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思い出って少しだけ怖い。

散歩をしてきた。

河川敷を5,6kmほどぐるっと周る。

そのコース途中には僕の通っていた高校がある。

高校前の河川敷を歩くのはかなり久しぶりだ。
5年ぶりといったところだろうか。

アスファルトや階段が綺麗に再整備されて、当時とは形こそ違うものの、やはり感じる雰囲気は同じだ。

あの頃は、部活のランニングや体育大会の競技練習で使っていた。そこに端を発して、高校時代の記憶が目の前の校舎によって思い出される。

「懐かしいなぁ」
「いい思い出だったな」

柄にもなくこんな感情が込み上げてくる。

ふと自分の中で、この土地を肯定する気持ちが頭をもたげようとしていることに気づき、慌ててそれを押さえつけた。


✳︎


あの頃共に過ごした人たちは皆、こことは別の土地に住んで、着実に歩みを進めている。

そんな彼らにとってここは拠り所であり、"良い土地"なのだろう。

何故なら身体的に完全に分断されているから。

対して、僕はここを"良い土地"だと思っていない。

何故なら日常的に母校に触れられる土地に住んでいて、そう思った瞬間に完全な地元至上主義者に成り果てそうだから。


✳︎


だが、今日思い出によってそれが揺らぎかけた。

思い出は時が経つほど美化される。

だからこそ恐ろしい。

この土地を"良い土地"だと感じるのは、思い出という装飾品が豪華に見えるからであって、それを剥ぎ取られた土地そのもののポテンシャルが高いからでは決して無い。

同じ土地に住み続けるほど装飾品はより豪華になり、より強靭に根を張る。

勿論、思い出を大切にすることは真っ当なことだと思う。

しかし、思い出は時に執着として心に沈澱していくということも覚えておかなければならない。

清々しい空気を肺に満たしながらそんなことを考えていた。


✳︎


次散歩に行くときは日焼け止めを塗り忘れないように気をつけたい。

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