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「む」向井秀徳と彼から考えるおっさん像

 皆さんおっさんは好きですか?私は好きです。自分が生きる延長線に彼らがいると考えると、面白くて仕方がない。そんな感じで、今日は私の好きなおっさんと音楽について書いていきます。

音楽パート 福岡市博多区のおっさん編

かっこいいおっさんになりたい。

 最近は、こればかり思う。自分が50歳を超えた時に人生の価値が見えてくるんじゃないだろうかと勝手に考えながら。では、自分が思うかっこいいおっさんって誰だろうか。その一人が、福岡市博多区より参った、向井秀徳というおっさんだ。ナンバーガール、ザゼンボーイズというロックファンなら必ず通るエモーショナルかつ、変態的なバンドのフロントマンとして20年近くロックシーンへ影響力を見せている。それだけなら私はかっこいいおっさんとは呼ばない。

彼は何より音楽と酒を愛しているのだ。

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おじさんが大好きなお酒と言えば、、、?

そう、酎ハイだ。生ビールではないのだ。

生ビールも美味しいのだが、やっぱり酒飲み(上野近辺や地方都市の繁華街)が行き着く果ては焼酎であり、それをソーダ水で割った酎ハイだ。

パリッコという酒飲みの伝道師みたいな作家がいるのですがその方と対談した記事も最高に面白かったです。向井秀徳も酎ハイが最近は好きだと本著でも触れており、変なところで親しみを覚えた。

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メンツがみんな酒飲みで、何かしらの文化物と繋がりがあるという私が嗜むものすべてが詰まったような一冊でした。酒飲みでロック好きな20代30代の方には刺さると思います。

https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4401645286/nataliemusic-22

そして、注目したいのが彼のMCである。彼が愛する酒のように彼の喋りもあくが強く、酒を飲みながらガハハと笑いながら聞いていられる。基本的に何かがずっとおかしいのだ。本当に、ずっとおかしいのだ。だが、それが癖になる。芋焼酎の様に。落語の枕のような感覚でお聞きください。

こんな「変」なMCやった後にぶったまげるくらいに衝動的で格好のよろしい音楽を展開するのだ。もう、ギャップ萌えの極みですよ。酔っ払いのおっさんの語りの後に最高の音楽が待っているだなんて。彼が20代の頃ですでにこのMCと音楽なので早熟と言うか。もう、完成されていますよね。

切り売りパート 上野のおっさん編

 ある日、それは街でマスクをしている人は風邪を引いているか、遅い遅い花粉症を患っているかのある日だ。上野の立ち飲み屋に行った時、一人で高校野球の試合を見ていた。特に目的もなく高校球児たちを眺めながら大瓶を飲んでいると、急にキャップをかぶった背の小さいおっさんが話しかけてきた。

「おう、兄ちゃん。良い体だねえ。野球でもやってたのかい?」

もう、この時点でキモいのだが、こういうおっさんから面白エピソードを授かれるので良く話してしまう。

「いやいや、僕、高校演劇部ですから〜!」

もう、これでつかみは完璧。おっさんが前のめりになってそこからはお互いの身の上の話をする。大体は掘り下げると、東京の東側そんでもって北側の地域に住んでいて、おっかさんが怖くて仕方がないから上野で飲んでいるということが多い。例にもれず彼もおっかさんから週末だけは逃げてきたという口だった。

最終的にお互い熱く今後の日本について謎の語り合いをした後に

「今後の日本は兄ちゃんに任せた!!」

と言って大瓶を奢ってくれ、彼は帰路についた。

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現実はそんなに上手いことは行かないし、しんどいことのほうがたくさんあることを彼らは自分の全身で教えてくれる。だけど、どこかに幸せを抱えているのだ。例えば、この時に飲んだおじさんならば、三人娘が全員美人で仕方がないという自慢だった。それまで自分の不幸やしんどいことを語っている彼がこの話題のときだけとても朗らかな顔をしていたのだ。

まあ、どこまで真実なのかというのは野暮なもんで。これを聞きながら酒を飲むって行為がとても尊いのだ。さっきまで一緒に高校野球をボーッと見ていただけのおっさんの心と私の心がベン図みたいに重なるのだ。

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基本的におっさんという生き物は自分に自信がなくなりかけている人が多いように感じる。そんな彼らとシラフで分かり合おうとは思わない。しかし、自分自身も心のどこかでずっとマイノリティであることに負い目を感じて生きている。そんなA(しがないおっさん)とB(自尊心の低い酒飲み)が交わることで見えてくるCという地点があるのだ。

ここで大事になってくる装置が酒なのだ。

健康によく無かったり、人によっては合わないことは重々承知で言うが、これがなければ私は心をさらけ出せない。私の生みの父親がそうであったように、無垢な心をさらけ出したり、自分を変に偽って生きることはできないのだ。彼らと私は中途半端に中途半端に生きている。

だからこそ、どこかで自分の開放したい。分かって欲しいのだ。そんな時にお互いきっと一生会うことは二度と無いであろう人と酒を飲み交わすという行為が一番自分を開放できるのであろう。風俗に行く人もこういう考えを持っていく人は多いんじゃないだろうか。

そして、生まれたCという合弁地帯は生産性に溢れているのかと聞かれればそんなことはありえない。

だが、そこにこそ人を人たらしめる、「変」な魅力があると信じている。


という、酔っぱらいの酒が飲みたい言い訳でした。では、また。


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