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自己紹介は長く難しい

1981年9月28日生まれのO型、天秤座。
兵庫県姫路市出身、動物占いブラックな猿。
趣味は……
趣味ってなんだろう、難しいなあ。

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【場所】
僕の30代のテーマは「場所」だ、どうやら。

コロナウィルスの影響で「新しい生活様式」という言葉を耳にするが、対面することなく生活することができるのか、考えている。
テレワークと呼ばれる仕事のやり方だけではなく、あらゆる局面での生活について考えている。

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「いつ何が起こるかわからない」という場に直面し、自分の生活について常に考える事を止めないというのは、僕の中では2011年の東北の震災以降、意識してきたことだ。

2011年に、僕は姫路の高校を卒業して以来12年住んだ東京から、尾道という小さな町に引っ越しをした。30歳のその頃から「場所」というものについて考えるようになったような気がする。

尾道に住み始めた頃は、みんなで集まれる場所が少ないと感じたのでNPO法人を立ち上げてリアカーゴという移動式の屋台を開発。マーケットの開催やイベントを繰り返すことで集まれる場所を作ったりもした。

30代前半特有の固定概念「そろそろしっかり仕事をした方がいいんじゃないか」と、安定した企業を狙って面接を受けまくったが落ちまくった。
落ちまくっていた時に中村からチョコレート工場の話を聞いて「自分がワクワクする仕事をしてもいいんじゃないか」「こいつらと一緒にやるなら面白そうだ」というワガママを貫いてチョコレート工場を立ち上げた。

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アイデアやアイデンティティをチョコレートに詰め込んで表現する場所が、尾道の向島、山の中にあるその工場だった。

奥さんと子供が健やかに過ごすことができる場所を求めて大阪に引っ越しをしたし、自分がこの先必要だと感じる「土」と関れる場所を求めて現在の仕事を選んだ。

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【圧倒的な何か】
2011年3月11日に起こった東日本大震災が僕の大きな転機となった。
以降、多くの人が移住や生活について考える時代になったといえる。

今年のコロナウィルスの狂騒は、それに近い。
もしくはそれ以上のキッカケであるのかもしれない。

18歳で東京に出て25歳までお芝居の世界に身を投じ、震災のあった2011年、30歳の僕は神楽坂にある書籍の編集プロダクションで働いていた。

知り合いが石巻で被災し、そのまま災害支援センターで働いていたこともあり、4月から月に1度、週末を利用して、当時一緒に住んでいたシェアハウスの住人達と災害支援活動を行っていた(金曜日の夜に車で出発し、土曜日に災害支援活動、日曜日の夜に東京に帰ってくる)。

僕はこの体験を通じて「家族」や「生活」についてアホなりに考えることとなる。そして圧倒的な何かによって選択肢もなく失ってしまうものもあるということを目の当たりにした。

「この先を自分で選択できる僕はとても恵まれている。」

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圧倒的な何かは、いつでも僕にやってくる。
謎のウイルス感染や交通事故かもしれないし、うんこ踏んじゃうことかもしれない。

東京での生活も仕事も好きだった。
しかし、「圧倒的な何か」にさらされた時の混沌ぶりに、ハッとした。
交通が麻痺し、救急車も消防車も通れないくらい人が溢れ、スーパーやコンビニから物がなくなった。
実際に大きな被害を受けたわけではないのに(東京で大きな地震が多発したのは確かだが、津波に飲まれたり家が倒壊したわけではないにも関わらず)人的災害と呼ぶべき混沌が拡がったのだ。

「じゃあ、町にミサイルが落ちたらどうなる?」
リトルA2Cがそんな声をかけてきた。

混沌の中、僕は僕の大切な人を守ることができるのだろうか?

僕は12年の東京生活で、失いたくないと思える人と出会うことができた。
そんな連中に何かあったとき、どうやって助ける?

「逃げよう。」

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【逃げるという選択ができる幸運】

僕は「逃げる」という選択ができることが誰かを「守る」に繋がると思ったのだ。

多くの選択肢があれば助かる方法が見つかる。
選択肢があるという幸運を活かさなくてはいけない。

それが自分の人生を精一杯謳歌しているということではないだろうか。

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そして僕は、選択肢をひとつでも多く作ろうと思った。
「逃げ場所」があるというのは大きな選択肢になるはずだ。

僕は仕事を辞めて、姉が住んでいるという理由で尾道へ逃げるという選択をした。姉とは今後の人生で長い付き合いになるだろうし、家族のことをもっと知っておきたいと思ったからだ。
逃げ場所は熊本でもミャンマーでもよかった。
僕の場合は姉が「逃げ場所」を準備していてくれた。

僕がどこかで生活していれば、次に誰かが逃げたくなった時に「アツシがあそこで楽しそうにやっているなら俺もいけそう」そう思って、逃げることへのハードルを下げる、僕の住む場所がそんな「逃げ場所」になればいい「行くところがない」そんなことはないぞと。

いざって時に僕を思い出して、訪ねてくれ。
僕じゃなくてもいい、誰かを思い出して、逃げればいい。

そんな心境で、そんな理想を掲げて東京から逃げた。

これからどうしようかと悩んだ時に、頭に浮かんだ近しい人(家族)の存在。そこから生まれた様々な選択肢。
「逃げる」という選択ができることの自由さ、幸福さに感謝している。
だから少しでも、この幸福さを伝えたい。

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【人】

姉とその家族「人」に惹かれて、尾道という「場所」に辿り着いた。
僕という人物も、いざって時に、思い浮かぶようなそんな存在でありたい。

20代のころは多分に漏れず世界遺産(場所)などに興味があり、飛び回った。
いまは、誰か(人)に会いに行くためにどこかに出掛ける。

いままで様々な場所でいろんな経験をさせてもらったが、それは「場所」ではなく「人」との出会いに他ならない。

先日、僕は自分の趣味が思い浮かばないというような話をした時に

「人生が趣味なんじゃない?」

そう言われて、その言葉がとても腑に落ちた。
なかなかうまく説明できないんだけど、とにかく腑に落ちた。

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冒頭で30代のテーマが「場所」だと述べたが、それは「人」だった。
どこにいても会えると思っているし、そこが居場所になると思っている。

僕の趣味である「人生」という言葉を分解してみる。
「人」が「生きている」それが趣味なのだ。

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【自己紹介】
1981年9月28日生まれのO型、天秤座。
兵庫県姫路市出身、動物占いブラックな猿。
趣味は「人生」。

「つまりどんな奴やねん。」
って余計にわかんなくなる話でした。

次回から、もう少し笑える内容を投稿しようと思いますのでヨロピーク。
根が真面目なもんで、ついつい、こうなっちゃうことに反省していマーーーーックス!(←今回、精一杯のおふざけこの程度)

こんな文章でもインスタのフォロワーが増える希望を持つ男A2C

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