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「なぜ努力する必要があるのか」の考え方が根本から変わったお話

先日、人生初の自己啓発本として『自分を育てる「働き方」ノート』を出版しました。帯にはでかでかと「自分の価値を上げるのは ”圧倒的努力” だけ」と書かれています。

本の中でも「努力せよ。さもないと成長できないぞ」「努力せよ。さもないと一流の職業人になれないぞ」「努力せよ。さもないと幸せな人生を歩めないぞ」と、自律・自責で努力し、自らの手で明るい未来を引き寄せることの重要性を説きました。

その文脈の中で、「なぜ努力する必要があるのか」「努力したって報われないじゃん」という声への回答として、僕は下記の記述をしています。

池田紀行著『自分を育てる「働き方」ノート」(WAVE出版)


ですが先日読んだ、安達裕哉著『「仕事ができるやつ」になる最短の道』の中に衝撃的な一節があり、「なるほど確かに!!!!!!!」と、僕がいままで持っていた「人はなぜ努力をする必要があるのか」に対する回答が大きくアップデートされたので、早速noteを書いている次第です。

要約するとこうです。

「努力は報われないが、努力は大事だ」の理由

・僕らは子どもの頃から「努力が大事」「努力は報われる」と聞かされてきた
でも多くの人は「努力が報われることは少ない」と思っている
・こう言われると「努力派」の人は「努力は最低条件だ。努力しても報われないかもしれないが、成功した人は皆努力している」と答える
・この回答にはまったく説得力が【無い】
・なぜなら「努力は大事」と行っておきながら「でも報われないかもれない」と手のひらを返しているからだ
さらに「成功した人は」と別の条件を持ち出している。よって「成功には興味がない」人には何も響かない
・「努力」と「報酬」がセットで語られている時点で「努力」とは「報酬を得るための苦行」となる

・この論では「報酬」に興味がない人は動かない
「努力する理由は報酬を受け取れるから」ではない
・ではなぜ努力するのか。実は努力する人は「努力しないと耐えられないから、そうしている」のだ
・努力は辛いかもしれないが、明らかに「努力をしているほうが楽」なのだ
・それは人間が「無為」「ヒマ」に耐えられないからだ。人生は常に不安である。なにもすることがない、なにもしていない、というのはその不安と正面から戦わないといけない
・なにかに没頭することが、精神の安定にとって重要であることは間違いない。行動することで余計なことを考えなくても済むからだ
「努力すれば報われる」のではない。「努力することで初めて、人生が不安なく送れる」のである

安達裕哉著『「仕事ができるやつ」になる最短の道』(日本実業出版社)

いやはや、しびれました。

努力する理由が「努力しないと耐えられないから」「不安から解放されるため」という考え方は、人によっては「アタリマエ」のことかもしれません。

でも、僕にとっての「努力」とは「より高みに登るため」「目的的に幸せになるため」に行うもので、「不安から解放されるため」という視点は限りなく薄いものでした

しかし、「努力=不安からの解放」という視点から自らの30年(社会人になった22歳から現在の50歳まで)を振り返ってみると、たしかに「すべての努力は不安を解消するため」だったと強く思います。

そしてその努力は「不安から逃げる」ものではなく、自ら不安に近づき、不安の正体を突き止め、どうやったらその不安をやっつけることができるかを考え、行動計画に落とし、実行し、予実(解消具合)を見る(以降これを繰り返す)ものだったことがメタ化され、ガツンと来ました。

「不安をやっつけるための努力」。なるほど!!

