19世紀のパリの風景が見えた
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ボードレールの詩集『巴里の憂鬱』にリベンジしている話を書きました。
1年前にも少しだけ読んでいて、1篇だけ記憶に残っている詩がありました。
それは『菓子』という作品です。
主人公(ボードレール自身?)が街中で、パンを食べようとしていたら、近くで見るからに飢えた子どもが、それをジッと見ていたんですね。
哀れに思った主人公が、子どもにそのパンを分けてあげました。
すると、それとそっくりな男の子がもう一人出てきて、男の子たちはパンをめぐって争い、殴り合いのケンカをします。
激しいケンカをしているうちに、主人公があげたパンは粉々に砕けてしまい、結局は二人の男の子のどちらもお菓子にありつけなかったというオチがつきました。
こう書くと、教訓じみた童話のように感じられるかもしれませんが、ボードレールの表現はもっと格調が高く、話の筋以上にもっと感じられるものがあると思います。
なぜ、私がこの一篇だけを覚えていたのかというと、その情景描写がしっかりと私の頭の中で「見えた」からだと思います。
私はその時代を生きたわけではないですし、フランスのこともそれほど知らないですが、この一篇の詩から、その風景が伝わってきたんですね。
もちろん、それは実際にボードレールが見た(もしくは想像した)世界とは違うはずですが、私は私なりにその風景を体験した気がしたんですね。
「人と争うと結局は得るものも得られない」という教訓もありつつ、それだけに収まらない詩の世界が、この一篇に感じられます。
いや、これはたまたま、この一篇が私の心に響いただけで、この詩集には作品ごとにいろんな想いが込められているのでしょう。
それをどれだけ感じられるかが、詩を楽しめるか、楽しめないのかに関わってくる気がします。
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