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「グレゴリオのデバッガー」愛夢ラノベP|【#創作大賞2024 、#ファンタジー小説部門】

「グレゴリオのデバッガー」愛夢ラノベP


【あらすじ】(297文字)

 本作は、《グレゴリオ》というゲームを舞台に、デバッガーたちの奮闘を描くファンタジー。
 大学生の野丸人浪はデバッグ業務に明け暮れていた。いつも《グレゴリオ》のバグやチーターを排除している。ある日も宝島タカラをアカウント停死にした。その際、彼から黒い蜂の噂を聞く。
 その業務の終了後、管理AIから野丸に島枝ナガの教育が命じられる。野丸は嫌がったが、高校生の島枝と第3惑星トリに向かう。そこで、島枝に足を引っ張られながらも、野丸は無敵ラスボスのバグを修復する。
 だが、野丸はアイラブユーなる敵と遭遇して、黒い蜂に刺された事でカマキリとなる。そのため、島枝に協力を求めてバグを修繕しようとする。



【本文】
第1部 グレゴリオのデバッガー

・宝島タカラ、死す

 よう、俺の名前は宝島タカラ。
 大人気のVR型MMORPG『グレゴリオ』ってゲームで、チーターをやっている。チーターってのは、ゲームデータを改ざんして有利に攻略を進める人間の事さ。
 勘違いするなよ、俺だって好きでチーターになったわけじゃない。
 ひょんな事から黒い蜂に刺され、チート能力を与えられた。今では仲間を作り、最初の街で初心者狩りを楽しんでいる。
 最近は、弱者キラーのトレジャーハンターなんて異名で呼ばれている。

「タカラ、次のターゲットは?」

「チェリーブロッサム、ゲーム内では本名ではなく、プレイヤー名で呼んでくれ」

 友人の植鉢さくらに釘を刺す。ゲーム内では、チェリーブロッサムというプレイヤー名で雑魚を狩っている。
 植鉢さくら――幼馴染のFJK、163センチのDカップ、レベル30のスナイパー。
 ピンクのラインが入った宇宙服を着ている。みっちりと体に張り付いているため、ボディラインが強調されている。
 その瞳は、ブラックオパールのように黒い。また、腰まで伸びたピンクの長髪は、ポニーテールにしている。
 植鉢とは幼馴染で、息のあった連携プレイができる。彼女といれば、どんな初心者だろうと赤子の手をひねるように殺せる。植鉢と宝島は最強の2人なのさ。

「悪いわね、日頃の癖が出たわ。これからは弱者キラーのトレジャーハンターって呼ぶね」

「それ、悪口だぞ」

「ふふふっ、知っているわ。それにしても、今日もグレゴリオは平和だね」

 植鉢が言うとおり、今日もグレゴリオは平和だ。
 ――令和9年8月1日午前11時。
 ――第1惑星モノの高台。
 まるで本物みたいな樹木をかき分け、高台から見下ろした世界は圧巻だった。
 見上げた空には、昼なのに、オーロラのカーテンが青空で揺れる。また、クラゲみたいな満月も見える。
 俺の隣では、アイスランドのセリャラントスフォスより高い滝がある。その水は大地を流れ、その長さはナイル川をも超える。
 だが、何よりも足元に広がる森林地帯が、クロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園よりも美しかった。
 ――グレゴリオ――
 それはVR型MMORPG。
 とある4人のJKによって作られたとされ、今も完全クリアがされないゲーム。なお、制作者の1人は死亡しているらしい。
 全世界4億人がプレイする伝説のゲーム。プレイヤーは、特殊な球体型ゲーム機ユタラスボールでゲーム世界にサインオンして、架空世界を冒険する。
 プレイヤーは故郷の惑星が隕石によって消滅し、新たな移住先を探すために、宇宙探検家になって色んな惑星を旅している。
 ちな、宝島も植鉢も自宅のゲーム機に座っている、コンタクト型のスマートアイを装着しながら。

「てかさ、どうやってチート能力を手に入れたの?」

「前にも言っただろ、黒い蜂に刺されたんだ」

「そんな話はデバッガーも信じないわよ。こんな小さな蜂でしょ」

 植鉢はケタケタと笑いながら、親指と人差し指で数センチの蜂を表現した。その大きさを見て、宝島は少し不信感を抱いたようだ。

「だが、事実なんだから、仕方ない。てか、なんで大きさを知っているんだ?」

「えーと、それは……ネットの掲示板で噂を見たのよ」

「ふーん、そんな都市伝説を俺は知らないがな」

「そんな話より、そろそろ初心者を狩らない? 早くしないと、デバッカーも来るわよ」と植鉢は話題を変えた。

「たしかに、クリエイティブモードを使われると厄介だな。どこかにターゲットはいないか?」

「首都アルファを見て、チュートリアルを終えた初心者がいるわ」

「いつも通り、瞬殺……ちょっと待てよ。可愛い女がいるな」

「あら、やっと私の魅力に気がついたの?」と植鉢が髪をかき上げる。

「幼馴染に恋愛感情は抱かねーよ」

「失礼しちゃうわね。だったら、私も初心者の彼とIDを交換するわ」

「勝手にしろ、俺は左の女だ。互いに邪魔せず、アシストしようぜ」

 宝島たちは基本的に初心者を秒殺するが、イケメンや可愛いJKはナンパしている。IDを交換した場合は見逃してやる事もある。
 それがチーターの流儀さ。
 さて、植鉢と宝島は、鷹のように崖から飛び降りて着地する。そして、ライオンのごとく草原に潜み、初心者に近づく。ターゲットは2人。談笑している隙に、一気に後方から迫る。
 初心者の男女は初期アバターで、壊れた宇宙服と充電切れのレーザー銃しか持っていない。だが、チュートリアル終了後の10万マニーは狙い目だ。

「動くな」と宝島はレーザーガンを突きつける。

「「だっ誰?」」

「私たちはチーターよ。2人とも名前と経験人数を教えて」

「はっはい! 私はベガです。付き合った経験はありません」

「そんな事まで言わなくて良いぞ。僕はアルタイルだ。PKは辞めろ」

「だったら、私と付き合って」と植鉢は色仕掛けをした。

「悪いが、僕にはベガがいる。君みたいな野蛮な……グハッ」

 植鉢はフラレた腹いせにアルタイルを撃ち殺した。ワイン樽の穴から赤ワインが漏れたように、彼の胸部から鮮血が流れた。

「チェリーブロッサム、失恋したからって殺すなよ」

「仕方ないでしょ、私の魅力が分からない男は皆殺しよ。あと、ベガとアルタイルって織姫と彦星なの。その名前も気に食わないわ」

「キャーー、彦くんが……アルタイルが死んじゃったわ」とベガが狼狽える。

「安心しろ、たかがゲームさ。初期リスポーン地点に戻る。だが、死ねば、俺たちが10万マニーを奪っちゃうよーん」

「やめて、来ないで! 殺さないで」

「だったら、俺と付き合え」と宝島はレーザーガンを向けた。

「でも、私も彦くんを……アルタイルを好きで」

「ぷぷー、タカラもフラレてんじゃん」と植鉢は失笑した。

「俺の本名を呼んでんじゃねーよ。それに両想いだと……このリア充めぇぇぇぇえ! チート能力《ビービーム》」

 宝島がレーザーガンで威嚇射撃すると、ベガは兎みたいに逃げ出した。
 宝島ならば、ライオンのように一瞬で狩りを終わらせる事もできる。しかし、彼は鬱憤を晴らすため、まずはベガの進路を撃った。
 レーザー光線が大地を焼くたびに、ベガは「キャーー!」と可愛い悲鳴を上げた。

