まぁみ

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「自分(その人)らしく生きる」ことを支えるアサーションの深さに魅了され、あれやこれやと探し続けています。不器用な自分も自分なのだと励まし、お互いを尊重しあい、協働できる関係を創造していきたいと思っています。

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    女性3名の、ファシリテーター&ワークショップ・デザイナー チームです。 【ワークショップ・ラボ】 いまおかまゆみ はらゆきこ やぶたゆきこ (50音順) 経験豊富なファシリテーター&ワークショップ・デザイナーが、オリジナル・ワークショップづくりをご支援しています。 ワークショップを組織力のアップ、人材育成に活用しませんか。

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読書会、ワタシの中で起こったこと

いくつかの読書会に参加している。 3人くらいの小さいサイズから、もう少し大きなサイズまで。 読む本もまちまち。 メンバーも違う。 読む範囲を指定して、当日に音読するパターンもあれば、事前読書が前提の場合もある。 事前読書はぎりぎりセーフで読書会スタートまでに間に合わせることも多い。こんなはずじゃなく、もっとちゃんと読んでから参加しようとしていたのに・・・と内心自責。 しかし、参加しているのだから・・・まだいいではないか・・・と自分を赦して参加することが多い。 今回は参加し

    • 気持ちがレスキューされないんだ

      かかわっている、ある組織の新年度の体制のこと。 経験年数から順番が回ってきて、ある役割を取ることになった。 それはいい。 順番だから、いつかはね、と納得できたから、声をかける役割の先輩に「わかりました」と応えた。 その引継ぎをするミーティングがあった。それまで何も知らされていない中で、その場で、引き受けると応えた役割の中でもさらに細かく担当が分かれていることを知ることになった。 そして、細かく分けられた役割の担当に自分の名前があった。 しかも苦手な領域の担当だった。 「え

      • 「あなたのままでいい」

        「几帳面ですね」 こう言われたら、どう思うだろうか。 「おおらかですね」 こう言われたら、どうだろう。 前者も後者も、いい意味とちょっとその裏に何かがありそうな場面がある。 その関係性、文脈、非言語・・・意味づけるには要素はたくさんある。 「おおらか」は「寛容さ」をイメージするが、「几帳面」は「細かい」「神経質」「厳格」が想起される。 「おおらか」はウキウキの感じ、「几帳面」は自他ともに厳しさを求める、キチキチの感じがしてしまう。わたしは「几帳面」だと言われることが多

        • 自分を「赦す」

          2023年大晦日 今年もいつものように迎えられた、12月31日。 「いつものように」なんだけど、やっぱり少しずつ大掃除を簡略化(さぼっている)しようとしている自分を自覚する。 集中するといつまでもかかりきりになっていたのに、それが「もういいか・・・」と自分を甘やかしている。 加齢のためだけではない、なんとなくフクザツな思い。 コロナに翻弄された数年と比べると、元にもどったこと、変わらないこと、新しく変化したことが様々あるなあと思い出す大晦日。 良くも悪くも自分のペースの

        読書会、ワタシの中で起こったこと

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          全部自分なのに、ね

          今夏、体調を崩して、仕事を交代してもらうことと、逆に交代する経験をした。 責任を持って仕事をしているのだから、簡単に交代をお願いすることはない。それでもお願いをしなければならない状況が起きた。 そんなときにも頭はさえ、想定していたあれやこれやを変更しなければならないことへ思考は傾く。 自分はぴっちりとスケジュールが埋まるような多忙な人ではない、と自覚していたのに、予定が変わることで誰に連絡をしなければならないか、何ができなくなるか、リスケが必要か、何をいつまでにリカバーしなく

          全部自分なのに、ね

          8月12日、18時56分

          38年経っても「8月12日の123便」を忘れることはない。 一瞬のうちに520名の命が奪われた記憶。 その業界で仕事をしていて、この事故がどれだけのインパクトを持っていたか。 航空機事故というのはヒューマン・エラーを問いただされることが多い。 「圧力隔壁」の修理ミスとされるまで、時間もかかった。その間に航空機の安全性への警鐘も繰り返し、そこで働く人々から投げかけられた。 起きてしまったことから、何を、どう、学習するか。 アサーションを学んでいて、知ることになった

          8月12日、18時56分

          技術を磨いている人に話を聴いてもらう

          誰かと一緒に仕事をしたり、ボランティアをしたり、ワークショップを企画したりするときに、誰と組むかは大事になる。 「ともに力を合わせる」、「お互いがやりたいことを尊重しながら、目的に沿って進める」のは、簡単ではないからだ。 研修などで聞こえてくるのは、「ここではなぜこんなに話しやすいのだろう」、「このメンバーでは、こんなにコミュニケーションがうまくいくのに、職場に戻るととたんに難しく感じるのはなぜだろう」など。 研修といってもそういう声が聞こえてくるのは、いろんな組織の方

          技術を磨いている人に話を聴いてもらう

          2023年前半は

          今日で一年の前半が終わる。 7月はかなり予定が入っている。月末まで気合が必要だ。 し・か・し・・・8月以降の予定が少ない。 スケジュールは空白が目立つ。 コロナの数年で仕事の仕方はがらりと変わった。なんとなく戻りつつある現在でも以前のような仕事の密度ではないのだ。 誰かの、何かの、役に立つ仕事に取り組めたら幸せだと思っている。でも自分から働きかける機会は少なくなったし、予定がつまると何だか息苦しくて何も入れない時間が欲しくなる。 これが老化なのかもしれない。 新しいこと

