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イチローという生き方

夏の甲子園が中止になるというニュースを見て高校球児たちの涙にもらい泣きしてしまったりしたのだけど、野球のことはこれっぽっちもわからない。
もっとも私も高校時代を合唱部で過ごして泣いたり笑ったりの青春を謳歌して成長したので、幼い頃、折角の夏休みなのにテレビを占領される忌々しき甲子園くらいにしか思ってなかったのは、さすがに反省したけれど。
それでも、投げて打って走るだけの競技を長い時間見ていられる人の気持ちは今でも理解できなかったりする。

そんな私がなぜかこんな本を手に取ってみた。


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『最高の自分を引き出すイチロー思考』 児玉光雄 著(三笠書房)

正直イチローがどれくらいすごいのかもわからない私。『日米通算4000安打』と言われても、「安打って何?」だし、そもそもメジャーリーグってアメリカなのか……なんてそこからもうはてなマークが飛び交いまくっているレベルだ。
加えて、私はうつ病を患ってから、こういった自己啓発本はあまり読まないようにしていた。特にこういうストイックに生きてる人の本に影響されると、無理をしてしまいそうだからだ。

そんな私がなぜこの本を急に手に取ってみたのかというと、職場の電子図書館の数少ない資料がこの自粛状態でほとんど貸し出し中になっている中、この本だけが残っていたから。ところでイチローって神様の名前だっけ?罰が当たりそうだけどゆるして。

というわけでほとんど暇つぶしのために読み始めたのだけど、実際この本は素晴らしかった。
気になった文をいくつかメモしたので、紹介したいと思う。

そして、『うつ病の私』にどう刺さったか、書いていきたい。結論から言うと、私の心は、ゆがんだ脳みそを置き去りにして、大きく変わった。

精神的年齢

人間には肉体面の「生理的年齢」と、気力面の「精神的年齢」の2種類がある。
40歳を過ぎたくらいで「もう歳だから……」という言葉が口癖になっている人間は、「精神的年齢」が衰えている。

一番最初にドキッとした文章。
50になっても現役でいたいというイチローの言葉を紹介していたのだが、私は30代のくせによく「もう30代」という言葉を使うので、精神的年齢はだいぶ衰えてきている。そもそも『アラサー』みたいな言葉が生まれてから、日本人の精神的年齢は全体的に衰えてるのでは?と感じる。

逆に私は自分で、「精神年齢が低い」と思っている節があった。
ここでいう『精神的年齢』と意味が同じなのかはこれを読んだだけでは理解できなかったが、同じ意味だとしたら成長が止まることはあっても衰えていくとは思いもしなかった。

私のうつ病の原因は、小学校5年生のときの記憶にある。家庭に問題を抱えていた。そこから、私の『精神年齢』は止まったままだと思っていた。止まったままなら、いいじゃないか。衰えないように、衰えている部分は心のアンチエイジングをして、若さを保っていよう。

そう心に決めた一文だった。

力を振り絞ること

朝、「今日も完全燃焼!」と叫んで飛び起きよう。
そして1日が終わるとき、どんな1日であっても、寝る前に「今日は本当に充実していた。完全燃焼できた!」と、必ず日記に記すのだ。
この習慣を身につければ、たとえ結果が出なくても、私たちはモチベーションを落とすことなく努力を積み上げることができるようになる。

この本を読んでも野球のことはよくわからなかったが、イチローが努力の人だということはよくわかった。

イチローの言葉として、『毎日(力を)振り絞っている。今日だって振り絞っているし、別に余力を残そうとしているわけじゃない。それ(余力)があったとしたら問題です』という、チームが連敗した後のコメントを紹介している。

もちろんチーム戦である以上、チームを勝ちに導かなければいけないはずだが、それでも『結果』よりも『自分の力を出し切ったか』の方が、長期的に見れば自分のためになるし、ひいてはチームのためになる。

ところで、うつ病になってからやたらと「無理をしないように」と言われる。主治医にも仕事をセーブするように言われたし、うつ病を克服したインフルエンサーの方々も、口を揃えて「自分の限界を超えて無理をしたからうつ病になった」と言う。
うつ病は脳の病気だ。イチローは脳に異常がなかったからここまでストイックに努力してもうつ病にならなかったし、私は脳に異常があったから、イチローほど努力してないくせにうつ病になったのだ。

だけど、うつ病の人が努力するのはいけないこと?

