し、会場側の意向もあり、結果的に何もできず、中止となった。

2021年:

完一さんからも「今年はやりたい!」との要望があり、開催に向けて動く。
この年は自分も富松さんも身動きが取れないほど忙しく、これまでスタッフをしてくれていた東内くんと、ななみちゃんが2人で舵を切って進めてくれることになる。

しかし何度も押し寄せるコロナの波により、途中で昨年同様、中止判断となる。そして泥~いんぐを描いてくれていた友さんが、不慮の事故でこの世界を旅立った。

2022年:

再び東内くんがオーガナイズをしてくれることになり、自分や富松さんはPRやアドバイスなどに回り、制作をほぼお任せし、これまでボランティアスタッフをしてくれていた若いメンバーによる、新たな座組でのマッドランドフェスが催される。自分はPRの手伝いと、DJ出演と、逃げBarとして出店をしていた。

この年は100名ほどの来場だったかと思う。出演者がコロナでキャンセルになるなどトラブルはありつつも、来場者の感想はやはりすこぶる良かった。

余談ながらこの頃自分はKaMiNGの次作「RingNe」のために小田原に引っ越し植物を研究するため、シェア畑を借りて農業を始めていた。1つの野菜を作る上でかかるコストや労力を改めて実感することになる。

また野菜を生かすことは、育てるというよりも他の植物(雑草)を殺すプロセスの方が多く、肥沃な畑にはその分だけの緑肥(死)が必要で、完一さんの畑も幾星霜の死が積み重なって、強烈な生を産んでいるのだと分かる。

2023年:

一方で昨年の運営について会場側から不満があったことを後日知ることになる。そんなこともあり、自分たちはオーガナイズを継いだと思っていた東内くんは2023年いつの間にか降りていて、それを知ったタイミング的にも、今年はもう間に合わないねと中止を決める。

会場農家では完一さんの高齢化もあり、人手不足も深刻化していて、これ以上続けるのは難しいのではないかと奥さんから声が上がる。完一さんはまたやりたがっていたけど。

このまま終わっていくのは、次を楽しみにしてくれている参加者にも不義理だし、最後は始めた自分がちゃんと責任もって完成させようと思い、2024年を最終回として開催したい旨を会場に相談に行く。

完一さんは会うたびにマッドランドを開催することがいかに重要か、その意義を自分の農業への想いと共に語ってくれていたけど、男のロマンは女のフマンというか、齋藤家内での不和が気になっていたところだった。

富松さんを介して、完一さんの孫、そうまくんが運営チームに入ってきてくれることになった。彼が齋藤家と運営の情報伝達を担いつつ、時に家族とも運営ともぶつかりつつ、難しい役回りを最後までしっかり担ってくれた。

恐らく、大学3年になった彼でなければ、マッドランドに参画することはなかっただろうと考えると、ここまでなんとか継続してきたのは、ここに引き継ぐためだったのだろうとも思う。

2024年:

そして最終回「Harvest」とサブタイトルをつけて、最後の収穫祭としての「Mud land Fest」を催す。

開催1年前から準備を始めた。まずはこれまでマッドランドが培ってきた文化や、成してきたこと、最後に取り組みたいことを洗い出し、完成というにふさわしいマッドランドのビジョンを描いた。

その中でまずは、たがやす倶楽部の人手不足を解決するために、開催前に1日農業手伝いに行くとチケット代が無料になるキャンペーンをしたり、種を植える段階から運営チームで手伝いに行ったり、会場整備をしに行ったり、できるだけ会場側の負担が減り、マッドランドだからできる都市と農家を繋ぐきっかけづくりを進めた。

制作においては、2018年、最後にオーガナイズした時から6年が経ち、自分にできることと、できないことがその間に開催し続けた数多のフェスの経験から、よく分かるようになっていた。そして信頼できる仲間もできていた。

なので全体のディレクションはしつつも、自分が苦手なことは仲間たちに丸投げさせていただき、そうまくんの成長機会もつくりつつ、終始落ち着いたペースで制作を進められたと思う。

公募メンバーも含めた10名弱のコアメンバーで準備を進め、当日は40名ほどの運営メンバーと共に開催に臨めた。本当頼りになるメンバーばかりで、安心して各セクションを預けることができた。

