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【2023/01/12 05:00現在】いただいているメッセージ内容を公開します

2023/01/12 05:00現在、いただいているメッセージのうち、

【受け付けないもの】
・個人の誹謗中傷となる内容
・個人の人権侵害となる内容
・信仰そのものに対する非難、脅迫など攻撃的な内容
・藤井風さんの運営に対し、サイババ思想伝道におけるスタンスにおいて現状維持を強く求めるもの
・藤井風さん運営宛と見なせないメッセージ

【受け付ける内容の具体例】
・藤井風さん運営の、サイババ思想伝道における問題に関して思ったこと
・上記問題に関して運営に改善してほしいところ
・藤井風さんへの応援の言葉
・自分の風さんファンとしての背景
など

どれかひとつでもOKです。例えば、応援メッセージだけでもOKです。

以上の条件を満たし、公開許可していただいたものを、そのまま掲載していきます。

2022/12/31 15:00以前のまとめはこちら▶【https://note.com/ii_yy/n/n4068c26bfaef

2023/01/02 21:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/na1dfa4a03015

2023/01/04 01:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/ndbca53e1060a

2023/01/05 07:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/n90554723abdc

2023/01/08 22:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/nb2b7bbec6843

2023/01/10 01:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/nab3cb1254e9c



※メッセージ内容は、本企画管理者個人の意見と完全に一致するものではありません。
※日本語以外で書かれたメッセージは、DeepL翻訳を使ったものを適宜修正して載せています。


【はじめに】

本件は、藤井風さんを含め個人の信仰、宗教に関する、非常にデリケートでセンシティブな問題について取り扱っています。つきましては、この前書きをよく読み、前提として理解した上で以下の文章を読んでくださいますよう、お願いいたします。

私たちが今回抗議しているのは、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
についてです。

特定の宗教が彼の音楽活動の核心に据えられていることについて、名前を出して説明することは、リスナーの選択の自由に大きく左右します。
しかし藤井風さんがデビューしてから今まで、その一番大切な説明は、一切行われてきませんでした。
彼が伝えているのがサイババの教えであるということが初めからわかっていれば、素敵な音楽を通して思想を知らない間に取り込んでしまう前に、客観的に資料にあたり、自分の力で考えることができます。しかしそのための周知の努力が、藤井風さんの運営陣には明らかに足りていません。
それは、リスナーの信教の自由の権利を著しく軽視した判断、行為です。
そしてまた、不用意に藤井風さん自身の信仰を音楽活動に結び付けて売り出してしまったことにより、藤井風さん個人の内面的な部分が不必要にさらけ出され、本来背負うべきではない責任を抱える形にもなってしまっています。

この運営方法は、あらゆる面で危険を伴うものです。
私たちは、藤井風さん自身の信仰について、否定はしません。
また、サイババを信仰する人たちについても、否定はしません。
全ての人に、信教の自由の権利があるべきだと思うからです。
だからこそ、一人一人が公正な状況下で冷静な判断ができるように、問題点について指摘し、信頼性のある資料を提示し、時には批判します。
信仰がある人も、ない人も、平等に自己決定を行うことのできる環境が作られることを願っています。


宗教について伏せている事で騙し打ちのように見えてしまうやり方は、時代にもう合ってないのではないでしょうか。公開することが最近の誠実さであり、それで必要以上の争いは避けられると思います。最近ニュースなどでも宗教の話題は多く、この件についてはファンだけでなく、たくさんの人々が関心を持っていると思います。藤井風さんや運営の方々が、誠実さを見せてくれることを期待しています。

No Name


HEHN をリリースされた頃からずっと好きです!
コロナ禍に入って初めてのライブは藤井風さんで、武道館に入った瞬間、生のピアノの音を聴いた瞬間、何なんw が後半に始まった瞬間、本当に感動して泣けてしまったのを今でも覚えています。
藤井風さんの信仰を否定するつもりは全くありません。また、ミュージックビデオやライブの内容、MCの内容を聞いていても、何かしらの信仰をお持ちなんだろうなとは考えていました。

ただ、1ファンとして、信仰されている宗教の教えをアルバムタイトルやグッズにそのまま引用されていたこと(そしてそれを伏せている結果、ファンが意図せずそれらのフレーズ・宗教を広める形になってしまっていること)は個人的に悲しい気持ちになりました。

