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「#手帳デコ」と和解するアラフォーの話

#手帳デコ 。ハッシュタグ手帳デコというワードが気になって仕方ありません。かわいい!素敵!ではなく、かわいいと思ったと同時にゾワゾワするんです。理由はおそらくこんなところ。

  • シール、マステ、スタンプ、素材ありきの話でしょ?(そんなに買えない、何から買っていいのかわからない)

  • シールとかスタンプとか所詮借り物(誰かの作品)をペタペタしてるだけじゃない?

  • 何のためにしているのかよくわからない

確かにかわいい、素敵。だけど自分はこうはできないし、なんのためにやっているのかいまひとつ理解できない。そんな冷静なツッコミが自分の中で渦巻きます。と同時に、これらの冷たい視線を凌駕するレベルの「映えるデコレーション」がSNSでは繰り広げられていて、ただただすごいと感嘆するばかり。なんだろうなんだろう、という気持ちでついつい見入ってしまう自分もいるのです。「借り物」というワードを一瞬にして黙らせるに足る、もはや芸術作品。そしてPV数もフォロワーもすごいことになっているカリスマ性。これはある種の妬みなのか……?

そんな妬みを解消しつつ、自分なりに手帳デコと折り合いをつける過程と気づきをつづります。


かわいいだけでは動けないのがアラフォー

アラフォーにもなると、「かわいい」だけでは内面的にも環境的にも動けなくなります。かわいい+何かしらのメリットがほしい……というのが本音。その+αの要素に期待して、まだまだ動いてみたくもなる、不思議な生き物アラフォー。娘が中学生くらいだったら「ママこじらせてるね」と言われるのでしょうか、それとも「きゃーかわいい!」で同じ1つの文化を楽しめるのでしょうか。娘はまだ幼児なので、自分が今後どうなるのかの見当も少しはつけておきたいところです。

やってみた

モヤモヤはさておき、わからないことはとりあえず好奇心を100%にしてやってみることにします。補足しておくと、さあ手帳デコをやってみようと思った時に、すでに手持ちの材料でなんとかなってしまう自分の中途半端な立ち位置にもモヤっとしているのかもしれません。好きなこと・興味のあることの延長線上に、よくわからない手帳デコの世界が広がっているのか……なんだかコワイなぁと。

素材

  • 手帳(「Bine」マインドウェイブ社)

  • マスキングテープ(mt カモヰ)

  • 卒園アルバム制作に使った残りのシール2種(セリア)

  • 本屋でもらったフライヤーとイベントで使った塗り絵の切れ端

仕上がりはこちら

実はノラネコぐんだんがかなり好き。こんなデコになった理由は後述します。

この手帳はデコ用ではもちろんなく、自分にとってときめく系を書き留めているメモ帳的なもの。手帳デコは「ときめく系」と認識したようですね、私。ときめき手帳については過去に記事があります。


事前準備は情報入手から


さぁやろう!と言ってもどこからやりましょう。わからないので情報入手からいきましょうか。まずは手帳と向き合っている人の言葉を聞きたい。ノウハウではなくて、向き合っている人の温度感、息づかいを知りたい。

デコしていてもいなくても、自分に合った手帳との向き合い方をしている人、模索している人は沢山いそうだぞ……ということで、最近出会ったこちらの記事を読んで自分の行動を正当化してみます。そうそう迷走大歓迎なんです。感謝!

そして実際に、手帳デコとの向き合い方に共感できそうな方の記事を発見。

mimuraさんの「基礎を入れるとインプットが変わる」という言葉がスッと入ってきました。
こちらの記事から実際にyoutubeに飛び、手帳デコってそうやるんだ!と学ぶ。ついでにいくつか動画も視聴。
何気なく始めてしまえることも、実は何かしらのルールがあることって多いんですよね。それを自分で切り開いて体得していければいいのだけれど、そうなる前に力尽きて諦めてしまうことも多いわけで。ありがたいことに、見事切り開くことができた方々は何かしらの道標を残してくれています。それをそのまま拝借することにします。

何のためにデコるのか?を知りたい

手帳デコのデザインのテーマ……のその前に。闇雲に手帳デコ!とはならないのが今の私です。またまた執念いくらいに繰り返すと、かわいいだけでは動けなくなってしまったアラフォー。手帳デコにまつわるモヤモヤをを知るために「手帳デコをやってみること」を決意したのだけど、それだけではモチベーションがいまひとつ弱い。どうしてデコしてしまうのか?デコしなくてはならないのか?あたりも知りたいんですよね……。

手帳デコだってアウトプットなんだ

ここで生きてくるのが、最近のnoteをやってみた所感とインプットからの推察。

アウトプットって大事だし、それをたやすく「言語化」と言ってしまうこともあるけれど、アウトプットの形は言語でなくてもいいのかもしれない。

言葉になりきれない部分をデコレーションという形で表現している営み、それが手帳デコと言い換えてみてはどうでしょうか。言語よりも、「好き」「かわいい」を切り口にした方がしっくりくる、感情や言いたいことを表現できる、そんな人だって当然いるよな……と思うに至ります。手帳デコの場合、「かわいい」のレベルがかなり目立つため、「かわいい」に振り回されてしまってそういう意識をしづらいのかもしれません。
参考文献はこちら。最近この本にとらわれている私。

