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蒐集家、久遠に出会う 第二章 二、久遠研究所

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 二条元家の起動を見届けた日の夕方、椛は「七分咲き」のカウンターに両肘を着き、座ったまま虚空を眺めていた。思考を働かせる気は出てこず、ただ未明にあった出来事が脳裏を駆け巡る。
 問題なく動いているように見える二条へ、一緒に行こうと椛は手を伸ばした。だが久遠は返事をせず、少しも動かない。こちらの言葉は分かるはずだと思って再び誘ったが、治に止められた。
「この蒐集は失敗だ。隣近所へ迷惑を掛けないうちに帰るのが賢明だよ、富岡さん」
 それでも椛は、諦められなかった。頼まれたからにはきちんと仕事を果たしたい。しかし「早二野」の仲間たちが次々に部屋を出ていくのを見ると、急に心細さが募った。二条は相変わらず、姫路のそばから離れようとしない。ついに椛も、この場を後にすることにした。若干重くなった足で出入り口の扉へ向かった時、空いていた手に柔らかいプラスチックの感触があった。
「忘れ物ですよ、富岡さん。せっかくわたしが買いに行ったんですから、置いていかないでください」
 渡されたエコバッグを握り、椛は刑部姫を振り返る。ふと思い出して、自分の家へ帰らないか問うたが首を振られた。
「わたしの役目は終わりですので。あなたがたのこともきちんと分かりましたし、今後は父のもとに留まるつもりです」
 刑部姫は本当に、「早二野」を探るためだけに現れたのだ。久遠に無理やり方向を変えさせられて、椛は思い至る。日が昇る前に帰宅し、睡眠を取って目覚めた時、朝食が用意されていることはなかった。雑貨屋も開けず刑部姫の帰りを待ったが、結局姿は見られなかった。突然な日常の終わりが、椛の胸に穴を空ける。
「――はい、彦根さんへの連絡は済ませておきました。特に残念がっている様子はなかったですね。思ったより淡々と受け入れているようでした」
 隣では真木が、治と白神へ話をしている。彼女の言う通り、彦根は本当に今回の結果を納得できているのだろうか。この店で出会った時の、熱意が籠もった語気や表情が蘇る。きっと彼には、強い思いがあったはずなのに。
「富岡さん、いつまでぼうっとしているんだい? もう終わったことなんだから、忘れれば良いじゃないか。忘れるのは君の得意分野だろう?」
 いつもなら言い返す治の嫌味も、今日は逆らわず流す。黙っていると彼は息をつき、正面の苫小牧へ料理を注文した。
「しかし久遠というのは、これから本当に使われていくのかしら。悪い方向に利用されなければ良いけど」
 調理を始めた苫小牧が、顔を曇らせる。姫路は伝統文化の保存などに使うと語っていたが、それは実現されるのか。女将の疑問に、真木が小さく唸る。職人や後継者の不足は、確かに深刻な問題だ。だがロボットに任せるとなると、機械では出来ない慎重な作業も出てくる。そう言いかけて、真木は独り言のように声を低めた。
「……いや、完全な人型である久遠なら関係ないのでしょうか。刑部姫さんや二条さんを見る限り、人間と全く変わらない動きをしていました。ペンを持って、書くことだって」
「じゃあ久遠は、どんな現場でも活躍できるかもしれないって? そうなったら、人間の出番がなくなるじゃないか」
 治に指摘されても、真木は答えなかった。何やら小さくぶつぶつと言っている。どことも知れない場所へ目を向けてしかめっ面を崩さなかった彼女は、やがて勢いよく顔を上げた。
「考えていても切りがありません。わたし達は、もっと久遠について知る必要があります。ということで皆さん、久遠研究所へ行きましょう!」
 普段の真木からは想像できない大胆な案に、店内の誰もが声を失って彼女を見つめた。椛もぽっかりと口を開けている中、友に指で額をはじかれる。
「あんただって、心残りがあるんでしょう? 彦根さんに会ってちゃんと話したいとか、思っているんじゃないの?」
 やはり彼女が心を見抜いてくることには、いつも驚かされる。蒐集が出来なかったことへの謝罪や、何があったかという説明もしっかり行いたい。椛は迷わず、首を縦に振っていた。
「じゃあ、その研究所へ行っちゃおうよ! 明日にでもさ!」
 明日という点に、店内の突っ込みが一斉に入る。すぐに白神がスマートフォンを操作し、久遠研究所のサイトを開いた。予約が必要との注意書きを知り、椛の心臓が騒ぎ始める。
「ちゃっちゃと予約しちゃおうよ! スマホからもできるよね?」
