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正月のカザフスタン#03

こうして運転手さんとの2人旅が始まりました。

アハメドが車を降りた後、私は後部座席からより車外の街並みが楽しめる助手席へ移ります。
この車窓から、一体どんな景色を目にすることができるのだろう。期待に胸が膨らみます。

そんな私とは対照的に、隣に座る運転手さんはどうやら少し無愛想。
早速私が行きたいと思っていた場所の写真と地図を見せると、彼は表情を変えないままスマホの画面を覗き込み、その中から年始のこの日も楽しめる場所をいくつか指差してくれました。
そして彼はどこか気まずそうに「English/No/Good」の3つの単語をぼそぼそと呟きます。

そんな国籍も世代も全く違う彼とこれから始まるわずか数時間のドライブは、今思い返すと少し奇妙で可笑しく、そして優しい、不思議な時間となっていくのです。


さて、最初の目的地である教会に到着しました。
雪は降り止んでいるものの、辺りが段々と暗くなってきた銀世界に浮かび上がるのは、日本では見たことのないカラフルなロシア正教会。
その美しさに圧倒され思わず駆け出す私に、運転手さんは「寒いからきちんとジャケットのフードを被りなさい」とジェスチャーで伝えてくれます。

普段日本にいると、防寒の為にフードを被る習慣はあまりありませんが(寒い地方の方は被られるのでしょうか)、確かにカザフスタンやロシアのように寒い国では、ジャケットについてあるフードをきちんと被っておかなければ割れるような頭痛に襲われます。
私はこれまで「頭が寒い」という経験を殆どしたことがありませんでしたが、本当に寒い場所では頭を守ることが何より大切なのだと改めて気づかされました。


その後も彼は、私が教会やアルマトイの街を観光する間も車内で待機していることはなく、常に私の隣を歩いてくれていました。
これまで東南アジア諸国ではトゥクトゥクを、最近もサマルカンドで車を1日チャーターしてきましたが、彼のように観光中も静かに隣を歩いてくれれる運転手さんは初めて。

初めはまだ支払いをしていない私に逃げられないようにずっと隣にいるのかなとも思いましたが、よく考えてみると私の大切なバックパックは車の中。彼はただ私が1人で困らないように、危ない目にあったり迷子になったりしないように、常に隣でエスコートしてくれているように感じられました。


徐々に私に心を開き笑顔を見せてくれるようになってきたこのおじいちゃんに、なんとか目の前の教会やアルマトイの街並みの美しさを伝えたい。
そう思った私は、無意識のうちに表情はより豊かに、ジェスチャーも一層大きくなります。

この時使っていた英単語といえば、彼も知っていた「wow」が5割、「beautiful」3割、「good」と「thank you」が1割ずつといったところでしょうか。
私が大きな声で「wow! beautiful!」と伝えるたびに彼はにっこりと笑い、滑りやすい雪道を歩く時にはそっと手を取ってくれます。
そして広場のアイススケート場でたくさんの子供たちを見ては「かわいいね。君もしたい?」と、まるでお孫さんと話しているかのように優しく微笑みかけてくれるようになりました。
私達にとって英語はただのコミュニケーションツールの1つ。顔の表情とジェスチャーさえあれば、この4つの単語だけでも十分会話ができているように感じました。

さらに不思議なことに、この頃には多少複雑なやりとりであっても、お互いが生まれて初めて聞くはずのカザフ語と日本語を自由に話しながら理解し合い、会話として成立させられるようになっていたのです。
今思い返すとそれは少し奇妙なコミュニケーションだったかも知れませんが、私はこの時あえて英語を話さないことで彼との心の繋がりを感じられるような気がしていました。



市街地の観光を終え、車に戻ります。
帰り道のおじいちゃんも、私が周りの音や通りかかる人々の話し声を聞こうとジャケットのフードを取るたびに「寒いからきちんと被りなさい」と優しく注意してくれます。途中車を停めたはずの場所を忘れてしまい2人して迷子になりかけましたが、顔を見て笑い合いながらなんとか見つけることができました。

温かい車へ乗り込み一息つくと、彼はまたゆっくりと車を走らせ始めます。
とはいえ、私が事前に行きたいと伝えていた場所にはもう既に連れて行ってくれており、どこへ向かっているのか正直よく分かりません。
もちろん彼は出発する前に「こういう場所があるんだけど、時間も余っているし行ってみたい?」と丁寧に確認してくれたのですが、それは全てカザフ語。彼の表情などから魅力的な場所であることは伝わるものの、具体的にどこの話をしてくれているのかまでは伝わらず、私のスマホ上で示してもらおうとしても上手くいきませんでした。

あの時あまり深く考えずにとりあえず「Yes!」と答えてしまった手前、今私たちがどこへ向かっているのか、皆目見当もつきませんでした。


辺りはすっかり暗くなり、車はどんどん森の中へ進んでいきます。想像していたよりもずっと長い走行距離と深い森の中の暗闇に、だいぶ不安になってきました。
正直この時感じていた不安は、きっと今回の旅行で1番。数日前にウズベキスタンでルスタンのご実家へ向かった時のあの車内よりもずっと緊張していて(ウズベキスタンでの経験についてはぜひ以前の投稿をご覧になってください)、寧ろ恐怖に似た感覚を覚えていました。

道中改めてどんな場所に向かっているのか彼に尋ねても、帰ってくる言葉はたった2つ「big」と「beautiful 」。それ以外は何と言っているのかさっぱり分からず、スマホの地図で道を確認してもなかなか向かっている先の見当はつきません。

一体今、私たちはどこに向かってるんだ。
先ほど彼の発した、目的地の名前であろう言葉の余韻を頭の中で何度も再生し、スマホの地図上に浮かび上がる周辺の文字と比べながら、それらしい場所を探しつづけます。


あぁ、ここか。
やっと目的地を見つけた頃には、もうそのすぐ近くまで来ていました。


ゼンコフ教会




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