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インディーゲーム開発者になった経緯/note再開について

2020年から2年ぶりに、noteを再開します。
2020年当時は、企業のゲームディレクターで、初ディレクター担当作がリリースになるまでの合間に、note公式お題「#自己紹介でゲームを語る」から『ゲームと私』について書いたり、それ以前も仕事の合間に架空旅行記『てへぺろ街道』を書いたりして、こちらnoteに投稿していました。

『ゲームと私』は、少しでも自身のゲーム開発について知って頂いて担当作の周知につながればとの思いも含めて書いていたのですが、やはり企業に所属している身ですので、記事中に公私が混ざってしまうことはよくなかったため、記事を書くことをやめ、非公開にしてnote自体も閉じていました。

その後、企業でのディレクター第2作目の開発に取りかかっていたのですが、諸事情により企業を離れることとなり、しかし企業様の厚意によって個人での開発続行を許可頂き、(企業時代のブランドを個人ブランドとして引き継がせて頂き)インディーゲームデベロッパーとして独立に至ったという次第です。

※noteを再開するにあたって、上述の『ゲームと私』それから架空旅行記『てへぺろ街道』を再公開しています。
(但し『ゲームと私』で企業作品に触れていた記事は再公開しません。また、作品の告知・宣伝等を部分的に削除・編集しています。)

インディーゲームデベロッパーとして独立・開発を続行するにあたっては、元々このゲーム開発が企業での開発費ありきの開発であったことから、開発費を募るべくCAMP FIREでのクラウドファンディングを実施してきました。
実は今日時点で残り2日(今日7/30と明日7/31)なのですが、ご興味のある方は、プロジェクトページをチェックしてみてください。
noteでは、後日、クラウドファンディングを実施してみての所感や、どのように実施してきたか、どういうアクションに対しどういう効果があったか、といったところを記事にしてみたいと思っています。

今回の独立についてや、新作の開発について、クラウドファンディングについて等、メディアに採り上げて頂いていますが、その中でゲームメディアのGame*Spark様にインタビュー形式で詳細な記事にして頂いているので、インディーゲームデベロッパーになった経緯については以下リンクの記事をご覧頂けましたらと思います。

【フリーゲーム作者からアリスソフトを経てインディー開発者に―RPG『Terminus Historia | 境界戦役』IMAYUI氏インタビュー】Game*Spark

また、CAMP FIREのプロジェクトページにはゲームクリエイターになるまでを、童話塾時代の後輩(爆乳ショップ店員@creampie_kcup)にインタビューしてもらう形で語った内容を掲載して頂きました。
こちらはnoteにも掲載しておきたいと思います。

インタビュアー:爆乳ショップ店員

童話塾時代の後輩・爆乳ショップ店員(@creampie_kcup)さんにインタビュー頂く形で、これまでについてを話しています。

ディレクター:IMAYUI

爆乳ショップ店員(以下爆):IMAYUIさんにはかつて、子どもの本専門店メリーゴーランドの童話塾でお世話になりました。

IMAYUI :私が11期生で爆が14期生で、私が童話塾卒業する年の一年間、一緒に学びました。2008年のことで、ゲームを制作・公開していくよりも前のことです。

:その後、IMAYUIさんがゲームクリエイターになるまでやゲームクリエイターになった時の思いなどをお聴きしていきたいと思います。
IMAYUIさんは、童話塾に通いつつその頃、詩の雑誌へ投稿をされていました。

IMAYUI「ユリイカ」「現代詩手帖」に投稿していて、2009年のユリイカの新人に選んで頂きました。

:選者は、辻井喬(堤清二)さんですね。辻井さんに選出されたユリイカの新人として、「ユリイカ」から詩人デビューされましたが……

IMAYUI:辻井さんには本当に感謝しています。
しかし、「ユリイカ」に2編詩を寄稿して以降、雑誌から依頼が来ることもなく、出版社には詩集を出すことも断られましたし、まったくの不遇でした。

:うーん。しょうもない。

IMAYUI:自身の表現がきちんと人に届けられるところを求め、PBWのゲームマスター・シナリオライターなどを経て、フリーゲームに辿り着いたとき、ここだ、と思いました。
中学生の頃からRPGツクール(最初はSUPER DANTEとDANTE98から)のファンで新作が出る度に触っていたのですが、これからを模索していた時にこれだ、と思えるツール・WOLF RPGエディターに出会えたことも大きかったですね。

:ウディターですね。暗黒のツールともいう。

IMAYUI:ええ。ウディタです。作品を作って公開していくと、フリゲにはフリゲ好きなプレイヤーや批評をしてくれるレビュアー達もちゃんといて、段々反響も大きく、何が自分に求められているのかということもわかってきて、成長できることが嬉しかった。お金は一切絡んでいなかったけど、不思議と需要と供給が成り立っていた。そこで学んだもの・得たものは多かった。

:お金は得られなかったけど、お金より大事なものを得たのですね。

IMAYUI:そのときがあってこその今がある、ですね。
コアな世界だったかもしれないけど、閉じられた狭い世界という感じは全くしなかった。実際その頃(2013年から2014年頃)ニコニコ動画などのメディアが参入したりフリゲ実況が盛り上がったりノベライズなど商業化等のちょっとしたブームもあって(そのときその波には乗れなかったけど)とても可能性のある開かれた世界だと感じました。
フリーゲームというもの自体に、表現の可能性が満ち溢れていたと思います。

:色々作られましたね。主にRPGとか、他にも変なゲームとか。
絵も音楽もプログラム(※ウディタの自作システム)も全部一人で作られていました。

IMAYUI:ほとんどを一人で作りましたが、企業に入る手前くらいで、知り合いのイラストレーターさんや作曲者さんと組んで同人ゲームを作ったことも少しだけありました。
爆にも音声(朗読)をお願いしたり、ニコニコ自作ゲームフェスの授賞式に代理で出てもらい生放送に映ってもらったりもしましたね。

ニコニコ自作ゲームフェス授賞式での爆乳ショップ店員

:そんなこともありましたね。何故自分で出なかったのですか?

IMAYUI:あの頃は、人前に出たくなかったから……

:今はやっと出ていくことにしたんですね!

IMAYUI:でも本当は開発に

:これから、頑張ってください。今日はありがとうございました!

IMAYUI:これで終わり? 強制終了ですか。ありがとうございました。

(インタビュー 2022/7/23)

ブランドロゴを制作中のディレクター

という経歴の人間です。
こんな私でよろしければ、どうぞよろしくお願い致します。

今後はインディーゲームデベロッパーとして、最初に実施したクラウドファンディング、Steam登録や、もちろん今後の開発・リリース・広報といったゲーム開発に纏わる全般について、ときどきこちらのnoteへ書いてゆけたらいいかな、と思っております。
他には『ゲームと私』の続きや、もしかしたら、落ち着いた時や開発の合間などでまた趣味の架空旅行記でも書いてゆければいいなと、思います。

よろしくお願い致します。

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