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【2023/01/14 締め切り時点 後編】いただいているメッセージ内容を公開します

2023/01/14 23:59の締め切り時点までにいただいたメッセージのうち、

【受け付けないもの】
・個人の誹謗中傷となる内容
・個人の人権侵害となる内容
・信仰そのものに対する非難、脅迫など攻撃的な内容
・藤井風さんの運営に対し、サイババ思想伝道におけるスタンスにおいて現状維持を強く求めるもの
・藤井風さん運営宛と見なせないメッセージ

【受け付ける内容の具体例】
・藤井風さん運営の、サイババ思想伝道における問題に関して思ったこと
・上記問題に関して運営に改善してほしいところ
・藤井風さんへの応援の言葉
・自分の風さんファンとしての背景
など

どれかひとつでもOKです。例えば、応援メッセージだけでもOKです。

以上の条件を満たし、公開許可していただいたものを、そのまま掲載していきます。

2022/12/31 15:00以前のまとめはこちら▶【https://note.com/ii_yy/n/n4068c26bfaef

2023/01/02 21:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/na1dfa4a03015

2023/01/04 01:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/ndbca53e1060a

2023/01/05 07:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/n90554723abdc

2023/01/08 22:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/nb2b7bbec6843

2023/01/10 01:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/nab3cb1254e9c

2023/01/12 05:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/n05d1ea70b2f0

2023/01/14 締め切り時点 前編のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/n95b2dbf0ca6e


※メッセージ内容は、本企画管理者個人の意見と完全に一致するものではありません。
※日本語以外で書かれたメッセージは、DeepL翻訳を使ったものを適宜修正して載せています。


【はじめに】

本件は、藤井風さんを含め個人の信仰、宗教に関する、非常にデリケートでセンシティブな問題について取り扱っています。つきましては、この前書きをよく読み、前提として理解した上で以下の文章を読んでくださいますよう、お願いいたします。

私たちが今回抗議しているのは、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
についてです。

特定の宗教が彼の音楽活動の核心に据えられていることについて、名前を出して説明することは、リスナーの選択の自由に大きく左右します。
しかし藤井風さんがデビューしてから今まで、その一番大切な説明は、一切行われてきませんでした。
彼が伝えているのがサイババの教えであるということが初めからわかっていれば、素敵な音楽を通して思想を知らない間に取り込んでしまう前に、客観的に資料にあたり、自分の力で考えることができます。しかしそのための周知の努力が、藤井風さんの運営陣には明らかに足りていません。
それは、リスナーの信教の自由の権利を著しく軽視した判断、行為です。
そしてまた、不用意に藤井風さん自身の信仰を音楽活動に結び付けて売り出してしまったことにより、藤井風さん個人の内面的な部分が不必要にさらけ出され、本来背負うべきではない責任を抱える形にもなってしまっています。

この運営方法は、あらゆる面で危険を伴うものです。
私たちは、藤井風さん自身の信仰について、否定はしません。
また、サイババを信仰する人たちについても、否定はしません。
全ての人に、信教の自由の権利があるべきだと思うからです。
だからこそ、一人一人が公正な状況下で冷静な判断ができるように、問題点について指摘し、信頼性のある資料を提示し、時には批判します。
信仰がある人も、ない人も、平等に自己決定を行うことのできる環境が作られることを願っています。


今日、ほんとはさいたまスーパーアリーナで藤井風さんのライブを見ているはずでした。
ですが、この宗教問題があきらかになってから、わたしは藤井風さんに全く好意を持てなくなり、音楽からも興味を失いました。
宗教2世として、家族の宗教問題に葛藤する人間として、自分が知らず知らずのうちに特定の宗教を讃美しているかたちになっていたことが、辛く悔しく腹が立ちます。
個人が本人の意思でどのような宗教を信仰するかは問題ではないと思っています。救われることがあることも理解できます。
ただ、意図せずそのメッセージを植え付けることは、信仰の自由を侵害しています。自分の信仰に口を出されたくないのであれば、他人の信仰も尊重すべきではないかと感じます。
熱心なファンはすべて肯定し受け入れようとします。理解しようとします。それが藤井さんの言葉ではなくサイババの言葉であるならば、ファンは布教されたのと同じです。
藤井さん本人が、逆の立場だったら、と想像してみてほしいです。

あちゃん さん

IIYYプロジェクトの方針に悪意はないと判断しました。約一年、藤井風さんの音楽を愛聴してきた者です。風さんが心から喜んで歌を歌い、また、ファンが気持ちよく彼の音楽を聴けることを願い、投稿します。
初めて1stアルバムを聴いたとき、その音楽に驚き一気に魅了されると同時に、頭をよぎったのは「カリスマにならないといいが」という懸念でした。そして何故か思い出されたのが1992年に26歳で早逝した尾崎豊のことでした。
しかし、ラジオのインタビューでの風さんの発言や謙虚な様子に私の懸念は杞憂に過ぎないと思いました。

私はスマホを持たないためコンサートのチケットが取れず、生の風さん会ったことはありません。Youtubeにアップされる動画を見るだけですが、最初に大丈夫だろうかと思ったのは昨夏、ピンチヒッターで登場した北海道のezoライブでした。表情にも声にも疲れが見え、過労じゃないかと心配しました。そして、graceのMVを見て、どう反応していいものか考え込みました。インドで生き生きと楽しんでいる様子はバンバン伝わってきましたが、雲の上に立ち、額に赤い点を付けた風さんは何を意味するのだろうか?信仰を明言したと受け取るしかないと思われました。その直後のパナソニックスタジアムでのインド色を前面に出した演出。公開されたまつりのライブ映像で赤い衣装でステージを迫り上がって行く様子は、本人や演出の意図は違うとしても、”教祖”を容易に連想させるもので違和感を覚えました。風さんが楽しそうに歌っているようにも見えませんでした。

紅白のステージは圧巻でしたが、その前に出したというインスタのストーリーズの発言と表情を最近拝見し、詳しい経緯は分からないながらもショックを受けました。そして、今回の週刊文春の見出しでサイババとの繋がりを知り、驚いたというのが正直なところです。

風さんが初めてロングインタビューに応じたMUSICA2022年5月号をあらためて読み返すとHEHNのタイトルを付けた経緯が語られていました。また、彼の真摯な曲作りの姿勢が分かります。決してサイババの思想を広めようと意図したものでなく、運営側もサイババの言葉とは知らずに採用したというのが真相でしょう。しかし、現在の状況は、サイババ思想を広めようとしてきたと受け止められても仕方ないと言わざるを得ない。
HEHN, LASAをタイトルにした経緯、それらのグッズを販売した理由を丁寧に説明するしかないでしょう。
また、「カリスマ化」についても、本人や運営側の意図はそうでないとしても、狂信的なファンが生まれてしまっているならば、それを増長するような演出や発言は控えるようにマネジメントする必要があると考えます。
直近の風さんのインスタを見ましたら、「私はあなた」「あなたは私」をファンと交信しています。しかし、風さんが心身ともに不安定であるなら、彼と一体化したファンがどうなるか、想像してみる必要があります。
急激に膨らんだ風船はパーンと弾けてしまいます。尾崎の二の舞にならないことを祈ります。

誤解があるなら早急に解き、必要ならば誤り、ファンはもちろんのこと、風さんも関係者も苦しむことがないように手を打つべきです。
風さんは海外に通用する稀有なアーティストと認識していましたが、本人にはまず休息が必要じゃないでしょうか。低音も高音も思うように出ず、疲れて歌う自分を一番責めているのは風さん本人のはずです。また、いずれ海外進出を考えるのであれば、それぞれの国について文化、政治、歴史、国民性などをよく知るアドバイザー(ブレーン)を付けることを強くお勧めします。

夏子 さん

ずっと複雑な気持ちでいます。
同じ高校の出身であることをきっかけにカバー動画を見るようになり「この人すごいよ!」と周りのいろんな人におすすめしていました。また、メディアで恩師として紹介されていた先生とも直接の繋がりがあり、他にもいろいろとつながっている人が多くいて、陰ながら、そして誠に勝手ながら、ふつうのファンとはちがう面持ちで、温かく応援していました。

