I.M.O.

歩く/走る/舞う/撫でる/待つ/仰ぐ/悶える/びびる/読む/観る/惚ける/訝る/喩える…

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歩く/走る/舞う/撫でる/待つ/仰ぐ/悶える/びびる/読む/観る/惚ける/訝る/喩える/漁る/識る/誦える/拾う/浸かる/続く/おもう/おだず/ボンジュール

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  • Infinite Music Odyssey

    ほぼ週に一度の更新。好きな音楽について。

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    noteの海に漂う同志を一冊のマガジンのもとにコネクト。

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    点描関連の文章・作品を含有。

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心臓が唸っている。倫理。倫理…

わたしは激怒した。 必ず、かの教育ハッシュタグの一覧に「倫理がすき」を加えてやろうと決意した。 わたしには道理が分からぬ。わたしは、悶々の村人であった。 法螺を吹き、獣性を持て余して暮して来た。 けれども、心の安寧に対しては、人一倍に貪欲であった。 高校2年次、倫理の講義が始まった。 配布された教科書は数研出版が発行した『倫理』。 以下にAmazonのリンクを付す。 寡黙かつ温和な色遣いが目を惹くパウル・クレー作『Insula Dulcamara』が表紙を飾る。「Ins

    • トイレで何を読むか?

      屋内でいちばん落ち着く場所はどこか? トイレである。 ほかの部屋は「できること」に溢れていて、その広大さに茫然とする。 その点トイレは、言うまでもなく「すること」が明確な一方で、便器がその大半を占める極めて狭い空間であるため「できること」が限られる。 ひとたび個室の内に入ってしまえば他人の視線から遮蔽されるのも落ち着きをいっそう深める。生きやすい社会づくりのために公衆トイレを増やそうと坂口恭平は本気で提唱しているが私も賛成である。私が見る悪夢の典型パターンは二つあって、一つ

      • 我に耳あり

        ええ皆さま、本日は暑いなかお集まりいただきまして—— 厳かな挨拶で始まった顔合わせ。 新郎新婦ならびにその親類は緊張の面持ちを浮かべている。 会場にえらばれた料理店の給仕として勤める私はそれを邪魔するまいと空気に徹する。円滑に事が運ぶことだけ一心に念じて、注文を伺い、器を運ぶ。 形式ばったやりとりで冷や汗をかいている面々は、私が料理を説明するべく口火を切るなり水を打ったかのように静まりかえってしまう。 こ、こちらが、稚鮎の天麩羅で—— とはいえ、列席者の血中アルコール濃

        • ハスミンになりがち

          映画、悪の教典を観たのは一ヶ月くらい前のこと。 貴志祐介原作、三池崇史監督作、伊藤英明主演作。 ハスミンの愛称で生徒から親しまれる英語教師の蓮見が教え子の殺戮に乗り出す、この上なく凄惨な映画。さしたる動機もなく放たれる猟銃の脅威は、あまりにもファンタジックだったから、一晩寝たらうやむやになった。 じぶんはあの映画のどこにも関係ないと思ったのだ。 被害者の受難にも、加害者の発想にも行為にも。 精緻にグロテスクに作り込まれているけれど顔を上げてしまえば印象が急速に霞んでしまう

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        記事

          痒み帝国との二〇年戦争

          I.M.O.暦24年は20余年の永きに亘る大戦終焉の年として記憶されている。 I.M.O.の国土において不遜にも覇を唱えつづけた痒み帝国の起源は詳らかでなく、議論は戦後の今日も活発である。I.M.O.暦紀元にその興りを認める考古学者もいれば、紀元4年頃の、I.M.O.史の意識的な編纂が行われるようになった、いわゆる「モノゴコロの黎明」とほぼ同時に帝政が敷かれたとみる歴史学者もある。本史の筆者は、すでに人口に膾炙している用語「20年戦争」を文中に使用するが、それは必ずしも考古

          痒み帝国との二〇年戦争

          読めよわが頁を、と千の本が言う

          ちかぢか、一週間ばかり旅に出る。 炎天のもと歩くのは懲り懲りなので、主に電車。 いくぶん楽だとはいえ、持参する荷物は極限まで減らしておきたい。 とはいえ、本は欠かせない。 本なき電車移動はわずか一時間未満でも居たたまれない。 その落ち着きのなさはどうなのよと呆れたくなるが、如何ともしがたい。 列車に乗り込むなりイヤホンを耳にねじ込み、本を開く己の姿は、酸素なしには水中で過ごせない人間と重なる。 まして今度は早くは始発から、遅くはほぼ終電まで、利用する予定だ。 本を持たねば

          読めよわが頁を、と千の本が言う

          毎日の動詞

          泳ぐ 市民プール、できれば海 歩く なにはなくとも 走る 朝焼けの頃、あるいは日が没する頃合い、心臓をためす 乗る 自転車固有の速度、原付固有の速度、自動車固有の速度、電車固有の速度 読む 思うに、どんな日でも読めないことはなくて、なにを手に取るか 書く 文字にしそこねたものを私は全て忘れていくようで 食う 要諦は腹をしっかり空かせたのちの、やはり八分目 黙る 目をつむって口を閉ざし指を組み、静止する時間をつくる 寝る おろそかにしてはいけないもの、おろそかに

