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2:「わたし」をかんがえる

「わたし」を説明するのは骨が折れる

わたしは福祉の仕事をしていて、朝から晩までひたすら目の前に来る人の生き様や人生や、社会に対しての不満ややり場のない怒りをただ聞いている。いや、まぁ、ただ聞いているだけでもないけど。8割は聞くようにしている。

話をする人は、今まで心の中に溜めていたことを話すので、思ったことと違う表現をしてしまったり、伝えたいことがなかなか言葉にならなかったりと、まさに四苦八苦の思いで話してくれる。

よく、福祉の現場で「話がコロコロ変わる人」とか「嘘をつく人」と決めつけられている人の中には、どの言葉を使えば自分の気持ちを伝えられるのかを試行錯誤している段階だったりする。

だから、そうやって決めつけてくるアホがいると、大変残念。街角で100人の話を聞いてから出直してこいと言いたくなる。

それだけ「わたし」を説明することや、自分のことを相談することは骨が折れること。そして、話す側にも技術が必要だったりする。

「わたし」は万華鏡のように変化する

雑誌の占いのページが全部自分に当てはまるように感じるのは、そこに書いてある多くの要素を大抵の人は持っているからだと思う。「他人についつい合わせて自分の意見を抑えてしまう」わたしもいれば、「芯が強くこうと決めたらやり抜く力がある」わたしもいれば、「挫折に弱い」わたしもいる。
人間そのものが万華鏡のようにくるくると形を変え、言うことも変わり、矛盾の塊みたいな存在だ。

「わたし」を簡単に定義することなどできない

そんな四苦八苦している人たちと対話をしていると、しまいに相手が謝り出す時がある「なんかうまく纏まらなくてすみません」「さっきと言ってることが違う気がしてきました」などなど。

それで全然よいのだ。むしろ、途中でそうやって気がついて、それを言葉に出してるってのは、ものすごいことなんだ。新しい自分の発見。

「わたし」を構成するものはなんだ

「わたし」を「わたし」として定義するために必要なものは何か。それは間違いなく「あなた」であり「誰か」である。世の中たったひとりの「わたし」の中で「わたし」を作り上げることは、できない…とは言わなくとも、至難の業だ。

「わたし」は家族の中での「わたし」がいて、会社の中での「わたし」がいる。あるいは、趣味の場での「わたし」なんかもいたりする。そこにいる誰かの存在に影響をあちこちで受けながら、「わたし」は形を変えながらそこに存在する。時に友人の所作や行動に影響を受けて、それを吸収したりして。

つまり「わたし」とは。

これまで「わたし」が出会ってきた人や家族、環境、場所などから影響を受けて連綿と構成されているものと私は定義している。だから、私が何かという答えを長所や短所などというものだけでは表現し難いものがある。

「わたし」を知るために

「わたし」って一体なんだろうという問いを持った時、きっと過去を振り返る人が多いと思う。誰に影響を受け、どう育ってきて、今でも忘れられない楽しかったこと、悲しかったこと、腹が立って仕方のないこと、そんなものを参照してわたし自身を見つけていくことも大切だ。

だから今日も「わたし」は「あなた」の話を聞く

「わたし」の前に座り、自分の話をする人たちは「わたし」を通して「自分」を見る。そして、そんな話を聞いている「わたし」もまた「あなた」を通して「わたし」を見ている。

そうやってお互いに見えない相互作用の関係の中で、人は自分自身を発見していく。



なぞなぞのような、「わたし」の話。
何が言いたいかってえと、定期的に自分の話をした方がいい。利害関係のない、あなたを評価しない人に。「自分語り乙」とかなんとか言われてもだ。私も話そう。

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