見出し画像

社会人になってまでの勉強

私は割と、見えないものを信仰しているのだと思う。昨日。職場で同僚と「資格なんて、とっても意味ないよね」なんて話していた。うちの会社は一応推奨資格というのがあって、私はつい最近FP2級を取った。

「そうですよね、少しでも給料が上がればやる気にもなりますけど」

そう言ったそばから、じゃあなんで私は?と思った。確かに上司でも資格を取ってない人は多いし、別に資格が昇進の条件でもなんでもない。(現に全く取る気がなくて開き直っている人でも、若くして出世していたりする)もちろん、給料も上がらない。(その代わり「頑張ったで賞」みたいな賞状はもらえる)目の前にわかりやすく人参をぶら下げられてなければ、そりゃ頑張れませんよって感じだ。

それでも、私が資格を取ったのは、多分「どこかで誰かが自分の頑張りを見ていてくれてるだろう」と思っているから。目の前にぶら下げられた人参がなくても、その人参を想像できる都合の良い人間なのだ。私は。

だって何が起きるか分からない世の中じゃないですか。例えば、もし明日世界恐慌が起こったとして、会社がリストラに踏み切ったとする。その時は私はすかさず「FP2級を持ってます!(だから私を切らないで)」と言える。いや、実際一平社員の私の声がリストラする側の人たちに届くわけないんだけど、一つの判断材料として、私は有利なものを持っているに変わりない。もしかしたら、この資格が「この子は残しておこう」という判断材料になるかもしれないじゃんか。分からないけど。

正直、うちの会社はそこそこ安定しているので、こんな最悪の事態に陥る可能性はほぼゼロに近い。だから資格が私の思惑どおりに働いてくれるかはきっとずっとわからないままだけれど、それでも私は資格取ってよかったなと思っている。

ある本で、「父親は、我が子に既存の社会構造の中で勝ち進むことを教え、母親は、既存の社会構造が崩壊したときの振る舞いを教える」と書いてあって妙に納得した。私が心配しているのはまさに「今当たり前に享受しているものが突然ストップすること」である。その時、自分の身を助けるもの、その一つが勉強して得たもの(例えば資格)だと思っている。

これはどっちが良い悪いの話ではないのだけれど、「資格なんてとっても意味ない」という人は、きっと「目の前の人参」しか信仰してない人だ。彼らの言い分をひっくり返せば、「実利(給料アップや昇進)があればやるけど」なのだろう。多分そういう人は、今の会社が倒産したり、自分が会社から見放されるような想像はしていない。逆に私のようなしょっちゅうビクビクして空が落ちてくるんじゃないかと怯えているような人間は、むしろ人参が絶滅危惧種になることを想像する。だから、より疫病に強い人参を開発するため、あるいは人参に変わるスーパーフードを探すために、勉強する。目に見える「目の前の人参」だけでなく、その先のずっと向こう、見えない世界とか、隠された世界とか、自分の力が及ばないところ、でも自分の存在とは切っても切り離せない、そんな大きな力に飲み込まれた万が一のとき、どうにかこうにか生き延びるために、きっと勉強はしなくちゃいけない。

たぶん、そうやって勉強してきた人は、しなやかだ。実利がないと意味がない。そんな風に割り切るのがカッコいいみたいな風潮(と自分)にもやっとしたので、偉そうに社会人になってからの勉強について、考えてみたのでした。

この記事が参加している募集

最近の学び

一度はサポートされてみたい人生