「椛、さすがに明日には――」
「空いているぞ、明日」
 真木の言葉を遮り、白神がカレンダーの画面を見せる。確かに明日の部分を表示する欄には、空きを表す丸が示されていた。

 日曜日の朝も、久遠研究所は一部の所員たちが仕事を進めているようだった。四人揃って応接室へ案内され、椛は昨夜決めたことがもう叶っている現実味が湧かず、ふわふわしたものを覚えていた。奥行きのある柔らかいソファーに座っていることもあるかもしれない。対して四方の白い壁が、硬い印象を与えている。その上部分に写真が飾られていると気付き、椛は背を伸ばす。どこかで見たように思えて、真木が彦根に渡された写真の二条と同じだと告げた。
「二条さんという方は、本当に慕われていたみたいね」
 そっと囁いていた真木が、扉の叩かれる音に姿勢を正した。椛も息を呑んで、人が入ってくるのを待つ。応接室に現れたのは、彦根だけではなかった。研究所の所長だという深志百花と、秘書の林長時も椛たちの前にあるソファーに腰掛ける。いきなり偉い人が出てきたことに、椛はここを訪ねた目的が頭から飛びそうになった。
 改めて彦根にした謝罪は、すんなりと受け入れられた。予定通りに詳しい蒐集時の様子を話し、二条の久遠が完成していたことで彦根が溜息を漏らした。
「……そうか。誕生日に間に合わせるというのを、もっと考慮すれば良かったんだ。それなのにおれは――!」
 悔いを声に滲ませた彦根は、突如隣の深志を睨んだ。涼しい顔の所長に、彼は厳しく問い詰める。
「やっぱりわたしたちは、姫路を追うべきだったのです。彼が久遠の製造過程をどこまで進めているか、そもそも本当に計画を行っていたかを――」
「とっくに所員でない者の研究に、今さら私たちが介入する必要はないでしょう」
「あなたはそうやってまた……!」
 彦根はわずかに腰を浮かし、今にも深志へ掴み掛らんとする気迫を放っていた。いつも同じことを言って、問題から目を背けてきた。だから今回、二条の尊厳が崩れるようなことが起きたのだ。深志も二条に恩はあるはずだ。だのにこの由々しき事態を放置しておくのか。彦根の声が荒くなる中、それまで二人から離れてソファーに座っていた林が止めに入った。
「彦根さん、ここはお客様の前です。意見は後でいくらでも聞きますから、どうか今は落ち着いてください」
 一度口を噤んだ彦根だったが、深志から視線を逸らすとまた文句を言い始めた。今度の怒りは、姫路へと向けられている。
「あいつは罰されるべきだ。人の生を踏みにじることをするなんてどうかしている……! 今の社会でだって、人工知能にまつわる問題をよく聞くでしょう? あれと並んで扱われるべきです」
 その問題というのが、世の中に疎い椛にはよく分からなかった。一方で隣の真木はしっかりと頷いている。それに力を得たか、彦根の言葉はさらに強くなっていった。
「久遠として作られた二条元家のような事態が今後も続けば、人間の在り方にも影響を及ぼしかねません。だからその前に――悪い手本となりそうな久遠の二条元家は、おれが破壊します!」
「ちょっと、ちょっと! それはさすがにだめだよ!」
 さすがに行き過ぎだと直感し、すかさず椛は大声を上げていた。周りの面々も、彦根へ顔を引きつらせている。二条がどんな人間かは分からないが、少なくとも彦根にとって大事な人だというのは理解できる。そして先日に見た久遠は、その人の若い姿そっくりだと思われた。恩人と同じ名前と顔をした存在を、傷付けるというのか。
「破壊するのはあくまで久遠。二条さんと同じ姿をしているなら、なおさら破壊するまでです」
「そんなの……そんなのだめだよ! ものを壊すのはよくないよ!」
 咄嗟に椛はテーブルを挟んで彦根の腕を掴んだが、呆気なく振り払われた。弾みで彦根のそばに置かれていた湯飲みが倒れ、中の茶が零れる。
「彦根さん、さすがに壊すというのは行き過ぎていると思います。もう少し、二条さんの久遠について知ってからでも――」
「そうですよ、下手をすれば器物破損で訴えられるかもしれない。せっかく作ったものを壊されて、姫路さんが良い気分をするとは思えませんよ」
 真木と治も説得に加わったが、意見は聞き入れられなかった。ついに彦根は誰の言うことも聞かず、立ち上がると扉へ向かっていった。
「わたしが大事に思っているのは、この世に生きていた人間の二条さんです。それ以外をあの人と認めるわけにはいきません」
 乱暴な音を立てて戸が閉められる。林が茶で濡れたテーブルを拭く中、深志が謝罪を述べた。彦根はかっとなると、勢いで動こうとする悪癖があるらしい。意見など全く耳を貸さず、独断で何とかしようとしてしまうそうだ。