「ハーハッハッハッハ、もっと泣き叫べ。もっと楽しませろ」

「タカラはタチが悪すぎ。さっさと殺しなよ」

「あの女は俺の良さが分からなかった。だから、痛ぶってから殺してやる。あと、本名を呼ぶな」

「ごめんけど、君はイケメンよ。面白い所もあるし。そんな良さが分かる人が近くにいるわよ。知らないだけでね」

「何の話だよ? 今、エイムに集中しているんだ。話しかけんなよ」

「チート能力《ヒフキムシ》」

 まるで植鉢は嫉妬心を燃料にしたように火球を放って、逃げ惑うベガを焼死させた。彼女は、火炙りの刑に処せられた魔女のように断末魔を上げた。
 すると、パーティーメンバーが全滅して、ベガとアルタイルの死体は木製の宝箱に変わった。
 落ちたアイテムは5分で消えてしまうから、宝島たちは初心者の死体を漁る。漁ると言っても、アイテムボックスから移すだけだ。そうやって、宝島たちは10万マニーずつ奪った。

「チェリーブロッサムのチート能力、俺と違ったよな」

「あはははは、実は、別のプレイヤーから貰ったのよ」

「それ、男か?」

「えーと、それは……女よ」と植鉢は目が泳ぐ。

「あのな、さくら。俺は幼馴染だ。その話し方で嘘だと分かるんだぜ。二度と他の男とゲームをするな」

「彼氏でもないくせに偉そうね。それより報酬を数えようよ」

「うひょーー、雑魚を倒せば、簡単に儲かるんだよな」

「消費弾数も少ないし、マジでチートは神じゃん」

「それは良かったな」と謎の男が声をかける。

「おいおい、チェリーブロッサムは声変わりか? 声が低すぎるぜ」

「えっ、私は話していないわ」

「嘘つけ。ここには俺たちしか居ないだろ」

 宝島が振り返ると、チェリーブロッサムこと植鉢は額を撃たれて死んでいた。それを見て、彼は「わっ!」と言いながら、情けなく尻餅をつく。

「驚きすぎだろ」

「うわっ、誰だ、お前は?」

「僕は野丸人浪。ゲームパトロールをしているデバッガーさ」

「のーまる……ひとなみ。なんて平凡な名前なんだ」

 宝島が出会ったのは、グレゴリオのデバッガーだ。デバッガーとは、バグを発見して原因を突き止め、それを修復する人たちである。

 野丸人浪――18歳の大学生、185センチ・58キロ、右利きのチェストボイス。
 グレゴリオのデバッガー。
 カバーネームはオオジュリン。
 陽光を反射した紫目は、バイオレットサファイアのように輝いた。砂色に染めた短髪を、フロントアッシュにしている。黒すぎず、白すぎず、灰色がかった黄色の髪は、風が吹くたびに砂紋のように髪型を変えた。
 真っ白な戦闘服を着る。また、赤褐色のマントを羽織る。その右手には、タブレット端末を持っている。
 そんな野丸は後悔していた。

「あー、やっちまった。今のは忘れてくれ。僕はオオジュリンさ」

「まさか本名を名乗ったのか! てか、覚えちゃったぞ」

「本名を知られたからには、バンするしかない」と野丸はタブレット端末を起動した。

「理不尽だろ。俺たちはバンされると、全てのアイテムを失うんだぜ」

「だが、チート能力を使っただろ。そのビービーム、どうやって手に入れた?」

「簡単に吐くわけねーだろ。チート能力《ビービーム》」

 宝島はレーザーガンから1発の弾丸を放った。その黄金の弾は、蜂のように敵を追尾しながら、やがて野丸を刺すみたいに狙った。
 金色の爆煙が上がる。
 確実に心臓を撃ち抜いた。
 そう宝島は確信していたが、それは彼が描いた幻想であった。ビービームは野丸に当たる直前、そのプログラミングが変更され、粉々に砕け散っていたのだ。

「クリエイティブモード《ビービーム無効化》」

「バカな、俺の弾が消えただと」

「驚く必要はない。僕は貴様の残虐非道な行いを監視していた。その間に、ビービームのプログラミングを解析したのだ」

「このビービームは百発百中で当たる。そう言われたんだ。チート能力《ビービーム》」

 宝島は追尾弾を連射する。しかし、全て砕け散り、黄砂のように金色の粉が舞うだけだった。

「それは面白い話だな。誰に言われたんだ?」

「チーターとはいえ、仲間を売るほど弱くねーよ。デバッカー襲来、応援を要請する」

 宝島の連絡によって、すぐさま彼の仲間がワープしてきた。野丸は、一瞬で100人のチーターに囲まれた。その光景は、コスプレイヤーを撮るためにできる壁みたいだ。
 もう野丸に逃げ場はなかった。

「「「「「デバッカーを倒す」」」」」

「愚かだな、チーターども。まだ僕の実力が分からないのか?」

「お前ら、俺が針で刺して、チート能力を渡したんだ。今こそ恩を返せ」

「「「「「チート能力《ビービーム》」」」」」

 100人のチーターがビービームを一斉射撃した。100発の追尾弾が金の軌道を描くため、野丸を中心に魔法陣みたいな紋様が浮かぶ。やがて全ての弾丸が中心地で爆発した。その爆風は、鱗粉のように野丸を覆った。その場にいた誰もが野丸は消去されたと思っただろう。
 しかし、野丸は生きていた。
 しかも、無傷で。

「クリエイティブモード《ビービーム無効化》」

「まさか全ての弾道を計算して、無効化を施したのか」と宝島は力量の差を知った。

「クリエイティブモード《ビービーム》」

「あり得ない……それは俺のチート能力じゃないかぁぁぁぁあ!」

 宝島が絶句する間に、野丸によって、100人のチーターは次々と頭を撃たれた。どこに隠れようとも、どれだけ逃げようとも、野丸の追尾弾は百発百中で当たっていた。
 草原を駆けるチーターも。
 草むらに潜むチーターも。
 岩陰に隠れたチーターも。
 大木に登ったチーターも。
 その全員が一発必中で頭部を撃ち抜かれていく。バラの花弁が散るように、仲間の頭が血飛沫を上げる様を見て、宝島は野丸のヤバさを実感した。
 宝島が自身の無力さを悟った頃、緑豊かな草原は真っ赤な火の海に変わっていた。

「さて、これで雑魚は片付いたな」

「くっ来るな、殺人鬼め! 俺に近づくな」

「お前の方が初心者を殺しただろ、弱者キラーのトレジャーハンター?」

「わわわっ悪かった。謝るから、許してくれ」と宝島は土下座した。

「それは無理な相談だ」

「だったら、質問に答えてくれ。それほど強いのに、なぜデバッガーをやっている?」

「それには深い訳がある。いいか、僕はVチューバーに貢ぎ、借金まみれなんだよ」

「どこよりも浅いぞ」

「黙れ、あのシマ・エナガはチー牛を囲い込み、金を搾り取った挙げ句、アイドルと熱愛をしていたんだ。許せない。だが、その前に金だ! だから、時給の良いデバッガーをしているんだよ」

「能力の無駄遣いでは?」

「事情を聞かずに、アカウント停死をしても良いんだぞ」と野丸は凄んだ。

「わわわっ分かったぜ、降参だ。情報をやるから、アカウントは残してくれ」

「何も分かっていないようだな。情報を貰った後で、アカウントを停死させる」

「だったら、逃げるまでさ」

 宝島は一目散に走り出した。その進路にビービームが命中する。
 さっきまで宝島はライオンだった。弱者を狩るハンターだった。それなのに、今は脱兎のごとく焼きの原を駆け回っている。
 それは、どこかで見た光景だった。
 それに宝島が気がついた頃、急に走れなくなった。一瞬、宙を舞い、足をクルクルと空振りさせて地面に転がった。ふと足元を見ると、両足が消し飛んでいた。

