映画「BLUE GIANT」 エンドロールも聴いていたい
□演奏シーンは迂闊に創れない
予備知識もなく観に行きましたが、
「これは事件ではないか」
という感想を抱きました。
こんな映画あっただろうか。
これから先何年も
「『BLUE GAIANT』の演奏シーンのように…」
という基準で語られる気がします。
少なくともこれからの映画は
迂闊に演奏シーンを創れなくなってしまった。
主人公の大(ダイ)は劇中で
「世界一の奏者になる」と再三口にしますが、
なるほど製作陣は「世界一の演奏シーンを創る」
と決めたんだなと独り合点しました。
□天賦の才とは
上映中は「才能」について考えさせられました。
主人公の大はサックス奏者として
まぎれもなく天才です。
天才は演奏の「素質」はもちろん
「努力」や「情熱」も相乗作用として
持ち得ることになります。
大が肺活量を鍛えるためにいきなり
毎日3時間のランニングをはじめますが、
多くの人間はケガするだけでそれはできません。
努力ができるのも才能があるからこそ。
「世界一の奏者になる」と大が語るのは
それは結構なことです。
しかし客席にいる多くは何の世界一にもなれない。
私たちは天賦の才を持つ特別な人間を見て
なにを感じたらいいのでしょう。
大が「世界一の奏者になる」ということは
あとの80億人が「世界一ではない奏者」に
なることを意味します。
「才能」というのはそういう酷薄なもの。
誰もが一度くらいは何かの一番に
なろうと執着した過去があるでしょう。
もしくは客席にいる若い人は
今まさにそう思っているか、
ひょっとして挫折している最中かもしれません。
才能に憧れてしまった地獄。
悪魔に魂を売ってでもほしかった才能。
才能などないと知ってからも続く人生。
大を見ていると若き頃に憑りつかれたように夢見て、
そして強制的に退場を命じられた「才能」のことを思い出します。
一瞬ではありますが気が変になりそうでした。
そのフタは開けないでくれ。
客席で思わず身を固くしました。
□フィクションの凄み
フィクションやアニメというのは
実に不思議なものです。
”作り物”であるにも関わらず、
どんどん本物を再現しようと追求する。
風景を実際と見まがうほど写実的に描いたり、
人の動きをモーションキャプチャで再現したりする。
はて、わからなくなってきます。
そこまで本物を再現するなら、
実写にしたりドキュメンタリーにしたらいい。
いや、しかし、フィクションというのは
そこからもう一段高いところへ
観客を連れていく力があるのでしょう。
たとえば本作での演奏シーン。
ボクは本当のJAZZ演奏を聞いても
きっと何も感じない。
けれど『BLUE GIANT』では
JAZZに震えていました。
本物のJAZZを誠実に再現しながら
さらにJAZZの本質を先鋭化表現することで
本物でも果たせない感動を巻き起こす。
これがフィクション(あるいはヴァーチャル)の
神がかった凄みなのでしょうか。
誰ひとり席を立たず
エンドロールの曲さえ惜しむように
聴き入っていたことがそれを証明しています。
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