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「中央アジアの草原にて」

中央アジア草原にて、という曲が好きすぎて、ここ最近毎日聴いている。

作曲者はアレクサンドル・ボロディン。ロシアの作曲家で、「ダッタン人の踊り」は誰もが一度は聴いたことがあるくらい有名である。(確かJR東海のCMに使われていた)

実はボロディンさん、作曲家でもあり、医師でもあり、化学者でもあるという(しかもちゃんと何かの公式?を発見して、化学者としても名高い方)なかなかハイブリッドな方である。

私はクラシックが好きだ。でも好きになったのはここ最近の話で、たまたま大学の延長線上でやっていた楽器でクラシックを演奏していて、次にはこんな曲をやりたい、また「かつてこんな曲弾いたなー」と懐かしむためにクラシックを聴いていたら、いつの間にか好きになっていた。もちろんJポップやロックも聴くけれど、演奏する対象としては見ていないので、「ここの歌詞いいなぁ」とか「ここかっこいいなぁ」とか曲に対する思いはあるけれど、演奏する妄想はしない。

反面、クラシックを聴いていると、そういう妄想がはかどる。とはいえ、私はヴァイオリン奏者ではないので、楽器の弾き方は全くわからない。でも、美しいメロディーが流れれば、長い弓を上下に動かす妄想をし、時にはトランペット、時にはティンパニ、はたまた指揮者でも、色んなパートをかわるがわる妄想して、脳内でオーケストラの一員になるのである。

中央アジアの草原にては、私の妄想がすこぶるはかどる曲である。曲全体に漂う異国情緒の香り、それでいて親しみやすいような、懐かしいような、広大な大地を思わせる旋律。でも、決して大衆に媚びることない、気高さと孤独な響きを持っている。この曲には2つの主題(ロシアパートとアジアパートらしい)があって、後半はそれぞれの旋律が混ざり合うようにかけ合いながら収束していく。そこがとても好きで、聴くと思わず弓を動かし、弦を震わせたくなってしまう。ああ、死ぬまでにこの曲を弾けたらな。そう思う曲がまた、一つ。まぁ、ヴァイオリンは弾けないんですが。

好きなクラシックの曲が増える感覚は、骨董市で掘り出し物を探してコレクションする感覚に近い、と思う。好きなアーティストの新曲を心待ちにするのとは、また違った楽しさがある。

私が生まれるより前に存在していた音楽を、ある日突然、好きなる。まだこの世には私が知らないだけで、これから好きになれる可能性を秘めているもので溢れているんだと、少しだけ世界が微笑んでくれた気がするし、私もまた、微笑み返すことができた瞬間だ。そういう自分に立ち会えたときは、自分もまだ捨てたもんじゃないなと思える。この「中央アジアの草原にて」も、つい最近までは素知らぬ曲だった。ダッタン人の踊りと同じ作曲家だしな、くらいの何気なく再生しただけの曲で、多分初見から「すごい、いい曲!感動!」みたいにはならなかった。知らない曲はすぐ振り向いてくれない。聴いているうちに、他人の顔が段々と見慣れてくるような感覚で、すとんとメロディーが腑に落ちる瞬間がある。その瞬間は音に色がついたような感覚で、クラシックは古めかしいものだけれど、そうやって私のまだ知らない新しい世界を見せてくれることがある。

ちなみにダッタン人の踊りはこちら。

ダッタン人の踊りはもともと「イーゴリ公」というオペラの中の一場面の曲。「イーゴリ公序曲」もなかなかにカッコいい。おすすめです。

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