夏の思い出7(高等支援学校勤務時代)
前回は、「支援学校小学部勤務時代」の楽しい夏の思い出を書かせていただきました。あ~、あの頃は楽しかったな~。
支援学校小学部に9年間勤務した後、新設されることになった「高等支援学校」に転勤することになりました。
高等支援学校は、知的障がいの程度が比較的軽度の生徒が、企業就労をめざして学ぶ、高等部単独の支援学校です。
大阪府には現在5校あります。
私は当初、「高等支援学校」というものの存在に2つの点で納得できませんでした。
ひとつは「知的障がいのある生徒に対して学力検査を含む入試を行う」という点。
もうひとつは「障害者雇用率を効率的に達成しようとする企業のための学校ではないか」と思われた点。
どうも納得がいかないまま、私は新しい高等支援学校を作っていく立場で仕事をせざるを得ない状況になりました。
しかし、次第に「高等支援学校はこれまで受け皿がなかった子どもたちにとっての大切な居場所・教育機関となり得る」と考えるようになりました。
「これまで受け皿がなかった子どもたち」とは、
たとえば、生まれつき軽度の知的障がいがあって高校の勉強にはついていけないけれども得意な仕事なら普通にできる子どもたち。
たとえば、虐待や貧困などで学習の機会が与えられなかったせいで読み書きは苦手だけれども、仕事を任せられることで活き活きとした顔を見せる子どもたち。
たとえば、学習障がいがあって、高校に行って勉強ばかりするよりも、身体を動かして仕事をする方があっている子どもたち。
そして、児童養護施設の子どもたち。
数年前まで、児童養護施設の子どもたちは、18歳を過ぎると施設を出て自立しなければなりませんでした。ですから、18歳で確実に就職できる高等支援学校は、彼らの選択肢の一つになり得たのです。
さて、「高等支援学校勤務時代の夏」は、なんといっても「進路開拓」と「カリキュラム作り」と「地域支援」でした。
進路開拓
教員は、夏休みの期間中に企業とコンタクトを取り、実習や就労の受け入れをお願いしに回ります。
社会常識の乏しい私は、「電話でのアポの取り方」「名刺交換の方法」などのビジネスマナーを教えてもらい、せっせと進路開拓に回りました。
真夏にビジネススーツを着てパンプスを履いて歩くことがこんなにしんどいことかと初めて知りました。何しろ就活も未経験ですので😆
カリキュラム作り
高等支援学校では国語、数学、英語といった、高等学校では主要科目となる科目は二の次で、「職業に関する科目」に主眼が置かれます。
たとえば、「清掃」「接客」「ビジネスマナー」「パソコン入力」「農業」「ものづくり」などなど。
それらの授業内容の詳細は各学校に任せられており、決まった教科書もありません。
一応「シラバス」は作ってありますが、それはほぼ枠組みだけですので、授業ができるわけではありません。
たとえば私は「国語」のほかに、「接客サービス」の授業と「生活科学」という授業を担当していました。
どちらも最も苦手とする分野でしたので、夏休み中はあちらこちらに教えを請いに回り、何とか授業の形を整えました。
「接客サービス」の授業では、アビリンピック大会に出場して好成績を収めることもひとつの目標にしてみることにしました。
結果、ひとりの生徒が金賞をいただき、東京の全国大会に参加。他にも2人の生徒が銀賞をいただきました。
「私にはすごいことができる!」とできるだけたくさんの生徒さんに思ってもらうことがとても大事だと痛感しました。
アビリンピック大会は、毎年夏に行われており、一般の方も見学可能です。
地域支援
支援学校は、地域の小中高等学校に在籍している障がいのある児童生徒の指導に関する助言や、教職員研修実施の役割も担っています。
私も地域支援の担当でしたので、夏休みはそういった仕事も入りました。愛用の電動自転車で、超方向音痴のためにあちこち迷いながら、なんとか回っておりました。
その頃は、支援教育指導教諭という役割もいただいていましたので、恐れながら先生方の前でお話しさせていただく機会も何度かありました。お恥ずかしい。
高等支援学校は新設校でもありましたので、非常に忙しい夏を過ごすことになりましたが、新しいものを作る過程というのは熱くておもしろいものでした😊
次回は「最後の勤務校での夏」のお話を書く予定です。
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