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「愛だけを残せ」※抜粋

「愛だけを残せ」(中島みゆき)


愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命(いのち)の証(あかし)に
愛だけを残せ

やむにやまれぬ人生は綱渡りだ
選ぶつもりで選ばされる手品だ
闇の中の風のように
突然に愛は居どころを求める
弱き者 汝の名を名乗れ しなやかに
強き者 汝の名を名乗れ ささやかに
みんな儚くて みんな愛しくて
振り返ってしまうから

愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ

思いがけない幻に誘われて
思いがけない風向きに運ばれて
偶然の朝 偶然の夜
我々は何も知らされず 踏み出す
縁は不思議 それと知らぬ間に探し合う
縁は不思議 それと知りながら迷い合う
みんな哀しくて みんな恋しくて
立ち止まってしまうから

愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ

みんな儚くて みんな愛しくて
振り返ってしまうから

(※略)

愛だけを残せ 壊れない愛を
激流のような時の中で
愛だけを残せ 名さえも残さず
生命の証に 愛だけを残せ

愛だけを残せ



🌿10代の頃、勉強の辛さや知らない土地で孤独に苛まれていた時に、中島みゆきさんのラジオに出逢いました。
彼女の語り口にどれだけ救われたことでしょう。
ユーモアと、「寂しさ」の肯定、さりげなく寄り添ってくれる温もり。

そこで気づいたのは、みゆきさんの歌詞へのこだわりです。
ソングライターなので間違いなく「曲」なのだけれど。文学として沁みてくるものがあるのです。
彼女の詩はとても率直。他にはない、なんとも言えない魅力を感じます。

私は敢えて時折、曲を外し「詩」として読むことがあります。

この「愛だけを残せ」は、実はずっと響いてこなかったのに、最近とても気になるようになってきた詩です。

人はどうしても“何か”を残したがる・遺したがる生き物です。
私も過去を振り返ったり、今の自分を見つめたり…と、何かしら足跡をと考えてみたりもします。

とくに近年の出来事に、自分はどれだけ関わったのか、世間一般で言われている歴史観を生活者としてどう捉えていたのか等、微力ながら後世の検証に委ねる一助を…などと考え込んだりもします。

     〜〜〜〜〜〜〜

一方で、もう1人の自分が常に
「目に見えないものへ魂を込めよ」
と訴えかけてきます。

この感覚がどこからやってくるのかは私にもわかりません。でも明らかにライフワークのようなものだと感じます。

私は「想い」や「祈り」は実は有機的な物質として存在し得るものと考えています。
随時、発せられるエネルギーが微粒子として(素粒子レベルとして)
「在る」「漂う」と感じるのです。
その素粒子がいつかどこかに辿り着き、誰かのインスピレーションになる…

生態系の中で物質が循環するように、心が生んだものもきっと形を変えてこの世に存在し続ける。たとえ身体が朽ちて分解されたとしても。
…などと書くと「どうしちゃったの?」と心配されるかもしれませんね。
科学と信仰は両輪で必要なものと考えていますし、たとえ私が無神論者だとしても上記の感覚は持っていると思います。

     〜〜〜〜〜〜〜

そうした想いや祈りは「愛」として表現されることが多いですね。

みゆきさんの詩はストレートに
「愛“だけ”を残せ」
「名さえも残さず」
「“生命の証に” 」
と謳っています。
このシンプルで力強いことばの意味を、どれだけ私自身が理解できるのか。問われている気がします。

日頃、どれだけ誠実に過ごせるのか。
どれだけ生命と向き合えるのか。
どれだけ物事を大切にし、
(自分を大切にし)、
人と心を分かち合えるのか。
一期一会の中に私の素粒子は残ってくれるのか。

形あるものが残せない分、せめて少しでも「親切でありたい」と思うのです。
その時生まれた素粒子が、いつか誰かの(何かの)一助になれたら。


私が生きている意味もそこに在るような気がしています。


🌿imo



(P.S.)この「愛だけを残せ」のメッセージに、萩尾望都先生「スター・レッド」のラストシーンを思い出す私です☘️


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