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【2023/01/04 01:00現在】いただいているメッセージ内容を公開します

2023/01/04 01:00現在、いただいているメッセージのうち、

【受け付けないもの】
・個人の誹謗中傷となる内容
・個人の人権侵害となる内容
・信仰そのものに対する非難、脅迫など攻撃的な内容
・藤井風さんの運営に対し、サイババ思想伝道におけるスタンスにおいて現状維持を強く求めるもの
・藤井風さん運営宛と見なせないメッセージ

【受け付ける内容の具体例】
・藤井風さん運営の、サイババ思想伝道における問題に関して思ったこと
・上記問題に関して運営に改善してほしいところ
・藤井風さんへの応援の言葉
・自分の風さんファンとしての背景
など

どれかひとつでもOKです。例えば、応援メッセージだけでもOKです。

以上の条件を満たし、公開許可していただいたものを、そのまま掲載していきます。

2022/12/31 15:00以前のまとめはこちら▶【https://note.com/ii_yy/n/n4068c26bfaef

2023/01/02 21:00以前のまとめはこちら▶
https://note.com/ii_yy/n/na1dfa4a03015

※メッセージ内容は、本企画管理者個人の意見と完全に一致するものではありません。
※日本語以外で書かれたメッセージは、DeepL翻訳を使ったものを適宜修正して載せています。


【はじめに】

本件は、藤井風さんを含め個人の信仰、宗教に関する、非常にデリケートでセンシティブな問題について取り扱っています。つきましては、この前書きをよく読み、前提として理解した上で以下の文章を読んでくださいますよう、お願いいたします。

私たちが今回抗議しているのは、
藤井風さんのサティヤ・サイ・ババの思想を絡めた音楽活動が、それが「サイババ思想の入り口」だと全く周知されてこなかったために、
リスナーが風さんの音楽の入り口に立った時に、充分な情報を基に自分の意思に即した判断をすることが非常に困難になっていた点
についてです。

特定の宗教が彼の音楽活動の核心に据えられていることについて、名前を出して説明することは、リスナーの選択の自由に大きく左右します。
しかし藤井風さんがデビューしてから今まで、その一番大切な説明は、一切行われてきませんでした。
彼が伝えているのがサイババの教えであるということが初めからわかっていれば、素敵な音楽を通して思想を知らない間に取り込んでしまう前に、客観的に資料にあたり、自分の力で考えることができます。しかしそのための周知の努力が、藤井風さんの運営陣には明らかに足りていません。
それは、リスナーの信教の自由の権利を著しく軽視した判断、行為です。
そしてまた、不用意に藤井風さん自身の信仰を音楽活動に結び付けて売り出してしまったことにより、藤井風さん個人の内面的な部分が不必要にさらけ出され、本来背負うべきではない責任を抱える形にもなってしまっています。

この運営方法は、あらゆる面で危険を伴うものです。
私たちは、藤井風さん自身の信仰について、否定はしません。
また、サイババを信仰する人たちについても、否定はしません。
全ての人に、信教の自由の権利があるべきだと思うからです。
だからこそ、一人一人が公正な状況下で冷静な判断ができるように、問題点について指摘し、信頼性のある資料を提示し、時には批判します。
信仰がある人も、ない人も、平等に自己決定を行うことのできる環境が作られることを願っています。


特定の信仰に基づくメッセージは、その信仰についてや、「風さん自身がその信仰をしているが故のメッセージである」ことを明らかにして表現していただきたいです。でないとアンフェアです。知らないうちに特定の信仰に染まっているというのは恐ろしいことだと思いませんか?

No Name

私は音楽を聴く程度ですが、母がファンなのでメッセージを送らせていただきます。

運営 この件について知って商品を販売していたならば事を詳細に説明して直ちに謝罪すべき。人それぞれ何を思うかは自由だが、音楽やグッズを通して消費者の自由を奪うべきではない。純粋に音楽好きとして悲しい。知らなかったならリサーチ不足。早く動かないとファンも離れ大衆人気も落ちる一方だと思います。
藤井さん あなたや音楽を否定する声が出てくるかもしれないが、このようなプロジェクトを立ち上げてくれる素晴らしいファンがいる限り大丈夫だと思う。そのファンを離さないでください。