6月になると天候の不穏が訪れる。
梅雨がやってこない。
この梅雨入りの遅さだと7月21日は雨の可能性が高い。

そして7月になるとコロナの感染者数も急増し、直前まで別の大きなイベントを手掛けていたりもして、自分や主要メンバーがコロナに感染して、当日行けなくなる未来が浮かぶ。

制作も集客もいたって順調だったけど「だからこそ」が過ぎる。

1週間前の天気予報では21日がちょうど関東の梅雨明け予報。
梅雨の終わりは送り梅雨といって大雨が降る。
大雨を想定して、準備を進めた。

自分や周囲の体調管理に気を配り対策し、自分がいないパターンでの当日のシナリオも調整した。結果、自分か榊さんのどちらかがいて、かつ完一さんが無事であれば、開催できそうということになる。

オーガナイザー不在でも開催できるのは、フェスティバル制作の理想系だと思う。それほどまで準備を重ねてこれた。7年かけて、やっとここまで来れた。

そう思うと一安心し、前々日から千葉入りしてひたすら人事を尽くす。
来場者数は関係者含め250人強となり、過去最大規模で前日を迎えた。

マッドランドの準備は本当にDIYで、マンパワーがいる。
ステージの屋根は山武市の間伐材で作り、舞台はパレットとベニヤ、泥プールは重機で掘ってシャベルで固めて、サインは使わなくなったTシャツを布にして手描き、その辺の竹を支柱にする。

20名ほどのメンバーが集まってくれて、炎天下のなかなんとか作業を完了させた。それぞれ持っている役割を超えて、皆協力的に周りをケアしてくれて、本当にありがたかった。

前日作業が終わりを迎えるころ
同じくらいの大きさで輝く、夕日と月が昇っていた。

翌日は、山羊座の満月。
アメリカ先住民の間では伝統的に「バックムーン」と呼ばれている。
雄ジカ(=バック)のツノが生え変わる時期であることから、この名前がつけられたといわれる。

その夜、近隣のホテルへ帰り、facebookを見ていると、Cocoさんの訃報が流れてきた。

全身末期癌だった彼女が、今日この世界を旅立った、という。

単純に悲しかったり、マッドランドが生まれるきっかけとなった異次元屋敷のことだったり、マッドランドでcocoさんが作ってくれた料理だったり、いろいろなことに想いを巡らせたけど、最後はなんか、しっかり生きようと思った。

そして、月と太陽みたいに、生と死の世界も実はイーブンで、時間によって昇ったり、落ちたりするだけで、1つの世界に在るものだから、心は共にあることを、ちゃんと感じた。

友さんも、Cocoさんも、無数の死が混ざり合う肥沃な畑の中で、泥泥に混ざり合えると思った。だから、みんなで、しっかり生きよう。

その真夜中。会場は急な雷雨に見舞われる。
暴風も吹き荒れ、建てていたテントが壊れる。
来場者用に固めていた駐車場も大雨でぬかるみ、当日の朝に使えなくなったことが分かる。

予期していた雨はこれだったか、と思った。
まさかこんなぎりぎりに来るとは。

とはいえ嘆いても仕方がないので、至急新たなテントを平さんに持ってきてもらい、半壊したフロアの再建を早朝から行う。
駐車場では試しに入ってもらった車がスタックしたり、待機列ができてしまったり、超ピンチ。

緊急で車を逃がせる場所に一時的に案内し、その間に重機でぬかるんだ土を固め、最終的にはことなきを得たが、ピンチを救ってくれた齋藤家と駐車場チームには本当に頭が下がる。

トラブル明けの駐車場チーム

会場側でもなんとか舞台を立て直し、オンタイムで開演することができた。

舞台には月と太陽のオーナメントが吊られ、フラワーオブライフの模様が掲げられ、農という、命という、輪廻を象徴的に表していた。

当日はテレビ朝日「ワイドスクランブル」の取材も入った。

開演中の模様はとても言葉にするのが難しいので、皆さんの感想にかえさせていただく。

ただそこにあるのは間違いなく、マッドランドという1つの国だった。

辺りでは、人か土偶かわからないような泥人間たち。
「ドロンパ」というマッドランドの挨拶が各所で聞こえる。
誰が誰かもわからない中、共に踊り、共に食べて、共に祝った。