そんなはずない。ちょっと脳みそが人と違うからって、努力させてもらえないなんて不公平だ。

『努力はするけど無理はしない』
という生き方ができたら、私だってイチローくらい最強になれるかもしれない。ちがうかな?

私なりの完全燃焼を求めよう。病気だからってリミッターを無理にかける必要はない。全力で生きよう。

焦ることはない。小さくて簡単な一歩を何度も踏み出し続ければ、どんな人でも必ず、自分が思い描く夢にたどり着くことができる。

これが答えだなって思う。
一歩は、人それぞれ違うからね。私なんか、短足だから。心も短足らしい。残念。

承認欲求に打ち勝つ

正しい努力とは何だろう?
次の2点を満たすことが必須だ。
まず、「自分を進化させてくれるのは、自分だけ」だと認識し、自分に責任をもつこと。なぜなら、皆自分のことで精いっぱいだからだ。
次に、「世間が評価するのは、一番優れたものだけ」だと理解し、自分のもてる才能のうち、一番優れたものを磨くことに時間とエネルギーを割くこと。

イチローは、世間に認めてもらいたくて野球をしているわけではないし、日本球界を背負ってメジャーへ進出したわけでもない。

あいたたた。自己顕示欲の塊な私には耳の痛い話です……。

正しい努力には評価がついてくるし、もし自分が『一番優れたもの』という境地に達しなくても、自分の進化に目を向けていれば、承認欲求に打ち勝てるのかもしれない。

これは私の目標として、心に刻まれた。

メタ視点

一流の人間ほど、自分を客観視する能力に秀でている。

イチローが、バッドを振るフォーム以外にも、箸を持つ手にまで美しさを求める人なのだと紹介されていた。
自分がどのように見られているかを常に観察できるメタ視点を持っているということだ。

一方、うつ病は一般的に、自分の内側にこもってしまう病気だ。外側から見ることが出来れば、自分の気持ちに何か解決策が見つかるはずなのに。

ある意味、noteを書くという作業は、自分を客観的に見れている気がする。日記を書いたり、悩みを書きだすといいと言われるのは、このメタ視点を鍛えて認知のゆがみを取り除くトレーニングになるからだろう。

それに加えて、先ほどの「完全燃焼!」を文字にすることにしようと決めた。

突然ですが、ありがとうございます。

たとえ味方が1人もいなくても、その頑張りをどこかで見ていた誰かが、応援してくれるようになる。

これは個人的な話だが、noteにいつもいいねしてくれる方には感謝しています。一瞬でも、一記事でも、一行でも、見てくれた人がいることに感謝することをいつまでも忘れないでいたい。

わがままだとうまくいかない

うまくいかなかったら、それを自分の責任ととらえ、打開することに意欲を示す。達成できたら、皆のお陰と考えて感謝する。

イチローが日米通算4000安打を達成した後の以下のコメントを紹介している。
『4000本のヒットを打つには、僕の数字でいくと、8000回以上は悔しい思いをしてきているんですよね。常にそれと、自分なりに向き合ってきたことの事実はあるので、誇れるとしたらそこじゃないかというふうに思いますね』
そして、
『1000というキリのいい数字を4回重ねられたことは、それなりかな、と思う。それよりチームメイトやファンがあんなふうに祝福してくれるとは、全く思わなかった。特別な瞬間は、記録がつくるのではなく、自分以外の誰かがつくってくれるのだと思った』

……神様かな。

ダメなことは自分のせい。いいことは自分なんかではなく仲間のおかげ。この思考は、危険だ。自分を必要以上に追い込むことになる。

だけどここで大事なのは、『打開することに意欲を示す』そして『感謝する』という部分だと思う。
『自分のせい』というとネガティブだけど、『意欲を示す』というのは前を向いている。『自分なんて』と思わず、『感謝をする』ことでこれも前を向く原動力になる。

私が少し心配していることは、うつ病になってから、すこしわがままになりすぎていないかということだった。
必要以上に周りを気にしすぎていたから、自分のために生きよう。これ自体は間違った考えではないかもしれないけど、一歩間違えれば自分本位のわがままになってしまいかねないなと。

