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【本の紹介】『私とは何か「個人」から「分人」へ』(平野 啓一郎 著)
本当の自分ってなに?
家族といるときの自分?
職場の自分?
恋人といるときの自分?
ひとりでいるときの自分?
そんなことを考えたことのある方は多いのではないでしょうか?
今まさに「自分さがしてます」という方もおられるとお察しいたします。
そういうあなたには超おススメです!
平野さんはいいます。
〈本当の自分〉はひとつじゃない!
タイトルに、「個人」から「分人」へとあります。
「分人」って何?
と思いますよね。そう、平野さんの造語です。
そもそも「個人」はindividualの訳語で、「これ以上分けられない」という意味。「個人」のことばからは、ひとりの人間は統一された一つの人格であるべき、という考え方が生まれます。
逆に「分人」は、ひとりの人間は場や相手などによって分けられる、という考え方のもとに生まれたことばです。
たとえば、職場での私は「分人A」、同じ職場でも上司といるときの私は「分人B」、気の許せる同僚の田中さんといるときは「分人C」、苦手な鈴木さんといるときは「分人D」。
父の前では「分人E」、夫といるときは「分人F」、息子の前では「分人G]…
そんなふうに、たくさんの数の「分人」がいて、私はその集合体である。
どの「分人」もすべて私である。
というようなことです。
平野さんはいいます。
分人はすべて、「本当の自分」である。私たちは、しかし、そう考えることが出来ず、唯一無二の「本当の自分」という幻想に捕らわれてきたせいで、非常に多くの苦しみとプレッシャーを受けてきた。どこにも実体がないにも拘らず、それを知り、それを探さなければならないと四六時中そそのかされている。
それが、「私」とは何か、という、アイデンティティの問いである。
私の眼からウロコがパラパラと落ちて、頭の中が整理整頓できそうな気がしてきました。
平野さんは、「分人」の考え方に則って様々な事象や人間の営みについて整理し直してくれます。たとえば、
自分探しの旅
ひきこもり
カフカの『変身』
自傷行為
八方美人になぜむかつくか
3年B組金八先生がなぜいい先生なのか
恋と愛
浮気・不倫
虐待やいじめを受けたときにどう考える
現代のうつ
死と死後も生き続ける分人
なぜ人を殺してはいけないのか 等
私は元教員なので、「3年B組金八先生」の金八先生がなぜいい先生なのか」について書かれている部分をご紹介します。
『3年B組金八先生』のような学園物のドラマでは、主役となる「いい先生」は、生徒一人一人に対して柔軟に分人化する。グレた生徒とは、その生徒と最もうまくコミュニケーションが取れる分人になる。優等生とは、また違った分人で接する。そのことに、生徒が信頼を寄せる。一方で「悪い先生」は、どの生徒に対しても、教師としての職業的な分人だけで接する姿が強調される。生徒というグループ向けの分人に留まっている。どんな生徒に対しても平等というのは、同じ顔で接する、ということではない。同じように相手の個性を尊重して分人化する、ということだ。
どの生徒にも同じように、相手の個性を尊重して(自分を)分人化できる先生は理想的ですね!
感想
これまで私は「うまくいかない人間関係」に引きずられる傾向がありました。
「○○さんを避けてしまう自分はダメだ」とか、「○○の場で会話が弾まない自分はダメだ」とか。
けれども、私はたくさんの「分人」で構成されていると考えると、「ダメな分人は私のほんの一部に過ぎない」と整理し直すことができます。
また私は「誰に対しても笑顔で親身に接しなければならない」という思いに縛られていました。
けれども、「誰に対しても」そうである必要はないのだと納得することができました。軽重があって当然なのですね。
そしてもう一つ、「この人が好き」ではなくて、「この人と一緒にいるときの自分が好き」と思える私の分人が、私の中にはたくさん存在していることに気づくことができました。これから大切に育てていきたいと思います。
心が安らぐ本でした。
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