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ウズベキスタンの年越し#01

(2019-12)

ロシアからの機内で「May I help you?」と声をかけてくれたのがルスタンでした。

アジア圏へ旅行する際には、荷物をバックパック1つに纏めておくのがマイルール。機内へ全てを持ち込むことでロストバゲージを防げるほか、空港内の手続きに無駄な時間を使わなくて済むのがその理由です。そして何より、身軽に移動できる快適性と解放感も、ここでは欠かせない旅行の醍醐味です。

その45ℓが身長156cmの私には余程大きく見えたのか、通路を挟んだ隣に座っていた彼は、荷物を座席上の棚に上げる時も、また下ろす時も、快く手伝ってくれました。

当時の私は、直前まで滞在していた気温-25℃のロシア・シベリア地域で一抹の寂しさを覚え、今後の旅程への不安を感じているところでした。以前ロシア人の友人から「自分達は他人に舐められないよう、初対面の相手には微笑まない国民性だ」と教わったことがありますが、年末の大雪で大混乱の空港内で、私が唯一理解できる英語の話者や親切なスタッフに全くと言っていいほど出会うことができなかったのです。
そんな私にとって彼のさりげない優しさはとても印象的で、有り難く感じられたのでした。


飛行機を降りて専用のバスに乗り、空港内の入国審査場へ向かいます。
その満員の車内で、なぜか少し先にいる1人の男性と頻繁に目が合っていました。こちらはこの辺りでは見慣れないアジア人の幼く平べったい顔。しかも真冬の遅い時間に、子供のように小柄な女がたった1人。様子をチラチラと窺いたくなる気持ちも分かります。
とは言え、同じ人とあまりにも頻繁に目が合うと、なんだか余計にその視線が気になってしまい、ある種の気まずさを感じてしまいます。早くその場を離れてしまいたいと思えてくるものです。

とりあえず会釈に似た表情で彼の視線をかわし、その場を凌いでいた私ですが、ようやくバスを降りると、その男性が同じ髪型をした他の5〜6人と共に手錠をかけられ腹部を紐で縛られた集団の1人であることに気付かされるのでした。


あれは確か私が初めて長崎を離れた日のこと。
地元の友達みんなに「東京行くとってね。会えくんなるけど元気しとってね。」と送り出され、移り住んだ埼玉県所沢市。そのメインストリート・プロペ通りを、付き添いできた母と並んで歩きます。

「うわー前からよんにゅう人の歩いてくる!こっちん人は歩くとの早かねー。」慣れない化粧をした母は、私の腕に捕まります。私たちは押し寄せてくる人の群れに何度もぶつかりそうになり、その度に「すみません、すみません」と頭を下げながら、なんとか道を進みます。どうやら"東京"には、人混みの多い道では左側を歩くという決まりがあるのかもしれない、そう気づいたのは、それからしばらく経ってからのことでした。

「優子はね、昔っから会うた人みんなに笑いかけるし、何でか知らんけどただ道ば歩きよる今も顔の笑うとるごと見える。危ない人を引き寄せんか、そんだけが心配かとよ。」
母は私の顔を覗き込みながら冗談まじりにそう言い、近所の八百屋さんにも靴屋さんにも、会った人全員に「この子1人暮らしを始めるんです。私は長崎にいるから遠くてですね。」と頭を下げるのでした。


とんでもないところに来てしまった。
母の言葉を思い出しながら、ひしめく空港内で審査の列に並びます。
沢山あるゲートの中でどの列にしようか迷いましたが、前に並ぶ人が比較的少なく、あの手錠の集団から近すぎず遠すぎないところを選びました。(彼らがどのような手続きをとるのか興味がありましたので。)

この臙脂色のパスポートに次はどんなスタンプが押されるのだろう、過去の色とりどりな記録を見返しながらそうワクワクしていた時、目の前に並んでいた背の高い男性がこちらへ振り返りました。
「Hi」この体格の割に少し高い声、それがまた、あの時機内で助けてくれたルスタンだったのです。

ロシアの大学院で医学を学んでいるというウズベキスタン人の彼とは、すぐに意気投合しました。
ゲームや漫画には絶望的に疎い私に、彼は「本当に日本人?」と笑いながら、その魅力を目を輝かせて伝えてくれます。気がついた頃には例の集団が気にならなくなっていたほど、そしてあの大勢の人だかりがすっかり消えてしまっていたほど、私たちは夢中で話し込んだのでした。

無事審査を終えて空港を出る直前、私なりの勇気をもって、明日時間があれば一緒にコーヒーでもどうかと彼を誘ってみることにしました。
実はこの時の私には、明日からのタシュケント観光に関する何の予定も宛てもありません。
数ヶ月前、偶然テレビ番組でこの国の特集を視聴し、何となく行ってみようと思い立ち、ここに行きたい友人はいないだろうと1人で航空券を購入し、緩々と時が過ぎて、そして今です。
私はどこかで、この街を一緒に楽しんでくれる仲間や通訳、ガイド、ボディーガードを求めていたのかもしれません。彼ともう少し話をしてみたい気持ちもあり、自分の直感を信じて誘ってみたのでした。



しかしその後、何とかたどり着いたホテルで荷解きしながら冷静になると、自分は異国の地で男性と2人で会う約束をしてしまったのだという実感と、恐怖に似た不安が襲ってきます。
シャワーを浴び終えてスマホを確認すると、彼から「明日の夜は僕の実家に泊まりにおいでよ」とのボイスメッセージが届いていました。
果たしてこれはどういうつもりだろう?
2人きりよりも家族と一緒の方が安心か?
いやそもそも本当に家族はいるのか?
実は少女を売り払うようなロシア系マフィアの一族だったりして。

自分から誘っておいて彼を疑うのは失礼ではありますが、この際そうも言っていられません。自分の命と身体は自分で守らなければならないのです。
いくら所持品を確認しても、何かあった時に自分の身を守ってくれそうな物といったら、日本を発つ前に念のため調べておいた在ウズベキスタン日本大使館の住所と電話番号を書いたメモ程度。本当に危ない時にはこんな物なんの役にも立ちません。
あの時の母の顔が脳裏に浮かんできます。

やはり断ろうか、しばらく悩みました。
いいいえ、今思い返してみると、あの時の私はただ悩んでいるフリをしていただけなのかもしれません。
こういう時、私は大好きな家族を心配させてしまうと分かっていながら、どうしてもその想いを裏切ってしまうところがあります。申し訳ない気持ちはあるものの、若さのせいでしょう、この胸の高鳴りを抑えることができないのです。

だってもう仕方がない。
逆に英語の通じない異国の地で1人で観光するのも危ないとすると、これはせっかく訪れたチャンスです。
あの時彼に感じた「この人は大丈夫」という直感だけを信じ、それでも万が一のことを考えて、たった1人日本にいる絶対に私のことを止めない友人にだけ彼と1日を過ごすことを伝え、翌朝の迎えを待ちました。
もちろん夜まで一緒に過ごすかは保留にした上で。


ロシア上空、シベリアの景色


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