だからこそでしょうか、今回の件で私はかなり動揺しました。最初は、文春での河津さんのように、この件を軽く捉え、何が問題かを直視しないようにしていました。問題視することは、風さんの音楽をすごいと思った自分の感性や、今まで友人に熱心に薦めてきた私の行動、友人たちの反応やその後のハマりっぷり、藤井風さんとの個人的な関係性(ほぼ一方的ではありますが)を、すべて否定することと同じように思えて、反射的に自衛したのだと思います。

その後、時間をかけていろいろなことを考えました。このプロジェクトに賛同する方々、風さんを守りたいあまり攻撃的になってしまっている方々、今回のことを問題視しない方々、すでに距離をとって遠巻きに眺めている方々、さまざまな立場の考えを見ながら、どれも分かるような気がするけど、どれも間違っているような気もする、と、ぐるぐるしながら、未だ答えは出ていません。

したがって、今回の件について、どのように決着をつけてほしいのか、そこに対しての思いは、個人的にはあまりありません。

ただし、強く強くお願いしたいことがひとつだけあります。誰かの声を軽々しく扱わないでほしい。対応できないならできないなりに、誠心誠意言葉を尽くして説明してほしい。対話を怠らないでほしい。そこだけは、本当にお願いしたいです。

追伸
お薦めした友人たちには、今回の件について、ひとりずつ伝えました。全員が「全然知らなかった。気づかせてくれてありがとう。こういう力って、誰も気づかないうちに強大になっていくんだね。おそろしいね」という反応でした。

cskytm さん


数年前に15歳の時のYouTubeを見てから見るのが止まらなくなり、毎晩見続けて全てのYouTubeを見てファンになりました。

パナスタ1日目子供達を夫に見てもらって、東京から参加しました。当時は歌詞や話してる言葉は宗教めいていたけれども、風くんの言葉だと思っていました。(フードのところは混んでて行かなかったし、行ったとしても匂いとかも知らないので)

パナスタで購入したグッズは、当時はそこで購入した人しか持ってなかったしルンルンでした。

ただ、現在こうネットでもサイババの言葉であった、ステルス布教と知れ渡り。明日さいたま2日目に行く私は…夫も気付いているとは思うけれど止めない。母からはネットに出てた、本当に行くの?と心配され…

私は…パナスタで購入したグッズを他の人から見たらサイババの言葉だと分かる人は分かる人もいるんだろうな、何だかなぁと思いながら昨日もバックを使いました。今までは何か話しかけられたら、コンサートで買ったのよと近所の人に答えられても、サイババの言葉を勝手にグッズに使った藤井風のバッグかーと近所の人とかに思われるのも嫌だなぁと思っています。

品物も風くんも良いのに本当に運営側が残念です。きっとこんなことって簡単に今の時代調べられますよね。他のアーティストと被ってないかなーみたいな感じで、何でも調べてから進めるのだと思うんです。浅はかだと思っています。あの15歳のピアノ弾いてる風くんを思い浮かべると、グッズやアルバムタイトルの文字入れにGOした風くんの周りにいる人が残念な人達だと思います。

No Name


才能を具現化したようなスター的存在の藤井さんを感じながら、どこか遠くで観ている時間がありました。キラリのヒットを受けて、友人に薦められて見てみたら、あれ、もうええわの人だ!と、ずっとお気に入りだった曲が、藤井さんの楽曲だと知り驚きました。そこから、たくさん曲を聴いていたのですが、私は彼のメッセージが特定の精神や宗教に基づくことを知らずに、自分で楽しんだり人に薦めたりしていました。藤井さんがどのようなものを信じるかは問いません。ただ、公式からなにも発表がなかったために、無自覚に人に薦めてしまったことは、とても恐ろしい事だと感じました。そして信仰の自由はすべての人にあり、また信じるものというのは其々の人に対してとても重要なことである。せめて、声明を発表してほしいと思いました。このようなプロデュース方針に正直恐怖を感じています。どうか、耳を傾けて、今後の方針を決めていただけたらと思います。

るいか さん


文春の記事がタイトルほど悪意に満ちていなくて安心しました。河津さんのコメントは、のんびりしてるというか、のほほんとしているというか、軽いというか。問題の本質を理解してないのか、それともわかっていて厄介なことに関わらないようにしているのか。ご本人を知らないので判断がつきません。でも「隠してはいない。必要がなかったから言わなかっただけ」っていうのは回答としてはマズイです。意図的に隠し事をした人が逃げるときに使う紋切型です。それに「宗教チックなマインド」って、誰かの信心をそう呼ぶのはさすがに失礼です。「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべき」というのもどうなんだろう。戦争、殉教、隠れキリシタン、など、私には「宗教」と「カジュアル」という言葉の相性がいいとは思えません。しかもクリスマスを楽しんだ1週間後には神社に初詣。結婚式はホテルのチャペル。葬式はお寺。すでに日本人の宗教観はカジュアルだし、カジュアルだからこの件がこの程度で済んでるのかもしれないのに。だいたい宗教観はカジュアルであれ、シリアスであれ、個人個人に委ねられているはず。「日本の宗教観はもっとカジュアルであるべき」っていう言葉は「自分の宗教観は気楽に受け入れてよ」と要求しながら、他人の宗教観は軽く扱っているように聞こえるのは穿ち過ぎですか?これもあら捜しって言われちゃうのかしら?

今更言わなくても風さんがいい奴なのはみんな知ってます。本人に、もしかすると運営側にも、悪意があって今の状況になってるんじゃないってことも。ただその無邪気さが問題なわけで。「悪気がなかった」で許されるのは小学生までなわけで。河津さんによると風さんのストーリーでの発言は紅白前に区切りをつけるためだったらしい。区切りが目的なら相手を敵視して責めたり、苛立ちや戸惑いをぶつけるのは未熟。まぁ、精神年齢109歳より未熟のほうが安心するけど。それに日英両方で話した方が幅広いファンに風さんの気持ちがよく伝わっただろうに、そうしなかったのには理由があるの?25歳は若い。圧倒的に経験値が足りないはず。自分が大切にしているものを否定された気がして腹が立ったり、悲しかったりしたのはわかるけど、提言とあら捜しは違うよ。誰も風さんから大事なものを奪おうとしてるんじゃないよ。やり方にちょっと問題があったんじゃないかって言ってるだけ。それを教えてくれる大人が周りにいないとしたらとても残念です。

なにより「対応のしようがない」にはがっかり。人の噂も75日戦法でやり過ごそうとしてる?もしそうならめんどくさいことを言うファンは切り捨てるし、今後はわかってくれる人だけでやっていきます、ってことになるの?

何の根拠もない想像ですが、運営側は風さんの信仰についてデビュー当初から明らかにするとややこしいことになるとわかっていた。でも本人と信仰と音楽性は切り離せない。そこでヒントを小出しにして、観測気球を上げて、良さそうなタイミングで… という筋書きが初めからできていたのかも。とすれば、IIYYプロジェクトも文春の取材も運営にとっては開示の好機だったのかもしれない。これで大手を振れる。

それにしてもNワードの時と今回の件とこれほど対応が違うのはなぜなんだろう。問題の質のせいだとしたら、運営側はやはりわかっているということになる。もし自分たちの手に余るのなら専門家に依頼するなど、とにかく真摯な姿勢をみせて欲しかった。別に「謝罪しろ」って言ってるんじゃないんです。誠意が見えないのは悪手だってだけ。対応が誠実なら、回答に全面的に納得できなくても、それこそ日本人のカジュアルな宗教チックマインドで水に流してくれる人がたくさんいたと思う。少なくても不信感をいくらかでも払拭できたはず。なによりファンに誠実に対応することで風さん自身の気持ちが軽くなるのではありませんか?自分の押しにはいい人でいてほしいし、いい人であってほしいだけなんだけど、そういうのって甘いのかな。

No Name


はじめまして。

私の友達の風ファンの間でも、宗教上の事(サイババ)を表示しないのは大丈夫なのかな、という心配の話は出てました。
そしてはっきり言わないまま、どんどん宗教色が色濃くなっていくことに戸惑いをおぼえていました。
他宗教の方がそれとは知らずにグッズTを身に着けてしまうこと、無宗教の方でも風さんの言葉だと信じて知らない宗教家の言葉を身に着けることはどれだけ不誠実なことか、運営は理解すべきだったし、表示できないならそのようなグッズを作るべきじゃなかったと思います。