「さて、もう逃げられない。誰にチート能力を貰ったんだ?」

「頼む、離すから赦してくれ」と宝島は涙を流した。

「恩赦は無しだ。だが、黒幕について話せ」

「クソッ、デバッガーは悪魔だな」

「それはチーター目線の話だ。善良なプレイヤーからは神として崇められている」

「嘘をつけ」

「クリエイティブモード《痛覚接続》」

「おい、何をするつもりだ? まさかダメージと肉体をリンクさせたのか」

「クリエイティブモード《ビービーム》」と野丸は宝島の右腕を撃った。

「うぎゃぁぁぁぁあ、やめてくれ。もう撃たないでくれ」

「だったら、早く黒幕について語れ。あと左腕しかないぞ」

「俺は悪くない。黒い蜂に刺されたんだ。それから俺も針を出せて、それで刺すとチート能力を付与できるのさ」

「よく出来た作り話だな。どう生きたら、そんな想像力がつく?」

「本当なんだ、これくらいの蜂で」と宝島は親指と人差し指を数センチほど広げた。

「クリエイティブモード《痛覚遮断》」

「痛みが消えていく。ありがとう、助かったぜ」

「いいか、ゲームデータの改ざんは、電子計算機損壊等業務妨害罪に当たる場合がある。あんま下手な事をするなよ。じゃ、バグを修正するぞ」

「ちゃんと話しただろ……おい、やめろ。課金したアカウントなんだぁぁぁぁあ!」

「クリエイティブモード《アカウント停死》」

 宝島が見たのは、血に溺れたような真紅の視界だった。
 野丸が右手から赤い光線を放つと、宝島はアカウントを停止させられた。ただ、今回は初犯であり、かつ情報を提供したので、停止期間は明日から2週間とされた。
 この処分は、植鉢さくらも同様であった。




・野丸人浪、バグる

「ふぅーー、やっと片付いた。おっと、また管理AIから連絡だ。もしもし、僕さ」

『オオジュリン、次の仕事があるわ。はやく本部に返ってきて。お風呂を沸かしておくから』

「新婚じゃねーんだよ。たくっ、最近のAIはバグっているな」

 僕は骨伝導のスピーカーをオフにすると、足元の宝箱を避けながら戦場を後にした。残されたのは、宝島タカラのアイテムボックスだけさ。
 ――第1惑星モノから移動すること10分。
 デバッガーの僕たちは他のプレイヤーと違って、惑星間ですら飛んで移動できる。これもまたクリエイティブモードの能力の1つさ。
 まさに僕は宇宙飛行士のように宇宙空間を遊泳している。
 後方には緑に染まった惑星モノがあり、前方にはメタリックな中央惑星センタがある。中央惑星センタは全ての惑星の真ん中にあり、そこからプレイヤーは他の惑星に移動する。ただし、故郷である第2惑星は消滅しており、他の惑星もストーリーをクリアしないと進めない。
 まぁ、僕みたいなデバッガーは出入り自由なんだけどな。

『もぅ遅い、遅い。ねぇ、まだ帰ってこないの? お風呂、湧いたよ。はやく本部に来て』

「うるさいな、すでに中央惑星センタの重力圏だ。あと、新婚の設定は忘れろ」

 管理AIの不調に釘を刺しながら、僕は中央惑星センタに降り立つ。
 最初は、土星みたいに3つの輪っかを持つ惑星が見えていた。そんな惑星に近づくと、徐々に一面の銀色が広がる。やがて大地に近づくと、細長い道と街のネオンが明瞭に見える。そこから数分後には、近未来的な都市に降り立つ。
 捻れた高層ビル群の間を、空飛ぶ車が走り抜ける。その車をかわしながら着陸すると、街には初心者からベテランまで様々なプレイヤーが行き交っていた。
 ちなみに、惑星ごとに重力は異なる。たとえば、中央惑星センタは第1惑星モノの6分の1の重力しかない。これは地球と月の環境と同じで、中央惑星が小さいために、第1惑星モノより引力が弱い設定になっているのさ。
 ゆえに、僕は兎みたいにピョンピョンと跳ねつつ、本部を目指した。
 重力が軽い分、少し速く移動できる。だから、すぐに本部が見えてきた。
 チーター対策本部は、ツインタワーが平行しながら渦巻いている。そのDNAの二重螺旋みたいな構造のため、ビルの間には何本も通路で繋がれている。
 そんなビルの東棟から入る。そのままエレベーターに乗ると、まるでジェットコースターみたいな速さで最上階に着く。
 エレベーターの扉が開くと、真っ白な空間が広がり、その中央に真っ黒な球体のみが浮かんでいる。これがグレゴリオの管理AIである。

『遅かったですね。待ちくたびれましたよ』

「オモイカネも、どうやら正常な状態に戻ったようだな。さっきまで新婚みたいな会話をしていたぞ」

 僕はオモイカネに話しかけた。
 おっと、オモイカネとは管理AIの名称であり、そもそも天岩戸伝承に由来する。その伝承で、オモイカネはアマテラスを岩戸から救出する作戦を考えた事から、知恵の神として広まる。そこで、グレゴリオの制作陣は、その知恵に授かろうとしたようだ。
 オモイカネに思いを巡らせていると、彼女は少し低めの電子音で怒った。

『そんなバグはありません。妄想を話さないで下さい』

「僕は嘘をつかない。通信記録を確認しろ」

『嫌です、今は時間がありません。オオジュリンに紹介したい人がいますから』

「おいおい、いつも言っているが、パートナーは要らないぞ。1人の方が仕事が捗るからな」

『そう言わずに後進の育成もして下さい。ほら、あなたも挨拶をしましょう』

「はじめまして、島枝ナガです。今日からデバッガーのバイトを始めます。宜しくお願いいたします」

「元伝説のVチューバー、シマ・エナガみたいな名前だな」

 嫌いなVチューバーか確認するため、ジロジロと少女を見てしまう。
 島枝ナガ――15歳のFJK、171センチのDカップ、ウィスパーボイス。
 カバーネームはシマエナガ。
 アイドルVチューバーにいそうな美人。
 アーモンド型の瞳は、ファントムクリスタルのように透き通っている。ジョーンドナープルの長髪は、いわゆる姫カットをされており、サイドの前髪だけ切られている。
 白い戦闘服がピチッとした肌に張り付くため、Dカップやウェストの細さが強調される。お尻から太腿にかけて、フジバカマの刺繍がある。また、頭のトラッパーハットは、白くてモコモコしている

「よく間違えられますが、切る場所が違います。私はシマエ・ナガです」

「たしかに、シマ・エナガより丁寧な言葉遣いだな。なるほど、島枝はシマエって読むのか」

「はい、シマシマとかナーガとか、適当に呼んで下さい」

「さすがにJKを愛称では呼べないから、カバーネームのシマエナガって呼ぶさ」

「えーー、遠慮しなくても大丈夫なのに」

 シマエナガは急に猫なで声で甘えてきた。その懐の入り方は、シマ・エナガを彷彿とさせた。アイツは俺に100万もスパチャさせやがった、と怒りを思い出す。

「どうしたんですか、人浪さんは怖い顔をして?」

「いや、少し嫌な経験を思い出しただけさ」

「それって思い出し怒りじゃないですか?」

「何だよ、思い出し怒りって?」

「思い出し笑いみたいな物です」

「へー、あんまり思い出し怒りって聞かないな」

「でしたら、これから流行らせれば良いんです」

「そのポジティブシンギングは、シマ・エナガにソックリだな。てか、彼女も思い出し怒りって使っていたような」

「たぶん巷では流行っているんですよ。てか、バイト中なんで仕事モードに入りまーーす。これから宜しくお願い致します」

 シマエナガは右手を差し出して、握手を求めてきた。
 しかし、僕は手をこまねいた。べべっ別に、女性に触れるのが恥ずかしいって訳じゃない。大学生なんだから、手くらい繋いだ事はある。ほっ本当さ。ただ、彼女の手が汚いような気がしてならない。

