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メンヘラとの共存は劇薬だ。〜社会人2年目の僕が爆発的成果を出した理由〜

昨日から被害者感情にまみれた投稿をしてきたが

1年3ヶ月もメンヘラ彼女と同棲生活をしてきた中で、いい方向に作用したこともある。

ただ、このnote内の僕のスタンスは

メンヘラとの恋愛を奨励するものであってはならないと思う。かといってむやみやたらに恋愛をやめることを勧めるものでもない。

僕のケースを見てメリットデメリットを見極め、恋愛を続けるか否かの判断の中における何か1つの要素になれれば幸いだと思っている。

今回は”あえて”いい面のみを切り出して書こうと思う。どうかこの言葉を忘れずにこの先の文章に目を通して欲しい。


さて本題だが私は社会人1年目ポンコツサラリーマンそのものであった。


対して成果も出さず、ミスを連発。リカバリーに動くと裏目に出る。会社に何も貢献できていないという思いがさらに悪循環を生み、新たなミスに繋がる。

1年間を終えての査定面談も散々なものだった。

給与分の働きもできていないんだという罪悪感や身の丈に合っていない会社に入ってしまったという後悔から何度も会社を辞めようと思った。

ちょうど同棲を始めたのが2年目のスタート直前くらいからであった。

僕は2年目の後半になってとんでもない成果をあげることになる。


2年目の後期、とても大きな仕事が僕の元に舞い込んできた。

競合との戦いになるがここで勝てば、大きな成果が挙げられる。

そこで僕は全精力を投入し、企画作成・資料作成に励んだ。また、彼女との生活を維持するため、始発で出社し、20時〜21時帰宅を続けていた。

リサーチ、壁打ち、プレゼン、再プレゼン、再々プレゼン、今思うと相当エキサイティングな日々だったと振り返るが、結果は面白いほどよく付いてきた。

その年僕は売り上げ目標200%越えのハイ達成を成し遂げ、社内賞を受賞した。

スキルや容量ではない。圧倒的な行動量で勝ち取った成果だった。


こんな無茶な働き方ができたのは彼女のおかげだった。

肉体と精神両方の面からケアしてもらったと考えている。


まずは肉体面。

とにかく僕のために行動してくれた。家に帰ったらお風呂は湧いていたし、ご飯も僕の好きなものが用意されていた。夜寝る前にはマッサージをしてくれた。

今思えば至れりつくせりだったと思っている。


次に精神面。

大好きだよ。

大丈夫だよ。

〇〇くん(僕の名前)なら絶対にできるよ。

いつも優しい言葉をかけてもらっていた。文章にするのも恥ずかしいものだが、時には膝まくらをして貰ったり、頭を撫でられたりしていた。

このような優しい心遣いのおかげで帰宅するたびにメンタルをリセットでき、仕事に打ち込む際にはノーストレスで望める状態が出来上がっていた。

どんなに失敗しても家には僕のことを愛してくれる人がいる。その安心感というか肯定感みたいなものがさらに僕を仕事へと突き動かした。


彼女はまさに良妻と呼ぶべき存在であった。



この期間も継続して暴力が振るわれていたことを除いては。


心を抉られるような罵倒と、暴力。そして仕事終わりにかけられる優しい言葉と気遣い。

本当に同じ人間がやっていることなのか、己を疑いたくなるが事実なのだ。暴力によって”すり減る自己”と愛によって”承認される自己”の間で僕はおかしくなっていた。

自己効力感と自己嫌悪の間に生まれる。ある種の高揚状態。

何にでもなれる。なんでもできる。

僕はおかしくなっていた。その得体の知れないエネルギーのようなものが仕事に注ぎ込まれた。そしてとんでもない集中力を僕にもたらしたのだ。

だが、同時に違和感も覚えた。


僕は誰だ。


僕から乖離した”僕”という男が仕事を黙々とし、僕は僕を見守っているだけ。

僕が仕事をしている感覚が一切ないのである。キーボードを一心不乱に叩く指も、お客さんに一生懸命に話す声も確かに僕のもののはずなのに。そこに自分の意識が乗っかっていないのだ。

だから疲れない。休まない。

ゴールまで駆け上る駿馬のごとく僕は仕事した。

そして彼女に最大の感謝と恐れを抱いたのだ。



そう、僕が口にしたのは劇薬だったのだ。


【劇薬】

作用がはげしく、使用の度を過ごせば生命にかかわる危険な薬剤。

(広辞苑 ページ6149より引用)



ここまで読んでいただき、ありがとうございます。今、心の傷を少しづつ癒しながら元の自分に戻れるよう頑張っています。よろしければサポートお願いします。少しでもご支援いただければそれが明日からの励みになります。