なので、基本的にプロジェクトの考えには賛同しています。

昨年末、プロジェクトの存在を知った時は同じように考えている人がいるんだ、と驚きました。
しかし、サイババを大きく批判していたことで、これは絶対風さんに受け入れられないだろうなと、風さん側との対話を前提にしていないんだなとは思いました。

サイババのものであることと表示しなかったことで被る実質的な被害だけを運営に訴えればよかったのにと思います。
そのことで宗教上の不利益を被った(教義に背いた)は十分すぎるほど、運営に改善を求める理由になったと思います。
ユニバーサルに訴えてもよかったかもしれません。
プロジェクトでおっしゃってた通り海外では特に宗教上の問題に厳しいので、それなりの対応があったと思います。

ただ今回のやり方は、風さんの大事にしていたもの(サイババ)を全否定してSNSで公開して追及することで、これはもし風さんが見ていたらショックを受けているだろなと思いました。
紅白直前でもあるし見ていなければいいなと願っていました。
(ああやってストーリーで怒りをあらわにしたことには驚きましたが)
そのことで、風さん自身を否定しているわけではないのに、とプロジェクトのお二人が反応しているのをみて、なんで怒ってるのか気づいてないの?とちょっと驚きもしました。(すいません)

私もサイババに対しては否定的ですが、私ならSNSに拡散をさせたいならサイババの疑惑をセンセーショナルに使うけれど、改善を求めて平和的に対話を求めるならサイババの疑惑は出しません。
まず、そこで焦点がぼけてしまうし(実際サイババの犯罪の真偽という不毛な論争になってますよね)あくまで特定の宗教を表示しなかったことの問題点に絞って話をします。
実際、そこが問題なので。
しかし結果拡散され、気持ち悪いとか、生理的に無理とか、風さんに対してだけでなく、ファンへの誹謗中傷がひろがりました。
もう運営との対話も難しいと思います。
北風と太陽でいうなら、北風だったと思います。

ファンダムには、プロジェクトの意見自体には賛同していた人はいたんですよ。本当に。
なので、週刊誌に掲載されたり、こうやって拗れてしまったことは本当に本当に残念です。
プロジェクトの意見には賛同するけれど、やり方は否定、というのが私の意見です。

しかし運営側のみなさんに一言加えるなら、サイババの言葉をそのまま使用していることの問題点に無頓着すぎました。
私は調べたのでサイババの言葉と知りました。
言う必要がなかったというけれど、全員が察せるわけではありません。
知らないファンが風さんの言葉だと信じてグッズを着ていることを心配していたのはこのプロジェクトのお二人だけではないことは知っておいてください。

No Name


私はカルトというものがどうしても嫌いなので、過去、好きな歌手がカルト信者で、歌やパフォーマンスに自分の信仰を込めていたことを知ってファンを辞めたことが何度かあります。
藤井風さんもそうだったのか…と、今回このプロジェクトで初めて事実を知り、本当にがっかりしました。
今後進んで風さんの歌を聴くことはもうないと思います。
歌と信仰は関係ないと考えられる人もいますが、私はそうは思わないので、いくら音楽性が素晴らしくても、カルト信者だと分かった時点で冷めます。
インスタのストーリーも正直引きました。とても賢い方だと思ってたのに…。
最初から「サイババ信仰ですよ、HEHNもLASAもサイババの教えなんですよ」と提示してもらえていたら、そこまで好きにならず、がっかりすることもなかっただろうなと思います。
とにかく事務所が隠していたのが一番いやらしいなと思ってしまいます。
風さんがインスタのストーリーで見せたように、あんなに感情的になってしまう、センシティブな部分だからこそ、しっかりと関係者で協議してほしかったです。そこから逃げないで欲しかったです。
結果的に、このことで悩む、苦しむ、離れるファンを出してしまった罪は大きいと思います。ファンに優しくないです。
風さん本人、事務所の姿勢、その二つの要因で、もう心がすっかり冷めてしまいました。
ずっとどんなメッセージを送ろうか悩んでたのですが、結局うまくまとまらず、すみません!

No Name


運営の彼の売り出し方に疑問を抱いてる一人です。仕事でイベント企画運営をしている私から言わせていただくと、藤井風さんのプロモーションは非常に危ういと感じていました。仕事上さまざまな企業、団体、個人と関わることが多いですが、その中でも”ある特定のもの”に傾倒しているような雰囲気が漂っている時点でアウトです。知らずに取引していた場合でも、それを感じ取った場合、危ういと疑問に思った時点で取引をやめさせてもらってます。なぜかと言うと、イベントにはたくさんの方に来て頂きたいですしメディアでも告知します。特定の人ではなく不特定多数の方々に向けているからです。誰かを不快に思わせたり問題になるような原因は最初からなるべく排除するよう心掛けています。それは一企業として当たり前の判断だと思ってます。
風さんの売り出し方は風さん本人の願望であったとしても、サイババかどうかは置いておいてスピリチュアルに傾倒しているのがはっきりと分かります。その傾向はどんどん強くなっていると思います。現にこのような雰囲気に疑問を持っているファンを多数見受けます。
スピリチュアルな雰囲気の何が悪いんだと思われるかも知れませんが、不快に感じる方は非常に多いです。
藤井風さんがとある思想に傾倒していたとしても、彼を売り出し行くなら運営で最初からある程度は制御できたのではないでしょうか。そこがとても残念であり疑問です。恐らく、マスメディアはアーティストとしての藤井風は扱い辛い存在になると思います。彼の世界観を尊重したい気持ちは分かりますが、運営に客観視できる方はいないのでしょうか。彼の才能や楽曲が素晴らしいだけに、本当に残念の一言です。

No Name


初めまして。いつもIIYYプロジェクト様の非常に冷静かつ真摯なメッセージを拝読しておりました。
藤井風氏の所属する運営会社に対して意見を言うべきかどうか非常に悩みました。
なぜならば私は藤井風氏がサイババを信奉して教義を生きる糧として成長されてきたことへの否定に繋がらないか恐れたからです。
歌詞は確かに宗教的なメッセージが多く込められていますが胎児の時に祝福を受けて育った藤井風氏の思考経路はサイババの言葉なしには機能しないのだと思います。
生まれた時から教義を聞かされ続け、サイババにどっぷり使って育ったのですからもはや自分の言葉なのかサイババの言葉なのか彼自身にも切り分ける事ができないのだと思います。
そうなった経緯はご両親から受けられた教育によるものでしょう。
だから私は彼の作詞における宗教的な言葉に対しては寛容であって欲しいと思っていました。
でもここ最近、藤井風さんを教祖的に敬って応援されている方々の中に、風の言葉=サイババの言葉=サイババ悪くないじゃんと吹聴する傾向が散見されてきたことで一気に不安を感じ始めました。
そして悩みに悩みここに私見と藤井風運営側への要望を書くことにしました。
極力批判を避けて要望を書こうと思います。

私自身はサイババの過去の犯罪は巨額献金によって黙殺されたものと考えています。
BBC報道も見ました。インドにいたこともあってサイババがなぜインドで勢力を伸ばすことができたのかというインドの国内事情も知っています。今ここで詳しく述べることは長くなりますから控えます。ただインドは霊能者や予言者の言葉を盲目的に信じるという社会的背景があってサイババの言葉巧みな説法を信じ込み奇術を奇跡と思う傾向があることは否めません。
良心的な次世代サイババ帰依者によって過去の疑惑はロンダリングされ教義を良い風に解釈して受け継がれている可能性もあります。
サイババの良し悪し論は一旦置いておいて藤井風運営側に改善んしてほしい点を申し上げます。

1. 教義の出典を明らかにせずグッズの販売を続けるのはやめて欲しい。
2. グッズ販売をするなら「このロゴはサイババの教義」によるものですというような出典を明記してほしい。
3 サイババに傾倒するのはファンの勝手という無責任な日和見主義的な運営を改善してほしい
4. ライブ会場で意気投合して仲良くなった人がもしかしたらサイババ信徒で勧誘されることのないように注意喚起の声明を出してほしいこと。