          毎日の動詞

          ツルピー2500

          📦 ネパールで愛されている甘味「ツルピー」を頬張りながら画面に向かっている。大きめのサイコロのような直方体は歯応えに富んでおり、富むあまり、いっこうに崩れる気配を見せない。絶え間なく噴き出す唾液の作用を受けても平気の平左で一貫して硬いままであり、「噛み砕く」か「舐めてふやかす」しかコマンドを持たないぼくは動揺している。150円で買ったパックにはあと10個以上のツルピーが待ち構えている。賞味期限表示がないが、こうも頑健であればあと千年はもつだろう。地中深くに埋め込まれ、ヒマラ

          ツルピー2500

          土砂日記 六 最近

          ・料理する気概、というより、厨房に立つ意欲が急激に高まるあまり、気が逸って日本料理店に勤めはじめた。数ヶ月まえのじぶんとは比べものにならないほど、食への関心を深めている。源流に辿りつくのは簡単だ。三浦哲哉の近著『自炊者になるための26週』(朝日出版社、2023)である。今年2月、仙台三越地下のヤマト屋書店で本書を見初めるなり、霊力を帯びて起動したキョンシーさながらにオートマティックな足取りでレジに向かった。 ・ぼくはよく感化される。じぶんにない習慣を身につけて得々としている

          土砂日記 六 最近

          読まれぬ夜のために

          21時、バイトを終えて制服を脱ぎ去り、帰路に就く。さっさと駅に着いたので電車が来るまで構内のレストラン街を眺める。店じまいに入る時間帯ということで照明は落とされ、店先を彩る食品サンプルがくちぐちに陰翳を礼讚している。光線に照らされないのをいいことに本来のプラスチックなつやつやを滲ませて楽しんでいる様子。人間の食欲を喚起する使役動物として生をうけた彼らは、夜間その職務から解かれて戸惑うことはないのだろうか。食品サンプルにおける自由について想い巡らせているうちに時間が経った。降車

          読まれぬ夜のために

          壺井栄『二十四の瞳』

          24歳は24なものを読もうということで誕生日に丸善で買った。 が、10月に手にしてから1月まで読めずにいたのはなにも忙しかったからではない。戦争への怒りや悲しみを訴えるとする、表紙の謳い文句が重たく感じられ、億劫になった。 できることなら戦争のことは耳にしたくない。どうせつらかったのでしょう、と思う。耳を塞いでしまう。朝ドラが戦争描写をすれば苦々しく画面を見やり、ニュースやワイドショーが微に入り細を穿って報じれば苛立たしく電源を断つ。ため息まじりに発する「戦争はよくない」は便

          壺井栄『二十四の瞳』

          土砂日記 五 病・じっくり考

          バイトからの帰り道、急激に体調を崩した。口元を中心として顔、首、胸、そして全身がただならぬ痒みに襲われ、ぶわぶわと腫れ出した。体表が熱を帯びているようでもあるし、同時に、冷却しつつあるようにも感じられた。広瀬川河川敷の堤防に寄りかかり、乱れた息を整えようと努めて胸を上下させたが甲斐がない。 重いアレルギー反応、いわゆるアナフィラキシーである。 まず救急安心センターに電話をかけ、近くの病院の受診を勧められ、最寄りの病院に続けて電話をかけ、ほかの救急対応に追われている旨伝えられた

          土砂日記 五 病・じっくり考

          病牀十歌

          病牀十歌

          20時45分の習慣

          平日、20時45分が近づくと少しだけ家族が色めきたつ。目を瞑ってうーんうーんと呻く母、遠い目をしながらも悠然と座椅子で構える父、天を仰いで過去を反芻しはじめる妹、口をぽかんと開け放って天啓を待ちもうけるぼく、四人が示し合わせたようにテレビの前に集まる。チャンネルは3、NHK総合。45分を迎えて画面には仙台の夜景が大写しになり、目と耳に優しいオープニングが流れる。 オープニングが終わるのを待たずして、四人は鋭く一言ずつ発する。 「高木」「津田」「タマ」「ナントカ太朗」 夜景が

          20時45分の習慣

          わからないカラオケ

          カラオケがなにをする場所なのかわからない。行ったことはある。端末を使って曲を選んだのちマイクを握って唄う、という基本も理解している。だが、ふたり以上で連れ立って訪れるといつも曖昧になる。場に複数人いる以上、唄うだけでなく、ひとの歌を聴く必要が生じる。この「聴く」がわたしには繊細微妙な問題である。全身全霊を俵星玄蕃に重ねて絶唱しおおせてソファにくずおれるとき、興奮は絶頂を極めているのであって、つづく誰かの歌を楽しむ余裕などありはしない。不快だとさえ感じる。およそ5分刻みに祝祭が

          わからないカラオケ

          唾よ!あれがきょうの昼餉だ

          15時に本屋でのバイトを終えて、17時からさらに別のバイトに就く日々が続いている。本屋の業務には運搬がつきものである。ビニール紐で縛った全集を持ち上げる。買い取った本をハイヤーに運び入れる。出版社から届く、20キロはあろうかという本箱を数十箱受け取る。単行本をジャンルやレーベルごとに分類する。そんな作業を繰り返しておれば肘は摩滅し腰は破断、汗は亡命、膝は慄然、そして——腹の虫がしきりに不平を申し立てる。わかりました、ご飯を食べましょう。 少なからぬ店が15時ちょうどに昼の営

          唾よ!あれがきょうの昼餉だ