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評論 たもつ氏「手を繋いでいた」「さよなら中継」より

ネット詩人、たもつ氏の詩より「手を繋いでいた」と「さよなら中継」を選び、論じることによって作者が抱えているであろう、事実と真実の乖離について述べる。

まずひとつめ、「手を繋いでいた」より。

>さっきまで、きみと手を繋いで歩いていたはずなのに
>いつの間にか壊れたメトロノームを引きずっている
>メトロノームは壊れていく

しばしば、作者の詩に出てくる「きみ」との関係性を描いた部分。
きみと手を繋いでいたつもりが、いつの間にか壊れたメトロノームを引きずっている。なお、「メトロノームは壊れていく」と繰り返され、強調される。誰しもが家族やパートナーの中に自分を見出して生きている。あくまで一般論のひとつとしてであるが、全ての愛は自己愛の鏡だ、という言い方もできる。


>もしかしたら、きみ、なんて人は
>最初からいなかったんじゃないかと思い始めてる
>でも、実際にこうして手を繋いでいるし
>いくつかの口癖も鮮明に思い出せるのだ


作者は、「きみ」の中に自分を見出すことができない。きみは最初からいなかった、ということは、すなわち、自分の存在の実感の乏しさに繋がる。「でも、実際にこうして手を繋いでいるし」と思いたい「きみ」は冒頭で壊れたメトロノームだと既に述べられている。しかも継続してメトロノームは壊れ続けている。この自分と、自分を写す鏡となる他者との相容れなさというようなものは、作者の詩の多くに通じてでてくる違和である。

しかしここで、ラスト一行に注目したい。

>いくつかの口癖も鮮明に思い出せるのだ

君がメトロノームであったという思い違い、最初から君はいなかったんじゃないかという根底的な疑問。しかしいくつかの口癖を「鮮明に」作者は
思い出せるのだ。その記憶は、今手を繋いでいる「きみ」が壊れ続けるメトロノームであったという作者が詩にした「真実」よりも強く、確かに「事実」として存在しているはずの「きみ」として詩のなかで最後に浮かび上がる。
それはおそらく本当になんの変哲もない、とるに足らない口癖だと推測される。
「誰に似たのかしらね」という娘への不満であったり、こめかみに手をやりながらため息をつくその表情であったり。作者は作者が詩にした違和としての「きみがきみでない」「きみのなかにぼくを見出せない」真実に苦しみながらも、そういった何気ない、そしてかけがえのない口癖を、事実として記憶しているのである。推測であるが、このラスト一行、作者はあまりそこまで意識して書いたのではないと思われる。しかしそこに私は作者の「作者が詩にした真実」と、確かに記憶しているきみの口癖としての「事実」との乖離をみる。それはもうひとつの詩「さよなら中継」でより浮き彫りになる。


>名前を呼ばれて受付にいくと
>きみがあの頃と同じ姿で待っている
>会いたかったよ、ずっとだ、と
>喉まで出かかった言葉を飲み込む
>渡された問診票に
>言いたくても言えなかった「さよなら」を
>一文字一文字丁寧に書く
 

ここで、会いたかったよ、ずっとだ、と、喉まで出かけて言わなかった作者の気持ちは真実である。しかし詩の中で彼が事実としてとった行動は言いたくても言えなかった「さよなら」を丁寧に書くことだった。ここでも、会いたかった君にさよならを告げるという、真実と事実に真逆ともいうべき乖離が見られる。

ここで注目したいのは、「手を繋いでいた」においての真実は、今ここにいる「きみ」がきみでないということ。そして事実として鮮明に記憶している、「きみ」の口癖。次に「さよなら中継」においての真実と事実。会いたかった、と言わなかった気持ちとしての真実。そして「さよなら」と書いた事実。

ここに私は作者が捉えている世界における真実と事実の乖離、付け加えて真実と事実の逆転を見る。
この二つの詩を繋げて考えると作者は「繋いでいたと思っていたメトロノームとしての君」に「会いたかった」という本音を言いかけてやめる。真実と真実を繋げるならそうなる。同様に事実と事実を繋ぐのであれば、「確かに記憶しているきみの口癖」に作者は「さよなら」と書いた。文面をたどる限り、作者の願いは真実と事実を入れ替えないと達成されないのではないだろうか。
即ち作者の真の願いは「何気ない口癖を呟くきみ」に「会いたかった」と伝えること。そして「君と思っていたメトロノーム」に言いたくても言えなかったさよならを告げること。

最後にわたしは願う。今ここにいない、確かに記憶している事実としての君に、作者がいつか「会いたかった」と、真実を伝えられることを。
そのためには作者の中の「君はメトロノームだった」という、おそらくは作者が長年をかけてつくりあげてきた、つくりあげなければ生きられなかったであろう、自他不在の真実に、事実上の「さよなら」を告げる必要があるのではないだろうか



最後に、ご本人の許可を頂いて、ご紹介させていただいた詩のURLを添付しておく。たもつ氏の詩、上質な文学としての現代詩を是非ご一読あれ。


http://kossoritosi.blog.shinobi.jp/詩/さよなら中継



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