普段違う界隈にいるのですが、問題があると(なくても割と)誹謗中傷が飛び交い自殺も起きているので、このようなプロジェクトを立ち上げるファンがいることはかなり貴重だと感じます。ファンもアーティストは似る気がするので、藤井さんも誇るべきだと思いました。

音楽好き さん

こんにちは
私はサイババさんのことを調べて知って、気持ちが揺れました。曲を聴かないようにしたり、グッズを処分したり。

でもやっぱり藤井風が好きなんです。歌声とかピアノとか曲も優しいところも大好きです。

サイババの名前を出すのは教えに反することでしょう。別に出さなくてもいいと思います。でも批判は必ずあります。それを受けていけばいいと思います。しんどいけど痛みも伴うけど、応援してる人もたくさんいるしそこからどう成長していくのか私は見たい。

頑張ってください。
いつも素敵な歌をピアノをありがとうございます。

No Name

風さんではなく、運営側の姿勢に疑問です。
私はライブには行ったことがありませんが、CDを買ったり、グッズを買ったりして2年近くファンでした。なんとなく信仰がそうなんだろうなあとは思っていましたが、楽曲が好きでしたし、特に気に留めてもいませんでした。アルバム名や、レーベルも、「すてきなスローガンだな」と思っていました。
調べればそれが誰の言葉なのかわかるのに、調べなかった私が愚かでした。どんなにすてきな思想でも、私は彼の疑惑を知る以上、まるっと信仰することはあり得ません。(もちろんそうではない人もいると思います。あくまで、私の選択は、という話です。)

「これはもう身を引かなくては」と思ったのは、サイババ書店が明らかに藤井風さんのファン層を意識したトートバックを大々的に売り出したときです。
過去に買ったグッズも、絶対に身につけたくないと思いました。「この人はサイババの思想を信仰しているんだ」と、わずかでも思われる可能性があると考えると、ゾッとしました。このときに「信仰はしているけど、本家とは関係ない(広告塔ではない)」と何らかのメッセージがあれば、ファンでいられ続けたのかもしれません。
が、大晦日のストーリーを見て、私の心はポッキリ折れ、CDもぜんぶ売りました。藤井風さんのパフォーマンスは大好きです。だけどもう純粋に楽しむことができません。この問題に対して「個人の信仰の自由だ」と言ってる方には、全く話が通じていないと落胆します。

いっかねずみ さん

わたしも宗教二世でありそのことについて認めることに日々葛藤があり、誰にもその話をできていません。宗教というものに嫌悪があるのは確かです。藤井風さんの曲に魅力を感じ、ライブにも足を運びましたが、サイババの教えを歌っていると知ってから全く聴くことがなくなりました。彼の信仰は自由でも、無意識下での布教は許されないことではないでしょうか。

No name

私は風さんの大ファンでした。それはもう厄介なほど熱狂的なファンでした。どのくらい厄介だったかと言うと、風さんについてよく知らない人や最近ファンになったばかりの人が風さんについて話すのが耐えられなくて風さんのことになると視野が狭くなって過激になってしまう自覚があったためにTwitterで風さんの名前を出して発言することが出来なかったほどです。私は相当に妄信的なファンでした。本気で彼のことを天使かなにかなんじゃないかと思っていました。
現在、上記に記したような自分ののめり込みようを客観的に見て、恐ろしくてたまりません。私は普段こんなに過激な発言などしないのに、何故ここまで過剰に彼にハマりきっていたのでしょうか。入口は間違いなく彼の素晴らしい音楽性でした。しかし断言出来ますが、ここまでのめり込んだ理由は絶対にそれだけではありません。私が風さんの妄信者のようになったきっかけは、音楽自体と言うより彼の言動や思想が20代とは思えないほど達観していて、それに衝撃を受けたからなのです。とてもじゃないけど同じ人間のように思えなくて、まるで神様のように感じました。私は無宗教なので、宗教の代わりにこの人の言葉を信条にするのはありかもしれないと思ったのを覚えています。いつかもしも万が一この人と会話する機会が訪れた時に恥ずかしくないようになりたい、この人のライブにはできる限り必ず行かなければ、この人はまるで神様のようで他のアーティストとは違う、ただ音楽を楽しみに行くだけじゃなくて彼の声を聴き、言葉を聴き、グッズを身につけたいと思っていました。
しかし、これらは全て風さんの言葉ではなくサイババという私からすると全く見ず知らずの教えでした。私はかなりショックを受けました。風さんの考え方に何らかの宗教がバックにあることは察していましたが、こんなに丸々引用されているとは思わなかったのです。私が支えにしようと思ったのはあくまで風さんであり、そんな知らない宗教の教祖の教えなんかじゃなかったのに、風さんの言葉はサイババの教えそのもので、私が実際支えにしていたのはサイババという全然知らない人の教えだったなんて、と大ショックでした。
さらに、これを明言しないで音楽活動をしていたことに対する冷静な指摘(私は全く攻撃的だなんて思いませんでした)を受けてでしょうか、風さんのあの、人が変わったように怒りを顕にして、全く的はずれな、てんで見当違いなことを煽るような口調で論じていたインスタストーリーを見て、私は不意に冷静になりました。風さんに見えていたあの達観した考え方はサイババの教えから来ていたものであり、一方で風さんご本人には年相応の幼さや、大切なものを攻撃されたと思い込んでカッとなって反論してしまうような視野の狭さがちゃんとあったんだなと理解して、彼は天使でも教祖でもなんでもない、同年代の人間だと腑に落ちて、それと同時にとても恐ろしくなりました。私はいつの間にか宗教的な考えに染まりつつあって、同時にものすごく視野が狭くなっていたのだと気がついたのです。そして恐らく風さん自身も、私が大好きな風さんに関することにデリケートになっていたように、ご自身の大切な信仰にまつわることになると途端に周りが見えなくなってしまうのかもしれないとも。

