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●3 過食に「頼る」?

はっと意識が戻る。
目の前に散乱している、大量のパッケージ。
クッキー、菓子パン、お弁当、ポテトチップス・・・

なんでいつもこうなるの?
何百回目かの自己嫌悪にもぐりこむ。


「摂食障害を治そう!」と意気込むと、

もう一生、たくさん食べない!

絶対に吐かない!

ヘルシーな食べ物しか買わない!


といった「縛り」をきっちり実践しようとしてしまいます。



すると、何が起こるか?


何かストレスがあって、自分の行動を制御できず、いっかい過食やおう吐をしてしまっただけで、とてつもなく自分のことを責めるのです。


もうやらないって決めたはずなのに。

あんなに、後悔していたはずなのに。

だから私は駄目なんだ。

こんな異常な行動ばっかりしてしまうのなら、もう死んだ方がましだ。



「ひと口だけ」はいつも叶わない



摂食障害についてたくさんの本を書いている水島広子さんの本に、こんな記述がありました。


そして、「過食」も、当面は必要なものです。なぜかというと、「過食」があるおかげで、「モヤモヤとした」気持ちに押しつぶされずに、何とか生きているからです。「過食」があったから生き延びてこられたのだ、と思わせる人はたくさんいます。

焦らなくてもいい「拒食症」「過食症」の正しい治し方と知識,, 水島広子(2009)


そうか、過食によりかかったっていいのか。
私は食べることで、どうにか生き延びてきたのか。

発想の転換ってこういうのを言うんだなあ。

すごく心がラクになる考え方だと思います。



いまの主治医は、こう言いました。

「いっぱい食べた後に『太りたくない』という思いが生じて、
食べたものを吐いてしまうというのは、ある意味すごく合理的な行動だよ。

完全に悪者にする必要はないと思う。」



完全な悪じゃない、か。

これまたちょっとラクになれるものの見方だなあ。




過食に頼る自分を、ゆるしてあげる、みとめてあげる。


私は躁鬱ともいっしょに生きているので、鬱に入り込むとやはり食欲が増します。

もう、それは不可抗力です。


どうせやるんなら、わくわくするような「過食」がしたいなあ。


そんなときのために、私は「楽しんで食べるものリスト(通称かしょリス)」をつくっています。

  • ピザとパスタで有名なお店のテイクアウト

  • 〇〇通りにあるたこ焼き屋さん

  • スタバのチャイティーラテ

  • コンビニの前にある洋菓子屋のソフトクリーム

  • 商店街の肉屋の焼き鳥

  • 駅前の韓国料理屋さんのザクザクチキン

  • お弁当屋さんのエビフライ弁当



街を歩いていて、「あれ、美味しそうだなあ」と思ったら、どんどんリストに入れます。

調子が良いときは、リストに入れるだけで満足できるのです。

鬱にさしかかって、モンスターになったとき、リストを眺め、イライラを発散させる食べものを決めます。


気分が落ちているときは、ずるずると好ましくない感情にひっぱられがちなのですが、「〇〇リスト」のように明確な行動指示があると、意外と素直にそれに従えたりします。



すぐに完治しなくたっていい。
たまには、いっぱい食べて発散したって、全然良い。想定の範囲内なんだ。


そういうマインドでいると、なんか自然と、異常な食行動の頻度が下がってきました。


過食によりかかって生きていくのも、悪くないかもしれない!


「吐きやすいか」という基準で
食べ物を選ぶのは虚しい

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