これからは、このイチローの考えに少しでも近づけるように意識を変えてみようと思った。

言い訳のように聞こえることを口にするのはやめよう。あえて逃げ道をふさぎ、目標を達成するしか道はないというところまで、自分を追い込もう。

これも、先ほどの考えにつながる。
うつ病を言い訳にしない。うつ病だって、すこし考え方を変えれば、努力は出来るんだから。

やりたいことをやろう。目標を持とう。

プレッシャーとの付き合い方

プレッシャーがあるから仕事の成果があがる。

イチローは常にプレッシャーを抱えて打席に立っている。
イチローだけじゃない、あらゆる優秀なスポーツ選手も、優秀なビジネスマンも、常にプレッシャーと隣り合わせで結果を出している。

これは少し、むずかしい。プレッシャーは、ストレスにもなりうるからだ。

うつ病の治療に際して、ストレスは一番の敵だと思う。

私にとって、心地いいプレッシャーはある。趣味で水彩画を習っているのだが、課題を提出すると講師から講評をもらう。なるべくよい評価がもらえるように、頑張る。ちょっとしたプレッシャーだけど、これがなかったら、全く成長できないんじゃないかと思う。

適度なプレッシャーを見つけて、プレッシャーに慣れる。承認欲求と隣り合わせなので難しいところだけれど、プレッシャーとの付き合い方をうまく模索していけたらいいと思う。

努力の矛先

「こんなに一生懸命やっているのに、誰も認めてくれない」
イチローは、そんな弱音を一切吐かない。努力はあくまで自分自身のためにうもの、決して他人に見せるものではないという哲学があるからだ。

そういうことで。
承認欲求を捨てて努力することが、ひいては自分のために生きることになるし、上を目指す心、そして人に感謝する心を育てるのだろう。

「この作業をすれば、目標が叶う。報酬が増える。だからこれは楽しいことなのだ!」と自分に言い聞かせよう。そのことを脳が理解すれば、驚くほど、努力が楽しく感じられるようになる。

イチローはきっと、努力を楽しいことと認識している。

私のゆがんだ脳みそでも、その境地に達することができるだろうか。
こんな偉大な人の本を読んだ後に『目標』なんて考えると、大それた目標を立ててしまいがちだけど、小さな目標でいいんだと思う。私が私らしく生きるための目標。
当面は、目標を見つけることが目標になりそうだ。目標探し、楽しもう。きっと人生が豊かになるから。

楽しくない修羅場

仕事に慣れれば、充実感は見いだせるようになるが、そのためには、その何倍もの「楽しくない修羅場」をくぐる必要がある。

うつ病になると「楽しくなかった修羅場」を理由にしてしまいがちだと思う。
それが理不尽に修羅場に落とされたのなら当然うつ病の理由になりうるけど、そうでなかったのなら、もしかしたら、「甘え」と言われてもしょうがないのかもしれない。

先ほど、小学校5年生のころの出来事に、私のうつ病の原因があったと書いた。明らかに、『楽しくない修羅場』だった。それをくぐった先にあったのは、うつ病の自分だった。充実感とかそういうきれいなものには全くつながらなかった。
でも、こうも考えることが出来て、今もその時から続く『楽しくない修羅場』の真っ最中だったとしたら。
うつを治す努力をしたら、もしかしたら何かが見えてくるのかもしれない。
私は私なりに、修羅場をくぐる覚悟を持っている。

本を読んで、私の心は変わった

一日に、この本を3回読んだ。
次の日にもう1回読んで、このnoteを書いている。

たった2日の出来事なので、すぐに心は元に戻るのかもしれないけど、だけどできれば、このままの心でいたい。

うつ病は、甘えじゃない。

だから、うつ病に甘えちゃいけないんだ。

私にだって、きっと持てる目標がある。それはたとえば、自分だけの文章を書きたいとか、自分だけの絵を描きたいとか、……そうじゃなくて、毎日忘れずに薬を飲むとか、質のいい睡眠をとって心と体を休めるとか、そういうことでもいいはずだ。

その目標に向かって努力することを、楽しめる自分になりたい。

素敵な文章を書けたとか、きれいな絵を描けたとか、薬を飲んだから少しずつ回復していってるとか、よく休めたから今日は元気に動けるとか、そういうことに楽しさを感じて、努力を積み重ねていきたい。

うつ病の人が目標を掲げちゃいけないなんて、誰にも言われてないから。

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