報われないとき、バチェラーの司会者たちに励ましてもらっている話

報われない。

そういう感情が、ときたま私の中になだれ込んでくる。

会議資料をクリップ止めしているとき。決裁箱に溜まった書類を振り分けているとき。相次ぐ電話の取次ぎ。古い資料の廃棄。いらない封筒のまとめ。会議予定表作成。

別に私でなくてもいい。でも、誰かがやらなきゃいけない仕事。

その日も、いつものように誰も手を付けない会議資料をクリップ止めしていた。


途端、また黒い澱んだものが胸元までこみあげてくる。

私、もしかして損をしているのだろうか。要領よさげな同僚や後輩は、私のやっていることには手出しをせずに、重要そうな仕事や一目置かれる仕事をキャッチして、ちゃんと仕事ぶりを見てもらっている(気がする)。

こんなことを思っていても仕方がないのはわかっている。でも、一度考えだすと被害妄想のループからなかなか抜け出せない。

報われない。報われない。






「そういうとこ、どこかで誰かが見てるで~」

私の中でそんな声がした。

聞き覚えのある声。それは意外な人物だった。



話は変わるが、今我が家では空前のバチェラーブームだ。

バチェラーとはアマゾンプライムでやってる恋愛リアリティショーで、こんな人普段どこ歩いてるんですかというくらいハイスペック(高学歴・お金持ち・イケメン)な独身男性(=バチェラー)を、20人のこれまた普段どこ歩いてるのかわからない容姿端麗な女性たちが奪い合うという番組だ。

番組の最後、バチェラーは今後一緒に過ごしたいと思った女性に薔薇を渡す。そして最終的には1人(運命の相手らしい)を選ぶという結末だ。

もちろん本編自体がそもそも面白いのだけれど、司会者の3人(今田耕司さん、オリエンタルラジオの藤森慎吾さん、指原莉乃さん)の合間合間に挟まれるトークがまた面白い。バチェラーを見ている私たちは、大げさに言えば神様みたいなものだ。私たちだけが、真実を知っている気分になる。バチェラーも知らない女子の裏の顔や、また逆もしかり。女子が知らないバチェラーの本当の気持ち、他の女子が知らない二人きりのデートの様子。それを私たちだけは安全な場所から全体を俯瞰して見ることが出来る。

そんな立場から、テレビの前の私たちも含め、司会者3人も色んなことを言う。さっしーが「あの子は本当は計算高い」と言えば、他の二人は「いや、あの子は正真正銘の良い子!」だと応戦したり、バチェラーへのアタックを見て「ちょっとやりすぎ」と女子の様子を冷静に観察したり。好き勝手言っていながら、出演者たちへの尊敬と優しいまなざしを垣間見せるバランス感覚。思わずそのトークに混ざりたいと思うし、私もそんな風に観察されたいと思う。


会議資料をクリップ止めしていた私の中に響いた声。

それはまさしく今田耕司さんのものだった。(もちろん、完全に私の妄想。)



私は、誰かに見てほしかった。

こんな引っ込み思案で被害妄想むんむんの私が、奇跡的にバチェラーに出ることになったとしても、ほとんど画面に映らず、一回も薔薇をもらうことが出来ないだろう。それに、誰かに見ていてほしいなんて、本当は傲慢なお願いだってことはわかっている。わかってはいるけど、どこかの誰かが、クリップ止めしている私を評価してくれていたっていいじゃないか。

でもその眼差しを、簡単に得られるものではない。それにこんな小さなことで神さまの視点を借りるのはおこがましい。だから無意識の私は、バチェラーの司会者3人にお願いして、第三者の眼差しの自給自足することにした。バチェラーの司会者だったら、神さまと同じような視点から、私のした小さな仕事を見逃さないでいてくれるだろう。



さながら私は、バチェラーにアタックできず、テーブルの上に散らかった空のコップを片付ける健気な女性(32)だ。


そんな私に、藤森さんも、指原さんも、優しい言葉をかけてくれる。


「そういう気遣い、絶対バチェラー見てますから。」

「そういう子、個人的には応援したいよね。」


ありがとね。ありがとね。クリップ止めを終えた資料をとんとんと音をたてて揃えて、所定の場所にそっと置いた。

こんな妄想でも、私の気分はちょっと晴れる。私の報われないなんて、結局そんなものなんだ。

一度はサポートされてみたい人生