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行動、意識や思考の変容について。見解あるいは思考そのもの。
元々偏屈でスクールカーストでいうところのギークボーイでナードな、要するにマニアックでインキャ。
*欧米スクールカースト。たぶんファンタジーゲームとかでいう、勇者、冒険者、魔法使い、盗賊、僧侶みたいなジョブみたいなもんか。勝手に認定される甚だ迷惑だけど。地位みたいなものか。
ジョック…陽キャ。球蹴り、やきう、アメリカならアメフト。チアのチームetc…
(真ん中の階層わわからない)
ギーク、ナード…陰キャ。オタク。文系の部活とか?ひたすらにオタク。ただオタッキー。ござる。メガネとかなんとかそんな感じ。
僕は眼鏡っ子の読書、アニメ、自転車、バイク、クルマとかの機械いじりが子供の頃から好きで居着く会社や仕事はそういう系が多い。
一人でいる方が楽なタイプ。
ツーリングや旅、外食はパートナーと一緒以外は基本一人。
成人式は行かないでバイトしてた。
大学の卒業式は不参加。
卒業旅行は、ひとり。
それを、オカシイとか危険な人とか、ギルティというならば、それは不条理。僕は異邦人かなカミュさん。
太陽がまぶしかったから。
中高は教室ではひとり。
お昼は本読むか寝る、クラス外の部活の人とか少ない友人(友人の定義は未だに不明だが)と話す。学生時代にも僕にかまってくれる稀有な人がいたりもしたのだな。
大学では、ぼっち。ぼっち。当時喫煙者だったが、喫煙所もひとり、授業とひとり、空き時間はといえば、一人で部室で練習、練習。黙々と練習。
お昼は言うまでもなくひとり。
何度か食堂に行ってみるも人多杉。てかなんか一人でいるのも憚られる。(今はどこでも一人で行っても楽しい。大人、最高。大人、自由)
さて。なんだっけ。
滅入ってきたので楽しい思い出バナシ。
卒業旅行は、一人で225ccのバイクで下道とフェリー、テントと寝袋積んで南関東から東北北海道を2週間くらいかけて一筆書きしてきた。
メッチャ楽しかったよ。
記憶がアレな今でもよく思い出す。
翻る
認知症が進んでも、うちの父方のばあちゃんもそうだったけどね、
昔の頃の記憶
エピソード記憶に該当するのだろうけど。
そういうことは覚えて話していた。
あの時はああいうことがあって、こう思ったのよねぇ。
あるいは、記憶が蘇って再体験している。
さっきまで、何何ちゃん(子供の頃の友達)と遊んでたの。
あそこの畑で作業していたの。
ところで、故人の誰彼はどこ行ったの?
要するに、過去にタイムリープしていると言えるのではないか。
時間は巻き戻せないという事は現代において共通の認識ではあるが、
人人唯識のように、それぞれの個体の意識が世界を創っているならば、時間や空間含めてそうなのではないか。多世界。
子供がイマジナリフレンドを作るのも似た感じなのかもしれない。
個体相互に了承された外界と、精神意識作用の内世界の区別がつかないので、想像した事と外界がごっちゃになっている。
大人の、想像していた。妄想していた。という表現の子供や,認知の続かない人なりの表現。
この記事も、きっとそう。
よろしくて?あまり深くダイブすると戻ってこれないよ?
人が意識が芽生えるのはいつなのか、言語を獲得して脳内の思考を言語化するとか。
主観と客観と精神作用(内現象としよう)と五感センサーで認識した世界(外世界)
統合失調症の人は、人格形成の段階でそれが、”一般的に””多数派の健常とされる一人たちが謂うところの”上手く統合できなかった。という説を見たことがある。
過去の記憶を思い出していることを、現実との境目がなくなる…のも、そういう感じなのかな。
脳を摘出して、現在進行形で尚、侵され続けている僕も。
幻覚や幻聴、記憶が朧げな部分が出てきて、あれは、やはり現実だったのかどうなのか。今、だれかいなかった?音しなかった?声聞こえなかった?