「悪いが、握手はできない」

「えっ、何でですか? まさか大学生なのに、お手々も繋いだ事がないんですか?」

「違う、僕は潔癖症なのさ」

「なるほど、私が汚いと?」

「そうは言っていない。ただ、他人と触れ合いたくないのさ」

「それなら仕方ありませんね。私も2日に1度は風呂に入りますが、汚いと言われてショックです」

「毎日、風呂は入れよ」

「ちょっと命令しないで下さい。髪を乾かすのは面倒だし、なんか体が温もると心臓が痛くなるんです」

「汚部屋に住むVチューバーみたいな発言をするな」

『はい、そこまで! 2人にはミッションをしてもらうわ。グレゴリオには大量のバグがあるから』

「それって問題じゃないですか。てか、バグって何ですか?」

「そんな事も知らずに、デバッガーのバイトに来たのかよ!」

「だって、初心者歓迎って書いてあったから、まさに私が呼ばれているって思ったんです」

「それは枕詞な。あと、バグはプログラムのミスみたいなものさ」

『オオジュリンの説明どおり、このグレゴリオには多くのバグがあり、中でも大きな物を四大バグと呼ぶの』

「何それ、超おもしろそうじゃん」

「面白がるな。かなり深刻な話だぞ。あと、喋り方が変わっていないか?」

『その四大バグとは、無敵ラスボス、プレイヤー神隠し、第0惑星、プレイヤー侵食よ』

「へー、いきなり名前だけ言われても分かんなぁーーい。オモイカネは意地悪ですね」

「たしかに、分かりづらないな。てかさ、シマエナガは敬語を忘れていないか?」

「コホン、ついつい学校でのノリになっちゃいました」

『ちゃんと説明を聞いてね。無敵ラスボスとは、第3惑星トリの最後のボスで、攻撃が無力化されているらしいの。プレイヤーから倒せないと苦情が来ているわ』

「たしかに、ダメージが通らないのは理不尽ですね」

『次のプレイヤー神隠しとは、第4惑星テトラの逆さ雨の森で、プレイヤーが消えるバグね』

「おいおい、消えたプレイヤーは、どうなっているんだ?」

『そんなの通信できないから、現状も分からないわ。あと、第0惑星は、なんか第5惑星ペンタの周辺に新たな星ができちゃったって感じよ』

「ざっくりした説明で、よく分かりませんね」

『第0惑星については調査中なの。私も4大バグの確認で処理速度が落ちているから、とりま無敵ラスボスを倒してきて』

「ひょっとして処理速度の低下が変な喋り方の原因なんじゃないのか?」

『だから、私はバグっていないわ。ほら、とっととデバッグ業務に行って。バイト代を払っているんだから』

 オモイカネに急かされて、僕はシマエナガを連れて、宇宙船乗り場に向かった。第3惑星トリに向かうためさ。
 ただ、宇宙船乗り場の入口で認証コードが読み込まれないバグを発見する。僕が何度も認証コードを入力するが、扉は開かない。

「さっきからボタンを連打していますが、何の訓練ですか?」

「エラーを吐かれてイライラしてんだよ」とタッチパネルを叩く。

「それってコードが間違っているんじゃないですか?」

 シマエナガが1106と入力すると、扉は恋人を向かい入れるように優しく開いた。
 すると、シマエナガは「開きましたよ」と中に入った。もちろん、僕も「なんで僕のコードでは開かないんだ」と扉を蹴りながら乗り場に着いた。
 少し右足を引きずりながら、僕は近くにあった飛行船を選ぶ。あまり歩きたくないって理由が半分、見た目がカッコいいってのが残りの半分さ。

「うわぁぁぁぁあ、本物の宇宙船みたいですね」とシマエナガは目を星のように光らせた。

「みたいって、これは宇宙船さ」

 シマエナガが月面のように兎のようにピョンピョンと飛び跳ねる姿を見ながら、僕も宇宙船に乗り込んだ。
 と言っても、宇宙船はドラ焼きみたいな形状で、2人乗り。悲しいかな、シマエナガと密着するほどの狭さである。僕が潔癖症でなければ、嬉しいんだろうな。
 そう思いながら、正面を見る。上部には謎のパネル、前方にはフロントガラス、下部と側面には星のように煌めくスイッチ。そんなゴタゴタした機器を、僕は手慣れた手付きで操作して、宇宙船を離陸させた。
 長い銀色の滑走路を抜けると、外には深海のような宇宙空間が広がっていた。

「宇宙は広いですね」

「現実では、未だに宇宙の全容は掴めていないからな」

「それをゲームで再現するなんてグレゴリオも凄いですね。ただ、作り込みすぎて、第3惑星トリの移動時間も長いんですよね?」

「安心しろ、デバッガー専用の近道があるのさ」

 僕はハンドルを右に傾ける。すると、機体は右に旋回して、どんどんブラックホールに近づく。
 シマエナガが「吸い込まれますよ」と震えるが、僕は「大丈夫さ」とブラックホールのスレスレを飛ぶ。
 すると、機体は加速して、パチンコ玉のように前方へと弾き飛ばされた。凄いGを体感しながらも僕は自動操縦に切り替える。
 あまりの急加速に、さっきまで点のように煌めいた星たちも、線みたいに流れていた。あと、その速さを表すようにシマエナガもシートに張り付いている。

「ぐぅががががが、何ですか、これは?」

「これはエルゴ加速さ。光速移動できるが、体への負担も大きい」

「ウゲッ、お腹が痛いです。てか、エルゴ加速って何ですか?」

「あのな、ブラックホールの周辺には、エルゴ・スフィアって領域があるのさ。その領域は光速で回転しているから、その速度をデバッガーは利用する」

「へー、すごーくわかりやすーい」とシマエナガは棒読みした。

「絶対に理解していないだろ」

「とりま、速くなったって事ですよね。てか、そんな難しい話より、自己紹介をしませんか?」

「いいぞ、お互いを知るのは大切だからな」

「では、ご趣味は何ですか?」

「お見合いか!」

「だって、年の差があるから、気を使っちゃいますよ」

「それは僕の配慮が足りなかったな。そもそも、なぜシマエナガはデバッグのバイトを選んだんだ?」

「あまり女性のプライベートに立ち入らないで下さい」

「悪いな、学校では部活をしているのか?」

「あまり女性のプライベートに立ち入らないで下さい」

「えーと、趣味は?」

「お見合いですか?」

「シマエナガが喋らないからだろ!」

「やはりバイトの先輩とはいえ、べらべらと個人情報は話すべきではないと思いまして」

「ネットリテラシーの高さがエベレスト並だな。そこまで警戒するなら、僕に質問しろ。何でも答えるぞ」

「童帝ですか?」

「答えられるか!」

「何でも答えるって言いましたよね」

「そんなに知らないか? 僕が童帝かどうか、そんなに気になるのか」

「いえ、全く」とシマエナガは首を左右にブンブンと振った。

「だったら、聞くなよ!」

「ちょっと悪戯しただけですよ。まずは年収を教えて下さい」

「しがない大学生だ。てか、お見合いみたいな話を続けるな」

「では、オオジュリンさんにとって、デバッグ業務とは何ですか?」

「単なる金稼ぎの仕事さ」

「夢も希望もありませんね。やり甲斐は無いんですか?」

「ないよ、ただ金を貰うために、バグを直すのさ」

「なぜ給料が必要なんですか?」

「あの忌々しいVチューバーに資産を巻き上げられたかりだ」

「ふーん、その話は少し興味があります」

 シマエナガが珍しく興味を示したので、Vチューバーが好きだと思い、そっとスマホの画面を見せた。そこには、シマ・エナガのスクショがある。
 シマ・エナガ――139センチのDカップ、知性と商才を持つ女性アバター、かわいいウィスパーボイス。
 真っ白なロングヘアを靡かせ、アクアマリンのような水色の瞳で僕を見つめる。ウェディングドレスのような衣装を身につけ、背中からブワッと双翼を広げる。
 かつて親と見た蒼穹に飛び立つため、画面の中で羽を休めている。
 そんな設定のVチューバーを見て、シマエナガは少し顔を歪めた。おや、シマ・エナガは嫌いだったかな?

