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授けられた○○を、生かしきる

私が大学生の頃。
「あなたは、なぜ、生きる と思いますか?」
とキャンパス内で訪ねてくる人がいた。

多分、「なぜ、生きる」の人は、宗教の関連団体の方だったかもしれない。
先輩はその人と正面から話し、論破(?)していた。

私はその質問をされてもスルーして、通り去った。
ただ、もしその時何か答えようとしても、答えられなかったと思う。

時は、2023年。
こんなに自分のことを客観視して、人と比べてしまうのは就活以来だ。
年齢的な焦りもあり、婚活なるものを始めたが
やっていくうちに自分には何も価値がないような気になってきた。
そして、自分が心から好きになれる相手を見つけるのは、もう無理なんじゃないかとも。

でも、その中で多くの気づきがあった。
相手の方とのやりとりや、動いていく中で、
自分がこれからどう生きていきたいのか、本心の輪郭が見えてきた気がするのだ。

そしてタイトルの、「授けられた〇〇を、生かしきる」。
これは様々な相手の価値観と接し、自分を客観視し、自分の本心を見つめた結果、ふっと降ってきた考えだ。

〇〇には、「個性」「性質」「生命」どれか一つに絞れずに、適切な言葉も見つからなかったからあえて言葉を選ばなかった。

私の半生を振り返ると、とにかく気疲れしやすかった。
朝起きた時、心身がだるく、重い。
学校生活でも人との交流で気を使い過ぎて疲れる。
遠出やガヤガヤした場所に行くと、ぐったりして寝込む。
自分は社会生活向いてない。そう思い、落ち込むことが多かった。

ただ、自分が心地よく感じたり、好きだと思えることもわかった。
一人で落ち着く場所にいる時間。
料理をしている時間。
コツコツと仕事をしている時間。
目上の方の話を聞いている時間。
そういう時は、落ち着いて1日を終えることができた。

「ありのまま」「ダイバーシティ」という言葉が当たり前のように聞かれるようになったけど、授けられた性質は、授けられた感性は人によって違う。
画一的な枠に収めようとする方が、無理がある。気がする。
そして、その枠に収まらず、自分を責めたり、罪を犯す人もいる。と思う。

調整は必要だ。社会を回していくために、必要なことはやらなければいけない。たとえ、苦手なことや嫌いなことであっても。
でも、本来の「授けられた感性が人によって違う」に立ち返り、
様々な仕組みの見直し、枠組みの見直し、考え方の見直しができれば、
一人一人が自分にも人にも、優しく接することができる世界になる気がする。

私の「授けられた〇〇を、生かしきる」は、
「受けとめる力」「汲み取る力」「本番や緊張に強い力」「一人でも取り組める力」「コツコツ継続する力」「内面に向き合う力」
これらはきっと、授かったもの。
まだまだ生かしきれていない部分もあるかもしれない。

どんな状況・人間関係にしても、
「授けられたもの」を「生かせる」方が、きっと幸せなんだと思う。
(我慢も忍耐も必要だし、それだけではないけれど。)
そして、特にパートナー関係においては
「補う」関係が本来理想なのかな、と今の時点では思っている。

今日の投稿は、お風呂の中でふと思いついた考えでした。
イラストは以前描いたもので、本文とは関係ないですが、
桜の綺麗な季節なので。

IKOI.A

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