多くの人も夢を見たり、夢うつつ、白昼夢、疲れが溜まると混乱することもあるかもしれないけど。
さて、あの時の冒険は写真残っていれば記事にしたいなぁ。10年くらい前か。
まあ、話が戻ると。
ぼっちと言う人種が確立されたかされていないか、まだ市民権を獲得していなかったか、あるいはそう思い込んでいた頃からして。
どの会社にいっも変態だとかプレイを要求したりされそうと思われがちな僕…褒め言葉みたいなものだと解釈している
笑。失礼しちゃうワ。
この前、僕は変態マニアックだから同僚に言った時、ダイジョブ!この会社の人みんな
何かしらの変態だから!っていってもらえた。
やさしいせかい。
確かに自分、丸々系だからとか言う人って、そういうふうに見てほしいという解釈もあるが、
物心ついてからオタクなワイ達を舐めないでほしいでござる。どこいっても浮いてるからね。
だんだん僕より変な人たちとの縁もできたり優しい人との縁ができたりして、そこに居着いているだけな気もしている。確かにそう椅子分析も認めよう。
それがアイデンティティら自己同一性、自己認識、発願。それでもいいや。
ござる…ござる……ござらん。
物心着いてからというもの、自分や周りの縁で多少マシなりに矯正、即ち社会化されたと仮定して
3月以降、あれから偏屈さが磨きががかっているようで、客観的にも主体的にもそうだとおもう。
言われる。
ふぅ、やっと本題。実はこの下を書いてから更に連想から上記の事を書いていたりもする。
〜過去の思考回路や見解〜
⭐︎半分感覚、言葉にできなくても半分は勘と感性。
⭐︎半分は論理。
⭐︎勘や直感の半分は少なくとも過去の個人的経験則や導き出されたなデータや見聞きした事。
それを咄嗟に連想したこと。
⭐︎結局はショートカットして省いてもわかりやすいように、共有できるように、
ひとこと二言…産業で伝わって互いに了承できればいい。
⭐︎頭が最短で導き出したこと。
⭐︎あとは自分の遺伝子から来る傾向。
⭐︎別にわからなくてもいいし多少理解が他人と違ってもまあ目的が果たせればいいわ。
言葉も思考も道具的なものだから。
⭐︎一言で表すと「そだねー。とりあえずおっけー。」
〜今の思考回路を表現〜
⭐︎
上記のように、一から、むしろマイナスからい順序だって論理的段階的に一歩ずつ一段ずつ説明して、その説明をするためには別のことを説明してその説明のために前提や定義立てることがひつようで、即ち、なんだっけ、あ、そう。ところでやはりあれについては、あのお経に書かれていて、それは実存主義的にいうと…あの人のアレと同様な気がするしちがうところもあるかもしれない。
ギリシャ哲学や、どこかの神話や部族や民族の逸話のアレもそうだよね、、例えば、そして、え、え、え、言葉がでなくなる…心拍が座ってても100超える。思考不能、、何と考えられなくなる。くらくら。。
⭐︎周りの人「もうええわ。何言ってるかわかんない!」
自分「えっどうして、なぜなら…あれこれあれこれこれはひつようなことで」
周囲の人
「まじかんべんしてー笑」
⭐︎ぽかぁん。。「甚だシンガイですだか、やはりあなたがそういうならそうなのかもしれません。本当に申し訳ないことをした。気をつけます。もし同じようなことがあったら何卒…略…」
〜まとめ〜
⭐︎仕事や作業についても同じ。今までみたいに、インテークでトリアージみたいに見立てを出して最短でどうするかが、気づいたらできていない。
⭐︎以前は、一人で手と技術と経験則で給料以上の売り上げあげてたのに。過去の栄光。
⭐︎最近は高齢者の気持ちがわかるような気がしてきた。前のように出来ていた事、思ったことができない事ばかり。お迎えは何時ごろかな。
⭐︎事象に対して…とりあえず、なんとなく、はこんな感じだろうなとおもいつつ、セオリー通りにこうしてみて、ダメならこうして、そのすえに、故にやっぱりこの方式だなみたいに、一からやってみないといられない
⤴︎こんな感じ、、周りくどい。
あ、、脳損傷した人が周りくどい物言いになるってこういう事なのかな。
⭐︎全てマイナスから話し始めて色々横道に逸れて
要するに思考迷路を自分で組み立てて実際迷路に入って…思考がパンク。
⭐︎メッチャよく言って、リゼロのエキドナ?
⭐︎控えめに悪く言って、オタクが磨きがかったおっさん。
…今回はここまで。結果的に昔話とその見解が主となってしまった。また会いましょ
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