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【連載小説】 本屋で暮らす Vol.2

私たちは生きることを許されているのか?
罪を犯した書店員と元書店員。
二つの魂は答えのない問いを求めて彷徨い続ける。
果たして行き着く先はあるのだろか?
『贖罪』とは何かを問う、現代版『ああ無情』――。


参考資料(順不同)

  • こども世界名作童話『三銃士』作・デュマ/文・砂田弘(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『ああ無情』作・ユーゴー/文・砂田弘(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『がんくつ王』作・デュマ/文・小沢正(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『トム・ソーヤーの冒険』作・トウェイン/文・越智道雄(ポプラ社)

  • こども世界名作童話『フランダースの犬』作・ウィーダ/文・大石真(ポプラ社)

  • 『ぐりとぐら』文・中川李枝子/絵・大村百合子(福音館書店)

  • 『ぼくを探しに』作・シルヴァスタイン/訳・倉橋由美子(講談社)

  • 『新装版 ムーミン谷の仲間たち』作・ヤンソン/訳・山室静(講談社文庫)

  • 『私は本屋が好きでした』永江朗(太郎次郎社エディタス)

  • 『「本が売れない」というけれど』永江朗(ポプラ新書)

  • 『本屋、はじめました 増補版 ――新刊書店Titleの冒険』辻山良雄(ちくま文庫)

  • 『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太(ポプラ新書)

  • 『こぐまのケーキ屋さん』カメントツ(ゲッサン少年サンデーコミックス/小学館)

  • 『檸檬』梶井基次郎/入力:j.utiyama・校正:野口英司(青空文庫)

  • 『サンドのお風呂いただきます「浜名湖編」』出演/サンドウィッチマン他(NHK)

  • 『古本買取・販売バリューブックス』(https://www.valuebooks.jp/)

Chapter.3――暗号の交差

 数日後、男性の声で『ぐりとぐら』が入荷したとの留守電がスマホに入っていたので、寄り道をしてから本屋に行った。
 今日、雪はいるだろうか?
 紙袋を下げて中に入ると、レジに雪の姿はなかった。
 奥のコミックスのコーナーを覗くと、棚の端にある台の前で、コミックスに立ち読み防止のビニールカバーをかけている雪を見つけた。
「雪ちゃん、こんばんは」
 声をかけると、顔を上げた雪が笑顔になった。
「あ、優子さん、こんばんは」
「良かった、いてくれて。でも、忙しそうね」
「そんなことないです。もうすぐ上がりなんですけど、今日の仕事終わっちゃって明日の仕事してたんです。レジも棚の整理もバイトの人がやってくれてるし、時間が余っちゃったんで」
 言いながら、ビニールカバーをかける機械からコミックスを外して、床に置いてあった段ボール箱に戻し、蓋をした。
 よっ、とかけ声をかけて重そうな段ボールを持ち上げると奥の倉庫に運んでいった。
 ――そうよね、書店員って体力も必要なのよね。
 戻ってくると、
「お待たせしました。『ぐりとぐら』、今日入りましたよ」
「それなんだけど……」
 私は、持っていた紙袋を差し出し、
「これ」
 雪の顔にクエスチョンマークが浮かんだ。私は心の中でほくそ笑みながら、
「開けてみて」
 言われるまま袋の中の物を取り出し、
「あっ! カステラだ!」
 雪が驚き、満面の笑みに変わった。
「手作りじゃないけどね。甘い物食べられる?」
「はいっ! 大好きです!」
 私も嬉しくなった。
 絵本や童話の『暗号』をやり取りできる大人の相手ができたのだ。
「大きいから、お店の人たちと分けて食べて。ぐりとぐらみたいに」
「ありがとうございます。凄く嬉しいです。だって……」
 秘密を打ち明けるように雪は少し小声になって、
「今日は私の誕生日なんです。20歳になったんですよ」
 私が驚く番だった。
「そんな、もっと早く言ってくれたら、ちゃんとした誕生日プレゼントを用意したのに。ごめんなさいね」
「いえ、これってすごいサプライズプレゼントじゃないですか。本当に嬉しいです」
 謝る私に、顔の前で大きく手を振りながら雪が答えた。2人でレジに移動しながら、
「そういえば、今日は仕事が終わりって言ってたわよね? この後、何か予定ある?」
「実はそれなんですけど……」
 レジに入り、後ろの棚から『ぐりとぐら』を取り出しながら雪が言い淀んだ。
「やっぱり、お友だちと会うの? もしかして彼氏とか?」
「いや、彼氏なんていないし、予定もないんですけど……」
 精算をしながら、雪がなんともいいようのない表情をした。
「それなら、もし良かったらだけど、誕生日を祝って食事をご馳走させてくれない?」
「ええ、食事もいいんですけど……」
 本とお釣りを渡しながら雪が答える。受け取った私は、
「それとも、こんなおばさんと食事じゃ嫌かしら?」
「そんな事ないです。ぜひご一緒したいです。でも……」
 焦れてきた私は、
「雪ちゃん、一体何が言いたいの?」
 少し詰問口調になってしまった。私の言葉に反応した雪が思わず、といった感じで店内に響き渡るような大きな声で叫んだ。
「お酒飲んでみたいんです!」
 客の相手をしていたバイトと、近くに居合わせた客が驚いた顔で振り向いた。我に返った雪が顔を赤くして俯いた。
 私は驚いた後、プッと吹き出してしまった。客の中にも笑いを堪えている人がいる。雪の顔がさらに赤くなった。まるで真っ赤に熟したトマトのよう。
「……すみません」
 小さな体をさらに縮こまらせて小声で謝った。

