見出し画像

あなたも、3年でプロのシナリオライターになれる!!(売り込み編) ①

 前回の『コンクール編』同様、目次を設けませんでした。
 長編小説は、章を設けて書かないと読みづらくなりますが、短編小説は、章を設けると逆に繁雑になって読みにくくなるので、このエッセイも、それに倣(なら)ってあえて章を設けませんでした。
その代わりに前編同様、内容が変わるごとにスペースを設けましたので、ご了承ください。

 前回『コンクール編』で書きました通り、コンクール入選は、この業界へのパスポート、つまりシナリオがある程度書けるという証明書にはなりますが、即デビューとはなりません。私の知る限り、コンクール入選後、永遠にデビューできなかったという人の方が多いと思われます。
 フジテレビのヤングシナリオ大賞を除いては、
「入選おめでとうございます。では、お元気で」
 で、お終(しま)いです。その後のフォローはありません。それが実情です。
 私の場合も、テレビ局主催のメジャーな新人シナリオコンクールに入選したものの、それがきっかけでデビューはできませんでした。
 入選したときは、
「さあ~、いよいよ待ちに待った開幕のベルが鳴る!!」
 と胸躍らせていたのですが、コンクール主催のテレビ局からは、なんの連絡もありませんでした。
 私の前の回に入選した二人が、そのときの最終審査員だったプロデューサーに、
「コンクールに入選したのに、どうして使ってくれないんですか-----!?」
 と抗議に行ったそうですが、やはり仕事は来なかったそうです。
 私のときも、そのプロデューサーが最終審査員だったので、同じような主旨(しゅし)の電話をしましたが、
「あなたのように、コンクールに入選して出番を待っている人が沢山いるので、まあ、待つしかないんじゃないですか」
 と、突き放すような冷たいお言葉でした。
 電話では埒(らち)が明かないと、直接そのコンクールの責任担当プロデューサーに、企画書を持っていきましたが、
「うちの局には、この企画書を読んで、どうこうするシステムがないんですよ」
 と言って、企画書も読まずに、その場で突き返されました。
「ないのなら、そういうシステムを作ればいいじゃないですか」
 と、抗議しようかと思ったほどでした。
“暖簾に腕押し”というのは、こういうことを言うのでしょう。
 以前は、その局に企画を持っていけば、何かをやらせてくれるのではという期待感、冒険心があったそうです。その排他性が、その後、そのテレビ局の凋落が始まった原因だと思われます。
 それが、“振り向けばテレビ東京”と言われた視聴率低迷の原因だったのかもしれません。
 後で聞いた話では、そのコンクールの責任担当プロデューサーは、正社員ではなくて、契約社員だったそうです。言っては悪いですが、アルバイトレベルの人が、コンクール責任者というのは、コンクール応募者に対して失礼でしょう。
 コンクールに応募する人たちは、みんな人生を賭けて渾身の作品を提出してくるのですから、それなりの責任のある人が担当すべきです。
 コンクールの審査員に聞いた話では、そのコンクールの主催者側の担当者が、面倒見のいい人かどうかで、入選者のその後が左右されるそうです。面倒見の悪い人だと、それでジ・エンドです。
 聞けば、そのコンクールには、宣伝費とかもろもろの費用が、1億円もかかったそうです。それなのに、コンクール後のフォローがないとは、なんとも情けない話です。
 それに、ライバル局のフジテレビヤングシナリオ大賞受賞者に、ゴールデンタイムの連続ドラマを書かせているのですから、なんとも節操のない話です。
 久米宏さん司会の『ニュースステーション』も、最初はその局に持ち込まれた企画だったそうですが、断られたそうです。
 
 物事は諦めかけたときが、成就する前触れだと言いますが、コンクール入選のときも、何度もチャレンジして入選しないので、今度応募してダメだったら、もう諦めて小説の方に転向しようと思っていた矢先でした。
 こんな話を、何かの本で読んだことがあります。
 昔々、アメリカかアフリカでダイヤモンドか何かの鉱脈を探す山師が、なかなか鉱脈にぶち当たらないので、「もう、ダメだ!!」と諦めて、ツルハシを持ち帰るのも嫌になり、引き上げて行きました。
 それから何年かして、鉱脈を探し当てる機械が発明され、それで調べると、山師が置いて行った土地に突き刺さったままの、錆びたツルハシのわずか1メートル下に、大鉱脈があったそうです。1メートルといえば、1日あれば掘れる深さです。
「成功する秘訣は、成功するまで諦めないことだ」
 というのは、どうやら真実のようです。
 