ファンの妄想や盲信や想像に任せずサイババの教義であることを明記するのは商業的にも道義的にも必要だと思います。


実は私が最も気になっているのはサイババ信者を装ってカルト集団に勧誘される危険性です。
宗教色満載のライブ会場はカルト集団から見れば生簀の鯉を釣るような絶好の狩場に見えるでしょう。
オウム真理教がそうであったように楽しいヨガサークルのはずがカルト集団だったという紛れもない事実を忘れないでください。
そしてこういうことは現在アレフに引き継がれて正体隠しの勧誘が行われています。
藤井風運営側の認識不足で全く過去の教訓が生かされていない事が非常に残念です。

ファンの間でも見解の相違による分断が始まり無意味な争いが続いています
こうした争いを止めるためにも藤井風氏からファンに向けて愛のあるメッセージを出してほしいと願います。
最後に念を押しておきますが藤井風氏が今後もサイババを信奉されていくことに何も異議はありません。
信仰の自由は守られるべきものです。これはファンの間でも共通認識だと思っています。
一方無意識に他宗教に影響されたくない個人の権利も守られるべきです。
私は藤井風氏がデビュー前から大ファンでした。今はサイババに対する疑念があって素直に風さんの曲は聴けなくなりました。でも藤井風氏の音楽に対する才能は類稀なるものと思っています。
藤井風氏のがこの経験を生かしてより一層多くのファンに愛され長く活躍されていきますことを祈っています。

No Name


ずっずさんへ

風くんの作品に出合ってから、特に2ndアルバム名を聞いてから、このような宗教問題でマスコミにスキャンダラスに取り上げられることは懸念していました。安倍元首相が統一教会に恨みをもった容疑者に殺害されてから、宗教2世という問題も絡み、より複雑性を増したように思います。

10月28日のStaff diaryで、ずっずさんが、藤井風の世界観や本質をすべて最初から見せることで誤解が生じる可能性があるため、音楽性を先に見せたほうが良いと判断されたという箇所を読み、稀有な才能をもつ風くんのデビューの仕方を深く悩まれたんだろうな、と強く感じました。ずっずさんの年齢であれば、90年代にサイババがどのようにマスコミにとりあげられていたかご存じでしょうし、宗教はいまだに日本の芸能界ではタブーな題材ですから。そして「grace」のMVやパナスタのライブをあれだけ宗教色が強い演出で世に出した後でさえも、「インドマインド」とぼかした表現しかできないのを見て、その苦悩は非常に大きいのだと心が痛みました。

私自身は、古参のファンなので、藤井風が「誰かがちょっといい気分になるために音楽やっているようなもん、それだけで生きていける」というマインドで、リスナーに寄り添う限り、風くんの歌を愛し推し続けます。純粋に聞き手の心の平安を願い作品を届ける姿こそ、藤井風の本質だと思うからです。そして、私自身は特定の信仰は持たないという自身の信念をもち、正しく選択できる大人である自負があります。

しかし、いまや、藤井風は日本だけでなく世界中の多くのリスナーに影響をあたえる存在となりました。藤井風の信仰の自由が守られると同時に、様々な文化や背景や思想をもつ多くのリスナーの信仰の自由も守る必要があります。文春の記事の「対応のしようがない、隠していたわけではない」というコメントが本当にずっずさんの本音なのでしょうか?もしそうであれば、不誠実で非常に残念としかいいようがありません。
どうか、グローバルな活動をしている広報、法律、宗教におけるプロからアドバイスを受けて、今後、世界進出の妨げにならないように対応を検討することをお願いいたします。

すでに世に出てしまったHEHNとLASAについて後から言ってもしかたがありませんが、本音を言えば、サイババのスローガンを一字一句そのまま使うより、同様のニュアンスをもつ言葉を採用すべきだったと思います。今からでも遅くはありません。出典元を明記することから始めたらいかがでしょうか?それが、HEHNとLASAの精神にかなうと思います。

長文失礼しました。動機は愛である私の言葉が、届きますように。

Hanarin さん


言葉や音楽に自分の生い立ちや精神性が反映されている事は、むしろ誠実なことだと思います。風さんはそのままでいて欲しいです。
河津さんは、そんな風さんがこれからも世界で活躍出来るように学び続けて欲しいです。大きな仕事や奇を衒った演出は目を引きますが、リスクも大きいものですよね。その仕事にどんなリスクがあるのか、専門家(宗教学/女性学/社会学など)の意見を聞くなどして回避して、風さんを守って欲しいです。このまま色眼鏡で見られたままではもったいないなと思います。
これからの活動も注目しています。

No Name


私は藤井風さんとマネージャーの考え方や対応にとてもがっかりしました。
あなたたちのしていることは、スローガンに掲げている言葉と真逆のことだと思います。
宗教をもっとカジュアルなものにしたいという発言を私は許せません。
どうか宗教についてもっと深く考え、世の中に与える影響の事をもっと考えてほしいです。
最後に、声を上げてくださったお二人のことを本当に凄いと思いますし、応援しています。
宗教を自分で選択できず、苦しむ子供がこれ以上増えませんように。

No Name


CMで藤井風さんの存在を知り、母にもすすめたところ今では母の方がすっかりハマっています。
私は、他の楽曲もストリーミングで聞いている程度のライトなファンだったので、いい歌詞だな〜と思うぐらいでアルバム名だったりバックグラウンドだったりを調べたりはしていませんでした。
なのでアルバム名がサイババの格言の引用だったと知った時は驚きでした。
しかし、初めて行ったパナスタのライブの演出についていけず、疎外感を抱いたことを思い出して納得したところもありました。

無宗教の人が多いと言われてはいますが、人はそれぞれ信仰や信条に伴って生きている人がほとんどだと思います。中には宗教やスピリチュアル系の類から距離を置きたい人もいます。それも信条のひとつです。

正直なところ、信仰や信条を歌にしたり映像にしたりするアーティストがほとんどだと思っています。思いを形にするのがアーティストですもんね。個人的にはそれに関してアーティストに信仰を明らかにしろ!とは全く思いません。

それでも、アルバム名にサイババの格言を使いグッズにするのであれば、明言してほしかったと思います。

あらかじめ断りますが、私はサイババ氏への信仰を批判しているのではありません。
個人的な話になるのですが、サイババ氏に対して告発されている事例に似たような被害にあったことがあるので、サイババ氏の格言のグッズを毎日身につける母親の姿を見るのはきついものがあります。

運営に携わる方々が、信仰を知っていたのならば、サイババ氏に関してフラットな視点を持った上でうまくプロデュースしてほしかったです。
いまのままでも充分売れているし、成功しているので問題ないと判断するでしょうが、藤井さんのような才能であればどのようにしてでも成功していたでしょう。

いま、ファンダムでは妄信しているファンと不安になっているファンと二分化している状況ですよね。中には攻撃的になっているファンもいるので、私はTwitterで藤井風さんに関しての呟きは避けています。
この状況はプロデュースしだいでは避けられたはずなので本当に残念に感じます。

No Name


本日開催されたSSAのライブに参加しました。

自分自身は風くん個人の発言や思想などについて深く知ろうというタイプのファンではなく、YouTubeでMVを見たら楽曲を聞いたりライブに参加するだけだったのですが、こちらのプロジェクトにより風くん本人の信仰のことや、グッズ、アルバムタイトルからツアータイトル等にサイババの言葉が多数引用されていることを知りました。

こちらのプロジェクトを知ってからHENNやLASAが刻まれたグッズを身につけていることにより、自分が知らない間に誰かにサイババの言葉を布教してることにならないか、もしくはサイババの言葉を知っている人から信者と思われないか、という気持ちを抱くようになりました。

そもそもアーティストとファンの関係は「神様と信者」に近いものだと自分は感じています。
(好きな芸能人が食べたものを自分が食べたり、アイドルのファンが常にメンバーカラーのものを身につけたりetc…)

そういう立場の人だからこそ、グッズやアルバムタイトルそして歌詞にサイババの言葉を引用するのであれば、はっきりと「これはサティヤサイババの言葉です」と明示した上で活動して欲しいかったし、これからは引用する際は明示したうえで活動してほしいと思っています。