風さんご本人にも責任はあると思います。プロとしてメジャーで売り出すということは風さんの出すもの全てにファンやスポンサーが動かす大金が絡むといっても過言ではないし、そのお金の量と同じかそれ以上に重たい責任がのしかかるものだと思うからです。当然ながら風さんがなにを信じようが自由です。誰もそれをやめさせようなんて思っていません。今後もどうぞ周りのことなんか気にせず堂々と信仰されたらよいと思います。けれど、今回の私のように全く知らないうちに知らない宗教の考えに飲まれかけていた人が1人や2人じゃなかったことを思うと、風さんがご自身の信仰を全く明言せずに丸ごとそのまま引用していたことは、さすがに不信感を覚えざるを得ません。現に私は大変不快な思いをしました。もっと言うならば、現状既にほかの宗教の信者の方などからすれば、もっとさらにショッキングな出来事だと思います。風さんもひとつの教えに熱心な方であるならばわかって下さらないでしょうか?自分はもうサイババという方の教えを胸に生きているのに、ただ音楽を聴いていただけで全く知らない間にほかの宗教の教えに感銘を受けていたなんてことがあったら風さんはどう思われます?ベジタリアンだと仰ってますけれども、大豆肉だよと言われて食べさせられていたものが動物の肉だったらどう思われますか?今回のことはこういうことなんです。あなたが何を信じているかなんて問題じゃありません。風さんも入信されているなら分かりませんか?宗教って本当にデリケートな問題なんです。あなたに信教の自由があるように、また私たちにもそれを知って離れる権利があるんです。防ぐすべを与えて下さらなかったことに対して抗議しているんです。あなたの信仰を否定してなんか全く無い。どうか冷静になっていただけませんか?難しいのは分かりますが、離れたければ離れればいいと突き放して終わるような問題じゃないと思いますよ。

そして、風さんの周りの大人にも同じくらい、もしくはご本人を上回るほどの責任があると思います。風さんを精神年齢109歳だなんてまつりあげ始めたのは何処の何方ですか?風さんは25歳ですよ。仙人でもないんですよ。どんなに大人びているように見えても、所詮はまだ25年しか生きてきていない人間で、世間知らずで危ういところも沢山あるじゃないですか。あなたたちは風さんをプロデュースするだけではなく、風さんを守る立場でもあるのでは無いですか?風さんの信じる信仰の言葉だとなぜよく調べもせずに様々なプロモーションに使ってしまったのですか?このような事態に陥りかねないと少しも想像できませんでしたか?もしかして、宗教に関することはタブーも多く大変デリケートでセンシティブなんだとご存知なかったんですか?もしもそうならばあまりにも無知すぎます。日本人には一般的に馴染みの無い考え方かもしれないけど、風さんの世界進出を最初から考えていたのなら尚更、深く調べて本当に全く問題がないか確認するくらいできなかったのかと思ってしまいます。風さんには本人の自由にやらせたいと思ったといつぞや仰っていましたが、自由には責任が伴うという言葉をご存知ないでしょうか。自由にやらせるだけやらせて責任はろくに取ろうとしないようであれば、いずれその跳ね返りが風さんに行ってしまうのではないかと心配で心配でなりません。チーム風の皆さん、おねがいです。どうか風さんを守ってください。あなたたちしかできないことだと思います。