風さんの紡ぐ歌詞が大好きで感銘を受けていたからこそ、それが風さんの言葉ではなく、その宗教の教えなのでは・・?という疑念がこれから風さんの音楽を聴くときに頭をよぎってしまうのは悲しく思います。
特定の宗教を信仰しているアーティストの方はたくさんいらっしゃいますし、それ自身を否定するつもりは全くありません。
教えを授けられた結果、風さんの中で紡がれている言葉を私たちは受け取っていると思います。
しかし、そのスローガンをそのまま公になる形で使用されるのであれば、何かしらのもっと具体的な言及、周知があればよかったのでは・・・と思ってしまいました。

このような思いをするファンがいるかも知れない、(私個人は無宗教ですが)他に信仰されている宗教がある方が、意図せず他宗教のスローガンや教えに則った行動をしていると知ったとき、どう思うか?という考えを、運営の方々には持って頂きたかったし、これから持って頂きたいと思っています。

MUNE さん


お正月にこのプロジェクトを知り、アルバムタイトルやグッズに印字していた言葉は、お父様が大切にしていた言葉ではなくて、サイババが唱えていて、尚且つお父様が大切にしていた言葉だと知りました。

別に風くんや風くんのご両親が何を信仰されても公表する義務もありませんし、作品に落とし込んでも良いです。2世の風くんにしてみたら、やはりおとんの言葉=サイババの言葉なのかもしれません。

しかしながら、サイババの教えの中には、
「サイババの名を出して金儲けをしてはならない」というものがあるにもかかわらず、

サイババのスローガンを自身の作品やグッズにして何度も販売してしまった事は、問題ではないですか?

知らずに購入した方とサイババさん双方に対して、裏切る行為では無いでしょうか。サイババさんの言葉を使わせてもらう覚悟はどのくらいおありでしたか?

「嫌になったのなら聴かなくて良いのです。」だとか、
「人の欠点見つけるよりも自分の心配した方がええ。」という言葉も、ショックでした。

誰も傷つけないというスローガンを掲げている割には、自分達に都合の悪い欠点の指摘には、相手を傷つけるような言動をとりますよね?
だから、今回は意を決してこのプロジェクトに書こうと決めました。

私は、インドネシアに住んだいた事があり、イスラム教徒の教えに則って生活していたことを思い出しました。

もし、インドネシアの飲食店で同じような事をしたらどうでしょうか?

「これは、うちのおとんの好きな料理です。色んな肉を使っています。でも本当は、サイババさんが育てた豚の肉料理でした。食べてから豚肉だと判った人の中で、嫌なら今後は食べにこなければ良いだけです。詳しくはサイババの名を出して金儲けできない事情から公表できませんが、察してください。我が家ではおとんやおかんがいつも作ってくれた料理で、僕らは大好きだから。」

今なさっている対応はこんな感じではないですか?
わかりにくい例えでしたら申し訳ありませんが、とても憤りを感じます。

私の感覚がおかしいのかと思い直したりしましたが、やはりモヤモヤ悲しいです。風くんの音楽を気分よく聴けなくなっています。
インドネシア人にも風くんをおすすめしたばかりだったので、なおさらです。
でも、
この事に時間を割いて投稿までしたのは、この事を知っても急に興味を失う事ができないからです。同じように苦しんでいる人がたくさんいるようです。

過去の対応に失敗したら、謝れば良いじゃないですか。もがきながら一緒にこの宇宙で学びたい。いつの日か、また透明な心で、風くんの曲を楽しめる日が来ると良いです。
この声が届きますように。