ここはマッドランド、泥の国。すべての違いが泥泥に溶け合い、地球と共に生きる国。

2024年、Harvest。
僕らは確かに、どうしようもなく悲喜交々な人生の、生命が溶けたスープをいただいた。

マッドランドの成果

マッドランドフェスがこれまでの歴史で成してきたことをまとめてみる。

・全国各地から合計900名ほどの人達と完一さんを繋げられた。

・その後もマッドランドきっかけで都内でのマルシェ等で完一野菜を買いに来る人が増えた。

・会場農家に合計135万円ほどの支払いができた。

・野菜を売る以外での農地の利用方法を新たに開拓できた。

・都市と農家を繋ぐ全く新しい手法を開発し、社会で一定の知名度を得た。

・土の中に埋まる気持ちよさ、地球との一体感を子供から大人まで感じてもらえた。

・何もない畑で野外フェスを開催するために必要な運営方法を確立できた。

・終演後のゴミやフードロス、フードマイレージが限りなく少ないフェス作りを実践できた。

・会場家族や山武市との関係性が深まった。

・常連で来てくれるようになったお客さん同士の交流が生まれた。

・オーガナイザーを交代しながらもなんとか開催できる制作チームができた。

・青空の下で野生に帰って踊るという人間の原初の体験を多くの人と分かち合えた。

・農村での楽しそうな写真、映像素材が集まった。

・閉鎖的な農業という業界へエンタメ軸の新しいコンテンツを表現できた。

・山武市という普段知られない自治体の認知と関係人口を増やせた。

・若年層や農業興味の薄い層にイベントを通して興味をもつきっかけ作りができた。

・新聞、テレビなど多数のメディア掲載で、SDGs12や農業への興味関心を広げることができた。

・化学的なものを使用しない持続可能な環境保全農業だからこそできる体験を広げることができた。

・運営スタッフ、携わる全ての人に対して稀有な経験と豊かな人間関係が生まれた。

・初対面の人と老若男女 年齢関係なくいきなり友達になれる空間を作れた。

・畑という場に対して新たな価値観を培うことができた。

・人生最高の体験と言ってもらえるほどの場を開くことができた。

マッドランドとはなんだったのか

フェスティバルを今ここにないもう1つの世界として、3年かけて1つの世界をでっち上げるというのが、体験作家たる自分の作風なのだが、マッドランドとは一体どんな世界だったのか。

他作品に比べると、とてもシンプルな世界観で、物語も短い。
時代設定も2031年と目と鼻の先。

故に、物語で書いたような潮流は今もすでに起きている。
まだブロックチェーン、スマートコントラクトによる国家機能の代替とまでなる基盤はないものの、電子村民や、エコビレッジ、スマートビレッジ等、地縁や血縁だけで構成されない、なめらかな繋がりを生む新たな村がいくつも立ち現れている。

エコーチェンバー然り、多様で狭いこの社会において、1つの国家、1つのイデオロギーで、直感的なヒューマンビヘイビアと社会システムの歪みのない自治を起こすのは、大変に難しいと思っている。

民主主義というシステム上、必然的にぶつかる壁といってもいい。多様、故に、多様性を受け入れきれない、インクルーシブされない。

そこで1つの解となるのは、社会のサイズを小さくして、自律分散すること。
無数のイデオロギーが存在し、ライフフェーズや思想の変化によって、なめらかな移動が可能になる社会。(ナショナリズムを抹消するということではない)

150人のダンバー数に基づいて、マッドランドもそれくらいの規模感で催してきたけど、小さく色濃い独自の条例や文化をもつ自治区が無数に生まれ、顔の見える範囲で生活をDIYできると、社会を自分ごと化した真の民主主義が機能する。

マッドランドでは、Myコップを持参するということだったり、知らない人でも触れ合いやすくなる挨拶を作ったり、泥と音楽による高揚感と共に、独自の文化の醸成を図ってきた。1日限りのハレの場、ではあるけれど、やろうと思えば本当に、日常的にこういう暮らしはできると思う。

