見出し画像

メディアリテラシーの鍛え方(3)神学論争に注意

前の記事では
「インターネットだけではなく、
 公共のメディアにおいてすら
 間違った情報が流れることがある」
という話をしました。

それでは、私たちはどの情報を
信じればいいのでしょうか。

それは、もはや自分で情報を
取捨選択して自分の頭で
考えるしかないのです。

例えば、世の中には、
いくら科学で証明しようとしても
証明できない問題も多々あります。
(人間が作り出した
 科学はまだまだ発展途上)

一番わかりやすいのが、
「神様はいるのか、いないのか」
という話です。

特定の宗教を信仰している人は
「神様を信じる」でしょう。

しかし、これは未だに
科学で証明できないことです。

なので、神様を信じるか信じないか、
また、信じるとして、
それをどのような行為を持って表わすかは
個人の自由です。

それなのに、「神様はいる!」と言って、
「お前は間違っている」と
他人の生き方を強制的に
変えようとするのは、おかしな話です。

科学で解明できていないものについて、
個人がどう考えて生きようが、
他人に迷惑を掛けない限り、
自由なんです。

このように、科学では解明できていない
問題について議論することを
「神学論争」と言います。

そういった類の話で
他人に強く「こうあるべき」という人は、
メディアに限らず、
気をつけた方がいいです。

単に個人の信念や利益を重視しているか、
もしくは、送り手が無知なだけです。

宗教に限った話ではありません。

例えば、地球温暖化の問題、
それに付随する原発の是非、
果ては国際情勢についても言えるでしょう。

こういった情報が
偏った意見に流れている場合は
特に注意が必要です。

これらの問題は現状では、
数学のように、
みんなにとっての「正解」が
簡単には出せない難しい問題なのです。

特に、公共メディアが一様に
「神学論争」にあたる部分について、
明確な「正解」を出そうとしている時は、

権力を持っているスポンサーの意向に
沿っているだけかもしれません。

自分で情報を集めて、
(メディアだけではなく、人に聴くのも含めて)
自分の頭で考える力が必要です。

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。