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ビジネスの未来と私たちの仕事と役割、人間の条件についての覚書

hello, here tsujihara.

みなさん、山口周さんの「ビジネスの未来」は読まれましたか?辻原は読後打ちのめされてしまいました。これまで感じてきたモヤモヤが美しく言語化され、これからを示す一つのコンパスとしてとても素晴らしいものだったからです。

本書からいくつかのトピックスをもらいながら、私なりにもう少し思考を深め、この美しいコンパスを血肉にしたいと思います。

私たちは飢えている

まさか。

この提示を受けて、きっと多くの人はそう思うでしょう。しかしながら、私たちの社会は間違いなく飢えています。それは物質的な飢えではなく、精神的な飢えです。文明的には間違いなく高度に発達し、便利で快適な世界が半径5メートルのうちにも準備されている。にも関わらず「精神的に飢えている」とはどういうことなのでしょうか?

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Database / World Economic Outlook Database
graph / garbagenews

上図は世界のGDP成長率を表すグラフで、私たちはこの図を持ち出しては、なにかと「日本がやばい」みたいな話をしてしまいがちです。(※やばいよね、ということに異は唱えていません)

こういうグラフ表現は「右肩上がりが正」という心理的扇動を行なっているようにも見えますが、その一方で「成長のためのフォーマット」であることも理解しておきたいポイントです。(私たちはこのフォーマットによって「成長しなければならない」という呪いを自らかけているのかもしれない。。。)

これは2018年11月に公開された大塚製薬のカロリーメイトのコンセプトムービー。この受験勉強や試験の風景は多くの大人に見覚えがあるだろうし、多くの人の心に響くものでしょう。青春時代の努力とその時間は、間違いなく何者にも変えがたく尊いものです。しかしながら、このムービーが訴えかける問いの前では、素直に感動を受け取ることができませんでした。

私たちは、「成長」すること、そのために「努力」することを美徳とする共通の価値観を持っているのではないか?
そしてその努力は理由を提示されぬまま、自己目的化してはいないか?

成長の先に、どんな世界を実現しようとしているのか。今一度真剣に考える必要があるはずです。

投資としての努力、あるいは成長

「成長したいんですよね」

この言葉は後進を育成する際によく耳にするもので、私たちは無条件にその言葉に好感を抱き安心します。しかしそれは意味に対し怠惰な姿勢なのかもしれないな、と思うようになりました。

これは2020年4月に発令された緊急事態宣言後に、サイボウズがテレワークを呼びかけたPRコミュニケーションの一貫として作成された映像。新聞広告をはじめTVCMなど様々なメディアにて訴求され、そのキーメッセージは「がんばるな、ニッポン。」というものでした。

なぜ「頑張らないでいい」のかをここでは「緊急事態に当たられている方々の努力を無駄にしないため」「安全な職場環境を取り戻すため」としていますが、残念ながら今では意味が希薄であるように感じてしまいます。

というのも、コロナ禍が私たちに突きつけたのは「労働と感染(=生死)のトレードオフ」だし、「なぜ働くのか」「何のために働くのか」という恐ろしくヘビーな問いかけであったからです。

その問いに対する答えのヒントは、本書の中で経済社会を脅迫する3つの主義として取り上げられています。

・「文明のために自然を犠牲にしても仕方ない」という文明主義
・「未来のためにいまを犠牲にしても仕方ない」という未来主義
・「成長のために人間性を犠牲にしても仕方ない」という成長主義

著者の山口さんは、この3つの主義からの脱却が必要であると提唱しています。これについて強く共感しながら、手放しで賛同しきれない自分がいます。

なぜなら、能力を身につけるための成長・そのための努力は人生において必要であると思っているし、実際に自分の人生においてそれらの時間は宝だったと感じているからです。

だからと言って、今を犠牲にしてまで努力し成長する必要があるのか?リスクを負ってでも働く必要があるのか?

