🔥世界遺産検定武闘会🔥

——秋。

さあ秋です。

さあ暗記です。

世界遺産検定の門を叩く者は、「ビジネスに効く」だの「受験に有利」だの、もっともらしい大義名分は掲げずともよろしい。少しでも己の暗記力に憶えがあるなら挑むべきである。数学者ジョン・フォン・ノイマンは電話帳の任意のページを開くなりたちまち暗記、しかも即時その総和を求めたという。この逸話を聞いて鼻で笑い飛ばすか、目を輝かせるか。脳天を殴りつけられたような感覚が閃いたなら最高である。拳骨が御法度のこの時代において、世界遺産検定のフィールドは殴り殴られが容認される武闘会である。無論、試験会場で暴行沙汰に及んでいいという話ではない。磨き上げた暗記力の分厚いグローブを嵌めて、対戦相手は試験問題だ。
タテマエとして「知」の皮を被り真摯に闘おう、諸君。

「これを知っているか受験者アアア」（世界一開花周期の長い花は？）
「応。知っている」（プヤ・ライモンディ、周期150年）
「ほう——それではこれはどうだァ！」（スリランカの聖地の仏歯寺は？）
「ああ出題者！わかる、俺はわかるぞッ！」（ダラダマーリガーワ寺院）
武闘会で勝ち抜いた暁にはこうした阿吽の呼吸が自在に交わせるはずだ。
ナニ、融通が利かないって？　二の次だ。「阿」と聞こえたらまず「吽」。

世界遺産検定は４級から１級、果てはマイスターまで段位が設けられている。筆者の私は１・２級の有段者である。したがって論述の試験形式を取るマイスターや３級以下の仕組みについては門外漢である。ただ、「大は小を兼ねる」というように３級以下については２級を取ってしまえば同じだろう（なお、１級受験のためには２級が必要）。小学生のマイスターがいるとの噂もあるので、３・４級からなどと小さくまとまらずさっそく２級から挑戦していただきたい。

公式テキストはこれを使う。

くわしく学ぶ世界遺産300 世界遺産検定2級公式テキスト<第4版>

すべてがわかる世界遺産大事典＜上＞＜第2版＞ 世界遺産検定1級公式テキスト

すべてがわかる世界遺産大事典＜下＞＜第2版＞ 世界遺産検定1級公式テキスト

２級は１冊、１級は２冊。
テキストに収まりきらない最新の時事問題を問われるなど少々例外があるとはいえ、基本は本書から出題される。つまり、ぜんぶ憶えればよいのです。「自分が法隆寺になればよいのです」と言い放った岡本太郎のように、不遜でしょうか。ここでもう一度ノイマンの電話帳ボクシングを思い返そう。あの伝説に触れたとき、殴られたような痛み、そしてむくむくと湧き立ってくる悔しさと羨望とを感じていたならば検定公式テキストに挑みかかる実力はきっとある。

そう、『ブルーピリオド』で龍二も云っている。
——悔しいと思うならまだ戦えるね。

「ではキミたち、あとは張り切って暗記しなね」と放り出すのも一つの手ではあるのだが、それはいささか酷だろう。かくいう私も受験前にさんざん電脳空間を漁って先人のレポを探し求めたクチである。というわけで、以下は私がいかに武闘会を勝ち抜いて１級の高峰を極めたかを報告する場としたい。門前で尻込みしてしまう暗記戦士が一人でも多く奮起できたら光栄だ。

まず、２級について。

これは高校二年次に取得した。「高校史上初」欲しさに英検準一級を勉強していたのだが友人に機先を制され、次善の策として受験した。しかしいざテキストを手にすると事の重大さに震えた。ワンクリック詐欺に引っかかった幼時の自分のように。あの日「75万円請求？！」と目を白黒させたように「遺産300個？！」と。
300個もいけるやろか——不安に浮き足立ちながらもテキストに目を通した。六法全書や広辞苑と違ってカラー版だし、字が大きいし、行間が広い。300個（と日本の全遺産）について文章で説明されているのも頼もしい。一文や箇条書きだとシンプルすぎて脳に留まらないからである。各遺産が登録された背景に想いを馳せるには文章の流れに乗るのが一番。たまに言葉足らずな記述が散見されるが、勉強していると「つまりナンナン」という具合に自分で調べられるようになる。
以上のような次第で、難攻不落にもおもえた重厚テキストは300強の短編ストーリーに切り崩せると気づき、一つひとつ読んでいけばよいと悟った。高校二年は暇も暇だったので、通学中も放課後も読み進めた。

今昔つうじて生意気な私は授業中も検定勉強に充てた。
しかし公式テキストはデカい。でかでかと机に広げたら教官にバレて大目玉を食らいかねない。叱られても詭弁を弄して反論できるほどには口が達者ではないので、巧妙な技を考えた。そこで打った策は三つ。学生・生徒は参考にしてほしい。

①単語帳をつくる。誰でも思いつく地道な戦法といえよう。百均で小さいものを山ほど買って、空いた時間に一問一答を書き込む。で、授業中は握った左手のグーに隠す。教官の目を盗んで問題に取り組み、ページをめくる。しかしそうそう目を盗めるものではないので長い内容を思い出す問題向きである。世界遺産の登録要件全十種や、日本の遺産すべて登録年順に列挙する、など。