はるはる さん



※以下、1月11日発売の週刊文春の記事の内容を含むものがあります。未読の方はご注意ください。



この問題に関心のある多くのファンのみなさんは不愉快に思うかも知れませんが、私は藤井風さんのことは元々よく知らず、昨年末の紅白で流れていた「死ぬのがいいわ」が初めて聞いた曲なくらい、俄かな人間です。年末年始にたまたま開いたツイッターで、件の instagram のストーリーが回ってきてこの問題を知りました。当初、ファンでもない人間がこのセンシティブな問題に気軽に口を出しても良いとは思えず、積極的にツイート等はしませんでしたが、IIYY プロジェクトを立ち上げたanklさん、よんせいさんによる丁寧で論理的な説明と問題提起、次々に寄られるファンの皆さんの真摯な声を読みながら、藤井さんの運営サイドがどのように反応するのか、期待と共に状況を静かに見守っていました。が、本日の文春の記事に掲載された河津さんの文章を読んでみて、みなさんが積み上げてきた論点に対して何の回答もなく「メッセージを寄せられても対応しようがない、サイババのことは別に隠しているつもりもない」というコメントを読んで落胆とやるせなさを感じました。「サイババのことは見れば分かるんだから、ファンも分かっててグッズを買ったり、曲を聞いたりしているんだろう?」くらいに冷たく聞こえ、愛を持って声を上げた人に対して壁を作るようだと感じました。私は現在二十代後半ですが、90年代に取り上げられたサイババ騒動について全く知らず、もしも藤井さんのファンだったら、"LOVE ALL SERVE ALL" がサイババの格言だとは知らずに「藤井風」のグッズを買い、ライブへ出かけていたかもしれません。しかしそれがサイババの言葉で、さらに彼が性的加害の疑いのある人間だと知っていたら、私は私の倫理観に基づいて買わないという選択肢をするだろうとも思います。藤井さんの信じる宗教はこれまでどおり公表しなくても良いのです。ですがファンにお金を払って買わせるグッズに、問題のある宗教指導者のメッセージを載せて、しかもそれを明言せず「察しろ」というのはやはり粗雑で不誠実な運営だと思います。(あと文春の記事の最後の方でファミレスやお風呂でのほっこりエピソードを入れてお茶を濁していましたが、それよりも IIYY に寄せられた論点をきちんと読んで咀嚼して、何が問題なのか運営側に認識していただきたいと思いました。)
この問題を認識した当初から、私はこのプロジェクトを立ち上げたお二人、そしてそこに賛同して声を上げる藤井風ファンのみなさんの存在を眩しく思っていました。同調圧力が強く、波風を立たせないことを重んじる社会で、たとえ矢面に立つことになっても声を上げるファンがいるということは本当に稀有で素晴らしいことだと思います。どうかみなさんが心穏やかに過ごせる日々がすぐに訪れますように。立場の違う人間かもしれませんが、祈りと共にこの問題の前向きな解決を願っています。

No Name


今まで、藤井風さん自身から紡がれる言葉や音楽が好きで、形としても身につけたくて、グッズを購入していました。風さんが考えたのではない別の誰かの言葉を、その事実は明記せずに「藤井風」という名義でのグッズとして世に出してしまうのは、他の誰かではなく風さんのグッズを求めてお金を出してグッズを購入した人々にとって、あまりにも不誠実な行いだと私は思います。沢山の大人が関わってグッズが作られ売られているはずなのに、なぜこのようなことが起きてしまったのか、その理由を知りたいです。風さんの音楽が好きです。風さんの音楽に救われた日も何度もあります。言葉の出典を明記していただけないモヤモヤは残っても、風さんの音楽はこれからも好きだと思います。風さんの信仰の自由を侵すつもりは全くありません。とにかく、風さんが自身の言葉ではない誰かの言葉を引用なさるのな ら、それが誰の言葉であっても、出典を明記して欲しいです。特にグッズやアルバムという形で金銭のやり取りが発生するものなら尚更、自分自身が考えた言葉では無いことを自ら伝えて欲しいです。

頼 さん


目的に沿わない文章にならないよう、はじめに運営宛のメッセージを書いておこうと思います。
これ以上藤井風さんが悪意あるスキャンダルに巻き込まれないためにも、この問題に関する運営側の考えを示していただけたらよいなと思っています。私は彼の信仰を明示してほしいとは思いませんが、なるべく早いうちに何からしらの対応が必要だと思います。藤井風さんの音楽をこれからも聴き続けたい限りです。


寄せられているメッセージを一部読ませていただきました。色々な立場のファンの方がどのような背景でどのような想いに至ったのかを知ることができ、とても勉強になりましたし、自分の考えを整理する良い機会にもなりました。勉強になった、というのはプロジェクトが望んだ感想ではない気もしますが、私はその側面でも意味のあるプロジェクトだなと感じています。
この先の文章は、私の自己満のようなものなので特に藤井風さんや運営さんに伝わらなくても問題ない内容ですが、色々なリスナーがいるということが伝わるのは良い事かと思ったので書かせていただきます。