風くん自身は宗教二世だとしてもご両親から愛情を持って育てられて自身もサイババの言葉に共鳴したからこそ、だと感じているし、ご両親や風くん自身の信仰やアイデンティティを否定するつもりも全くありません。

わたしがこのプロジェクトに賛同したのは、純粋に風くんの曲やパフォーマンス、人柄が好きでファンになった人が「風くんの楽曲にはサイババの教えの影響が大きい」ということを知ったうえで自分で判断して好きになってもらう方が今後同じことで風くんが傷つくことや、海外での活動にとって良い方向に進むのでは、と思ったからです。

河津さんが文春のインタビューで「隠していない」と発言されていましたが、ファンが全員、自力でサイババに辿りつくとは限らないようなプロモーションをしている点はどう感じているのでしょうか?
その後の風くんの人柄についてのエピソードもいい話ではありましたが話題逸らしのように感じられました。

これからも風くんの歌を聞いてライブにも参加したいと思っていますし、サイババを信仰していても風くんの事は好きです。
このプロジェクトに賛同しているファンのほとんどはそういう人だと思うので、これ以上ファンの分断が進まないように、運営としての立場をはっきりと表明してほしいです。

No Name


私は特定の信仰している宗教は無いですがサイババさんの言葉をそのまま印字したグッズ、アルバムを発売する時は「サイババさんの言葉が由来です」という藤井風さん公式側からのはっきりしたアナウンスが欲しかったです。なぜ公式から何もアナウンスが無かったんだろうとモヤモヤしたまま風さんのライブに行きたくないです。

No Name


風さんが大好きで応援し続けたいからこそ、このプロジェクトに賛同します。
風さん自身が自由に生き、私たちも彼の音楽をこれからもずっと聴けますように。
運営の方々に、このプロジェクトに真摯に向き合って頂きたいと願います。

しじみ さん


今回の件で、まずはプロジェクトを立ち上げられた方々に敬意を表します。
とても丁寧に言葉を選んで問題点を指摘し、ファンだからこそ運営へ届けたい、改善してほしいというお気持ちが伝わってきます。

なぜここに書かれていることを読もうともせず、上っ面の浅い理解だけで攻撃されたと思うのか。

寄せられたメッセージを全て読んでください。

風さんがこれから世界に向かうなら、ここには決して無視してはいけない大切なことがたくさん書かれています。わざわざ時間をかけて寄せられたファンからのメッセージは、本来なら宝物となるはずです。

これを理解しようともしない運営と、一部盲信ファンの方々には本当に呆れています。

そして風さん。
あなたの大晦日のインスタストーリーには心底ガッカリしました。問題点の理解もできず、攻撃的な言葉、ファンを見下した態度は謝罪が必要ではないでしょうか。

英語での発信は、英語なら日本人はわからないから何を言っても大丈夫だと思いましたか?
どの口で愛を語りますか?

YouTube時代からずっと応援してきましたが、ファンを切り捨てていく今のような誠意のないやり方では、もう無理です。

No Name


運営様
私は風さんの音楽を家族の影響で聴くようになり、頭ひとつ飛び抜けた抜群の音楽センスと、他のアーティストにはない型にとらわれない雰囲気に不思議な魅力を感じ、ファンになり、スタジアムライブにも行きました。
その時々でいろいろな曲に支えられ、寄り添ってもらい、時には励ましてもらい、風さんの音楽に救われた日がたくさんありました。また、風さんの暖かな人間性、全ての人を包み込むような大きな優しさに触れ、心からリスペクトしていました。中々風さんのような方はいないと思います。今でも風さんの音楽は心から素晴らしいものだと思っております。

でも大晦日の風さんのストーリーを見てから悲しくて悲しくて、以前のように純粋な気持ちで風さんの音楽を聴けなくなってしまいました。風さんだけは自分のファンのことを攻撃するようなこと、自分と違う考えを持つ人のことをあんな態度や言葉で軽蔑することだけはしないと思っていました。人間だから、心の中ではいろいろ思うことはあるかもしれません。ですが影響力のある立場として、ファンがいるアーティストとして、1人の人間として、風さんならきっといつものように優しさで包み込んでくれると思っていました。
1人の人間だから感情はもちろんありますし、風さんにも自由に意見を発信する権利はあります。ですが、人を傷つけることはしないでほしかった。自分に無条件でついてきてくれる人やイエスマンなファンしかいらないってことですか?今はただただ悲しいです。

今は風さんと運営の方々のもとにたくさんの声が届いているかもしれません。でも彼のために動いてほしいです。また彼があんなストーリーを上げなくて済むよう、彼を守ってほしかったです。




風さんへ

あのストーリーでしか風さんの思ってること、わからんけどあれを見る限りでは、「わしのこと否定するんじゃったら、離れたらええやん。邪魔するんならどっかいけや」って思ってるんかな?でも私たちは風さんのこと否定したいんじゃない。風さんの邪魔もしたくない。だってライブに行くほど、毎日音楽を聴いて風さんが日常に溶け込むほど、大好きだったから。みんな元々は風さんのファンの人なんよ。それはわかってほしい。

そして誰も風さん自身のことを否定していない。風さんが1人の人間として宗教や信念を持つことはとってもとっても素晴らしいことだし、「藤井風」という1人の人間に認められた権利だから。でも風さんと同じようにファンにも宗教を持って、信念を選択する権利があるんよ。それを忘れんとってほしい。いくら風さんのことが好きでも、宗教の部分に関してはイエスマンでおられへん人もおるんよ。宗教はもっと深いところにあるんよ。だから風さんのことはほんまに大好きやけど、自分の宗教とは違う宗教の言葉がそのまんま印刷されたグッズを持つことに少し抵抗がある人もおるんよ。それがどんなに素晴らしい言葉やとしても、みんなそれぞれの考え方があるんよ。Aさんがいいと思ったものをCさんもいいと思えるかはわからんのんよ。それはあんなにおいしいイチゴだって苦手な人もおるし、桃にだって苦手な人はおる。そういうことなんよ。自分の信じるものがある風さんならわかってくれると思ってたんやけどなあ。

風さん。ごじゃごじゃ言うなら離れたらええと思うかもやけどな、好きなもんから離れるのはほんまに辛いことなんよ。わたしだってずっと一緒におりたかったで。

No Name


私が藤井風さんのファンなったのは一昨年からです。
TV番組で紹介されたのを拝見して興味を持ち、「何なんw」をダウンロードしました。
その声・曲・歌詞と、風さんがSNS等で見せる姿に魅せられ、他の曲もDLして毎日のように聴きました。

聴き始めた当時から、年齢にしては達観した内容の歌詞だなぁと感じていました。
「何なんw」について風さんが説明しているYouTubeの動画に「ハイヤーセルフ」という語が出てきたので、彼はスピリチュアルなものに親しんでいるのかもと思いました。

ファンになった当初にDLした他の曲にも「手放そう」、新しいアルバムの曲にも「みんな同じ」等、スピリチュアルな世界でよく見かける言葉が多くあり、彼が何らかのスピリチュアルなものに傾倒しているのだろうというのは確信に変わりました。
でも、それが特定の対象への信仰だとは思っていませんでした。

何回も抽選に落ち続けた末に、やっと2月のライブのチケットが取れました。
一昨年に続き紅白の出演も決まって、楽しみにしていました。

12月28日の番組で、お母様が風さんを妊娠されていた時と、風さんが生まれて2歳になった時にインドで祝福を受けた…というのを観ました。
年末で片付けものなどをしつつ「ながら見」していた私は、その意味を深く考えず、気にしていませんでした。

そんな矢先、藤井風さんのツイートが全て削除されました。
どうしてだろう?と調べていて、今回の問題に行き着きました。

風さんのご両親がサイババの熱心な信者である事、風さんもサイババを信仰しているであろう事、2枚のアルバムのタイトルがサイババのスローガンそのままである事、歌詞に使われた、私がスピリチュアル系と感じていた言葉もサイババの教義だった事、ライブのグッズに使われた言葉もサイババのスローガンだった事。
サイババという人が、少年への性的虐待や病院での臓器売買の疑いのある人物だという事も。

混乱しました。

風さんの言葉だと思っていたものが、彼の言葉ではなかった。
私が大事にしていたアルバムのタイトルがサイババのスローガンだった。
スローガンがプリントされたグッズも、ライブに行ったら買っていたはずだった。
事前に知っていたら適度な距離が取れていたかもしれないし、こんなに好きになっていなかったかもしれないのに!