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追記
非常に無礼な文面になってしまい大変申し訳ございませんでした。けれどどうしてもお伝えしたくて、本当に今思っていることをそのまま書きました。今回の件でこれだけ憤りを覚えたファンもいたのだということを理解していただければ幸いです。長文乱文失礼しました。

ぬぬ さん

はじめまして。風さんのファンです。信仰や宗教と関係あるかはわかりませんが、ファンになってから自分に起こったことを書かせていただきます。
元々、自己肯定感高めで、自分が大好きな私、風さんの音楽はもちろん、歌詞や言葉にも多くの共感をしました。
まずは自分を愛して大切にする、自分を好きな私にはとてもピッタリな感じがして、音楽から人柄まで本当に大好きになりました。
春からのホールツアーに外れてしまい、ツアー中の公式SNSや参加できた方のツイート等を目にするようになると、うらやましさや悔しさが湧いてきます。それがまさしく自分の執着に思えて、彼の言葉通りさっさと手放したいのになかなかそれができない自分をひどく恥ずかしいと思うようになりました。
スタジアムライブ中も、参加された方の発信にマウントをとられているような気持ちになったり、どんどん自分が醜くなっていく気がしたのです。彼が話す英語がわからないことも恥ずかしいし、だからといって今から勉強する気にもなれないこともそうでした。
好きになり過ぎた自分が悪いと、反省しました。こんなネガティブな者が、風さんのファンでいて良いのかとさえ思ったりしました。
ライブに行けなくても、行かれた方に素直におめでとうやよかったと言っている方の発言を見て、何故自分は素直にそう思えないのか?どんどん自分を嫌いになっていったのです。
ダメなところも沢山あるけど、頑張って何とか生きている自分をとても好きだった私が、執着だらけの嫌な奴になっていく。
少し頭を冷やそうと、毎日観たり聴いたりしていたのをやめ、情報を追ったりするのを控えてみたりしました。
風さんのファンの方の言葉で、本当によく見かけるのは「救われた」とか「よい影響を受けた」というものです。残念ながら私はそうは思えなかった。
少し距離を置いて色々考えてみたのですが、音楽の良さは皆さんと同じように受け取れる(カバーの方が楽な気持ちで聴けます)のですが、その考え方は私には合わなかった。風さんに限らず、誰にでも合う合わないがあるのは当たり前ですが、彼の発信するものはそれを考えさせる思想的なことが多いと思うのです。悪いことはひとつも言っていないし、その通り生きられるなら素晴らしいと思うことばかりです。それなのに、それを実践できない自分はファンにふさわしくないと思ったのです。こんなことを思うのは私だけなのかもしれませんし、これは風さんのせいでも何でもありません。風さんの考え方を通して、自分と向き合った結果自分に起こった心境の変化です。
今はどうにか音楽だけを楽しめないかと模索しています。
今回の主旨にあっていなかったらすみません。
風さんの才能は唯一無二ですし、活躍を心から願っています。ネガティブな意見で風さんを批判したいわけでは決してないことをご理解下さい。

HY さん

藤井風さんのコンサートにも行ったことのあるファンです。ここ最近の一連の騒動により、素直に風さんを応援できなくなっている自分がいることに気づき、今回メッセージを送りました。

私が風さんたちに疑念を抱いているのは、
①歌の引用元、②信仰の在り処をはっきりと明言していないこと、この2点です。

私は風さんの作る楽曲のメッセージ性と高い音楽性に惹かれ応援していましたが、アルバムタイトルであるHEHNやLASAという言葉が、そっくりそのままサイババ氏のものであることを知りませんでした。藤井風さん自身から生まれた言葉なのだと勘違いをしていました。
私は風さんの作る音楽が、風さんの音楽ではなく、サイババ氏の音楽であったのかもしれない、という部分に少なからずショックを感じてしまっているのです。