私は最近は藤井風さんの音楽をサブスクで聴くだけのライトなリスナーなので、年が明けてから今回の騒動をTwitterで知り、軽い気持ちでSNS上での議論をちょくちょく見させてもらっていました。今まで見たことないような方向でどんどん大ごとになっている様子を見て、これは変に首をつっこまないほうがよさそうだぞ…と感じつつ、色々な立場の方の意見を読んでいるうちに、ちゃんと向き合うべき問題なのだと、いち藤井風リスナーとして考えるようになりました。
私は今まで自分の宗教、あるいは他人の宗教について特に何の関心も持たないまま生きてきました。幼稚園がキリスト教で、聖書を読んだり礼拝したりいただきますの前にアーメンと言ったりと、その意味では少しは馴染みがありましたが、宗教とはどういうものなのかちゃんも勉強したこともありませんでした。強いて言えば、無宗教だしとりあえずよく分からないからうっかり怪しげなものに引っかからないよう宗教チックなものからは距離を置いておこうかな、というような意識です。
一連の騒動を見て、はじめは一部のファンが変に事を荒立てて嫌だなあ、だから宗教にはかかわりたくないんだ、などと思ってしまいましたが、宗教はデリケートな問題であるからこそ、あまり嬉しくはないけれどこの話題が多くの人の目に触れたこの機会に、きちんと議論すべきなのだと考え直すことができました。
去年の春ごろ、ファンの方が書いたとあるnoteの文章をたまたま読みました。藤井風の宗教性に関する言及と、今後スキャンダルに巻き込まれるかもしれないから気をつけてほしいという趣旨の文章で、私はそれを読んで初めてアルバムタイトルがサイババの言葉であったことを知り、それは別にどうでもいいけどたしかに宗教スキャンダルは面倒そうだから気をつけてほしいなという感想を抱きました。藤井風が何を信仰していても構わないと思いつつ、宗教問題に限らずTwitterで荒れがちな界隈だという印象を持っていたので、炎上などした場合に巻き込まれないよう、あまりハマりすぎずライトなリスナーの立場を貫こうとも思いました。
その方の懸念は今現実のものとなってしまいましたが、そのときにサイババの件のことを知っておけたことで、藤井風リスナーとして様々な議論に触れる際に冷静でいられたので良かったと思っています。秋のスタジアムライブの様子はファンの方のツイートなどを見て楽しんでいましたが、堂々とベジタリアンを押し出したグッズやフード、明らかに宗教色を感じる衣装やポーズや演出には正直うーんと思ってしまいました。どんどん宗教っぽい雰囲気になっていく藤井風を見ながら、以前読んだnoteに書かれていたことが本当に起こってしまうのではないか、とヒヤヒヤしていました。ファンダムに対するパブリックイメージに関しても、あまり良いものではなくなってきているのを感じていたので、ますます藤井風からは距離を置こうと思い始めてしまった一因でもありました。彼が自らの希望で宗教色を強めた作品作りを進めているのだとしたら、それはそれで構いませんが、ファンは内心ヒヤヒヤしているので、せめて運営には慎重になってほしいと思ってしまいます。

私は1stアルバムがリリースされた頃に藤井風を知って、HEHNは人生で最も聴き込んだ大好きなアルバムのひとつになり、その頃はかなり熱心にファンをやっていました。HEHNの初回限定盤は今ではプレミアがついているらしく、当時入手できて良かった大切なアルバムです。HEHNのピアノ譜も大切に使っています。まさに問題のアルバムタイトルがデカデカと載ったものなので、それが本棚に置いてあることに少なからず複雑な想いはありますが引き続き大切にします。
グッズに関しても色々な意見があることを知りました。私はHEHNレコードのロゴが印字されたトートバッグを2年以上日常的に愛用しています。HEHNの文字が書かれてはいるけれどよく読めないフォントなので、ファンでない人にはバレずに日常使いできるけどファンにはわかる、というとても便利なグッズです。実際、このバッグを持っていたら、実はファンだという方に気づいてもらえて仲良くなれたこともありました。グッズを持っていることで知らぬ間にサイババを布教していることになっていた、信者だと思われかねなかった、という問題については私はたまたま避けられたと思っているので(HEHNは略だし読めないため)、ダメージはありませんでした。
家族や友人に藤井風をオススメしてきたことについても、今回の件で考えさせられました。HEHNのアルバムを買って「何なんw」を親の車で聴くCDに焼いたり、友人にアルバムを貸したりしました。後悔や反省はありませんが、ただ、この件を彼らはもう知っているのだろうか、藤井風を文字通り布教した私はどう思われているのだろうか、と自己中に考えてしまいました。

今これを書きながら2枚のアルバムを聴いていますが、藤井風を好きになったあの頃と同じように素直に、素敵な音楽だなと思います。私は歌詞の意味をあまり気にせずに聴くタイプなので変わらず音楽を楽しめていますが、そうではない人もいるわけで、大好きだった音楽を聴けなくなってしまった人の心情を想像すると心苦しいです。大好きな藤井風の曲を聴いていたら、宗教なんて関係なく素晴らしい音楽なのに、何を大袈裟に考えているのだろうとも思ってきました。今後この議論がどのように進んで着地するか分かりませんし、私の考えや気持ちがどのように揺れていくのかも分かりません。今は、あまり揺れずに普通に藤井風の音楽を聴けていて、それで良かったなと思っています。