そして、私は風さんのあのInstagramのストーリーを見てしまいました。
いつもの風さんとは全く違う、敵意と怒りと蔑みが込められた、キツい言葉と、憎しみに満ちた表情。
とても怖かった。
あぁ、サイババの件をファンに言われた事で、この人はこれ程までになれるんだ、本当に心から強く信仰しているんだと感じると共に、それが恐ろしく感じられました。

紅白を観ました。
相変わらずパフォーマンスには惹き付けられるものがありましたが、歌唱中の鬼気迫る表情はインスタのストーリーを思い出させて、怖かった。
それからは、私は風さんの曲を聴けていません。

やっと当たったチケットをトレードに出そうかと悩みました。でも、勇気を出して行ってみようと思っています。
風さんの生のパフォーマンスを観てもなお、怖さのほうが先に立つようなら、その時は風さんから離れるつもりです。

もし、事前に風さんにまつわる諸々がサイババに関係していると知らされていたなら、もう少しいい感じに距離が取れていて、ここまでショックは受けなかったでしょう。

文春の記事で、河津さんは「言う必要がないから言わなかった」と仰っていました。でも、私はそうは思いません。
チーム風の皆さんがこのプロジェクトに寄せられたファンの意見に真摯に向き合い、何らかのお返事をされる事を強く望みます。

No Name


〇藤井風さんへ
私は今年社会人になりました!藤井風さんの歌が大好きです!風さんの歌を聴くと、自分の劣等やモヤモヤが晴れて幸せな気持ちになります!

自分の内側の豊かさへの気づきとか、周りを幸せにするにはまず自分からだよな〜〜とか、すごく共感する歌詞ばかりで、心に寄り添ってくれてる気持ちになります!

とにかく何が言いたいかというと、いつも私に幸せをくれてありがとうございます!大好きです!今度の名古屋が初ライブなのでとっても楽しみです!ご自愛ください!

〇運営さんへ
いつもおつかれさまです!今回の件ですが、起きる前にリスクヘッジは図れたかもなーとは思いました、引用元だけでも示すとか……アレルギーがあるのに、成分表示がなくて食べちゃうみたいな感じかもしれません、難しいですね……なんとも言い難い…
いつもありがとうございます!これからもお忙しいと思いますが、ご自愛ください!

お米食べすぎておなかぽよーん さん


アルバム名が丸ごと教義の引用ということが衝撃でした。

その言葉をそのままグッズに使用し販売していることにも驚きました。
信仰は自由です。
ただ引用元を明記して、その上で買うか買わないかの検討をしたいです。

No Name


音楽好きの40代の母親です。
先週念願の初ライブでした。風さんのカリスマ性、バンド、ダンサー皆さんの表現力の素晴らしさ、レーザー・照明を多用した演出、久しぶりのライブでこんなに大きな会場で圧倒され、音楽の素晴らしさを体感しました。
でも友人がいたので行けましたが1人だったらショックで行けなかったかもしれません。

それは彼の詩に救われていたからです。まだ若いのに人生を達観し忘れがちな誰でも旅立つ日がくることを思い出させてくれ、シンプルな言葉と素晴らしい旋律で愛を伝えてくれる、父の急逝後はもっと彼に惹かれていました。本当にこの人は偉人の生まれ変わりでは?こんなに特別なアーティストはいないと職場や家族へも薦めていました。

でも彼の信仰する方の言葉をそのままアルバム名やグッズにしたことに混乱し落ち込みました。こんな素敵な言葉を紡ぐなんて!と思っていたのに別の人の言葉だったから。なぜここまでショックだったのかは、それだけ彼に魅了され、きっと神格的に捉えていたのでしょう。

私は色々素直に信じがちで母親に注意されます。今までのように素直に聞けなくなり、ライブの最初は、のめり込まないよう自衛して聴いた自分が嫌になり悲しかったです。涙を流して聴いた曲なのに、感動を抑制してました。
そうしないと、今回の事がたいしたことのないように感じる程、彼に惹き込まれそうでした。スローガンのタオルをまとったファンの中心で、宙に浮いたようにみえるステージ上の彼。まるで信者の会のようでした。

事務所の方々へ
今回の1番の問題は教義?そのままをアルバム、グッズで販売したことと思います。風氏が考えた言葉なら、ここまで騒動にはならなかったのではないでしょうか?
大切なアルバムタイトルはぜひご自身の言葉で生み出してほしかったです。
また知らずに嬉々としてグッズを購入する現状が怖く、それはとても心理的な暴力に感じました。
風氏の信仰を尊重するなら、同様にファン一人一人の信仰も尊重いただきたいです。家は仏教徒ですがお経の入ったタオルを私はみにつけません。そこまでの信者ではないからです。他の宗教なら尚更です。

ライブで気になったこともあります。親子席には小学生や未就園児もいたのに、レーザー演出と音楽はトランス状態のように感じました。子どもたちには刺激が強いと思いますので配慮いただきたいです。

長文になりすみません。よろしくお願いします。

No Name


このプロジェクトを立ち上げてくださった方々、ありがとうございました。一連の出来事を追いながら、もどかしさを感じていました。風さんが好き(好きだった)からこそ、普通なら「まあ、いっか」で済ませてしまうようなことをここまでやり続けてこられたのでしょうね。その思いだけでもどうか、風さんサイドに届きますように。

始まりは、ほんの少しの違和感でした。その違和感をみなさんが自分なりに解消しようと葛藤していることに、そしてそれでも応援したいと思っている思いに、少しでも寄り添ってもらえたら嬉しいです。

No Name


IIYY projectに賛同します。一番言いたいことはそこです。
以下、長くなってしまいましたので、さらっと流し読みで構いません。

2020年3月に藤井風さんを知って、それからのファンです。この件は昨年11月末に知りました。そして年末のインスタのストーリーでがっかりしました。

多くの人が表明している通り、「どこから引用してるかという説明が足りていない」事が不誠実では、と思います。これは「すべてのミュージシャンは引用元を全て明すべきだ」と言っているわけではなくて、「HEHN」や「LASA」は風さんと運営の皆さんがすごく大事にしてる言葉だからです。大事な言葉なのに、匂わせのように動画には登場してる「サイババ」にはっきりと触れていない事が不自然に感じました。また、サイババの公式グッズに同じ文言が使われており、それを藤井風ファンが購入している状況はあまり良く思えません。現在の運営のやり方では「ステルス布教」と言われても仕方ない状況を作っているのではないでしょうか。当然ですが風さんに信仰を明かしてほしいわけではありません。

とはいえ風さんはまだメジャーデビューして数年で、風さんも運営の皆さんも手探りの部分があるのではと思いました。謝罪してほしいとかグッズ代を返金してほしいとかは全く思っていなくて、これから変化していくことにやんわり期待しています。自分は今は無理でも、いつかまた楽しんで聴ける日が来るといいなと思っています。ツアーが終わってからでも構わないので、よいタイミングで今回の問題についてじっくり考えていただけたら嬉しいです。

最後に、プロジェクトを立ち上げたお二人に敬意を表します。お二方それぞれに考えはあれど、プロジェクトでは公平であろうとする姿勢が素敵だと思いました。

あと、よんせいさんの「サイババに気づかなかったし、調べしなかった。気づかなかったことを責められるとは思わなかったけど」は同意です。笑 アルバムタイトルを掘り下げなくとも、ただ曲を聴いて、楽曲やアーティストを大事に思う応援の仕方もあるんだけどなあ、と思っています。私の身の回りにはスマホを持っていてもSNSを全くやらない友達・親戚がいっぱいいます。応援の仕方は人それぞれ、ファンのバックグラウンドも多様だと思います。今回の一連の問題に関して今すぐ答えがでるとは思いませんが、どうか気持ちが届いてほしいと願っています。

No Name


風さんの信仰を脅かそうとは誰もしていませんが、他の人の信仰を脅かすようなプロモーションだったとは思います
いろんな人に届けたい思いがあるなら、もう少し配慮が行き届くと良いと思いました

