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拝啓、チャイコフスキー様、

「もう全部どうでもいい」そんな気分になりたいとき、聴く曲がある。チャイコフスキー作曲、イタリア奇想曲である。


イタリア奇想曲は、ロシア出身のチャイコフスキーが傷心旅行(奥さんと離婚したばかりだったらしい)に訪れたイタリアで、その温暖な気候や陽気な空気に魅了されて作曲したと言われている。

冒頭は、軽快なファンファーレから始まり、その後、重々しいメロディーに移り変わる。そして雲間から晴れ間が見えるように、陽気なメロディーが始まる。このメロディーがイタリア奇想曲の主題であり、全編に多用されている。この部分を聴くと、私は今までうじうじ悩んでいたこととか、日々の些細な不安とか、そういうの全てどうでもいい気分になるのだ。なので私は特効薬のようにこの曲を流しては、気持ちをリセットするのを手伝ってもらっている。

後半のタランテラと言われる部分は、イタリアに伝わる「タランチュラの毒を抜くための激しい踊り?」をモチーフしているらしい。私はこの部分も大好きで、後半、ワクワクしながらこの部分を心待ちにする。ここだけは、クラシックというより、ロックとかメタルみたいな激しさで、ロシアの寒さもぶっ飛びそうな高揚感と熱量を感じる。そこからクライマックスまで、勢いそのままに終焉を迎える。

この曲に限らず、チャイコフスキーさんの音楽を聴くと、今ここにいる自分が肯定されているような感覚になる。音楽理論云々より、聴く人の感覚に直接訴えかけるような、心揺さぶる旋律。難しいことは考えず自分の感覚を信じていいと言われているような。

寒いロシアから温暖なイタリアに来て、彼はどんなことを考えていたんだろう。この曲を聴いている私のように「全部どうでもいいですな」みたいな気分に多少はなっていたのかなと思うと、時代も国籍も何も共通点はないのに、どこが繋がれているような気がしてくる。

私がこの曲を好きになった瞬間は、確か田町駅の改札前だった。新入社員のころ、毎日わからないことだらけで、先輩はろくに仕事を教えてくれず、電話ばかり取らされて憂鬱だった。帰り道、明日もまたこんな感じかと思いながら、イタリア奇想曲を何気なく再生した。

陽だまりの中にいるような、伸びやかな旋律。

「なんか全部どうでもいいな」と思えた。

まさか天国のチャイコさんも、自分の曲が、日本の、しかも田町駅のOLを救ったとは夢にも思っていないだろう。でも確かに、私は小さく救われた。それからしばらくの間、この曲を呪文のように再生していたのを覚えている。

チャイコフスキーさんの曲は、どれも華やかで名前は知らずとも、誰もが一度は聞いたことがある曲がたくさんあると思う。他にも、スラヴ行進曲、1812、交響曲第5番などがおすすめ。



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