今回の問題には直結しませんが、前述したファンダムのパブリックイメージについて、日々リスナーが増えていく藤井風にとってこちらの問題も痛手なのではないかと思います。パブリックイメージと言っても主にTwitter上での一部のユーザーによるものですが、私自身も以前からファン層が合わないからライブは行きたくないなあとか、ファンダムを馬鹿にするようなツイートをいくつか目にしてからより一層、藤井風ファンと名乗るの嫌だなあとか、思ってしまっていました。今回の件によってさらにそのような良くないイメージばかりが一人歩きしてしまうことが、藤井風のアーティスト性とは一切無関係であるからこそ、もどかしく思います。
「みんな大好き藤井風」が「ファンと公言しにくくて、タブーもある、藤井風」になってしまうことが悲しいです。「みんな大好き藤井風」である必要は別にないのですが、良い音楽は開かれて広く聴かれてほしいとただ勝手に思っています。

いつかは起こり得た藤井風の宗教に関する議論が、藤井風のリスナーが世界にも増え始めたこのタイミングで、宗教の問題に関心のあるファンの方による冷静な解説にも同時に触れられる形で、起こったことは幸いだったのではないかと思います(炎上に良いも悪いもありませんが)。

長々と自分語りしてしまいすみません。
プロジェクトに賛同してメッセージを送って良いものなのか悩みましたが、藤井風さんを傷つける意図で行われているものではないと判断したので、参加させていただきました。藤井風さんが安心して音楽を続けられて、ファンが安心して藤井風さんを聴いて応援できるようになるよう願いながら、引き続き見守っています。

朝マックがんばりたい さん




紅白で「死ぬのがいいわ」を聞いて楽曲とパフォーマンスのすばらしさにヤられた新参者です。「精神年齢109歳」とか「神格化」とかいう言葉を目にして、藤井周りはそんなことになっているんだと驚きました。だって無理あるでしょ。彼は実年齢なりのナイーブさを持ち、理想の自分に近づこうとあがいている普通の20代ですよね。たぐいまれな才能に恵まれ、特定の思想に傾倒している以外は。アーティストの音楽性やエンターテイメント性だけでなく、精神性までがビジネスになる時代。作品、人物像、ストーリーがワンセット。人々がそれを求めてる。隔世の感です。ただ、藤井さん自身は等身大以上のものを背負ってしんどくないのだろうか。

信心はどこまで行っても本人の自由だし、本人だけの問題。だから私は藤井さんが自分の信教を公表する必要はないし、ずっと大事に抱きしめていればいいと思ってる。ただ、それを全面的にいろんな形で繰り返し表現されると、リスナーとしては息苦しい。曲に対するイマジネーションの幅を前後左右から狭められて窮屈に感じる。「死んでもいいわ」は恋愛の歌として聞くことに決めてるけど、現状なかなか困難な作業になってしまった。ほかの曲も同様。歌詞を深読みでなく裏読みしてしまう。でもこれってもったいないことだと思う。言葉は本来広義なもの。藤井風の歌を聞いたとき、大勢が壮大なヒントから共通の解を思い浮かべるより、個々人が自分なりに言葉を受け止める方がいい。それも素直な心持ちで。リスナーによってクリエイターの思惑以上に曲が深まり成長していくってことだから。でも何らかの主張を極端に強めればその可能性を摘んでしまうかもしれない。表現の全てが宗教がらみでもないだろうに、曲解され続けるかもしれない。だとしたらとても残念。

以下、あくまで私の個人的な想いなんだけど。やりすぎないでほしい。やりすぎさえしなければ、大概の行為や表現は許容される。誰だって愛と寛容の精神を多少なりとも持っているし、自由を尊重しているから。歌詞が信仰の影響を受けてたり、思想がにじみ出たりするのは全然構わない。インスピレーションだろうと、オマージュだろうと、引用だろうと。信仰は彼の核であり、言葉は彼自身のピースなんだもの。でもそれ以上となるとちょっとめんどくさくなっちゃうかな。体は踊っているのに、頭の中では警告音が鳴って浸りきれない。自分の内なる声は無視できないし、でも歌は聞きたいしで心がせめぎあう。ただ自由に、自分なりに藤井風の音楽を楽しみたいだけなのに。解放されたいのに余計なことに煩わされてしまう。もちろんそれはクリエイター側でなくリスナー側の問題かもしれない。そう考えるのがフェア―だよね。一方で宗教や特定の思想に対して敏感になるのは自然の反応だとも思う。歴史はすでに証明している。宗教は人を幸せにするだけではないことを。そして宗教にまつわる悲惨な出来事の多くは、人々の幸福を祈る善意から始まっていることも。