これを踏まえて、まずは①引用元をはっきり明言してほしい、の根拠からお話します。

例えば論文を書くときには引用元を必ず明記しなければなりませんし、誰かの作品からインスピレーションを受けて新しく作品を作る際も、はっきりオマージュであると言わなければ、所謂"パクリ"と見做される、これは世界共通のルールだと認識しています。
そっくりそのまま他人の言葉を引用するのであれば、引用元を明言することは最低限必要なことだと思います。今後明言をしないのであれば、名言しない理由をはっきりとお聞かせいただきたいです。

次に、②信仰の在り処をはっきりと明言してほしい、の根拠についてお話しします。

私は風さんとさほど変わらない20代前半の年齢であり人生経験も乏しいため、サイババ氏がどのような人物であるかを知らず、Google検索等を通じても、表面上は特段悪い印象を抱きませんでした。しかしながら、サイババ氏が性的虐待を行なっていたこと、スピリチュアルを演じて人を騙していたことなどの多くの疑惑が向けられている人物であることも知りました。これは疑惑であり、事実確認が取れていない部分もあるため断言はできませんが、もしこれが仮に事実であれば、私は「非人道的な行為を行う人物を間接的に支持していたことになる」わけであり、そのことにちょっとした恐怖を覚えました。

藤井風さんがどんな人を信じようと、それは風さんの自由であり、私たちには関係のないことです。
わたしはあなたではないから。同じではないから。関係ありません。
しかしながら、風さんには少し気に留めておいてほしいのです。あなたが信じている人は、そのような疑惑が向けられている人である、ということを。
その人の教えを、何も知らない人々に伝えていく、とはどういうことなのかを…。
間違ったことが起こるのを未然に防ぐためにも、信仰の在り処を明言しておくのも大切なのではないでしょうか。


話は逸れますが、日本で最もポピュラーなプロデューサーと言っても過言ではない、ジャニー喜多川氏も、児童虐待に関する疑いが向けられている人物です。しかしながら、人々はジャニー氏のプロデュースを受け入れています。
それを踏まえると、サイババ氏の言葉や価値観を否定するのは一部の人間だけであり、多くの人々からは受け入れられるものなのかもしれません。作り手と制作物を切り離して考えるとか、それとこれとは別とか。色んな考え方があります。なので、正解はわかりません。

正しさとは何なのか、わたしにはまだ何もわかりませんが、今一度方向性を検討いただけると、ファンとしても気持ちが晴れるのかなというところです。

@810ua さん

風さんのことを大好きな恋人がいます。

恋人と一緒にライブに行きました。東京から、はるばる吹田まで。

1月にも、ライブに行く予定です。

でも、このことを知って、どうするべきかわからなくなりました。

恋人に伝えるべきなのか?

風さんのことを大好きな恋人がこのことを知ったら、私が受けたショックとは比べ物にならないくらい、動揺すると思います。

では伝えないでおくべきなのか?

そうしたら、恋人が次第にスピリチュアルに傾倒していく可能性がある。誤解を恐れずに言うと、私は恋人にそうなってほしくない。

だからといって、私からこのことを伝えることなんてできない。恋人の大好きな風さんを私が汚すような、残酷なことはできない。

それに、勇気を出して恋人に伝えたとして、恋人が事実を受け入れてくれる確証もない。恋人が事実に目を背けて、私との間に分断が生じるかもしれない。

風さん、わかりますか

あなたが他人の言葉で愛を説いた結果、
私と、私の愛する恋人との関係を、こんなにも危うくしている。

私は正直、怒っています。

ライブに当選して、無邪気に喜んでいた私たちはなんだったのか。
ライブやライブに行くために使った貴重な時間は、お金はなんだったのか。

何よりも、風さんや風さんの音楽を心から愛していた恋人の気持ちはなんだったのか。

風さんも、運営も、ちゃんとしてください。

このまま活動していけば、
風さんがもたらすものは、愛よりも
戸惑い・失望・落胆・怒りのほうが多くなるのではないでしょうか

UriBuri21 さん

私は藤井風さんが大好きで、これまでアルバムを聴いたりライブに行ったりしてきました(良さを語り出すとキリがないのでここでは省略しますが…そのどれもが、すごく良かったです!)これからも風さんの音楽を聴きたいし活動を応援したいと思っています。今回のツアーも友人と行く予定で、楽しみにしています。