マッドランドは地球と共生することを選んだ1つの国。
そこにはかっこいい裸の王様がいる。

そんな王の姿に惹き寄せられて生まれた泥の国。
実はここ「たがやす倶楽部」もいつか村にしたいという構想があると、王は語っていた。

なので、マッドランドという無数に分散したいくつもの自治体の中にある、1つの王国は、もしかしたら仮想の設定を超えて、いつか本当にそうなってしまうのかもしれない。

マッドランドの物語の続きは、あの日たしかに泥の国の民だった人々が、あの時たしかに味わってしまった体感をもってして、追って綴られていくことになるだろう。

おわりに

ここまで読んでくれた方々、本当にありがとうございます。
僕が描く、マッドランドの物語はもうすぐ終わります。


地球は、土と水と、太陽の光でできていて
泥は、そのすべてを混ぜたもの。

地球は1つのマッドランド、とも言える。
そしてそれは、1つしかない。

全てを支えてくれそうな大地も
無限に広がるように見える海も
有限のキャパシティを持っている。

81億人の人類と
10兆匹以上の昆虫と
600億以上の鳥類と
37兆匹以上の魚類と
500億頭以上の哺乳類と
3億種以上の植物と
150万種以上の菌類と
10の31乗個以上の原生生物と

1つの、有限な地球を
分かち合って、生きている。

そして渾渾と未来は続いていく
その膨大なタイムスケールと
多様性の中に、奇跡的に存在している
僕らの命も1つだけ。

生と死が混ざり合った泥に包まれ
何を感じただろうか。

自然は、静かに、雄弁に
あなたの心に語りかけたはずだ。

その感覚を、忘れないでほしい。

それがマッドランドが伝えたかったことだから。
それがマッドランドが確かに在った証になるから。

僕らは今も、いつでも、生命のスープに浸かっている。

いただきます。
ごちそうさま。
ありがとう。
ドロンパ。

しっかり生きていこう。




fin.



Mud Land Fest2024 -Harvest- クレジット

<運営>

プロデューサー:雨宮優

クリエイティブディレクター:雨宮優

企画/脚本/演出:雨宮優

運営:齊藤颯海/榊みや子/雨宮優

PM:雨宮優

本部:富松俊彦

舞台監督:榊みや子

舞台補助:ZAC/ヤマモトイチロー

会場:齊藤颯海

広報:雨宮優

会計:雨宮優

HP:雨宮優

Instagram:高橋優奈/榊みや子

Facebook:榊みや子/うさみ ゆか

X:雨宮優

出店:手塚平/武田睦美/宮川ひろき

装飾:Wo-un/玉様祭壇 with アベユウナandよつ葉

バスガイド:板谷侑香里(八街)/美作静(新宿)/れいんぼー(八街)

バス手配:齊藤颯海

ドリンク:佐藤シュンスケ/齊藤颯海/うさみ ゆか/白鳥 紗也子/サトウサオリ/おかあさん

受付:東内/ななみ/宮坂絢音/板谷侑香里

駐車場:bill/當間久規/ノア/小池美咲/かとちゃん

更衣室:横手 友香/浅松千瑛

洗い場:Eri gura/小原準平

堆肥浴:杉山享/藤岡海羽

野菜収穫エリア:高橋優奈/宮川ひろき/れいんぼー/りんりん

ゴミ捨て場:しゅわわ

サイン制作:しゅわわ/かとちゃん

MC:猪月桃衣

PA:リョーコウ産業株式会社

カメラ:中村和平/荻野卓也

たがやす倶楽部:齊藤完一

<MUSIC>

LA SEÑAS(ラセーニャス)

ラビラビ

Rica Minami

Yu Amemiya (Mud Land Fest)

Kaguya(Mud Land Fest)

<畑/泥ヨガ>

IKUKOYOGA

<ゴエモン風呂屋>

サンバファーム/三つ豆ファーム

<Live Kitchen>

ソウダルア

<出店>

Sunfarm M+

ありのみキッチン(有野実苑オートキャンプ場)

福笑屋珈琲 FUKUMIYA COFFEE

シャム食堂

smallaxe

STUDIOapex

SANDWICHLAB&ロースイーツenergy ball

碗榮

<Special Thanks>

泥の国の皆さん



今後のアメミヤ作品の情報は下記SNSをチェック!

https://www.instagram.com/u.amemi/


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