「何を削られてるか?」
武満徹著・「映像から音を削る」を読んだ。
世界的に有名な作曲家が書いたこの本は、
彼独特の音楽論や映画論が書かれていて面白かったし、なにより言葉がカッコいいと感じた。
物事に対して思慮深く鋭い視点を持っているから、改めて感性の良いアーティストの言葉を読むことは良いなと思った。
天才作曲家なだけあり音に対して非常に敏感で、
映像や音楽を通して社会全体を見た時に感じている内容はまさに現代こそ意識するべきものだった。
武満さんは、このまま行くと多くの人の感性が鈍くなると危惧していた。
その大きな原因はテレビだ。
簡単に都合の良い情報操作ができるテレビの映像は、巨大な空白であり思考の欠如しか私たちにもたらさないと語る。
テレビのフレームに切り取られた現実は、すでに実際の現実とは別のものであることを意識しないといけない。
テレビは作られたものであり、再構成された事実なんだ。
それだけじゃなく、
何気ないワイドショー番組において必要のない音楽をやたらに背景に流したりする無神経さも指摘している。
なぜかというとそれに慣れてしまうと感性が鈍磨してしまうからだ。
だから、テレビが生活の一部になっているけど、自分の「目」と「耳」を常にフレッシュに保つ必要があるという。
確かにニュースを伝える時に、背景として音楽を流していたなと思ったけどそれが感性を鈍くさせる原因になるとは考えもしなかったな。
ホント、テレビって一部の人に都合の良い情報しか流れていないから面白くないし観る価値ないんだよね。
さらに武満さんは、
と言う。
だから、目や耳は活き活きと機能せず、このまま退化へ向かってしまうのではないかと危惧しているんだよね。
この本は、初版が2011年だけど武満さんは1996年には亡くなっている。
つまり、インターネット全盛になるずっと前から人々の感性が鈍くなることを危惧して予想していたわけだ。
現代は武満さんが生きていた時代よりさらに感性が鈍くなる要素が多い。
テレビを観ない人は多くなったかもしれないけど、それに替わりなにを眺めているかというとSNSだ。
正直、SNSはテレビ以上に感性が鈍くなるんじゃないかと思ってしまう。
前後の文脈を無視した都合の良い情報が溢れているだけじゃなく、
誰が言ったかや根拠さえわからないデタラメな情報、
匿名を良いことに感情が剥き出している情報、
等々、非常に感性に悪い。(もちろん精神的にも。)
そして、その感性に悪いものを何気なく眺めている状況も危ないんだよね。
武満さんは、
と言っていた。
音楽でその映画を引き立たせることを考えているから、音楽をたくさん装飾すればいいということじゃないんだ。
これはもちろん良い意味で、彼独特のいわゆる職人ワザだ。
上述したように武満さんは音を削ることを考えていたけど、
現代の人々は何を削られているのか?を考えたほうが良い。
モノや情報が溢れかえった装飾しすぎている世の中で、何が削られているのか?
感性・想像力・思考力・言葉。
このあたりは現代だからこそ意識するもの。
削られないように気をつけるもの。
絶対に削られちゃいけないものだ。
それが削らるようなものが身近にあるなら、その原因を削っちまえばいい。
何を削られているのかを意識しろ。
それは削られちゃいけないものかもしれない。
邪魔するものは自分から削れ。
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