「彼女がシマ・エナガさ」

「さっき話題に出た子ね」とシマエナガはふてぶてしい。

「敬語を忘れているぞ」

「あら、ごめんなさい。うふふ、このVチューバーって、アニマルアイドルのセンターだった子ですよね」

「そうそう、アニアイの1期生で、僕はデビューの頃から推していた」

「ただ、登録者数は10万程度で、結局、アニアイを抜けちゃいましたね」

「意外と詳しいな、嫌いじゃないのか?」

「ネットニュースで見ただけですよ。ところで、このシマ・エナガの何が好きなんですか?」

「もう昔の話だが、特に声が好きだった。めちゃくちゃ歌が上手いし、あと喋りも良かったな」

「ふーん、デビュー当時から推していた割には、普通の感想ね」とシマエナガは冷たい目をした。

「いろいろ問題を起こしたからな。あと、敬語を忘れているぞ」

「最近のティーンって、気が抜けるとタメ語になっちゃうんです。てか、なんでシマ・エナガを嫌いになったんですか?」

「あまり男性のプライベートに立ち入るな」

「さっきの仕返しですか? ただ、ひょっとしてシマ・エナガの熱愛にキレただけじゃないですか?」

「あまり男性のプライベートに立ち入るな、そう警告しただろ」

「ふーん、図星のようね。デビュー当時から推していたのに、単なる噂くらいで推しを辞めるのは、本当の愛と呼べないわよ」

 シマエナガの豹変っぷりに怒ろうかと思ったが、大学生たる理性が僕の怒りを止めた。それに、シマエナガの言葉は、正論パンチにも感じた。
 だから、重苦しい機内を我慢して、数分ほど黙った。
 すると、ついに宇宙船は第3惑星トリを視界に捉える。数年の禁固刑を終えたように、やっと僕はシマエナガに話しかけた。少し話題を変えて、関係性をやり直したかったのさ。

「あっあれが第3惑星トリさ」と声がかすれた。

「随分と砕け散った星ですね。核爆弾でも爆発した設定なのですか?」

 シマエナガが指摘するように、第3惑星トリは5つに砕けている。
 その理由は、第3惑星トリが中央惑星センタに比べて100分の1の重力しかないからさ。重力が弱い分、地殻も中心に集まらずに散開してしまう。
 そんな惑星には5つの浮遊大陸があり、プレイヤーは小さい浮島から順番にクリアしていく。初心者にも優しく、敵も鳥類のモンスターと捕食対象の昆虫類しか存在しない。また、ほぼ無重力ゆえ、プレイヤーが空を飛ぶように移動できる点も人気となっている。
 ただ、第3惑星トリに着いた事よりも、シマエナガが返事をしてくれた事の方が嬉しかった。

「……っていう設定の惑星なのさ」

「ふーん、少し楽しめそうですね」とシマエナガは微笑んだ。

「だろ、ただ残念ながら、今回は無敵ラスボスのデバッグだから、最大の浮島から攻略するぞ」

「えー、最初の浮島からプレイしたいです」

「ワガママを言うな。ほら、第3惑星トリの最大の都市に着陸さ」

 シマエナガがジタバタと両手を動かすのを回避しながら、僕はベテランパイロットのように宇宙船を飛行場に着陸させた。
 ――現在時刻は令和9年7月1日午後1時。
 ――第3惑星の最大都市デルタ。
 デルタはスペイン南部のロンダという街をモチーフにしたと言われる。大地を切り裂くような渓谷に石橋を架け、その両端に店が並ぶ。ただし、重力が弱いため、家に鎖をつけている。風船みたいに浮かぶ店舗に、プレイヤーは空中遊泳をしながら入店する。

「すごく素敵な街ですね。まるで御伽噺の世界に入ったようです」

「こういった幻想的な世界観もグレゴリオの魅力の1つさ」

「ところで、視界に入る広告がウザいですね」

「仕方ないさ。そういった広告でサーバー代が賄われているからな」

 グレゴリオでは、いわゆるガチャは必須ではない。キャラのステータスは、基本的にレベルに応じて上昇する。だから、プレイヤーはレベリングだけすれば良い。
 ちなみに、ガチャはコスチュームやスタンプなどのアイテムに限られる。
 ゲームクリアに必要なアイテムや武器は、フィールドでモンスターを倒し、それで得たゲーム内通貨で購入できる。
 このように無課金にも優しい設計の要が先ほどの企業広告である。グレゴリオの創設者は伝説の4人の女子高校生。彼女たちは、ユーザーに負担をさせないため、スポンサーに出資を求めた。
 プレイヤーに商品を宣伝する代わりに、企業から資金を集めているわけである。もちろん、企業側にもメリットがある。プレイヤーは期限内に該当商品の評価をしなければならない。これを怠ると、ペナルティがある。最悪の場合はバンされる。

「私も武器を買いたいです。あっ、あちらのドーナツも試食したいです」

「ダメだ、バイト中だろ」

「チッ、おじさんのケチ」とシマエナガは舌打ちした。

「おいおい、聞き捨てならないな。僕は大学生さ、おじさんではない」

「JKからすれば、大学生もオジサンです」

「誰であろうと18はオジサンではないさ。てか、おじさんかどうかは、比較対象の人の年齢に左右されないか」

「うわーー、理屈っぽいですね。おじさんの証拠ですよ。もう黙って下さい」

「はいはい、分かった。今から頂上を目指すから、ずっと黙って歩くぞ」

 何なんだ、このクソガキは……これだから、ソロで活動したいのさ。
 心中では愚痴りながら、ひたすら崖を歩く。本当はジャンプしたいが、シマエナガのせいで自由に動けない。そのため、標高が増すに連れて、僕の怒りのボルテージも上がっていった。
 レンガ造りの町並みは、やがて急斜面の砂利道に変わる。
 遥か前方には、色鮮やかな火山地帯が広がっていた。塩分や硫黄やミネラルが結晶となり、オレンジや茶色の奇岩群と緑や黄色の間欠泉を形成した。その光景は、ダナキル砂漠にあるダロール火山みたいさ。
 また、頂き付近では、闇の中で青白い炎が光った。その様は、まるでインドネシアのイジェン火山のようだった。
 そんな景色に見とれたのか、シマエナガが両手を伸ばしながら飛び跳ねた。

「すごく綺麗な世界ですね。ほら、あちらには鳥が飛んで……ふわぁぁぁぁあ!」

「そんなに走り回るから、転けるんだぞ」

 僕が注意をした瞬間、シマエナガは崖から足を滑らせた。
 世界がスローモーションになったように、シマエナガが転ぶ様子が細切れで見える。
 焦った彼女の顔。
 前のめりの姿勢。
 振り回した両手。
 持ち上げられた右足。
 そんなシーンの後、彼女の顔がドアップになり、僕の体にぶつかる。パンチみたいな両手が肩に当たった後、シマエナガの柔らかなDカップが僕の胸を押し、キスをするくらいの距離で顔が近づく。
 可愛いシマエナガの背中に手を回して、体を支えた。汗ばんだ体が汚く思えて、すぐに彼女を突き放す。