「何だか富岡さんに似ているね。だからあんな頼みを受け入れたの?」
「似てるって、どこが!? どこなの!?」
 治の意見に大声で反論し、真木に制された。そして彼女が、二条はこの研究所にとって重要な人物だったのか尋ねた。深志はすぐ肯定し、二条元家という男がある縁によって異世界で久遠を知り、やがてこの世界で導入すべく動きだしたことを語った。教授として機械工学を教える傍ら、初めは一人で久遠を作ろうとした。時を経て彼を慕う者たちが集まり、深志も加わった後に久遠研究所は設立された。深志は久遠発祥の地である能鉾という国の出身であり、技術の発展した故郷で得た知識を使って研究所の人々に助言を行っていた。
「私も二条さんのおかげで、こうして所長という地位に収まっている身です。あの人には夫を勧めてくれた恩もありますから。……失礼しました、今のは個人的な話でしたね」
 軽く首を振り、深志は隣にいる秘書が配偶者だと紹介する。苗字が違うのは、別姓が認められている能鉾で籍を入れたかららしい。たとえ家族の姓がばらばらでも、機械による優れた管理システムのおかげで政府はきちんと世帯を把握できる。まだ生殖の技術は追い付いていないが、同性同士による結婚も認められている。そう所長は自慢げに語っていた。横では前髪の横辺りに付けた髪飾りを揺らし、林が軽く俯いている。
「そんな恩人とも呼べる二条さんが久遠になっていることについて、所長はどうお考えですか?」
「――久遠研究所の所長として、あくまでも中立でいる所存です」
 真木の問いに、深志はさらりと返す。この件が危ういことだとは分かっている、故に所内だけでなく社会全体で解決すべきだ。そう話す所長の顔がどことなく曇っているように、椛は感じた。
 問題に気付いているのなら、なぜ大々的に訴えないのか。今度はそう疑問を唱えた真木を、不意に白神が止めた。
「久遠の存在が、この世界じゃ認知されていないからだろう。公にすれば、国蒐構より大きな組織が絡んでくるかもしれないしな」
 その組織なるものは、異世界を知る人間に対して非道な仕打ちをすることもあると噂で広まっているようだ。怪しい響きに、椛は思わずたじろぐ。ただでさえ国蒐構に追われていて大変なのに、また別の人々に捕まりたくはない。白神の話に一つ頷いた深志は、今後二条の件に研究所として介入することはないと言い切った。そこに治が、さりげないように尋ねる。
「久遠研究所でどうにか出来ないなら、所長個人が動く考えはお持ちですか?」
 ただの人間としてこの騒ぎに向き合うことを、治は提案していた。深志は何も言わず、顎に手をやって考えている。きっとやりたいことはあるが、忙しくて暇がないのだろう。所長ということもあって、色々事情を抱えているのかもしれない。そう思うと、椛は黙っていられなかった。
「所長さんが困っているなら、あたしたちが助けますよ! 二条さんのことを片付けて、彦根さんと姫路さんを仲直りさせちゃいます!」
 迷いのない発言が、応接室に響いた。呆気に取られる人々に囲まれながら、椛は臆さず続ける。彦根も姫路も、共に二条を思って動いているはずだ。その気持ちを擦り合わせていけば、和解も出来るかもしれない。
「……それ、蒐集でも何でもないよね? そんなことに深く突っ込まない方が良いよ」
 真っ先に治が指摘してくる。真木もやたらと人に関わるべきではないと言ってきた。白神にも何の役に立つのか聞かれるが、それには簡単に答えられた。
「人を助けられるんだよ。困った人のために頑張るのが『早二野』でしょ?」
「……幅を広げすぎてないか?」
 そう言う白神は、反論する気をなくしているかのように声をすぼめていく。彼が押されている様子なのも構わず、椛は深志の方を向く。
「所長さんも、悩んでいるのをなんとかしたいでしょ?」
「それは……そうですけど……」
 所長の口ぶりもはっきりしない。しかし今の問題に困っていることは分かった。早速椛はスマートフォンを取り出し、連絡を入れようとする。どこへ電話を掛けるつもりか真木に問われ、彦根と刑部姫だと明かした。刑部姫と話すのはだいたい一日ぶりだが、姫路に会いたいと言えば手引きしてくれるだろう。
「待ちなさい、椛! 急にやろうとしても迷惑でしょう!」
 耳から引き剥がさんとスマートフォンへ手を伸ばしてくる真木と距離を取るべく、椛はソファーを立ち上がる。治も止めてくるのも聞かずに、椛は逃げんばかりにその場を離れてついには廊下で電話を継続した。

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