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「二つの承認欲求。」


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「やり方」があふれすぎている時代に必要なことは、幹である「在り方」を育てること。


「在り方」を育てたい人は見てみて!


では、本題。


フランシス・フクヤマ著「歴史の終わり」を読んだ。


アメリカの政治学者が書いたこの本は、哲学や人間心理を紐解きながら歴史の流れを知ることができる。


全部を理解することはできず、もっと知識をつけてから再読する必要があるなとは思ったけど、他には無い視点から歴史と未来を捉えていて勉強になった。

これからの未来は日本がキーになるという主張も面白かったな。



人間が他の動物と違うのは、「認められたい」という承認欲求をもつことだという。


この欲望を満たしてくれるのは君主制やファシズム、全体主義や共産主義ではなく、


個人として自主性を認めてれるリベラルな民主主義だけ。



承認欲求は確かに血なまぐさい争いを生んできたけど、諸国間では合理的に置き換える。


つまり、他国以上に優秀な国家として認められたいという欲望ではなく、他国と対等なものとして認められたいとう欲望になる。


あらゆるイデオロギーを打ち破った「人類のイデオロギー上の進歩の終点」がリベラルな民主主義で、


それが著者が主張する「歴史の終わり」。



ただ人間の「認められたい」という承認欲求は、「対等願望」と「優越願望」に分かれるため、

果たしてこれで良いのか?という疑問が出てくる。


というのも、


リベラルな民主主義は「対等願望」の社会だけど、みんな同じ・みんな平等というこの社会では、「優越願望」がなくなってしまい、


その結果、社会的向上を誰も目指さなくなり奴隷のようになってしまう可能性があるからだ。


それにリベラルな民主主義が飽和すると、人は退屈すぎて争いをはじめてしまう可能性もある。


なぜなら人間は戦いのない生活など想像もできないからだ。
(革命や戦争の発端が、退屈すぎたからという研究結果もある)



この矛盾が生まれるから、「対等願望」と「優越願望」のバランスをとる必要がある。


はたして平和が保たれ歴史は終わるのか?

それとも新しい争いが起き歴史がはじまるのか?


というのがザックリとした内容。



注目すべきはやっぱり二つの承認欲求だ。

「対等願望」「優越願望」


この二つをどう活用するか?が人類的にも個人的にも大切になってくるのはわかったんだけど、正直かなり難しいよね。笑


だって上述したように、対等願望が飽和すれば平和になるかもしれないけどヒマになる。


その結果向上心がなくなり、ヒマ過ぎて争いをしてしまう。

優越願望が強ければ、技術発展は望めるけどシンプルに血なまぐさい争いが生まれやすくなる。


じゃあどうするかといったらムズいけど、できることと言えば、まず人間には二つの自己承認欲求が本能的に備わっていると知ることじゃないかな。


「勝ちたい!」「結果を出したい!」と思う気持ちは優越願望

「平等」「差別をなくす」と思いう気持ちは対等願望


みたいに。


自分の想いがどの承認欲求に当てはまっているかを知れば、傾向を知れるでしょ。

そうやって傾向を知り、上手くバランスを取っていくしかないんじゃないかな。

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