「いきなり手を離さないで下さい」

「悪いな、汗が気持ち悪くて」

「ここはゲームですよ、汗なんて無いです」

「ゲームでも汚いものは汚いんだ。あと、さっき喧嘩したばかりで、僕らは赤の他人だろ」

「どんな理由があれ、JKには優しくするものです」

 このクソガキ、どんだけ身勝手なんだよ。ドロドロした心情は憤怒から嫌悪に変わっていた。
 だから、一言も喋らずに、ひたすら山を登る。
 作り込まれた設定のため、高温多湿の山岳地帯は暑く感じる。また、空気が薄くて息苦しい。切り立った崖のため、足元を見なければならない。それなのに、あまりの高さに恐怖心を覚え、足を踏み外しそうになる。
 登山とは、僕と山との戦いさ。
 山を登るにつれて、ちらほらと高山植物が育つ。標高が千メートルを超える頃には、苔と小石だけになる。緑と茶色だった視界は、いつの間にか、マグマの赤に塗り変わる。
 その時、世界が暗くなる。
 最初は、疲労による目の異常に思えた。しかし、グレゴリオに暗闇状態はあるが、少し暗くなる状態はない。だから、雲か何かによって、日光が遮られたと分かった。
 その状況を確かめるために、空を見上げると、空を覆い尽くさんとばかりに、その怪鳥は翼を広げていた。

「ヤバい! シマエナガ、走るぞ」

「黙って下さい、そう言いましたよね」

「喧嘩している場合じゃない。上を見ろ」とシマエナガの右手を握る。

「キャーー、変態! 急に触らないで。てか、あの鳥は何?」

「暴れるな、あれは八咫烏さ。あと、敬語を忘れているぞ」

 嫌がるシマエナガを引っ張って、崖を駆け上る。そうでなくても足場が悪いのに、2人でモンスターに狙われて走るのは、かなり難易度が高い。
 八咫烏――神獣種、3つの首と3本の足を持つ怪鳥。漆黒の翼を広げた姿は、もはや雷雲にすら思えた。
 登山の途中で、腐った八咫烏に気づかれる。3つの頭で突かれる。無駄に動かされて、余計に疲れる。足がつっかえる。
 どこまでも続く砂利道を、八咫烏の攻撃を交わしながら、ひたすら登る。

「ギィヤァァァァア、このままじゃ私は鳥の餌になっちゃう」

「それが嫌なら、口を動かさずに足を動かせ」

「でも、もう足は棒みたいで……キャッ!」

 シマエナガは再び転んだ。どんだけドジなんだよ。これだから、他人と行動するのは嫌なのさ。もう見捨てようか。
 無慈悲な思いも抱いたが、ここは先輩としてシマエナガを庇った。
 転んだシマエナガに覆いかぶさった。なぜか彼女は嫌がらなかったし、さっきと違って僕も汚いと思わなかった。たぶん妹を守ろうとする兄と思えたのだろう。
 『汚い』よりも『守りたい』が勝っていた。
 だが、そんな2人の心情に反して、八咫烏は嘴で僕の背中を突いた。3つの首は、テンポ良く僕らを襲う。

「ぐぅわぁぁぁぁあ」と声が漏れる。

「だっ大丈夫ですか?」

「別に、ゲームだから、問題ないさ。それにJKには優しくすべきなんだろ」

「そうですが、なんか心苦しいです。クリエイティブモードは使えないんですか?」

「デバッガーの能力は強力だから、バグにしか使えないんだ」

「だとすれば、この八咫烏は変ですよ。目が赤いですから」

 シマエナガに言われて、よく八咫烏を観察した。たしかに、この八咫烏は6つの目が赤くなっており、敵対状態にあった。
 しかし本来、八咫烏のような神獣種はプレイヤーから逃げるようになっている。つまり、この設定変化はバグなのさ。

「この八咫烏は修繕対象さ」

「でしたら、はやく対象して下さい。まだ私は見習いなんですから」

「クリエイティブモード《ステータス・ハック》」

 僕は八咫烏のステータス情報を開く。そのプログラミングを書き換え、敵対状態から隠密状態に変更する。
 すると、八咫烏の瞳は赤から白に代わり、僕たちを見るやいなや白雲へと飛び立った。

「ふぅーー、これで一安心だな」

「あの……いつまで覆い被さるつもりですか?」

「悪いな、安堵で動けなかった」と立ち上がる。

「今回は特別に許します。私を守ってくれたのですから。ところで、なぜ喧嘩をしていたのに、助けてくれたんですか?」

「咄嗟に体が動いただけさ」

「そう動くようにする心があるはずです」

「だとしたら、君がシマ・エナガに似ているからさ」

「またVチューバーの話ですか? いい加減、忘れるべきです」

「忘れられないさ、どれだけスパチャを投げたと思っているんだ」

「太客は数百万よ」

「なんか貰った側のセリフだな。あと、敬語を忘れているぞ」

「うるさいな、スパチャ額なんて公開されているわ。あと、本来は敬語を使わないんだってば」

「だったら、僕にも使わなくても良いぞ」

「バイトの先輩なんだから、敬語は使います」

「やっぱ大学生はオジサンだから、立ててくれるってわけか」

「自虐ネタは笑えないですよ」

「だったら、面白い話をしようか。頂上まで暇だし」と歩き出す。

「結構です、私が話しますから」とシマエナガも後に続く。

「珍しいな、鉄板ネタでもあるのか?」

「相打ちを入れながら、適当に聞いて下さい。さっき私がバイトに就いた理由を聞きましたよね」

「宇宙船の中でな。ちなみに、特に気にしていないぞ」

「オッサンの興味なんて気にしません。ただ、知っておいて欲しいのは、私に借金があるという事です」

「いわゆるヤングケアラーか? 親の借金でも肩代わりしたのか?」

「どちらも違います。私のミスで返済しなければならないんです」

「大学生の僕でも奨学金しか借りていないのに、なんでシマエナガみたいなJKが借金を背負うんだ?」

「それは秘密ですが、私は自分の借金を返すために、割の良いデバッガーを選んだんです」

「事情は分かったが、鉄板ネタにしては面白くないぞ」

「うるさいな! 人の不幸を笑うな。ほら、頂上を目指しますよ」

 それから30分ほど黙って歩く。ただ、その沈黙は嫌なものではなく、むしろ恋人や老人の幸せな時間に似ていた。
 やがて白雲を抜けて頂上に着くと、ラスボスのいる巣には大量のプレイヤーが並んでいた。
 男性のサムライは「あれは無理ゲー」と呟き、エルフの女性マジシャンは「絶対にバグだわ」と諦め、男性のアーチャーは「デバッガーは何をしているんだよ」と怒鳴り散らかしていた。

「皆さん、怒っていますね」

「第3惑星は初心者が多いからな。ここを抜けないと次に進めないのに、無敵ラスボスが邪魔なのさ」

「なるほど、それは大変ですね。ところで、私たちは何をすべきなんですか?」

「ドテッ、そんな事も知らないのか?」と耳を疑う。

「だって、説明を聞くのがダルかったんですもの」

「バイトに臨む気持ちじゃないぞ。いいか、これからバグを確認して、見つけたら修繕する」

「では、参りましょう」

 シマエナガはプレイヤーを押しのけて、鳥の巣に進んだ。怒った顔や不思議そうな顔に見つめられながら、僕は「デバッガーです、通して」と説明した。
 やがて人集りを抜けると、鳥の巣には1匹の黒い蝶が羽を休めていた。