          2023年前半は

          マスクが隠すもの

          数年のコロナ対策によってマスク着用に慣れ親しんだ生活がある。 マスク着用は、2023年3月から基本的には個人の判断に委ねられることになり、着用協力はお願いできても強制はできないことになった、と思う。 季節に合わせて外を歩くときはマスクを外している人も多くなったが、電車の中や施設の中など、人が集まるところでは着用している人は多い。 慣れ親しんだ「マスク着用」がもたらしたものはいろいろある。 表情がわからないことで、非言語要素が普段のコミュニケーションに与えている影響の大きさ

          マスクが隠すもの

          ニュージーランドでナラティヴ・ワークショップ

          今日は4月30日 もう一年の三分の一が終わろうとしている。 5年前の今頃、興味関心を持ち始めた「ナラティヴ・セラピー」に近づきたいとニュージーランドで開催されるワークショップに参加した。 よくわかっているわけでもないのに、ナラティヴの本場で、その道の先生から体験できることに期待を膨らませて。 もちろん先生は英語で話され、資料も英語である。英語に自信のない人でも理解ができるように、ナラティヴのことを学ばれた通訳の方がずっとついてくださった。綺麗な日本語に訳してくださるサポー

          ニュージーランドでナラティヴ・ワークショップ

          さくらトラムに初めて乗って

          先週、東京大塚駅前から庚申塚という区間を移動するにあたり、都電(愛称さくらトラムというらしい)に初めて乗った。 大阪それも北の方に住んでいると経験したことのない都電スタイルにびっくりすることばかりだった。都内に住んでいる人は当たり前かもしれないけれど、ある意味感動したことを書いてみたい。 その1 IC運賃と普通運賃が違う。 ICは168円、普通は170円 一円単位、しかもICは2円安い! その2 30の駅があるのに均一料金! 全長12.2キロの路線で端から端まで乗っても

          さくらトラムに初めて乗って

          京都の深さをちょっとだけ味わう

          あっという間に2月が終わろうとしている。 明日から3月。 コロナの感染者数は大阪で300人台になり、人の動きは活発になっている。 先日思うところがあって、京都の東側の神社仏閣を歩いた。 どこに行っても外国語が聞こえてくるし、人混みで普通に歩けない経験をした。 着物で歩いている人も多い。しかもレースやフリルやアクセサリー付きである。着物も変わった・・・そんなことを実感した京都小旅行であった。 京都は確か修学旅行で来ているはず。でもどこに行ったのか、ほとんど覚えていない。大

          京都の深さをちょっとだけ味わう

          今しか学べないもの、出せないもの

          もう1月が終わろうとしている。 2023年の始まりは、何だかキツキツで、コロナ前にはこんなこともあったなあ~と思い出すような日々だった。 コロナによって日常の時間の使い方ががらりと変化し、仕事の仕方や関心あるテーマの学習も時流にのっかった結果の今がある。 随分と様変わり(自発的に)したところと、積極的ではないもののこうなっちゃった・・・という結果がある。 そして仕事の内容も自身が取り組み続けたいと思うテーマに自ずと集約されている・・・選択してきたものがはっきりとわかる。 今

          今しか学べないもの、出せないもの

          共生成する会話のために

          仕事を含め、自身の生活において感じるのは、人は「きいてもらいたい」ことがたくさんある、ということだ。そしてそれは自分が語りたい内容であることが前提の話。人から尋ねられたことではなく、自分が話したい内容を話せるか、がポイントのように思う。 そのためには、きく側にどんな環境や姿勢、きき方が大切なのだろう。 数々の失敗を経て、いくつか自分なりに大事にしたいことは少しずつ重なってきている。どれもシンプルなのだけど、案外難しい。 その1 自分も似たような経験をしていると、自分事を話

          共生成する会話のために

          ちょうどいい加減

          人間関係で対立している人と人の間に入って、話を聴くことがある。 私が経験している中では、対立している人同士は同席はしないのがほとんどである。 何が起こったのか、起こっているのかについても解釈が異なっている。 同席していないと、言いたいことを言えるので、お互いのことを責める言葉が続くことがあり、修復困難さが増して聴こえる。 何かよい方向になるかもしれない手がかりがどこかにありはしないかと目をこらす。お互いのことを気遣う言葉がありはしないかと耳をすます。 からんだ心情が解きほぐ

          ちょうどいい加減

          ユーモアと人間味は人を緩ませる

          先日、出勤途中でご挨拶をした先輩から、あと数日で仕事にピリオドをつけるという話を聞くことになった。 その先輩とは3回ほど直接的な仕事をご一緒したことがある。 あまりに急なことで驚いていると、体調が思わしくないことが理由だと伺った。言葉につまった。「聞かせていただいて、ありがとうございます」としか言えなかった。 その仕事をしていくには私の知識も技量も経験も足りず、コロナによって知識レベルを補充する機会もままならない中でのスタートを切っていた。とにかく自信がなく、不安がつきまと

          ユーモアと人間味は人を緩ませる