②電子辞書を使う。いつかの記事でも書いたが電子辞書には中高時代とても救われたものである。ブルシットな授業で困り果てているときに電子辞書を開く。教官の視線を免れてブリタニカ国際大百科事典や広辞苑を呼び出すと、じつになんでも載っている。世界遺産も例外ではない。電子辞書のバージョンにもよるが大体ぜんぶ国別に掲載されている。関連する項目からじゃんじゃんリンク先に飛んで体系的に学べるのも利点である。

③授業ノートの余白に問題を書き込む。ゆめゆめあとで提出するノートに書くべからず。せっかくのステルス作戦が教官に暴露して撃墜される。冒頭でも述べたように我らは真摯に闘わなくてはならない。表面上はじつにクリーンにあらねば。

暗記時間はこのようにして確保、あとはどれだけ長いこと公式テキストとボクシングできるかに掛かっている。テキストを何周も読むことを先人みな勧めるけれど、やはり300個に切り崩して考えても簡単なことではない。飽き飽きするうえに記憶にも残らない逢瀬は、昔ふたりで楽しめたからといって永遠に楽しめると楽観することに原因の一端がある。世界遺産検定についても、マンネリ化すると殴り殴られの味わいを感じにくくなる。あの手この手で再燃させよう。

たとえば、過去問に挑む。

世界遺産検定公式過去問題集1・2級<2022年度版>

たとえば、『世界の車窓から』を観る。

世界の車窓から 特別編集版

そう気張らずとも２級はクリアできるはずだ。
私は当日まで不安を抱えたまま公開会場に行ったが、過去問でも叩き出せなかった高いスコア（96%正答）で難なく合格できた。本番だから脳味噌も頑張るのだろう、私の周りでもナアンダ簡単とばかりに容易に解き終え、試験時間満了も待たずに離席する人がたくさんいた。受験申し込みしてしまえばだいたい合格したようなものである。しかし公式テキストを買うだけでは足りない。受験日という締め切りが無いといつまでも引き伸ばしてノンビリ暗記してしまう。そんな戦士の拳はいつまで経っても引き締まらない。
しかも、うかうかしていると公式テキストは改訂するぞ。

続いて、１級について。

「高校史上初」の栄誉にニコニコしているうちに受験期が到来、小説を書いていたのもあって切り替えがうまくいかず現役受験に失敗した。世界遺産検定には恐るべき魔力があると痛感した。いつか１級を取りたいとは考えていたが、忙しい研究室に配属されたのもあり、上級への挑戦日は決めずに先延ばしした。
しかし他方では公式テキスト上下二冊を買い求めてもいた。いつかのために。
——この怠けた拳闘士が改訂の悲劇に襲われたのはいうまでもない。

結果、安いとは決していえないテキストを新たに買い直した（改訂に伴い値上げされてもいた）。私のように、塩辛い涙を飲む暗記戦士が全国に群発したに違いない。第二版は第一版に比べ明らかに分厚くなっている。毎年毎年、暗記の苦しみも知らずに誰かが何件もの遺産を登録しているからである。やれやれと肩をすくめつつ、令和のノイマンたちは公式テキストの表紙を一発殴りつけ、おもむろに開く。

世界遺産の理念に共感しているかといえば、私は少なくともノーである。こんなに増やしてどうするのさと呆れるばかりである。ヨーロッパ以外にも注目してあげるヨのユネスコの高圧的な姿勢も、その威光に盲従して登録登録と喚く本邦の惨めな姿も、気に食わない。暗記の矛先を向けるからって賛同するとは限らないのダ。
それでもなぜ暗記するかって？　1000件強も暗記したら強そうだから。

１級であれ２級であれ勉強方法は根本的には変わっていない。
あのとき山ほど買った単語帳の残りを活用したり過去問と睨めっこしたり。苦しいのは２級で憶えた内容を忘れていること、あるいは憶えているのに改訂により変容していることだ。だから、今回も辞書を動員して体系記憶に取り組んだ。あとは、大学附属図書館の蔵書を活かした。世界遺産にはヨーロッパの建築が多く登録されているのに鑑みて建築史を独立して学んだ（工学部建築科の講義も受けた）。他にも自然史や世界史、日本史、芸術史、宗教史、はたまた世界の神話など、歴史の軸に絡めて暗記するようにした。いわば、粘り気のある長く太い棒を一本地面に打ち立てて、ふわふわ飛んできた暗記事項を殴りつけて棒に固定するようなイメージである。
２級を受けた高校在学中はできなかったが、大学に進んでからできるようになった巨視的戦法だ。1000個それぞれ個別に殴ってたら敵わなかったろう。
個々よりももっと大きな文章で捉えること。

増補新装 カラー版西洋建築様式史

神の文化史事典

美術の物語

闇雲に殴らず、飛んでくる暗記事項を冷静に見つめていると、だんだん扱い方が掴めるようになる。これぞ明鏡止水の境地。そうなればあとはシメたものだ。武闘会に出場しよう。練りに練られた問題が今年も戦士を待ち構えている。

受験当日、およそ半数は不合格となる１級の難関に挑むにあたりさすがに緊張したが、結果として過去ベストの得点率（92％）で合格できた。人間、やってやれないことはない。ノイマンほどの暗記処理速度はないけれど1000件憶えたのだ。

いつかマイスター認定試験を受ける日が来るかは不明である。受験料が高い——
また１級に挑むことはあるかもしれない。何度も合格すると認定証が美麗なデザインになるとの噂である。暗記に魅せられた拳闘士としては突き詰めてみたい。

世界遺産検定は諸君の拳を待っている。
300？　1000？　ぜんぶ憶えればいいのです。

世界遺産検定公式HP

（サムネイル画像はスペイン・カタルーニャ音楽堂のWikipediaより引用）