「カラスアゲハみたいな蝶ですね、超かわちぃ」

「言っている場合か。あれは完全なバグさ」

「バグとは、虫という意味ですよね?」

「それは知っているんだな。そうさ、もともとバグは虫を意味し、そこからプログラミングの不具合の総称になったらしい。ちなみに、デバッグとは虫取りなんだぞ」

「へー、あまり語源に興味ないんですよね」

「マジで棒読みだな。だったら、何に興味を持つんだ?」

「どうして蝶をバグと決めつけるんですか?」

「まず、見た目だな。それと、この巣には八咫烏がいるからさ」

「さっきの3つ首の鳥ですね。なぜ蝶と入れ替わったのでしょうか?」

「理由は不明だが、あの蝶はデリートする必要がある。シマエナガがやってみろ」

「シマエナガさん、指示がありましたよ」とシマエナガはキョロキョロした。

「お前がシマエナガだろ、さっさと仕事をしろ」

「えー、嫌ですよ。なんか怖そうですし、虫も嫌いですし」

「失敗したら、僕が助けてやる。まずは練習しろ」

 シマエナガを鳥の巣に放り込む。すると、黒い蝶は大空へと飛翔した。すると、そんな蝶を見て、シマエナガは我を忘れて走り回る。

「ギィヤァァァァア、蝶が飛んだ。私は虫が嫌いなのよ」

「慌てるな。攻撃パターンを見極めろ。あと、敬語を忘れているぞ」

「うるさいわ! こんな状況で、かわい子ちゃんを演じられるか」

「今までのはキャラなのかよ。てか、蝶が攻撃を始めるぞ」

「スキル発動《鱗粉の舞い》」

 遥か上空から黒い蝶が鱗粉を撒いた。その白い粉は、太陽光を浴びることでダイヤモンドダストのように煌めいた。ただ、その美しさに反して、鱗粉には毒があった。シマエナガが鱗粉を吸うと、急に両目を閉じて寝てしまった。

「シマエナガ、寝るな。寝たら、攻撃されるぞ」

「グースピー、働かずに給料が欲しいわ」

「欲望がすごい。おっと、蝶が飛来してきた」

 黒い蝶はシマエナガが寝たことを確認すると、ゆっくりと空から巣に降り立つ。体長3メートルほどの虫は、シマエナガの上半身で羽を休めると、少しずつ口を伸ばした。ストロー状の口は樹液や水分を飲むための機関で、口吻と呼ばれる。
 黒い蝶は、その長い口をシマエナガの口に押し込むと、彼女の唾液をズボボボと吸い上げた。
 正直、その光景を見てられなかった。
 相手が男性ならば、可愛いJKのキスシーンはエロいだろう。しかし、相手が真っ黒な蝶のシルエットだから、シマエナガの苦しむ姿はグロい。

「シマエナガ、はやく起きろ。婚期を逃すぞ」

「うぎゅゅゅゅゆん、口……取れるわ」

 シマエナガは蝶をビンタした。すると、黒い蝶は吹き飛ばされ、驚きのあまり急浮上して空に逃げた。その姿を見て、シマエナガは立ち上がると、こう僕に叫んだ。
 その言葉も、その声も、その表現も、往年のシマ・エナガを思わせた。

「テメェ、ぶっ殺す」

「シマエナガ……皆が見ているぞ」

「あら、ヤダ! 私は虫が嫌いなんですよ。だから、許せません。オオジュリンさん、何か方法はありませんか?」

「クリエイティブモードを使えよ」

「その手がありましたね。クリエイティブモードって何でもできるんですか?」

「当たり前さ、プログラミングの変更なら全て対応できる。まずは、相手のステータスを下げて……って、話を聞け!」

「クリエイティブモード《爆炎召喚》」

 僕の指示も聞かずに、いきなりシマエナガは火球を生み出した。最初は線香花火くらいのサイズだったが、それは徐々に大きくなり、やがて花火を超える。
 まるで暖炉の前にいるように、シマエナガは赤く照らされ、僕にまで熱波が届いた。
 額の汗を拭きながら、僕は「止めろ」と制止した。なぜなら、無敵状態の黒い蝶は魔法が効かない可能性があるからだ。でも、そんな僕の言葉は、怒り狂ったシマエナガには届かなかった。

「シマエナガ、早まるな。まずは無敵状態を解除して……止まれぇぇぇぇえ!」

「死ね、虫けらがぁぁぁぁぁあ!」

 シマエナガが空に火球を放った。それはロケットのように天を目指すと、黒い蝶に命中した。だが、その炎は跳ね返され、頂上に火花が降り注いだ。
 もはや山頂は地獄絵図である。
 巣の近くではプレイヤーが吹き飛び、僕の後方では初心者が火達磨になり、左右ではユーザーが逃げ惑った。大地は火の海となり、視界は赤に染まる。

「クリエイティブモード《魔法無効》」と炎魔法を遮断する。

「ぎゃーははははっ、見たか、蝶め! これが私の力よ」

「全く効いてねーよ。てか、シマエナガは二重人格か!」

「あら、ヤダ。私とした事が心の声が漏れちゃいました」

「お前の心中にはサタンでも住んでいるのか? よく周りを見てみろ」

「世界が燃えていますね。誰の仕業ですか?」

「お前だよ!」とシマエナガを睨む。

「こんな力が私に……もう働かずに給料だけ貰います」

「練習して戦力になれ。いいか、僕が手本を見せるから、しっかりと目に焼き付けておけ」

 僕はシマエナガの横に立つと、静かに空を見上げた。依然、黒い蝶は悠然と大空を泳ぐように飛翔している。絶対に倒せないと言わんばかりさ。
 しかし、僕にも秘策はある。

「手本と言っても、ダメージ無効なのに、どう戦うんですか?」

「いいか、クリエイティブモードは何でもできる。だから、使い方が大切なんだ。まずは、ステータス情報を書き換えて、無敵状態を外す」

「ズルいですね」

「これが正攻法なんだ。デバッガーの戦闘、とくと見よ」

「クリエイティブモード《ステータス・ハック》」

 僕は黒い蝶のステータス画面を開く。その項目をザッと確認して、過去の経験から必要な箇所を見つける。状態を表す画面には、無敵の表示があり、そのプログラミングを改変して無敵を除去する。
 すると、上空でパリーンと音がした。音の方向を見ると、黒い蝶の周辺の透明なバリアが粉々に砕けていた。

「ほらな、これで無敵状態が解除された」

「なーほーね、それで優位を築くわけですか? ですが、あの高さの敵には攻撃が当たりにくいですよ」

「チッチッチッ、先輩を舐めるな。それにも対策がある」

「どうせ、またズルですよね」とシマエナガが憐れんだ。

「ズルって言うな。権限さ。クリエイティブモード《フィールド・ハック》」

 僕はタブレット端末を操作する。液晶画面には、第3惑星トリの惑星儀が映る。その映像から現在地を選んで、気候を変更していく。
 僕が設定を書き換え、右手を下げると、ダウンバーストが起きた。
 その下降気流が黒い蝶を地面に叩きつけ、羽を動かせないように貼り付けにした。黒い蝶はピクピクとしか羽ばたけず、もはや空には戻れない。