近づくのは危険とわかってても好きなものや好きな人となるとその距離を取りあぐねてしまう。好きってそういうことでしょ。「それなら聞かなきゃいい」とNoisy minority扱いで切り捨てる前に、発信側から自分の心を守りたいと願う人たち対していくばくかの心遣いをしてもらえれば有難い。信条が異なる人同士がリスペクトし合えるように。そして藤井風/FUJII KAZEで一緒に盛り上がれるように。曲を世界に向けてリリースするってそういうことですよね?文化的にも多種多様の人たちを相手にするんだから。

IIYYプロジェクト。コップの中の嵐に見えるけど、結構大きな問題を孕んでいると思う。IIYYプロジェクトの主張は客観的で一理ある。藤井さんが更に広い世界を目指すなら避けては通れない問題だろう。などと思っていたらこの件、文春に書かれちゃったようですね。すべて読んではいないけど。もっと早く何らかの道筋が見えればよかったのに。それこそ嵐がコップの中にあるうちに。意見を交わすのは賛成だけど、こういう結果は私の本意じゃない。傷つく人が増えるだけ。なんかすごく残念に思う。藤井さんも運営もさらに対処が難しくなってしまったね。

藤井さんは今後どうしたいのでしょう。音楽を媒介にした布教活動と非難されてもこのまま突き進むのか。音楽そのものに軸足を向けるのか。彼が体現したいは誰かの精神や思想なのか。自分自身の音楽作品なのか。両方を取るならやはりどこかで一線を引く必要があると思う。どこで引くかは運営側の手腕。もちろん異才ならではの全く別の道ややり方もあるだろう。

私は藤井さんがどんな選択をしようと彼の自由と覚悟を尊重するつもり。おそらく凡人の私には想像すらできない戦略や事情、あるいは世界観もあるんだろう。究極のところ、自分は彼の才能のかけらを拾い集めて楽しませてもらっているひとりに過ぎないのだしね。もし沈黙が答えだと言うのならそれでもいいよ。

No Name


私はメジャーデビュー前のyoutubeの動画が大好きでした。
何度も朝方まで視聴したことがありました。
私の好きな曲の多くをカバーしていたり、
様々なジャンルの曲をピアノで独創的に演奏し歌い上げていたことに感動しました。
オリジナル曲の「青春病」や「旅路」「きらり」は曲もMVも好きでした。

アプリができた頃からの数ヶ月のスタッフダイアリーをいくつか読んだ時になぜか
「こういうふうなイメージにしよう」という意図的な?印象良くしよう、耳触りのよいようにしようという日記にしているな、と思いました。

ずっと自然豊かな岡山で家族にも友人にも才能にも恵まれて育った青年が、
いきなり都会に出て、しかも独特な業界でありのままでいられるだろうか、、
私は難しいと思っていました。応援していましたが。

そんなふうに思うのは、私が天邪鬼なのかも、とも思いましたが、
小さな違和感がポツポツと増え、
やはりどうも、田舎の才能豊かな青年を都会に引っ張ってきて、
売れるようにプロモーション演出している感じがあるように感じることも消えないままで、また、MVもパフォーマンスも、おどろおどろしくなっていって、好きだった爽やかでかわいくてちょっぴり面白い「藤井風」はだんだん見えなくなっていきました。

そしてファンが信者のようになっていく様子が怖かった。
たとえばyoutube動画のコメント欄やSNSで、
少しでも褒める以外のコメントがあれば、ファンたちが猛攻撃と品を欠いた批判している事も見受けられ、なんだか藤井風ファンの一部がこんなんじゃ風氏本人もかわいそうと思いました。

私は段々と藤井風に注目するたびに見聞きする一部の無礼信者ファンや奇々怪々な風氏のパフォーマンスやSNSに疲れて離れていきました。

そして、彼は完全に業界人になったな、、芸能界の闇にどっぷりしていくのか、、、と落胆することも重なりました。
その落胆続きで純粋に藤井風以外の加担したくない場所へもお金が流れるのもいやで動画をみることも楽曲を聴くこともすっかりやめました。
それでも「都会の毒や悪人や業界に廃れていかないで」と祈りつつ、今は遠くから応援しようと。

そしてしばらくして、今回のサイババ問題が勃発していることを知り、
このプロジェクトをTwitterで知りました。

このプロジェクトも、ここに意見を寄せる人たちも、愛を持って、本当に風氏が好きであり、そして、何が問題であるか、様々な立場や意見を尊重しながら、真剣に思考し感じ、意見をしているなと感心します。

この一連の出来事を初めて知った時は
「やっぱりな」というのが正直な感想でした。
前に、風氏を好きな時代に知った情報や、
風氏が語る彼のお父さんの話をいくつか読んで、
彼のお父さんはヒッピーだったのかな?
と思ったし、サイババ関連が好きそうだなとも想像していました。

