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連載(34):人類の夜明|人類法の制定「法のよりどころ」

この記事は『かとうはかる(著)「人類の夜明」』を連載しています。

法のよりどころ

「この地球には多くの国があり、そこにさまざまな民族や人種が共存しています。

それらの人々は、肌の色も、目の色も、生活様式も、風習も、習慣も、考え方も違っておりますが、きれいな花を見れば美しいと感じ、ひたむきに取り組む姿を見れば心打たれ、素晴らしい音楽や物語に接すると感動します。

このように肌の色が違おうが、人種が違おうが、心に感じることはみな同じなのです。

この心の同感性は善悪についてもいえることで、人を傷つけたり殺したり騙したりすることは悪であり、人を助けたりいたわったり親切にすることは善であると、誰に教わらなくても知っているのです。

それではその同じ心を持つ人間が、なぜ罪を犯したり争ったりするのでしょうか?。

それは、利害や損得に心が奪われるせいではないでしょうか?。

つまり自分の利益を守るため、あるいは、国益を守るために、罪を犯したり争ったりするのです。

もし利害や損得の生れない奉仕社会が作られれば、おそらく今日に見る争い事はすべて無くなってしまうでしょう。

もうそこでは、人を裁いたり、利権を調停したり、商権を裁定したり、国家の財政を規律する必要も無くなり、憲法や法律の中身も大きく変わってくることでしょう。

ただどんなに利害の発生しない社会になっても、この物質世界では時間と空間が重なるとぶつかり合うという不都合が生じますから、それを回避するルールはなくてはなりますまい。

また利害や損得にからむ争いは起きなくても、違った形の争いが起きないとはいえませんから、正義と秩序を守るルールは用意されるべきでしょう。

要するに、衝突を避ける信号は必要だということです。そのルールは、“宇宙法を”よりどころとすべきでしょう。


この宇宙には法則が存在します。

その法の精神は、一口にいって大自然を生かす愛そのものです。

すべての生き物は、この法の下に生かされ、この法の下に進化するよう図られているのです。

当然人間も、この法を無視して生きることはできません。

逆らったら確実に報いを受けるからです。

といってもこの法則は、目や肌で実感できるものではないし、逆らってもすぐに現象化されるものではないので、非常に対処のしかたが難しいのです。

とはいえ、もろもろの不幸は法に逆らった結果ですから、そこに法の存在を感じなければならないでしょう。

つまり「因果応報」、これが私たちが最終的に感ずる法の姿なのです。

したがって人類を統治する人類法・世界法・地球法といった人類普遍の根本法は、この宇宙法をよりどころとしなければなりません。



国連憲章や国際法が制定された当時、これらの法は強制力を持たない形式法として軽んじられましたが、今日これらの法は主権国家の憲法を凌ぐほどの力を持つようになりました。

奉仕世界における人類法(世界法)も、それ以上の力を持つ統括法として国家憲法の上に置かれ、睨みをきかす存在とならなければならないでしょう。

その意味でも人類法は、地球上における最も権威ある法として、また人類普遍の憲法として、世界政府樹立と同時に制定布告されるべきでしょう。

当然、各国が制定する国法や都市国家が制定する地方法も、この人類法の精神を継承したものとし、その優先順位も、人類法(世界法)―国法(基本法)―都市国家法(地方法)―法律―局令―条例等々、とすべきでしょう。

そこでは世界政府(地球政府)が最上位の権能体となり国々を見守ることになるわけですが、統治の作用は(個人に及ぶ支配力)原則として各国の都市国家におかれるべきであり、国民もここで民主主義の大原則である選挙権を行使し、自分たちが選出した代議員の決めた法に納得してしたがう、というのが正しい姿でしょう。

つまり間接民主制であれ直接民主制であれ、主権者である国民の意志が政治に生かされ、その結果として国民が国家に従うということであれば、誰も文句をつけることはできないからです。

今日これは代議制という形で行われていますが、奉仕世界においてもしばらくはこの形が引き継がれるべきでしょう。

(つづく)

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