2022年の秋頃、風さんのアルバムのタイトルであり風さんがとても大切にしている言葉がサイババさんの教えそのままのものだと知りました。

風さんがサイババさんを信じ、愛していることについて、何も問題に思っていません。(そもそもそんなこと否定する権利は誰にもないです。)
風さんとサイババさんとには深い繋がりがあり、生まれた頃からサイババさんの存在が身近にいる環境の中で大切に育てられてきたのかなと想像しています。
サイババさんの存在もあって風さんの今があること。風さんが信じている事を、もちろん悪気なんて一切なく、音楽活動の中で純粋に伝えているだけなこと。自分なりに理解しているつもりです。

ただ、風さんのことは大好きだけれど、サイババさんを信仰していないし、これからも信仰する事は出来ない(本当に本当にごめんなさい…これが何より風さんに申し訳ないです…)そんなファンにとって、
サイババさんの教えが、そのままアルバム名やツアーグッズになっていたことを知らずに、周りにお勧めしたり、その教えが印刷されたグッズを友人にあげたり、自分で身につけたりしていた事がわかったとき、とてもしんどい気持ちでした。知らず知らずのうちに私は布教活動をしていたのかとショックでした。サイババさんの布教活動(と周りに受け取られても仕方のない事)をしてしまっていたことを、キチンと調べなかった自分を反省しました。

できることなら、今後、私と同じような事で苦しむファン(もちろん全然大丈夫だよってファンもたくさんいると思いますが…。)が出ないように、何かしらの注意喚起をしていただけると嬉しいです。

No Name


1.私と藤井風について
私が藤井風の楽曲を聴き始めたのは2020年の5月か6月ごろだったと記憶しています。公式のYouTubeで「何なんw」を最初に聴いて、それから「何なんw」の解説動画を見て、本人の信仰に基づき作成された楽曲なんだなとはすぐに気付きました。そのほかの楽曲もすぐに聴き、シンプルに音楽の良さ、藤井風という人の思想に基づき書かれた歌詞に元気づけられたり今日もがんばろうと思ったりしていました。

2.私なりの藤井風と「宗教」
初見でも藤井風の思想が分かりやすい楽曲でいえば「まつり」「grace」でしょうか。明らかにある特定の宗教観に基づいた曲ですが、それらは彼が触れてきた宗教の教えを彼の中で噛み砕き、歌詞に落とし込んだものだと思いました。
「何なんw」の解説で初めて耳にした「ハイヤーセルフ」という概念も、「まつり」「grace」に明らかに描かれている仏教の考えも、すべてはただ彼が楽曲のモチーフとして採用したものだと思っていたのです。もちろん、藤井風本人はそういった信仰、思想を持っているということは容易に想像がつきました。ただ、彼の楽曲に関してはあくまでもモチーフである、という認識でした。
藤井風の楽曲に初めて触れてから、ライブにも2度行きましたが、藤井風は媒体が音楽なだけでやってることは教祖だなとは思っていました。それは彼の思想が歌詞にあまりにも強く反映されているからです。彼の教えを彼の楽曲を通して説いているのだ、と。

3.このプロジェクトを知ったきっかけと、何を見たか
今年の1月1日、ツイッター上で藤井風の紅白の感想を見ようと検索窓に藤井風の名前を入力したところ、「藤井風 宗教」とサジェストが出てきたので、彼の音楽は宗教チックだなとみんな思うよね、と何気なくツイート群を見て、初めて今回の事態を知りました。アルバムのタイトルにサイババという宗教家の教えがそのまま使われていること、藤井風のプロモーションについて問題視したこのプロジェクト(IIYY project)とこの発起人の方、藤井風のインスタグラムのストーリーでの発言、それに対する藤井風擁護の声、問題提起への執拗な攻撃……。