「ふーん、こうやって有利を取るわけですか」

「分かってきたじゃないか。まずは、確実にダメージを与えられるようにする。別に、焦る必要はないからな」

「時間をかけても良いんですね」

「さぁ、不具合を正す時間さ。過ちを正し、元の姿へと戻れ」

「そのフレーズも必須ですか?」

「いや、これは単なる決めポーズさ」

「ドテッ、無駄な事をせずに、さっさと直して下さい」

「クリエイティブモード《バグ・デリート》」

 僕は黒い蝶のプログラミングを閲覧する。膨大な英文を読み解き、その意味を理解する中で、問題の箇所を見つけ出す。
 これだ、このプログラミングが変なのさ。
 アバターのアビリティや容姿に関する内容が誤っている事に気がつく。その部分を適切なプログラミングに変更して、本来の姿へと戻していく。
 いつの間にか、僕の周囲には文字列が流れていた。これは修繕中のエフェクトで、プレイヤーに分かりやすいように表示されている。
 そんな文字列の中で、僕は作業を終えて、新たなプログラミングを実行に移した。
 すると、黒い蝶は羽がもがれ、色を取り戻し、可愛らしい魔法少女に戻った。まぁ、ステータス画面では死んでいるが。

「なんか蝶が女性になりましたよ。チーターですか?」

「いいや、違うようだ」とダブレット端末を確認する。

「それにしても、随分と呆気なかったですね。私は苦戦したのに」

「シマエナガが下手なだけだろ。ただ、少し妙だな」

「何か問題でもあったんですか? もしや生き還るんですか」

「いいや、このプログラミングはバグではなく、意図的にプレイヤーに組み込まれた可能性があるぞ」

「そこまで分かるんですか?」

「プログラムの履歴を見れば、変更点も作業時刻も判明する。やはり数日前にハッキングされているな」

「ほほぅ、妾のバックドアを見破るとは流石じゃな」

「「誰だ?」」

 僕とシマエナガが画面から目を離すと、死んだ魔法少女の近くに、黒い人影が立っていた。そのシルエットは163センチのDカップで、腰まで伸びた長髪が特徴的だ。
 その音声や見た目から女性のような気がした。

「妾はアイラブユー、善玉ハッカー集団『プロビデンス』の一員よ」

「ふざけた名前だな」

「そうですか、コンピューターウィルスに同じ名前がありますよ。ちな、プロビデンスの目も、すべてを見通す神の目って意味です」

「シマエナガは詳しいわね。そうよ、あの方は、この瞳が必ずや真実を見るって言った。だから、妾も頑張らなきゃ」

「あの方って誰よ?」

「聞かれて答えるバカはいないわ」

「それは当然だな。ところで、アイラブユーがプレイヤーを蝶に変えたのか?」

「イエスと答えたら……」

「答えなくても、クリエイティブモード《ステータス・ハック》」

「ウィルス《ブラックビー》」

 僕はアイラブユーと名乗る影より先に、ステータスをハッキングした。しかし、なぜか手応えがなく、さらにアイラブユーのステータスも確認できなかった。
 そう、クリエイティブモードが効かないのだ。
 一方、アイラブユーは自身の影から数匹の黒い蜂を放った。それは最初のチーター・宝島タカラの証言に似た蜂で、その黒い蜂の1匹が僕の右腕を刺した。
 すると、ゲームであるにもかかわらず、全身に激痛が走った。その痛みは生身の僕にも届きそうなほどズキズキと疼き、やがてアバターの体が黒色に侵食された。

「ぐぅわぁぁぁぁあ! 腕が……右腕が」

「オオジュリンさん、何が起こっているんですか?」とシマエナガが近づく。

「僕に近づくな。蜂にも触れるな」

「ですが、オオジュリンさんの体が闇に呑まれていますよ」

「クリエイティブモード《バグ・デリート》」

 最後の力を振り絞り、僕はタブレット端末を操作する。そして、残った数匹の黒い蜂を全て排除した。これでシマエナガは安全だろうか?
 そんな疑問に苛まれ、かつ激痛に顔を歪めていると、アイラブユーが愉快そうに話しかけた。

「きゃはははは、妾は凄く楽しいわ」

「何が目的だ?」

「だから、聞かれて答えるバカは……」

「いないんだろ。だがな、善玉ハッカー集団という割には理念がないのさ。プロビデンスは遊んでいるだけだろ」

「違う。妾は……あの方は世界を良くするために活動をしているのよ」と計画どおりにアイラブユーは感情的になった。

「僕を襲うことと世界の平和が結び付かないんだが」

「自覚がないの? あなたたち、デバッガーがグレゴリオを壊しているのよ」

「待って下さい、デバッガーはバグを修繕しています」

「シマエナガは何も知らないのよ。妾たちの視点でグレゴリオを見れないんだから」

「だったら、私も蜂で刺しなさいよ」とシマエナガは前に出る。

「シマエナガ、下がれ!」

「そうよ、シマエナガに要はないわ」

「なぜ僕だけなんだ?」

「貴様が妾の妨害をしたからさ」

「悪いが、美人の顔は忘れない。お前とは初対面だろ」

「まるで妾が美人でないような言い方だな。すでに出会っている。そして、妾は殺された」

「殺された……何の話だ? グハッ、体が」

「きゃはははは、どうやら妾の毒が回ったようね」

 アイラブユーの言葉が聞こえづらくなる。さらに、世界が回る。視界が歪む。まるで自分の体が他人の肉体になったように感じた頃、アバターに変化が現れた。
 身長が2メートルになる。
 頭部が逆三角形になる。
 両腕が鎌に変わる。
 背中に羽が生えた感触がする。

「シマエナガ、体が痒いんだ。少し擦ってくれ」

「いっ嫌ですよ。私は虫が嫌いなんですから」

「僕は人間さ。てか、ゲームの中だろ」

「自分の姿は見えないですものね。今、オオジュリンさんはカマキリになっていますよ。しかも、全身は黒いです」

「何だってぇぇぇぇえ!」と自分の右手を見ると、真っ黒な鎌になっていた。

「きゃはははは、これが妾の毒。プレイヤーをバグに変える力よ」

「そんなスキルは見たことがない。もしや新手のバグか?」

「さぁ、どうかしらね? じゃ、妾は帰るわ」

「待て、元の姿に戻せ」

「頼まれて戻すわけないでしょ。オオジュリンとか言ったわね、あなたは永遠にカマキリのままよ。妾を倒さない限りね」

「こんなカマキリじゃ、お前を倒せないだろ」

「安心して、苦しめるために、スキルは与えたから。ただし、使えば記憶を失うけどね」

 最悪の言葉を残して、アイラブユーは黒い蝶となって、風とともに去った。
 運が良かった事に、シマエナガがフィールドを燃やしたため、周囲にはプレイヤーがいなかった。つまり、今はシマエナガと2人きりさ。

「シマエナガ、頼みがある」

「分かりました。心苦しいですが、オオジュリンさんを消去します。バグ・デリートでしたよね?」

「そうそう、僕はバグったからデリートして……って、違う。元に戻るために、協力してくれ」

「バイト初日では荷が重すぎますし、虫も嫌いです。まさか最初のデバッグ業務が先輩の消去になるとは思いませんでしたが、これを糧に私は成長します。もう涙が止まりませんよ」

「一滴も涙が流れていないんだが! てか、タブレット端末の操作を止めろ」

「クリエイティブモード」とシマエナガは端末をタップした。

「待て、僕にも借金がある。この仕事でミスる訳にはいかない」

「その姿ではバグと疑われますよ」

「だから、シマエナガと隠れて仕事をさせてくれ」

「すぐに管理AIのオモイカネにバレちゃいますよ」

「幸い、僕のIDは消えていない。それに通信もできるから、しばらくはバレないはずさ」

「じゃあ、私は何をすれば良いんですか?」

「デバッグ業務をしながら、あのアイラブユーを倒す。その手助けをしてくれ」

 僕が頼み込むと、渋々、シマエナガは承諾してくれた。やる事は簡単で、オモイカネの依頼をこなし、アイラブユーを倒すだけさ。
 ただ、僕はスキルを使うと記憶を失い、シマエナガはクリエイティブモードを使いこなせない。
 だから、大学生の僕がJKの初心者に手ほどきをする必要があるのだ。










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