Chapter.4――初めての美酒

 雪が仕事を終えるのを待ち、2人で商店街の中ほどにある居酒屋に向かった。店の前に立ち、
「ここよ。お酒もつまみも安くて美味しいし、酒癖の悪い酔っ払いは出入り禁止にされるの。前に酔っ払ったオヤジにお尻触られて、腹が立ってすぐに店長に言ったら追い出してくれたこともあったの。だから安心して1人で来る女性客も結構いるのよ」
 言いながらドアを開けると、
「こんばんは」
中に声をかけ、入っていく。期待と緊張が入り交じった表情を浮かべて雪が後に続いた。空いているテーブルの前に向かい合わせに立つ。
「椅子はないんですか?」
 店内の壁一面に所狭しと張り出された品書きを眺めながら雪が言った。
「この居酒屋さんは立ったまま飲むの。立ち飲み屋っていうのよ」
 カウンターには仕事帰りのサラリーマン風の男性や顔を真っ赤にした老人、職業不詳の若い男性などが黙って酒を飲んでいた。
「どんなお酒が飲みたい? ジュースみたいな飲みやすいお酒がいいかしら。それともやっぱり最初はビール?」
 聞きながらメニューを渡した。
「そういえば雪ちゃん、アレルギーとか嫌いな食べ物とかある?」
「いえ、アレルギーも嫌いな食べ物もないです。何でも食べます」
 メニューを睨みながら答えた。
「じゃあ、レモンサワーはどう?」
「お任せします」
 メニューを返しながら雪が答えた。
「本当に、今まで一滴もお酒飲んだ事ないの? 学校の友達とかとも?」
 雪は少し寂しげな表情になって、
「学校では友達とかあんまりいなかったし、お父さんも飲まなかったんで本当にお酒には縁がなかったんですよね」
「そう。だったら、本当に今日がお酒記念日ね」
 私は緑茶割りと薄めのレモンサワー、つまみにモツ煮込みと冷やしトマト、チーズ揚げ、マグロの山かけを頼んだ。
 すぐに従業員が酒とつまみを運んできた。珍しい物を見るような目で、酒とつまみを交互に見ている雪の前にグラスを掲げ、
「20歳のお誕生日と、お酒デビューの雪ちゃんに乾杯!」
 雪は慌ててグラスを持って、
「か、乾杯、です」
 答えながらグラスをカチン、と合わせた。
「さあ、飲んでみて」
 笑顔で促す私に、
「わー、緊張するーっ!」
 恐るおそる、といった顔でグラスの中身を口に含んだ雪は、
「なんだ、普通のレモンの味ですね」
 拍子抜けしたように呟きながら、もう一口飲む。
「お酒を薄くしてもらったしね。でも、飲みやすいからって油断したらダメよ。ジュース感覚で飲み過ぎると酔っ払っちゃって大変だから」
「はい、気をつけます」
 神妙な顔で頷きながら、雪のグラスは既に半分ほど減っていた。
 その後、30分程度の間に、雪はレモンサワーに始まって、緑茶割り、ウーロン割り、グレープフルーツサワー、青リンゴサワーと次々に飲み干していった。今はトマト割りを飲んでいる。
「優子さん、お酒って美味しいですね」
 にっこり微笑んで雪が言った。口調はしっかりしているし、ふらつく事もない。酔いの兆候は全く見られなかった。私もお酒は好きだし弱い方でもないが、雪は今日初めてお酒を飲んだのだ。まともな食事もしていない。それに本屋に限らず販売職はほとんど立ち仕事だ。少し心配になってきたので、座ってゆっくり飲める居酒屋に移動しようと思った。
「雪ちゃん、ラーメン食べに行かない?」
「ラーメン屋さんですか?」
 私は首を振り、
「ううん、居酒屋なんだけどね、すっごく辛いけど美味しいラーメンがあるの。他にもいい居酒屋あるし、ここから五分ぐらいなんだけど。どう?」
「辛いラーメン好きです。カップ麺の凄い辛いやつとか」
「辛いのって美味しいわよねぇ。私、常備してるもの」
 半分払う、と言い張る雪を制して勘定を済ませ、店を出たところで彼女がフラついた。
「大丈夫? ちょっと飲み過ぎたんじゃない?」
「平気です、すみません。こっちですか?」
 歩き出したが少し足許がフラついている。雪が心配で、私はゆっくり歩いた。

