「役割を演じる。」
今日のブログはこちら!
では、本題。
映画・「マジェスティック」を観た。
舞台は1950年代の赤狩り真っただ中のアメリカ。
映画脚本家のピーターはある日、共産主義の人間だと疑われ仕事を無くしてしまう。
疑われた理由は、学生時代、好きな女性の気を引くために参加した共産主義の集会に出たから。
無実を訴えるも、誰も信じず赤狩りの対象となってしまう。
仕事をなくしたピーターは、ヤケになり飲酒運転をして橋から落っこちてしまう。
気が付くと、記憶が無くなった状態でローソンという町に流れ着いていた。
その町の英雄ルークにそっくりなピーターのことを、町人はルークだと勘違いする。
記憶がないピーターもその気になり、ルークが作った映画館を再建するために尽力する。
というのがあらすじ。
オレはこの映画を観て、人は与えられた役割を演じる。と思った。
ピーターは、町の英雄・ルークという役割を町人から与えられそれを演じた。
記憶がないから演じやすい状態になっていたのは確かだけど、ピーター本人も自分はルークだと信じて行動するようになっていた。
ピーターがルークという役割を演じたように、多くの人は与えられた役割を演じていると思うんだよね。
与えられた役割と書いてはいるけど、別に大それたことではなくて。
たとえば、人から「優しい」とか「勉強ができる」とか言われたら、その役割を演じやすいということ。
もちろん、「嘘つき」とか「馬鹿」とか言われでもその影響を受けてしまう。
「優しい」「勉強ができる」「嘘つき」「馬鹿」
のように、シンプルなものでも与えられた役割を演じてしまうんだ。
さらに誰から言われるか?は超重要なことで、仲のいい人・世話になっている人から言われたら効果は絶大だ。
これがわかると、俯瞰して自分の状況・周りの状況を見れるんじゃないかな。
「自分は今こう思って、こんな行動をしているけど、
それって実は周りから役割を与えられたことがキッカケなんじゃないか?
ただそれだけなんじゃないか?」
みたいに。
別にそれが良い方向にいっているなら構わないんだけど、
嫌な役割を演じていれば、その環境から去ればいいんだ。
別の役割を与えてくれるような他の環境にいけばいいんだ。
新しい環境で、今とは違う役割を与えられればいいんだ。
おそらく、今の環境にいても自分がイヤだと思う役割を演じ続けてしまうからね。
それに、与えられた役割を演じるってことは、自分で演じたい役割を与えればいいってこと。
だれに与えられてもいいんだから、自分で与えてもいいんだ。
だから、自分がどんな役割を演じたいのか?を決めよう。
それが思考や行動の軸、つまり自分のスタイルとなるからね。
なぜか多くの人は、
他人に役割を与えられる→自分はそれにそった役割を演じる
みたいなパターンが圧倒的に多いけど、
自分で決めた役割を演じる→他人に自分の役割はこれだと思わせる
ってパターンのほうが自分の人生でしょ。
なりたい役割がなかったらキツイけど、今の自分に合っている・合っていないは関係ない。
とにかく、自分で役割を決めること。
そうすれば勝手にその役割を演じるようになるんだ。
人は役割を演じる。
だから、自分で役割を決めよう。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?