不安は年代別に入れ替わった

僕は自己啓発(努力)オタクを自認しているので、社会人になってから(←遅い)ずっと努力をしてきた自負があります。

そして、その努力は不安との対峙だったんだと。

この「不安」の正体。いま振り返ると、年代別に異なる不安と戦っていたことがわかります。

こうして見ると、「自分が不安だと思うこと」が年を経るごとに入れ替わっていることがわかります。そして「努力の目的=不安の解消」ですから、「努力していること」も年代ごとに異なっていたんだなあと。

ざっくり概観すると、20代のときは駆け出しで、誇れるものも自信が持てるものも何もなかったので、「長い人生、食いっぱぐれなくちゃんと生きていけるのか」とか「将来(当時目標だった)独立起業ができるのか」など、不安の内容が大きく、そしてざっくりしていることがわかります。

30代になってトライバルメディアハウスを創業すると、不安が「個人的なもの」から「会社経営に関すること」に移行しています。「倒産させずにちゃんとやっていけるだろうか」「給料を遅滞なく支払い続けることができるだろうか」「良質な案件をたくさん獲得できるだろうか」などです。そのため、不安解消の努力も、個人的な不安解消から会社経営の不安を解消する「より具体的なもの」に変化しました。

40代になると、20-30代のときに感じていた「○○が足りていない(不足している)」という不安が一段落し、「不安は解消された(もうヤバいことにはならなそうだ)けど、もっと高みに登るために頑張ろう」と、「不安解消型努力」から「挑戦型努力」へ移行した感があります。そして不安はおおむね会社の持続的成長に関する不安に絞り込まれた感じがします。

こうして書いてみると、下記5つの学びがあったなと。

学び1 小さく分けて考える

不安には実に様々なものがあり、レイヤーも粒度もバラバラです。

不安という「出力」を解消するためには、努力という「入力」をするしかありません。「入力=具体的に努力すること」ですから、その具体性を上げるためには不安の解像度を高める必要があります。

解像度を高めるためには、兎にも角にも書く(列挙する)しかありません。「自分のことは自分が一番よくわかっている」というのはだいたい誤りで、僕らの頭の中(特に不安なこと)は深い霧がかかってることがほとんど。それを書き出すことで、すべて見えるようにする。

その上で、小さく分ける。

大きく、漠然とした不安は、複数の不安が渾然一体となって「なんだか怖い(不安)!」という化け物になっていることが多いように思います。だから、その化け物に近づいて、バラバラにする。そうすると、とても立ち向かえないと思っていた大きな化け物も、ここから順に攻撃していけば最後は倒せるかもしれない、と具体プランの作戦が練れるようになります。

なお、「小さく分けて考える」テクニックは、すがけんさんの著書がお勧めです。「んなこたーわかってるよ!」というベテランの人も、意外とうまくできていないことが多いはずなので、読むと確実に学びが得られますよ。

学び2 ひとつの不安を解消すると弾みがつく

具体的な努力によってひとつの不安を解消すると、安心します。ホッとします。

それは、深い海で溺れていて「窒息して死にそうだー!」と懸命にもがいていたら水面に出て思いっきり空気を吸い込めたときに得られる喜びに等しいものでした。

そして、努力によってひとつの不安を解消することに成功すると、「頑張って努力すれば不安は解消できるんだ!」という成功体験が得られます。それが自信になり、次の不安解消に向けた努力(行動)の動機づけにつながりました。

学び3 努力が報われる確率が(ある程度)予測できるようになる

努力によっていくつかの不安を解消することに成功すると、少しずつ「入力(努力)→ 出力(不安解消)」の歩留まりのようなものがわかってきます。つまり、「このくらいの努力をすれば、このくらいの不安解消にはつながるな」という「入力の効果」がある程度予測が付くようになるんです。

こうなると儲けもの。

人が不安なのは、「何をどのくらい頑張ったら成果につながるのか」がわからない状態で努力を続けなければならない状態です。「目指す出力量」のために必要なおおまかな入力量が予測できるようになると、気が散らず、粛々と目の前の努力に集中できるようになりました。

学び4 学習曲線を実感する

上記の図でも示した通り、努力が成果(不安の解消)につながるアウトプット効率は直線的ではないことを実感しました。いわゆる学習曲線です。知ってはいたけれど、自身で体験してみると「おお〜っ!?!? この感じはもしや?!」ってなりました(笑)。途中で諦めないこと、大事です。継続命。