Chapter.5――自己犠牲の精神

 居酒屋に着き、中に入ると混んでいた。
 奥に空いているテーブルを見つけて腰かけ、緑茶割り2つとポテトサラダ、そしてラーメンを2人分頼んだ。
 すぐに出されたポテトサラダを食べながらラーメンを待った。
 メニューを見ながら雪が不思議そうに聞いてきた。
「この居酒屋さんのラーメンって450円なんですか。凄く安いですね」
「そう、安いでしょ。ここいら近辺の居酒屋でラーメンを置いてるのはこのお店だけ。普通はお酒を飲んだ後に締めで食べるラーメンだから安くしてるんだと思うの。私はお腹が空いている時は悪酔いしないように最初に食べちゃうわね」
 程なくして運ばれてきたラーメンを二人で辛い、辛い、でも美味しいね、と笑い合いながら汗をかきかき食べた。
 ラーメンを食べ終え、そろそろ潮時かと思った私は、
「お腹も膨れたし、今夜はこれくらいにしましょうか」
 それを聞いた雪は、
「明日は仕事休みなんで、少しくらい寝坊しても大丈夫なんです。もうちょっと飲ませて下さい。初めて飲んだお酒が美味しくて、もっと飲みたいんです。お願いします」
 私は少し迷ったが、まあ、せっかくの誕生日だし薄いのを何杯かぐらいだけよ、と釘を刺してもう少し飲む事にした。
 つまみにオムレツと焼き鳥の盛り合わせを頼んだ。
 自然、本の話になった。雪が懐かしそうに、
「うち、お父さんが本好きで、私が子供の頃は仕事帰りに本屋さんに寄って色んな本を買ってきてくれたんですよ。で、『ああ無情』を読んで感動しちゃって『こども世界名作童話』のシリーズだけは自分で全部揃えたくて、お小遣いを貯めて少しずつ揃えました」
 私は緑茶割りを一口飲んで、自慢気に言った。
「『ああ無情』はもちろん好きなんだけど、1番好きなのは『赤毛のアン』ね。平凡な日常の中で起こる些細な出来事に大騒ぎして周囲の人を振り回したり、想像力豊かなアンの魅力にはまってしまったのよね。アニメも全部観たわよ」
 すると雪も笑みを浮かべて、
「実は、私も1番が別にあって。『トム・ソーヤーの冒険』」
「えー、トム? トムってちょっとずるいじゃない。おばさんからペンキ塗りを言いつけられたのに、面倒臭いからって通りすがりの友達を騙してペンキ塗らせたり。ハックルベリー・フィンと夜中に墓場に出かけて、インジャン・ジョーの殺人を目撃して怖くなって逃げ出すあたりは小心者だし」
 雪が抗議するように、
「ずるいんじゃなくて賢いんですよぉ。それに、殺人なんて見たら誰だって逃げますよ。でも、裁判の時には勇気を出して証言したじゃないですか」
「うーん、まぁ、そうね」
「それに、インジャン・ジョーじゃなくて、インディアン・ジョーですよ」
「え? インジャン・ジョーでしょ?」
「インディアン・ジョーですって」
 言い張る雪に、
「ちょっと待って」
 私はバッグからスマホを取り出し、音声検索で『トム・ソーヤーの冒険 登場人物』と呟いた。検索結果が画面に現れて、フリー百科事典を選んでタップし、スクロールしていくと、やはり”インジャン・ジョー”と書いてある。
「やっぱり、インジャン・ジョーよ」
 雪に渡して見せると、
「あー! ホントだ! 『こども世界名作童話』では、確かにインディアン・ジョーだったのに」
 私は雪からスマホを受け取り、「インジャン・ジョー インディアン・ジョー」と呟いてみた。検索結果が出る。
「あるわ、インジャン・ジョーとインディアン・ジョーの違い」
 画面をタップして、詳細を読んだ。
「どうも”インジャン”ってインディアンの差別用語みたいだわ。子供向けの本だから雪ちゃんの読んだ本を訳した人が、そこを配慮してインディアン・ジョーにしたのかもしれないわね」
「えー、童話なのに大人の事情とかで変わることもあるんだ。なんかショックだなぁ」
 オムレツが運ばれてきた。雪はオムレツをあっという間に平らげてしまった。まだお腹が空いていたのだろうか。焼き鳥の盛り合わせがタイミングよく運ばれてきた。
「優子さん、焼き鳥ってどれから食べたらいいんですか?」
 思わず吹き出しそうになったが、
「自分の好きなものを食べればいいの」
「でも、これ何です?」
 ちょっと黒ずんでいる焼き鳥を指差した。
「それはレバ。私はけっこう好きよ。雪ちゃんは今まで食べたことがないんだから、トム・ソーヤーみたいに冒険して自分の舌で確かめてみないと」
 雪がトム・ソーヤーには負けないぞ、と思い切ってレバを手に取って口の中に入れた。
「美味しいです」
 口をもモゴモゴさせながら言う。
 そういえば――、
「『三銃士』も夢中で読んだっけ」
 レバを飲み終えた雪が身を乗り出すように、
「私も大好きでした。主人公のダルタニャン」
 ――フランス国王と対立する首相。首相側が護衛隊を作れば国王側も剣士を集め銃士隊を作り、対立は深まるばかり。田舎に住む剣士のダルタニャンは銃士隊に入るためにパリに向かい、アトス、ポルトス、アラミスの三銃士と出会って仲間になる。
「私はアラミスが一番好きだったわ。あの人、神父になりたいなんて言いながら、人妻といちゃいちゃしてたじゃない」
 雪が異議を唱えた。
「違いますよ。女好きだったのはポルトスです。女の人からプレゼントもらったとか、手紙をもらったとか自慢してたじゃないですか」
「え、それ、アラミスじゃなかった? ポルトスは無骨な酒好きだったでしょ?」
「それはアトスです。無骨じゃなくて、単なる酒好きの酔っ払いです。アトスってミレディの元旦那さんだったの、覚えてます?」
 驚いた――アトスとミレディが元夫婦? そんな設定、覚えていない。『三銃士』は何度も映画化されて、その度に少しずつ設定が違ったりするから本と映画がごっちゃになってるのかしら。それとも年のせい? 記憶ってだんだん曖昧になっていくし、自分に都合のいいように変わっていく。
「優子さん、ちゃんと覚えてないんですか?」
 呆れたような雪の言葉に思わず苦笑しながら砂肝を手に取った――あ、今、前歯の治療中で仮歯だから固い物は食べちゃいけないんだ――砂肝を戻し、皮を取った。砂肝を渡されたと思ったのか雪が手に取って、
「私、『4人は、いつもいっしょ。ひとりは、4人のために。4人は、ひとりのために!』っていう合言葉に感動したんです。自分が犠牲になっても仲間を守るっていうことでしょ」
 ――ふと「ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワン」というフレーズが頭の中に浮かんだ。「1人はみんなのために、みんなは1人のために」。いつの頃からだろう、自己犠牲の精神と縁遠い世界で暮らすようになってしまった。
                         (2024/03/10 UP)
*2024/03/18 Vol.2 追補。申し訳ございませんでした。「Chapter.3――暗号の交差」が抜け落ちておりました。
*誤字脱字等ございましたら、下記コメント欄にて指摘して頂ければ幸いです。
*週に1度程度UPしていく予定です。