『ビジュアルシンカーの脳』テンプル・グランディン著

手帳デコ≒ビジュアルシンカーの為せる技と言いたいわけではなく(決してそうではない)、今の世の中ってやっぱり明らかに言語優位だから、ともすると言語化以外の表現方法を見落としがちなのかも……という自分への戒めと気づきも込めて。手帳デコで自己表現ができる方々を異質な目で眺めるのではなく、いち表現者としてリスペクトしたいものです。そしてきっと人によって思考方法と表現方法が違う。同じ人でも時と場合によって思考方法が違うかもしれない。それを優劣ではなくて、単なる違いとして受け止めて尊重できるヒトでいたいものです。

手帳の中に込めたい「かわいい」以外の要素を捻り出してみる


では、あらためて私が手帳デコをやるにあたって何を伝えたいか?を自問自答してみます。言い換えると、ときめき手帳に、今、言葉に頼らない形で封じ込めたいものってなんだろうか?と問いかけてみます。私にとって言葉よりもデコの方が絶対伝わる!というのは何だろうか?

そこで捻り出したのが「思い出」。先日体験した思い出をそのまま手帳に封じ込めることはできるだろうか?

デコする際に言葉を封印してみる

先日、近所の本屋さんで「ノラネコぐんだん」の缶バッチづくりのイベントが開催されており、子どもたちとでかけました。
私、ノラネコぐんだんが大好きなんです。工藤ノリコさんのイラストも世界観も大好き。

今、大好きなノラネコぐんだんのリンクを貼りました。この文章をPCで打ち込みながら大好きなノラネコちゃんが視界に入ってくるのがとても幸せです。手帳デコの幸せってこんな感覚なのでしょうね。そして表現である以上、誰かと繋がりたいと思うのも自然なことなのだろうな……ということも感覚として理解するに至りました。

参加したイベントが、たまたま視覚に訴える部分が大きい(=大好きなノラネコぐんだんはキャラクター・本として確立している)というのもあって、文章でいくらそのかわいさを書き連ねるよりも、デコして見える形にしてしまった方がパッとこのイベントのことを思い出せる気がします。本屋さんに置いてあるフライヤーをもらってきてしまうわけですし、その戦利品を目に見える形で保存しておいて、あとで味わいなおしたいというのはとても自然な行動に思えました。

もう一度手帳デコの写真を貼りましょうか。これ、手帳の表紙に持ってきました。

出来上がったものを眺めて反芻できる幸せが手帳デコなのかも。

先ほど入手した具体的なデコ方法はこちらで活きてきます。全体をごちゃつかせすぎず、何となくの統一感を意識して……などなど。
言葉を足してもいいかもしれないと思ったので、次のページはこうなります。

「ノラネコぐんだんがみています。」を再現

こちらももらってきたフライヤーを切り抜いて貼ります。空いている部分にこの日の記録を文章で記しておいてもいいかもしれないと思いました。

選者は私という感覚

誰かがデザインしたかわいいシールを貼って、誰かがデザインしたマステを貼って、誰かがデザインしたスタンプを押して……。それは借り物じゃん!独自でイラストを描いた方が私オリジナルだから!とどこかで思っていた私。
今回のデコでは、見事に工藤ノリコさんのデザインをそのまま拝借しております。が、この「人のもので勝負している居心地の悪さ」は不思議と感じませんでした。これはおそらく、そんな素敵な世界観を選んだのは他でもない「私」という意識のなせる技なのでしょう。伝えたいのは「私!」ではなくて、その先にある「思い出」、そこからつながる「幸福感」だという確信があったからだと思います。これは大きな発見でした。

【まとめ】和解とこれから

実際に自分でデコしてやってみた結果、手帳デコのことを敵視することなく、シンプルに「かわいい世界観♡」と見守ることもできそうです。大人になった自分を褒めてあげたい。

手帳デコ=無心に手を動かして1ページを作り上げるというところには、自分と向き合っている・自分をケアしている意味合いもあって、それはこのnoteタイムと同じなのだと思います。同じような仲間を見つけ、繋がり、さらに高めあっていくというのもとても自然なことでもあるわけで。だからSNSが盛り上がるのも頷けます。

と同時に、私にとっての手帳デコはやっぱり「かわいい」だけでは満たされないのだなぁとも思いました。ここは頑なです。けれど「かわいい」を超えて、ビジュアルでインパクトを記しておきたい場合には、この上ない表現方法であることも学びました。私が手帳デコをする場合には、かわいいに振り回されないだけの理由づけがやっぱりほしい。今回のノラネコぐんだんのイベントのように思い出ストックのためとか、今後の目標をビジュアルで意識するためとか。ただし結果として「かわいい」は大いにアリ。確かに楽しいし。

そして実践レベルの話では、買い物ありきでなくてもなんとか太刀打ちできることがわかりました。フライヤーを切り抜く。好きな記事をストックしておく。写真を切り抜いて使ってみる。シンプルなマステやシールだけでもちょっとしたコツと工夫次第で満足の1ページができる。なかなか無駄遣いができない状況でもデコできるというのは嬉しいポイントでした。

手帳デコにのめり込むわけではないけれど、時々チャレンジしてみようと思った次第です。


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