学び5 水面は上昇する

これは「無知の知(自分が何を知らないのかを知ること)」にも通じることなんですが、不安という化け物をやっつけたら、その背後にもっと大きな化け物がいた、みたいなものです。

たとえば、会社経営をしていて、いわゆる(組織の)30人の壁を超えたと思ったら次に50人の壁がやってきて、命からがら「抜けたどー!」と思ったら今度は100人の壁がやってきた、みたいな。

化け物の種類は同じですが、倒す難易度が高くなるとでも言いましょうか。でも、「あ、この化け物は見たことある!」(でもサイズがでかい)という既視感があるぶん、戦いやすい気がします。

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さて。ちなみに、努力したことで解消した不安が多かったわけですが、近づき、接触したことで不安から除外されたものもあります。つまり、不安を解消する努力を「途中でやめた」ということです。

不安の解像度が上がると不安じゃなくなることも

不安って、「不安=ヤバいことになる」から不安なわけです。

で、不安だから「解消しなきゃ!」と努力するわけですが、解消するために不安に近づき、努力(行動)をし始めてみると「確かに潰しておいた方が良い不安だけど、他にもっと解消すべき大きな不安がある」「そっちの方を潰しておかないとマジでヤバそうだ」「この不安からは撤退しよう」と、「不安リスト」から除外されることがありました。

僕にとってその代表例が「英語力」でした。

きょうび、どんな業界にいようと、英語はできるにこしたことはありません。たとえ流暢に話せなくても、英語圏の記事や論文を原文で読むことができれば、情報源の幅は広がるし、それだけでも有利です。

にもかかわらず、当時の僕の英語力は、TOEICで395点。もちろんTOEICの点数=英語力ではないですが、かなり低いレベルであることがわかります。1年ほど努力し、2度めのTOEIC受験をしたときは515点。点数は上がりましたが、英語力が上達した実感はほぼありませんでした(ちなみにTOEICの勉強をしていたわけではありません)。

そこで僕は考えました。

仕事は毎日忙しい。そんな忙しい日常の中で、1日1時間の英語の勉強時間を工面するのはかなり大変なこと。それでもその努力を継続したとして、1日1時間✕365日=365時間。それを3年続けて1000時間の学習をして、英語力が向上するイメージがまったく持てない。これがひとつ。

次に、「俺は英語力がないと本当にヤバいことになるのか?」という問い。「あった方が良いだろうが、無いと(ビジネスや人生のチャンスロスはあるだろうけれど)ヤバいこと(取り返しがつかないこと)にはならないのではないか」と感じた。これがふたつめ。

最後が、「不安は複数(たくさん)。時間は有限。1日は24時間しかなく、活動時間は18時間程度しかない。すべての不安は潰せない。戦略とは資源配分。「不安=リスクの大きさ」を順に並べて、リスクが大きいものからやっつけよう」と考えたこと。部分最適ではなく全体最適。これが一番大きかった。

努力する(できる)人は不安を抱えている人

とまあ、社会人歴約30年の中でいろんな不安と戦ってきたわけですが、僕がなんでこんなに努力した(できたか)というと、たぶん、人と比べて相当な不安症だからだと思います。

そりゃあもう、いつもいろんなことにビクビクしています。あっちもこっちもちゃんとできるか、計画通りに進捗するか、怖くて怖くて仕方がありません(苦笑)。

不安で不安で、怖くて怖くて仕方がないから、その化け物を倒すために努力をする。個人的には「努力をしている」という感覚はほぼ無く、「不安を解消するために、とにかくできることを全部やる」ってことしか頭にありません。

努力量は不安の大きさに比例する

そう考えると、努力量は不安の大きさに比例するんだなと。

「大きな不安=とんでもないことになってしまう=死ぬ気で頑張る」ですが、「小さな不安=ヤバいだろうけど、とんでもないことにはならないだろう=そんなに頑張らない」だからです。