...この問答は相当根深いものなのかもしれません。

これからのビジネスの役割

翻って、今度はビジネスの役割について考えてみましょう。本書中にこれからの世界に求められるビジネスの役割として下記の2つが取り上げられています。

①社会的課題の解決 / ソーシャルイノベーションの実現
経済合理性限界曲線の外側にある未解決の問題を解く
②文化的価値の創出 / カルチュラルクリエーションの実践
高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す

1つのビジネスにおいて①②の両者が存在していてもいいし、別モノでもいい。

①のソーシャルイノベーションに関して、すでにビジネス公用語になっているSDGsについて触れたいと思います。
SDGsは、一般企業において社会課題解決を推進するために簡便で使いやすいソフトウェアのようなものだといえます。これらを無視した事業推進は遠からず市場から排除されることが予想されます。

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では②のカルチュラルクリエーションについてはどうでしょうか?文化的価値の創出・高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出すとは一体どのようなものでしょうか?

意味を授けるアート

「人が生きるとは、どういうことですか?」

生物学的に答えるとすれば「死ぬため」であるかもしれないし、経済学的には「循環のため」であるかもしれない。その答えは立脚する学問や立場により様々です。

例えば私が個人的にその問いに答えるならば、この作品を挙げます。

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Yoko Ono. Apple. 1966

作品の詳しくはぜひ調べて知って欲しいのでここでは割愛しますが、この作品は間違いなく「人はいかに贈与され、いかに生き、いかに死ぬべし」という世界の答えを一つの形として体現しています。

文化的価値の創出に欠かせないのは「意味の発明」であるし、活動や行為自体を有意義・有意味にすることでしか「生きるに値する社会」の実現はなされない。ここでの主張は「アートを学ぶべき」というものではないが、アートが一つの文化体系として歴史的に意味を発明し続けてきたことは確かです。

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当時スタートトゥデイ(現zozo)の社長であった前澤友作さんが123億円でバスキアの作品を落札したことが話題になり「なぜその価格でバスキアを」と様々な批判があがったが、これはアートが持つ強烈な意味でしか答えられないと個人的に考えています。

「彼がその価格でバスキアを評価し、欲したから」

もちろん作品や作家のバックグラウンドにも複雑な意味や価値があるが、市場的にはそう言わざるをえません。その価値はたとえば神の見えざる手によってスーパーマーケットで鶏卵の価格が調整されるような相対的な値付ではなく、作品を購入した前澤さんの絶対的な価値判断でしかありません。意味がこのような強烈な力を持つことがあることを私たちは理解しなければいけません。

そういった「意味」はアートのような遠い世界だけのものではありません。私たちの日々の労働による社会貢献を、より意味づけより価値化するもの。それが企業が掲げるパーパスやミッション、ビジョンです

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このパーパスやそれに続くミッション・ビジョンが指し示すものが「生きるに値する社会」でなければならないし、ビジネス・イズ・アートなんて事も言われるが、多くの人を事業に巻き込み駆動させる、まさにこの「パーパス」や「ミッション」「ビジョン」の発明はアート以外の何者でもないでしょう。世界に絶対的な意味を見出し、授けるのがその役割です。

システムを編むデザイン

2020年に発表されたプロトタイピングツールを提供しているinvisionが、これからのデザインに求められる役割をいくつかのサーベイとともに発表したレポートがこちら。The New Design Frontier

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ビジネスにデザインを活用するためには全部で5段階のレベルがあり、Level5がもっとも高次であり組織化できている企業はたったの5%しかない、というリサーチとなっています。ここで示されるlevel5とは「ビジョナリー」として時代や未来と歩みを揃え、前に進んでいくのがビジョンデザイナーの役割です。簡単な意訳ですがつけておきます。