4.私なりに運営へ求めることと、この騒動を見て感じたこと
一連の騒動について自分なりに考えた意見としては、このIIYY projectとおおむね一致します。運営側は藤井風という人物が、楽曲を世に放つことに対しての責任がある。当然のことながら、彼本人の信仰は妨げられてはいけないしどういった信仰を持っているのか公にする義務もない。ただし、アルバムタイトルにある特定の宗教家の言葉を引っ提げるならば、誰の言葉の引用かは明示する必要があった。明示するだけならば藤井風本人の信仰のカミングアウトにはならないはずです(例えばクリスマスソングを歌った歌手について、この人はキリスト教を信仰しているのだとはまず思わない。ここを間違えてプロジェクト発起人の方やその賛同者を攻撃している人がツイッター上で散見されたように思います)。
そしてこれも当然ながら藤井風本人が彼の信仰であろうサイババの教えを取り込んだ楽曲を作成した世に放つことも何も問題はない。このプロジェクトは藤井風本人を非難したり貶めたり攻撃するものでもない(ここも間違えている人がかなり多い印象を受けました)。
あくまでも、運営のプロモーションがまずかった、藤井風という才能を世に放つにあたっての詰めが甘すぎた、ということに他ならないと思います。
藤井風本人、そして多くのリスナーの信仰を守り、願わくば今後も藤井風の楽曲を楽しみたい、そんな一藤井風ファンからの希望として、運営からの言葉が必要です。

No Name

運営側の売り出し方戦略は、残念だったなと思います。

私は特定の宗教の信者ではありませんが、信仰している宗教の教義によってはクリスマスパーティーや初詣への気軽な参加もダメと聞きます。
そのような人たちが自覚しないうちに教義への忠誠を破っていることになるのではないかと思ったためです。

「誰も傷つけない」を実践するのであれば、また本当にサイババ信仰と深い結びつきがあるのであれば、運営側はその事に予め触れておくべきだったのではないかと考えます。

個人的には、繰り返しになりますが無宗教だったため特に問題もなく、また彼の歌や精神活動に多大な影響を受けてもいない(と自覚しているだけかもしれませんが)ため、これからも藤井風さんの歌を聴いていきたいと思います。

No Name

折角なので最近この件にもやついてる気持ちを長い文章でまとめてみます。事実に基づかない一方的な思い込みや誤謬もあるかもしれませんが、ご容赦ください。

近年の音楽で最も私の心に響いたアーティストは藤井風です。それは紛れもない事実です。オルタナティヴであり、(おそらく)音楽としての教養があり、そこに岡山の素朴な原風景が乗った藤井風の音楽は、私にとって衝撃でした。
一方、彼自身の発言からおおよそスピリチュアルなもの(宗教知識がないのでざっくりとそう捉えました)に傾倒していることは察することができており、私自身は「それはそれ、音楽は音楽」と割り切って藤井風のリスナーとして彼に触れ続けました。
音楽を含めた芸術は、つねに何らかの観念と隣り合わせでいると個人的には思っているため、彼自身がどんな信仰をしていようと私は構わないです。私が彼から発せられる音楽やメッセージに対して受け入れるかどうかの話であると理解しています。

一方、今回の運動の説明を拝見し「確かに判断できない人もいるだろう」という気づきを得ました。実際藤井風ファン周辺のSNSを覗き見してみると、幅広い年代に愛されていることがわかり、特に大人世代の女性から強い支援を受けていることは藤井風の特異点であると私も感じていました。しかも音楽好きというわけではなく、一般的な趣味趣向の方が、外見含めた藤井風の存在にドはまりしているような印象です。それだけ彼の魅力が強いのだろうと思うと同時に、盲信し過ぎが故のリテラシーの欠如への不安は率直に感じていました。
よくある話で、その界隈の一定の知識や文脈が全くない人がそこに飛び込んだ瞬間の、その熱量や瞬発力が誤った方向に行かないか周囲が不安になる、というやつです。

今回それが宗教に結びついていることは、確かに不用意な問題になるのではないか、というのは私も同感です。宗教は、あまりに人の心に大きな影響を与えます(良くも悪くも)。
藤井風はすでに令和のスターになっています。彼の音楽は唯一無二なことは、日本のみならず世界もわかりつつある2022年だったと思います。だからこそ、そろそろ藤井風の背景を言葉にしてもいいのではないでしょうか。彼の唯一無二の音楽は一定の思想のもとに生まれている、と。その上で彼の音楽をどう聴くかはリスナーの自由です。その自由を担保していただくことも、スターを抱える運営側にとって必要なことではないでしょうか。

No Name

こんにちは。
私は藤井風さんのファンです。ライブにも参加しました。風さんの音楽、人柄全てが大好きです。辛い時に風さんの曲を聴いて何度も救われてきました。風さんの曲を聴くと温かい気持ちになります。風さんのことを知って、曲を聴いて人生が明るくなりました。自分も風さんのような考え方を意識して周りの人達に接してきました。