僕の場合、上述した「20代のときの不安」の図でも示したとおり、頭の中は「これからの長い人生、果たして自分のような何もできない人間が、一生食いっぱぐれなく生きていくことができるんだろうか」という漠然とした、かつ強烈な不安で満たされていました。不安というより、恐怖です。

不安症なので、とにかくOKラインまでたどり着いて一安心したい。そしてそのラインが70点で、現在20点だとするならば、その差50点を埋めるための努力をする。

でも、いざ70点が見えてきたらまた不安になる。「この先、社会がどうなるかわからない」とか「ルールが変わるかもしれない」とか「70点の人たちも頑張ってるからギリギリじゃヤバい」などと考え、今後は80点や90点を目指す。それはもう、徹底した恐怖からの逃亡でした。

不安の解像度が高くないと努力は継続しない

不安症の僕は「大きな不安を抱えたまま生きていること」が嫌で嫌で仕方がなかった。でも、「不安だ不安だ」「怖いよ怖いよ」と言ってたって状況は何も変わりません。

だから、その恐怖(化け物)を倒すために、作戦を練り、行動に移す。でも化け物の正体がわからないと作戦も練れないし攻撃もできない。「とにかく動いてみよう」と何かしらの努力を開始しても、手応えがなければその努力は継続しません。結果、不安は解消されない。

だから、兎にも角にも、不安の正体を明らかにすべきなんです。書き出すんです。小さく分けるんです。レイヤーを分け、構造化し、優先順位付けと資源配分をするんです。まずはそこからです。

自律・自責じゃないと「不安」は「不満」に変わるだけ

不安や恐怖を抱えていても、それを「不満」に変換してしまう人がいます。他律・他責の人です。

「会社が悪い」「上司が悪い」「同僚や部下が悪い」。果ては「国が悪い」「政治が悪い」「社会が悪い」「時代が悪い」。

「行動すればいいじゃないですか」と言うと、「仕事が忙しくてそれどころじゃない」「子どもが小さくて時間がない」「助けてくれる人がいない」。果ては「この状況は自分のせいではない」「誰かなんとかしてくれ」「時間がない、お金がない、行動したいが状況が許さない」。

「不安で仕方がない。さて、どうする?」

不安が無い人なんていませんよね。みんな、大なり小なり、いろんな不安を抱えています。

でも、大きな不安を抱えていても、活力にあふれ、幸せそうに生きている人もいるじゃないですか。その人と不満ばかり言っている人の違いはなんなのでしょう。僕は、目の前の不安に対して、「こりゃ大変だなあ…。さて、どうする?」と考え、自律・自責で行動しているかだけだと思います。

不安は尽きない。でもひとつずつ【自分の力で】潰す

これこそが、安達さんの言う「努力することで初めて、人生が不安なく送れる」ということなのだと思います。

人生の後半は「挑戦型努力」に集中したい

僕は先月50歳になり、20-40代のときのような「不安解消型努力」は減ってきた実感があります。

だから、これからの50-60代は、「さて、どこまで行けるか」と(不安から解放された)「挑戦型努力」を積み重ねていきたいな…と思うのでした。

いや、それにしても、この歳になって自身の「努力論」がアップデートされるとは思ってもいませんでした。それもこれも、読書と(noteに書くという)アウトプットによるメタ化の賜物です。

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最後に。

「不安だ!」「でもどうやって努力したらいいかわからない!」という方は、ぜひこちらをご一読ください。不安を解消するための努力の仕方がわかるはずです!

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謝辞

本エントリで書いた気づきを提供してくれた安達裕哉著『「仕事ができるやつ」になる最短の道』(日本実業出版社)は、近刊『投資としての読書』の著者である本山 裕輔さんの下記ツイートがきっかけで知りました。

本山さん著書もめっちゃためになるのでお勧めです。読書以上にコスパが高い自己啓発法はありません。そして読書の効果は複利で効く。だから費用というより投資。資産形成。短期ではなく中長期でのリターン。そのことがよくわかります。読むべし!


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