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彼らにとってデザインとはビジネスを意味する。これらの企業にとって他企業と一線を画すのは、デザインの事業戦略への関与についてです。彼らのkeyとなる活動は、トレンドトラックと先見性(未来視)、プロダクトのマーケットfitテスト、ビジョンアーティファクト(理想を具現化する能力、みたいな感じかな)、領域横断戦略。keyとなる利点は、プロダクトユーザビリティ、顧客満足、成長を伴う収益、プロジェクト特化の指標、目標達成とコンバージョン思考、コスト削減(節約)、市場投入までの時間、新規市場参入、従業員生産性、ブランドエクイティ、ブランドパテント、株価。

生み出された意味や実現すべき理想的な社会のために、ロジックを整備し、仕組みやシステムを編んでいく。それこそがビジョナリーデザイナーの役割であり、存在理由なのです。

近年注目される「サーキュラー・エコノミー」という循環型モデルを経営に取り入れる動きがあります。参考と図の引用

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事業をリニアに拡大するのではなく、事業の中で生み出されるゴミや余剰をさらに循環させ、エコシステムとして事業を拡大していくという考え方です。

これは何も真新しい概念ではなく、これまで語られてきた「特殊解としてのビジネスデザイン=ストーリー」や「システムシンキング」と類似の概念である。そこに環境や技術から派生する経済圏を構築しながら社会課題の解決とともに拡張することを目指すのがサーキュラー・エコノミーなのです。

ビジョナリーデザイナーはこのような時代の変化による「アジェンダチェンジ」「ロジックアップデート」を捉えながら、ビジネスにおける全体最適システムを編んでいく。見出された意味の実現と、人間の最大幸福に貢献するために。それこそがデザインの役目であると、私は考えています。

「生きるに値する世界」をつくるために

最後に、本書でもっとも感銘を受けた一説を引用しておきます。

人間であるということは、まさに責任を持つことだ。おのれに関わりのないと思われていたあらゆる悲惨さをまえにして、恥を知るということだ。仲間がもたらした勝利を誇らしく思うことだ。おのれの石を据えながら、世界の建設に奉仕していると感じることだ。

アントワーク・ド・サン=テグジュペリ「人間の大地」

なぜ成長するのか?なぜ努力するのか?その答えは自身が石を据えるための力を得、よりよい世界の建設に奉仕するためです。現在の世界のアンバランスさに心を痛め、見知らぬだれかの非人道的な行いに恥を感じている以上、これは自分以外の誰かの責任ではなく、私たち全員の責任。責任は果たさねばならないのです。

そしてその「理想的な世界」に意味を生み出し、実現のための活動に尽力することが幸せだと思えなければ、またその意味を信じ、ともに努力し続けらる仲間がいなければ、きっと、精神的な飢えが弱い心を蝕んでしまうだろうと思います。「一人ぼっちで戦わない」というのは強力な戦術であるし、そのための意味の授与とシステム編成にアートとデザインが活用されるべきというのが、私が持ち続けている信念でもあります。

そういえばILY,のMission「Design, for good days.」はたまに抽象度が高いよねと揶揄されることもあるけど、これはこれで最高のアートとだ思ってる。しかしながら、周りの人を幸せにするには、ここに最高のデザインを付与していかなければいけません。

ぜひ本書を手に取られてください。「生きるに値すべき世界」について、より多くの人が思考を巡らせていただけると嬉しいです。

Thank you, I love you.


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ILY, inc CEO
Business Designer
辻原咲紀

新卒でデザインプロダクトメーカーに就職、営業・マーケティング・商品企画・デザインの領域を横断し担当。インハウスでの広告制作やブランディング・アートディレクションに携わり独立。ベンチャー企業への技術提供・企業立ち上げなどを経て、0→1、1→100まで幅広いデザインに従事。2016年にデザインのコンサルティング&クリエイティブエージェンシーのILY.incを設立。経営・事業開発・コミュニケーションなど領域を横断した様々なデザインに取り組む。広島市立大学非常勤講師。


私たちILY,は、ロゴ制作やビジュアルデザインなどの”見た目のデザイン”にとどまらず、MVV策定や事業・サービスのコンセプト設計などの”コトのデザイン”もご提供しております。お気軽にご相談ください。


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