私は前にインドや世界をよく旅して、瞑想アシュラムへ行ったり、いろいろな人の教えを見聞きして、良いものは心に刻んだりしてきました。
私自身は平和や良い生き方を考えた時、
何かや誰かを信仰するとか、執着する考えはないので、サイババはもちろん特定の誰かや宗派や何かを信仰しませんし、ずっと無宗教です。

ただ、人がどうしようがその人の自由です、誰かを執拗に巻き込まない限り。

あの例の大晦日のストーリーはある意味、彼のヘルプサインみたいなものも含まれているのだろうか?(無意識でも)と思いました。
もう彼は一人では抱えきれない壮絶なストレスと混乱に押しつぶされているのだろうか、と。

彼のファンや周囲もいろいろな意見、考え、想いがあるでしょう。
きっと本人や運営にも声は届いていると思う。

しかし、誰も、藤井風本人が受ける注目、期待、様々な声、プレッシャーを想像できないだろうし、どんなに想像してもそのはるか上をいくものだと思います。

今ある状況を若い青年の藤井風本人が受け止めるには酷だと思いますし、
彼もやはり若さゆえや、人間だからこその衝動的な行動や、甘い考えもあっておかしくないと思います。

そして、ここまでの展開になって、
運営はもっと責任を感じ対応してほしいと思うのは、
「藤井風」がここまでの人気、影響力、巨大なお金を集めているからです。

もしも、youtuberの域での活動であれば、またここまで売れていなければおきていない問題もあるでしょう。

彼のファンにも様々な人がいて、ただただ藤井風を盲信し、執着し、依存して他の意見を持つファンを攻撃し礼儀を欠いた批判をする人もいる。
これはサイババとは別で「藤井風教」となってしまっていると思います。

それに、このプロジェクトが提起しているサイババにまつわる布教的影響なども起きている。

きっと、ここまでの流れをみると、マネージャーや運営チームは、
宗教についての知識不足や、藤井風というアーティストの影響力の想像の欠如、そして今もなお、利己的に対策を考えているのだろうなと感じています。
へたに発言をして問題を大きくしたり増やしたくないし、弁護士やプロに相談しながらすすめているのだとも推測しますし、
と、同時に藤井風の影響力をビジネスとして巨大化することは諦めていないような気もします。

何人かの方々がご指摘するように、世界での知名度も上がり、ファンも増えている今、宗教観は国よってかなり違います。
サイババの印象もかなり違いますし、宗教やサイババに関してかなり敏感で神経質な観点もある中、このまま嵐が過ぎ去るのを何もせず待つ、というのは不誠実であり、難しいと思います。

藤井風氏本人が、今、どのように考えているのか、きちんと把握し、思考できているのか謎ですし、相当なストレスがあることは確かでしょう。

何にしても、これまでファンに寄り添ってきたのであれば今の状況は矛盾を感じます。

その状況でますます風氏本人の信仰が彼本人を支えたこともあったり、
それで更に盲信まっしぐらとなり、あのようなストーリー動画を流したり、誤解や本末転倒的な展開もあるのかもしれません。

今はただ、ご本人もずっと信じてきた、HELP EVER HURT NEVERからはかけ離れてしまったという残念な展開になったような気がします。

とにかく、どの立場にいても、他者の自由と意見を尊重することはとても大事です。
しかし、一部の攻撃的なファンや盲目状態になった場合は「自分の意見」と捉えていても依存や執着による行動、そして被害妄想からの感情的な反応という人も多いように思います。

少し冷静に違う意見も聞き、考え、知って調べる、そうして理解できることもあると思いますし、まずは運営側がそうあってほしいし、公式にこの件に関してのコメント、アナウンスをする責任はあると思います。

とにかく、藤井風というアーティストも、25歳の青年としての彼も守られること、
彼がのびのびと活動、活躍できることを願っています。

長文失礼しました。

アオ さん


"誰もが信仰は自由です。
しかし、知らずに布教に加担しているような事はあってはならないですし、
ファンがほしがるグッズに特定の教えの言葉を引用することは多大な影響があります。
大きな営利のもとでは、宗教の知識や影響、シュミレーションはプロとして必須ではないでしょうか。

河津マネージャーが「サイババの事を隠していたのではなく言う必要がなかった」と、
文春インタビューにこたえていますが、
このプロジェクトの意見や様々なところで意見や戸惑いがあるということは、
ここに来て何かしらの公式の意見を出すべきだと思います。

気持ちよくファンでいたいけれど葛藤のある人や、
異教徒の気持ちは、LOVE ALLのALL外ということでしょうか?
それでしたらALLという言葉を使うことは矛盾や詭弁となりえるのではないでしょうか?