あと、あのストーリーは本当に悲しかったです。風さんの周りに優しい風が吹きますように

No Name


SNSで全く自分の言葉で発信をおこなったことがないのですが、今回の件のことで初めて発信したいという気持ちになりましたのでメッセージを送らせていただきます(これで送れているのかどうかもよくわかっていません)。
プロジェクト内容や皆さんから寄せられている意見に賛同致します。
藤井風というアーティストは非常に素晴らしいという点はこの件があったからといって自分の中でぶれてはいません。

自分もお伝えしたいことはたくさんありますが、既に数多くの方達が冷静でありながら愛のあるコメントを寄せられております。きちんと藤井風さん周囲の方に伝わってほしい、一部のおかしいファンの困った活動という扱いには絶対したくない、もっと事態が悪化してしまう前に早くご対応をお願いしたい、事態を悪化させているのはどう考えてもこのプロジェクトではない、という思いから声をあげさせていただきました。

No   Name


私は、家族全員が熱心な新興宗教の信者の家庭に生まれた、宗教2世です。
家族の信仰する宗教を絶対的なものとして0歳の時から教え込まれてきて、毎朝晩の読経やお参りをはじめ、無償労働や霊的なカウンセリングに通わされるなどしていました。少しでも教えに背いた行いをすると、両親は悲しい顔をしたり怒ったり、泣きながら叱ってきました。インターネット上で教団のことを検索することも親に止められていたため、初めて教団に対する批判的な言葉に触れたのは、私が24歳になった時でした。
その時、今まで常に感じていた抑圧の構造に気づき酷くショックを受け、両親に自分の考えをまとめて、ずっと抱えていた悲しい気持ちを打ち明けました。
正面から話し合いを持ちかけましたが、教えを批判されることに両親は激怒し、それに比べて私の辛かったこと、悲しい感情、自分で判断を下すことが困難な生育過程で望んでもいない教えを散々教え込まれてきたことに対する抗議はことごとく軽視され、話し合いは決裂しました。
その後唯一の兄弟である兄と共に、両親に絶縁の意思を伝えた際、母親は「もう一人子どもを産んでいればよかった」と言いました。

私は帰る場所を失い、今まで自分を形成してきたアイデンティティの大半を否定せざるを得なくなりました。そうしないと、自分の意思を尊重することができないからです。この先の人生を一生、誰か別の人間のいいなりになって生きることになるからです。家族と距離をとり、今までの人生で自分が本当に考えていたこと、欲しかったもの、何がつらくて何が悲しかったのかを理解するため、日本の外に居を移しました。


藤井風さんの音楽に出会ったのは、そんな頃でした。
たまたま、ネット上で「優しさ」を知り、その歌詞から溢れる慈悲、愛に満たされた環境で育ったのだろうと思わせる穏やかな佇まい、そして紡ぎだされる音楽の美しさに圧倒されました。もともとピアノを軸とした音楽が好きだった私は、その踊るように自由に駆け抜ける旋律と思想の温かさに触れて、直ぐに彼の音楽の虜になりました。
しかし一方、ミュージシャンは自身の経験から生まれる発言やその人の考え方の個性まで知って好きになることの多い私は、藤井風さんのインタビューでの発言などを聴いていて、違和感を覚えることがよくありました。風さんの独自の哲学を知ろうと楽曲の解説動画を観たりしてみましたが、風さんの人物像を知る手掛かりが掴めませんでした。
これだけ素晴らしい音楽を作るには、慈悲深い世界観を表現するに至る経験や人生への捉え方があるはずで、それを過去のエピソードや普段の言葉の使い方から感じることができるのではないか、と思っていたのですが、どうしてもこのような音楽を作っている理由に繋がるような人物像が見つけられなかったのです。
一方で、キリスト教や仏教の教えに繋がるようなエッセンスをところどころに入れてくるな、とも思っていました。しかし出所が様々であるので、特に何かしらの信者というわけではなく、インドのヨガや瞑想なども自分で勉強して、いいところを取り入れて教えてくれているんだろうなと思っていました。
だから、「そのことに対して自分は受け付けない部分もあるけど、風さんがそのエッセンスを使って作り出す音楽を楽しむ分にはいいか」と思い、HELP EVER HURT NEVERという言葉がお父さんから教えてもらった藤井風さんが大事にしている言葉である、という発言もそのまま飲み込んで、風さんの音楽を毎日のように聴いていました。特に日産スタジアムの"Free"Liveの映像は何度も視聴し、深呼吸も一緒にやったりしていました。


家族を失い故郷を離れた私ですが、ちょうど風さんがaahTで私の故郷に来るときにライブに参加することができました。
今まで遠くから音楽を聴き続けることしかできませんでしたが、初めて生の風さんの歌、舞台演出に触れることができて、そのピアノの美しさを直で浴びた感動、そして何よりあの会場からは、風さんの「創作への熱意」を感じました。
ピアノオンリーということや会場の規模から、勝手にピアノのリサイタルのようなシンプルなものかと想像していたのですが、作りこまれたセット(セットと共に全国を巡回するのは大変な労力と思います)、風さんの一人で過ごす一日を朝から晩までの時間の流れに合わせて見せるという演出のコンセプトに沿った丁寧な細工(ガーデンの演奏前にお花に水をあげたり、衣装替えを日常の中の着替えとして見せる、新しいコーナーに移る時には来訪者が来たり、ファンからの楽曲リクエストが外の郵便受けに入っている等)、お客さんを楽しませることを本気で考えてやっているのだと知り、そのプロ意識を感じたことで風さんへの尊敬の念がさらに膨らみました。


そして何より、私があのライブから受け取った一番大きなメッセージは、「ロンリーラプソディ」でした。

「孤独なんてゲーム 楽しめばいいの みんな一人でしょ みんな一つでしょ」

私は帰る家がないため、帰国の時はホテル暮らしをしています。故郷は自分の生まれ育った大切で安心できる場所ですが、その頃万が一コロナにかかってしまったら自分を受け入れてくれるところはなく、道端で寝るしかないかもしれないと思いながら日々を過ごしていました。
自分は孤独だと感じる時間はとても長くて、耐えがたいものでした。

しかしそんな絶望的な孤独について、風さんは「ゲームとして楽しめばいい」「みんな一人だ」と歌いました。
私はこれを聴いて、「みんな家族がいて幸せそうに見えるけれど、それが永遠に続くわけでも、本当に心から理解し合っているとも限らない。そういった意味では、地球上のみんながみんな、それぞれに孤独なのかもしれない。私が自分のことばかり考えてしまうせいで、私ばかりが孤独だと感じていたのではないか」と思いました。
そして舞台上の風さんも、もしかしたら孤独を感じているのかもしれないと思いました。
そうでなければこんな詞を書くことはできないのではないか。そしてこの歌を、ツアーのテーマの核となるような部分に据えることも、しないのではないかと。
そう思うと、遠く感じていた風さんに途端に親近感がわきました。そして、こうしてそれぞれに孤独なみんながどこかでつながっている、と思いながら生きていくことに、少しだけ前向きな気持ちになれました。

ポジティブなものを吸って、ネガティブなものを吐き出して。

風さんが言うままに、みんなで一緒に深呼吸しました。


この"alone at home Tour"で、風さんはみんなに「家」を作ってくれようとしたのかもしれない。実際に帰れる家はないけれど、この街は私の家だ。
そう思うと、帰り道の足元が少しだけ軽くなりました。

私は風さんが神の存在を絶対的に信じていたり、自分が作曲したものを神から与えられたものとして語るところには同意できないけれど、それでもこうして同じ地球上に一緒に生きていると思えることは、普段の生活が少しだけ嬉しくなるような事実だと思い、この日から風さんの語る思想をもう少し前向きに捉えるようになりました。

その後も、「死ぬのがいいわ」が世界中でバイラルチャートにランクインしたときは、私の居住国でもトップテン入りし、日本語の曲でもこんなに伝わるものなのだと熱くなり、私も少しでも貢献しようと必死に聴いたりしました。2022年に私が一番聴いたアーティストは藤井風さんで、その時間は風さんの音楽のリスナーのうち上位0.1%に入っているとSpotifyに言われました。