【本屋で暮らす】各章見出し

(時折、微調整を行っていきます)

Prologue――孤独と不安
Chapter.1――書店員との出会い
Chapter.2――銀メッシュとの交流
(以上、Vol.1)
Chapter.3――暗号の交差
Chapter.4――初めての美酒
Chapter.5――自己犠牲の精神
(以上、Vol.2)
Chapter.6――記憶の錯綜
Chapter.7――父母の愛
Chapter.8――本屋の倒産
Chapter.9――堕天使との契り
Chapter.10――古本屋の経営努力
Chapter.11――自由価格本の脅威
Chapter.12――檸檬の悪戯
Chapter.13――万引の常態化
Chapter.14――人殺し達
Chapter.15――スリルの誘惑
Chapter.16――後悔と号泣
Chapter.17――刃先と血
Chapter.18――手首の傷跡
Chapter.19――黒い染みの恐怖
Chapter.20――漫画の効き目
Chapter.21――まぁちゃんの笑顔
Chapter.22――世界を敵に回しても
Chapter.23――店長からの赦し
Chapter.24――赦しの理由
Chapter.25――償いと決意
Chapter.26――良心の呵責
Chapter.27――奉仕の精神
Epilog――新たな船出


野良猫を育て最盛期は部屋に6匹。最後まで残ったお婆ちゃん猫が23歳3ヶ月で急逝。好きな映画『青い塩』『アジョシ』『ザ・ミッション/非情の掟』『静かなる叫び』『レオン/完全版』『ブレードランナー』etc. ヘッダー画像:ritomaru(イラストAC)