運営にまず、誠実な対応を求めます。"

なな さん


私自身と家族は特定の信仰を持っていませんが、今お付き合いしている相手が信仰を持っています。私は交際相手を初め、あらゆる他者の信仰を尊重したいと思っています。以上を踏まえた上で、これから書くことに目を通していただけると幸いです。

私も風さんの音楽が好きですが、母は風さんのライブに何度も行くほどの大ファンです。風さんが、子が巣立った後の母の生活に彩りを与えてくださっていることに、まずは感謝しております。
ただ、風さんの背景にあるものを、一介のファンである母が正確に把握出来ないかもしれない現状には、強い不安を覚えます。
それと分からぬよう特定の思想をエンターテイメントに込めることが他者の信仰の自由を軽んじる行為にあたらないか、ぜひ一度考えて頂きたいです。

No Name


この件を知って、大ファンの藤井風さんの今後の活動への影響が心配で、事務所の対応の行方を気にしてきましたが、文春の記事を全部読んで、ああこのまま特に対応なく行くんだろうなと感じました。私としては、サイババの信仰者と見分けのつかないグッズの販売は受け入れられないなと思っていましたが、そのあたりも含め特に問題と捉えられていらっしゃらないように読めました。この問題の本質は、音楽といえど商品を売る企業の倫理やコンプライアンス的なものと感じています。この点を押さえておくことは、藤井風さんが信仰を持ちながらアーティスト活動する上で大切だと思いますが、ネット上での賛否の反響の大きさに対しかなりライトな見解に思えました。藤井風さんがいい奴なのはファンならほとんどみんな知ってると思いますし、いつもならほっこりしていたところですが、今回ばかりはそういうエピソードどころじゃなくない?と思いやるせない気持ちになりました。音楽的なプロモーションは素晴らしいだけになんだかもったいない気がします。

No Name


YouTubeを拝見して、デビュー前からのファンでした。オリンピックの時、様子見に変わりました。
アルバムも初期のレアなグッズも数多く購入しました。
仏教徒です。サイババの言葉と知っていたら購入しなかったので困惑しています。キャンセル返品を希望しています。
大晦日のインスタストーリーには驚愕しました。誰にどう言う意図であそこまで強い表現になったか説明をお願い致します。
納得がいくまで多く拡散されると感じます。
ファンの多くが盲信的なツイートを繰り返して、余計に違和感を増長しました。
知識が足りないため、サイババだって関係ない、悪くないと論点を間違えてツイートして逆に風さんの立場を悪い印象にしています。
違和感を覚えているファン以上に、風さん擁護のつもりで論点がずれたツイートを繰り返す多くのファンにも理解出来るように説明が必要です。
私自身は持ちたく無いグッズ、アルバムを購入した事がショックでたまりません。お返ししたいです。

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文春を見て今回の出来事を知りました。宗教二世であるiiyy project様方に対し、『貴方たちには絶対無理だから』という発言は、誰も傷つけないとは真反対に位置する、誰かを積極的に傷つけにいく行動だと思いました。彼にとっての『誰も傷つけない』の対象は、自分を肯定するコミュニティの誰かなのでしょうか。

以前、裏ピースの写真が他国でわい雑な意味を持つと指摘された時に藤井風様が今回と近い反応をしていたことを思い出しました。わたしはSNSに流れてきたそれを見て、指摘に対して随分と攻撃的な反応をする人なのだなあと思いました。

コミュニティ内から疑問を投げかけた人を晒しあげ、傷つけにいくような行為をとる人が『誰も傷つけない』をスローガンにファンを集めることに、違和感と恐ろしさを覚えます。

iiyy projectさまの抗議や問題提起、問い合わせはそれこそ『誰も傷つけない』ように配慮されたものだと感じました。それに対して、誰も傷つけないどころか相手を傷つける言葉を選び公の場で発信するアーティストの態度と攻撃性、そして運営の宗教に対する姿勢にも非常に疑問を感じます。宗教は音楽を売るためのアクセサリーではないと思いますし、神秘性を盛り上げるための小道具ではないとわたしは思います。

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メッセージをお寄せいただいた皆様、ありがとうございました。
引き続き、以下のフォームでメッセージを募集しています。
一旦締め切りを1月14日(土)23:59とさせていただきます。

この件に関し、できるだけ多くの方の詳細な声を運営に伝えることができるといいなと思います。
ご協力いただけますと幸いです。