そんなある日、風さんの二つのアルバムタイトル、レーベル名、普段語っている言葉がとある別人の語っている教えである、との指摘を目にしました。
ロンリーラプソディでの呼吸の仕方も、その人の言葉であることを知りました。

その後のことは、私がTwitterやIIYYの記事で書いている通りです。




藤井風さんへ。

週刊文春の河津さんの発言を読み、大晦日に貴方が上げたInstagramストーリーズが私やIIYYの騒動へ向けたものだと理解したので、そのお返事をさせてください。
私はこの一連の事実を知ってから、貴方や貴方のチームがアルバムタイトル、コアメッセージとして教えを引用していたサティヤ・サイ・ババさんについてたくさん調べました。公式ホームページに書かれていることも、本人の言葉としてデータベース化されているものも、彼の児童に対する性的暴行への被害者の告発や政治・メディアとの癒着を取材したドキュメンタリーも見ました。

その結果の私個人としての見解は、彼のしてきたことが「人を騙してお金を集め、いい教えや善良な行いによる彼へのイメージを利用して、他人の尊厳を傷つけることを正当化し、暴力的に私欲を満たすものだった」ということです。
全ての人がそう考えるべきだと言っているのではなく、そう考える人も貴方のファンの中にいるということです。そのことに対して本来ならば否定的な立場でいたいのに、風さんが彼の言葉を彼についての説明なしにそのまま引用することによって、知らない間に賛同してしまうような状況に置かれていたということについて、一回よく考えてみて欲しいです。
私は日本語での情報が限られているサイババさんの行いについて考える機会、本来であれば藤井風さんの音楽に出会った際に与えられるべきであった機会をみんなにできるだけ早く持ってもらうためには、彼の良くない面についての情報発信が不可欠だと判断し、上記のようなことを書き続けました。彼の教えには良い面もあるのでしょうが、それは貴方が今まで既に十分すぎるほど発信してくださっているので、私が付け足すことはありません。

貴方の信仰を揺るがそうとも、やめさせようとも思っていません。それはずっと示してきました。貴方が彼を尊敬していることは知っています。
私も、無闇矢鱈に貴方を傷つけるようなことはしたくないです。
しかし現状、貴方と同じ重さの命を持ったたくさんの方が貴方の行動に傷ついたり、自分で自分の大切なものを判断ができない状況に立たされています。思考を他の世界に奪われた家族と話ができなくなってしまうつらさが、私には痛いほどわかります。
だから、貴方の大切な人を批判しました。
どっちを助けるべきなのか、なんて私には明らかでした。この状況を作り出したのは他の誰でもない、貴方のチームだからです。
貴方個人の信仰がどうという話ではないんです。

そして大事なことを言います。
彼の数々の悪名高い行いは、藤井風さんが今まで音楽活動を通してファンに対してしてきたことー音楽を通してみんなの生活を豊かにしたり、みんなを元気づけたり、励ましたりしてきたこととは全く別です。
なぜなら、藤井風さんとサイババさんは別の人だからです。
もし、私のサイババさんへの批判が、貴方を責めていたり、信仰をやめさせようとしているように聞こえたなら、それは私の伝え方がよくなかったのかもしれません。ごめんなさい。

私は貴方が、彼のしてきた行いまで背負う必要はないのに、彼の言葉を掲げて音楽に乗せて伝え続けることによって、現状がそのような形になってしまっていることを、心配しています。貴方の持っている荷物は、大きすぎます。そしてそれは、貴方が背負う必要のない他人の荷物です。

貴方は藤井風さんです。自分が正しいと思うことをする権利があります。ただ、その権利は人間が皆平等に持っているものなんです。
相手もその権利を大切にできるよう、自分でしっかりと考えて判断できるように、藤井風さんから情報を与えてくれることはできないでしょうか。
この先の風さんの活躍も、遠くから応援しています。



河津さん、藤井風運営の方へ。

ここに集められているメッセージを、一文字残らず読んでください。貴方達にとって大事な、顧客の方たちからのメッセージです。
藤井風さんを一人の人間として、大事にしてください。
本人の自由にやらせることは、必ずしも本人を守ることにはなりません。
宗教との関わりが人間生活や社会においてどれだけ重要で、使い方によって危険を孕むものであるのかを勉強し、考えてください。
音楽が人々に与える影響の大きさは、貴方達が一番よく知っているはずです。

もし考えるのに時間が必要ならば、一回立ち止まってじっくり考えた方が良いと思います。
誠実な対応を求めます。

ankl


藤井風さんへ

簡潔に、2つだけ。

プロモーションをするときに、宗教をファッションのように使うのはやめてください。

200件以上の、ファンの声を読んでください。

私は、あなたが知りたいことがあれば、できる限りなんでも答えます。でも、知りたくないなら、これ以上は私からは何も言いません。よんせいのTwitterに私なりの答えを置いておきます。知りたくなったらTwitterを覗いてください。

お身体を大事になさってください。では。

ーーーーーーーーーー

河津さんへ

はじめまして。よんせいと申します。

早速本題に入ります。

まず、今回のプロジェクトを受けての対応の有無について、告知をしていただけますと幸いです。対応されない場合でも、「対応しません」というお返事もしくは告知を出していただきたいです。

次に、河津さんの宗教的背景は存じ上げませんが、失礼ながら、宗教に対する知識や理解は一般の日本人のレベルであると考えております。もしそのご自覚がありましたら、今後のプロモーションには、ぜひ宗教について造詣の深い方の協力を得てください。

最後に、私達のプロジェクトをどれくらい役に立てていただけるのかは分かりません。私達は多くのファンやリスナーの声を集めました。河津さんにはこれを役立てていただき、藤井さんのために、ファンのために、チーム風のために、現状の姿勢、特に、宗教に対する姿勢を改めて振り返り、自覚し、できれば改めていただきたいです。難しい判断になるとは思いますが、宗教についての知識を学びつつご検討いただけますと幸いです。

何卒、よろしくお願いいたします。

ーーーーーーーーーー

スタッフの皆さま、運営の皆さまへ

はじめまして、よんせいです。

今回、このようなプロジェクトをした理由は、みなさまがサポートしておられる藤井風のプロモーションが、宗教や精神そのものと影響をあまりに軽視したものであったためです。皆さまが行ったプロモーションが、結果として現状を招いております。

もちろん、プロモーションの方向や細部に関する決定権がない方もいらっしゃると思います。しかし、チーム風はひとつの船であり、その船に乗るのはスタッフの皆さまです。その乗組員である以上は、宗教や信教の自由に対しても皆様で対策を行っていただく必要があります。チーム風が適切な対策を取れなかったために、藤井風が暴風に晒されているのが現状です。藤井風とファン、両者の自由を守るための工夫を、各自でできる範囲で行っていただきたい。藤井風のプロモーションに関わっていらっしゃる以上、スタッフの皆さまにも、宗教に関わることを実行する重みがかかっております。宗教は軽いものでも、ファッションでもありません。

宗教に対して慎重に!と言っても難しいので、ぜひ覚えていただきたい大事なことを3つだけ置いておきます。

①アーティスト本人の信仰は自由であり、その表現も自由。

②宗教性を持つ商品やサービスを提供するときに、それを受け取る側である消費者が「何が含まれているか(出典はどこか)」を確認できるようにすることは、企業の責任である。それをはっきり言わない=公式情報だけでは出典が確認できない状態は、ファンに事実を隠し、ファンを騙している状態と同じである。

③宗教とは決して理不尽に重いものではなく、かといってあまり知らない人がファッションのように軽く扱っても良いものではない。宗教は、人間が生きていく上でとても大事なもの。その実態は、すべての人間が持っている「人間の力を超えるような大きなものへの気持ち」「生きていく支え」「自分を認める気持ち」である。

大好きな藤井風を、チーム風を、ファンが何も気にせず応援し、楽しめるようにしていただけましたら、よんせいとしては最上の喜びです。私たちファンは、その船には乗れません。スタッフの皆さま、どうか、よろしくお願いいたします。

よんせい


メッセージをお寄せいただいた皆様、ありがとうございました。
メッセージは、2023年1月14日(土)23:59で締め切らせていただきました。

2023/01/14 締め切り時点 前編のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/n95b2dbf0ca6e

たくさんのメッセージありがとうございました。 作業進捗などは、twitterにて追ってお知らせします。