 業界に詳しい人の話では、どのコンクールに入選するかで、その後の作家生活が左右されるそうです。
 私と同時期にフジテレビヤングシナリオ大賞を受賞した人は、その後、NHKの朝の連続テレビ小説を書くわ、映画は書くわ、民放のゴールデンタイムの連続ドラマを何本も書くわで、今や売れっ子の脚本家になっています。
 要は、きっかけというところでしょうか。
 何でもそうですが、“きっかけを摑む” ということが、一番大変なことです。それを“親の七光り”で、いとも簡単にきっかけを摑んで世に出る人を見るにつけ、どうにも納得のいかないものがあります。
 政治家、経営者は、地盤看板の継承があるので理解できますが、この国では、他国に比べて、俳優で親の背中を追う人が多いのは、よく理解できません。
 外国では、ジョン・ウェインの息子、アラン・ドロンの息子、ジャン・ポール・ベルモンドの娘といった大物俳優の子供でも、成功しなかったそうです。それだけ外国のショービジネスは、厳しいということでしょう。が、日本では、名のある俳優の子供のオンパレードと言ってもいいでしょう。何がそうさせるのか、不思議です。
 一般人より家にいる時間が多いにもかかわらず、高収入だからと聞いたことがありますが、よく理解できません。
 
 普通、入選作はテレビ用シナリオコンクールの場合は、業界誌である『ドラマ』という月刊誌に掲載されるのですが(映画の場合は、『シナリオ』)、私の場合、それさえもありませんでした。掲載されていれば、それを読んだ制作者サイドの人(プロデューサーorディレクター)が、
「う~む、この人、なかなか面白い物を書くじゃないか。一度会ってみるか」
 とお声が掛かり、トントン拍子にデビューできるのでしょうが、そういうおいしい話はまったくありませんでした。
 私のデビューのきっかけは、想定外のまったく思いがけない所から来ました。
 そういう経緯なので、その入選作は審査員以外には読まれませんでした。
 映像化されていれば、キャスティング(そのコンクールは、作家のセンスを見るため、キャスティングを書く指示あり)のセンス、セリフのテンポの良さなどが高く評価されたので、他局のプロデューサーや、制作会社のプロデューサーから、
「う~む、この作家、センスいいな、面白いセリフを書くよな」
 と認知されたのにと思うと、残念でなりません。
 事実、『ドラマ』誌に載った選評には、
「セリフのテンポの良さが高く評価された」
 と、書かれていました。自分で言うのもなんですが、倉本聰さん流の、緩急つけた言葉のキャッチボールが得意なのです。
 ああ、それなのに、それなのに-----。というところです。
 それゆえ、多くの人に読んでいただきたく、著作権は私にあるので、Amazonキンドル電子書籍として出版しました。
 興味のある方は、お読みいただければ幸いです。
『グッバイ・ストーン』
http://www.amazon.co.jp/dp/B077LV4VPD
 
 セリフの話が出たので、ちょっと本題とは離れますが、しばしおつき合い下さい。
 私がシナリオの習作時代に、いろんなライターの書かれたシナリオを読んだり筆写して感じたことは、テレビドラマのシナリオの書き方は、倉本聰さんの書き方が理想形ではないかと思います。
 
─────────────────
  来る太郎。
     ×   ×   ×
 椅子に座って話している太郎と次郎。
太郎「それで-----」
次郎「だからさあ-----」
太郎「-----」
次郎「そういうことよ-----」
太郎「うん、そうか、そうだよなあ-----」
     ×   ×   ×
  去っていく太郎。
(× × ×は、時間経過を表す記号です)
(倉本さんの場合は、「-----」ではなく、「──」棒線です)
 
─────────────────
 
 これは、倉本さんのシナリオスタイルを私なりに真似て書いた物ですが、たったこれだけの短いセリフとト書きでも、前後のト書きを読めば二人の人間関係が分かり、セリフによっては、これだけ凝縮されたセリフでも感動が伝わってきます。
 いわゆる断定的なセリフではなく、倉本さん特有の曖昧(あいまい)なセリフです。確かに、人は日常生活の会話では、こういう曖昧なセリフをよく言っているものです。
 それと対照的なのが、橋田壽賀子さんのセリフでしょう。
 シナリオ教室や、シナリオの入門書では、セリフは三行以内に書かなくてはいけないと教えますが、橋田さんのセリフは、長ゼリフが特徴で、一人のセリフが台本の1、2ページも続くことはザラだそうです。それゆえに、橋田さんの脚本は、公表されたことがなく、私も一度も目にしたことはありません。
 伝え聞くところによると、橋田さんの脚本は、セリフだけでト書きが一切ないと聞きました。何故なら、演出家がいつも気心の知れた常連で、ト書きを書かなくても、どういう動作、芝居をすればいいか演出家には分かるそうです。
 
 小説のコンクールでも、入選後、華々しくデビューできるかというと、出版社によっては、入選作以上の作品を書かないとチャンスは与えられないと聞きます。そんなにハードルを高くすれば、新人は育たないと思うのですが-----。
 私は、制作者サイドの人間ではないので、その辺のところはよく分かりません。

            ②に続く

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?