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孤島

「はっ と目が覚め
頭に浮かんだことを
メモしたけど呟いてもみる。。
『人は元来わかり合えないものなのだ』
…というところから
出発すべきなのではないかと。
それぞれ、
体という入れ物の中に入っている。
わからない者同志が生きてる連続、
それこそ奇跡なのではないかと。
“一瞬の重なり”以上に
期待しすぎてやしないかと。。」

(※2022年4月5日(火)早朝のツイート)



私はいつも突然で唐突である。(らしい)
家族はもう慣れているが、
それ以外の場ではいつも一様に空気が
「?」となってしまう。

幼い頃からなので私も慣れている。が、
周囲から浮かないようにする為には、
もう自分にできることは只ひとつ、
「常におとなしくしておく」
…ということ。

それでも私の中身は変わらないのだから、
頭の中や五感は常にフル回転である。
(と同時に ぼんやりもしている)

そんな私が、近年 
居場所を得られたのがSNSだ。
(未だに試行錯誤しつつ、ではあるが)

自分の唐突さに寄り添ってくれる。
呟いたって、誰も眉をひそめる人はいない。
くすくす笑う人もいない。


幼い頃は、
お気に入りの木や、夜空に向かって話していた。(心の中で)
てんとう虫やヤモリも聴いてくれた。
相当にキツい時は
遠くの海へ1人出かけ、風にあたり、海岸でひたすら波と水平線を見つめていた。
(断片的に心のメモをとったりもしてみた)

そんな子だった。

あらゆるものが苦手で、
器用なんだか不器用なんだか、
自分でも掴みどころのない日々をおくっている。

…そんな私の呟きに、ふと遠くで共鳴が。。

1日の大半を
虚空に向かって費やしていた私にとって、
SNSは
試しに音叉を耳に当ててみて
振動が響いてくるような感覚がある。

そんな心情を、
今朝はtweetしてみた。

人は 1人1人、それぞれが
小さな島のような気がする。
島と島がくっつくことは
なかなか無いけれど、
同じ空を眺めていたり、
同じ鳥を見つめている。
そんな一瞬一瞬が、
実はとても奇跡的なものなのではないだろうか…と。

昔からそんな風に感じていた。

短い言葉にしてみたけれど。

風にのって、
粒子となって、
どんな島へ届くのだろう。


🌿imo


※固定記事にしている「初めまして」に加筆・修正を施し、「孤島」というタイトルをつけ、あらためて「詩」「エッセイ」(のようなもの)として再掲してみました

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