見出し画像

やりたくないことはできないようになっている

※この ☝ 続き?というか、詳細?というか、セットみたいな内容の記事なので、できたらあわせて読んでほしいなと思ってます


ふと思いついたり、自分で考えたりして行動したことが、いい感じにハマったりハマらなかったり。「人生っていつだってそんな感じでしょ?その都度、感じたり考えたり行動すればどうにかなるし、どうにかするし!なんだって経験すればいいんだし。」って思って生きてきたのだけれど。そして、それはいまもそんなに変わっていないけど。ハマってないな、とわかっているのに抜け出せない時があるんだよな。

エネルギーも思いも時間もお金も、たくさん注ぎこんでいるうち、執着してしまう・・・気づいたときには、その心は思いのほか膨れ上がっていて、引き返せなくなってしまっている。誰かが邪魔しているわけじゃないし、本当は引き返せるんだけど、もしくは捨てて先に進めるんだけど、気持ち的に「できない」。だから、しない、できない。

もうちょっと、やれるんじゃないか。どうにかできるんじゃないか?そういう思いが残っているから、ああでもない、こうでもない、頭の中でいじくりまわしてしまう。

だけど、それが長引くほどエネルギーは消耗していく。そういう時って、ボタンの掛け違いみたく全部変な感じになってしまって、関係ないところでも謎の消耗を重ねがち。いつの間にか目的が「(最低限)維持する」ことにすり替わっていても気づかずに、さらにドタバタとすり減っていく・・・結局、「もうちょっと」どころか、何もできないままジリジリ消耗して、ドカーン!

「もうどうにも動けません」と、ハマっていないことを受け入れたときには、エネルギーは1ミリも残っていない状態・・・肉体的にも、精神的にも。動けない、何にも感じない。私の、この2~3年は、まさにそんな感じだった。超!超!超!ツラかったなあ。

でも、もうやめよう!と心から思う。

・・・

9年間営業した自分のお店を、2022年に廃業した。色々な経験をしてとても愛着のある場所だったから、本当は「なんとか続けられないかな?」と思っていたけれど、その一方、一人でこまごました業務に追われる状況に限界を感じてもいた。もとは自分の(帽子の)アトリエを兼ねてお店を始めたのに、最後の3年間はまったく制作できない状況になっていたから、遅すぎる決断だったかも。だけど、如何せ愛着があったからな・・・仕方ない。

同じタイミングで、もうひとつ並行してやっていた契約の仕事もやめた。契約前と労働条件が違っていたことがいちばんの理由(申し立てたけど変更できないとのこと)。それと同時に、「嫌いじゃないけど、好きじゃない」はエネルギー源にならないことを再認識したから。「好きだと思えるところを探して」とかじゃダメで、結局は、「ただ、好き」が大事なのかも。少なくともいまの時点、いまの私にとっては。

・・・

どちらも辞めてすぐは、何とも言えない気分だったな。悲しいというより情けないような、これ以上できないよ・・・という無力感が強かった。それぞれかなりの時間とエネルギーをかけてやってきたから、全部うまくいかなくなってしまって呆然、ガッカリもしていたし。どう考えても腑に落ちなくて「いや、いくらなんでも!」と誰かや何かを非難したい気持ちになることもあれば、誰にともなく「私だって・・・」と弁明したい気分になることもあった。だけど、すべてやめて1年たった今、ようやくいろんな選択や決断、そのタイミングについて「これでよかった。」と思えるようになってきた。

「こうすればよかったかも。」という思いもあるにはあるけれど、いろんな条件の中で自分で考え得るベストは尽くしてきたよな、と思ったから。やれることはやったし、それでもできないこともあったし、自分の不得意なこともハッキリとわかった。「つくることや手作業、企画すること、ときどき好きな人たちと集うこと、ボーっとイメージすること、は好き。」「一方、経営?やそれにまつわる諸々、交渉などは得意ではない。」不得意なことやできれば避けたいことを書き出したなら、結構な数になると思う。

本当は「もともと知ってたでしょ?」というこの事実を、「いやいやいや・・・いまさら?」と呆気にとられる気持ちで半ば自嘲気味に、もう半分は「だってそうなんだもん。」という感じで、割とすんなり受け入れた。それが私の本当の気持ちだったからかな、と思う。「不得意だ・できない」とはっきり認めてしまえば、「そう、そうなんだよ・・・」という風に、するすると頭が整理されていくのを感じた。そして徐々に、この過去の日々を「経験」と呼べるようになってきている。

・・・

何だってやってやれないことはないと思っていたけれど、できない。そして、「できない」は、「やりたくない」から発しているんだな・・・やりたくないことはできないようになっている、と思う。そのことを、さっさと自分で認めてあげればよかった。「嘘つきは損(=後悔のもと)、意地っ張りは損」とあんなに自分に言い聞かせていたのに!

そんな試行錯誤と自問自答の森を抜けて、ようやく・・・できなかったことを後悔するのではなくて、やってきたことをよくやったよ、と思えるようになった。やってしまったことを後悔するのではなくて、あの時はあの時で精一杯やったよ、と労えるようになった。なんだか異常に長い踊り場を抜けて、階段を一段登ったような気分。「大丈夫。ここから、また始められる。」と感じ始めている。


☟ さらにこの続きのプロフィールです。


この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?