今回の問題はTwitterで知りました。最初は「宗教なんて関係ない。風さんが可哀想だ。これ以上風さんへの批判的な意見は見たくない。」という気持ちでいました。でもだんだん大きくなっていくこの問題、少し気になるなという気持ちになりました。その時にこのIIYY projectを知り、内容を読みました。そしてこの問題が風さんの人生のうえで非常に大切な問題ではないかということに気づきました。

自分は大丈夫でも、風さんの音楽を聴いて辛い思いをする人がいる。多くの人の様々な考え方に触れることができました。
私も風さんのファンの1人として他人事ではないと思い、意見することを決めました。

全ての人達の意見を完璧に受け入れることは難しいと思います。
でも、この問題に対して何か行動を起こすべきです。このままでは風さんと一部のリスナーとの間に壁ができてしまいます。
風さんにそのようなつもりはなくても知らない間に特定の宗教の信者になっているのではないかと怯える人たちもいます。

また、海外は日本よりも宗教に関して敏感です。そのことは風さんが1番よく分かっているはずです。風さんは海外進出を考えているので、なるべく早いうちに誤解を招かないようきちんと明示するべきです。

ここに意見している人達は決して風さんの信仰を否定していません。風さんのこれからの活躍を願って意見しているが多いと思います。

私は風さんの曲が大好きだからこそ曲の背景について風さんの信仰についてもっと知りたいです。風さんの信仰について明かさないままだと何も知らないまま受け入れてしまう人たちが増えてしまいます。

まだ高校生で宗教のことなどよく分かりませんが風さんにはこの問題に真摯に向き合ってほしいです。

これからの活躍に期待しています。どうか自分自身を大切にして下さい。ライブまた行きたいです。

No Name

本人がどんな宗教を信仰していようが、その宗教の教えを歌詞に盛り込んでいようが否定しませんが、それを明言することなく聴き手を無意識のうちに洗脳するようなやり方が怖いということです。

No Name

藤井風さん、本当に素敵な曲をかきますよね。
人間だし全てを晒す必要もないとも思います。

でも、自分の思想に共感してくれる人がたくさん出来た時、それは嘘や誤魔化しじゃいけない。

簡単では無いと思います。
ただ説明して欲しいと言っても、それはシンプルではないのかもしれない。

みんな藤井風さんのつくる曲が好きだから、藤井風さんが素敵だと思うから
だからこそ、誠実さを持って、わかってもらった上で、みんなの自由意志を持って、その思想までを共有するか選択させてあげて欲しいです。

お願いします。

No Name

マジックって楽しいじゃないですか
みんな好きですよね

でもそれをマジックじゃなくて手品じゃなくて、「魔法がつかえるんです」って言ってたらどうでしょう
なんかモヤモヤする
それが手品と知っても、本人にそう言って欲しいと、そう思うんです

No Name

彼女との辛い別れを経験したことがきっかけで、藤井風さんの音楽に救われました。1stアルバムから年齢離れした死生観や人生観が歌に現れ、その考えに救われた自分がいたのは事実ですが、何故か2ndアルバムやgraceを聴くと、なんとなく藤井風さんやそこから生まれる音楽が人間を超越したような違和感、達観しすぎてる違和感を感じるようになりました。そして、IYYプロジェクトのブログに辿り着き、合点がいきました。宗教やスピリチュアルは信仰の自由はもちろんあり、その考え方に救われる人もいるのは間違いなく、私自信も救われた1人なのですが、それをプロパガンダぎりぎりともいえる形でさらにサブリミナル的に伝えてしまうのは確かに危うい面があるというIYYプロジェクトの意見に賛同します。信仰の自由と同じレベルで選択の自由は守られなければいけないと考えます。表現されたものや芸術にはその人の生き方や、考え方、テーゼやアンチテーゼが入ってくることは必然とも言えるとは思うのですが、真の表現者であるならば、イデオロギーを超えた普遍的なメッセージ性あるものを出してほしいと切に願います。

No Name

藤井風さんの音楽活動とサイババの教えとの関連性について運営は公開するべきではないでしょうか?関連があるのが悪いのではなく、関連しているのに公開しないということはサイババの教えにもリスペクトがない行為に思えます。

No Name

母親が藤井風さんの大ファンで、我が家のリビングでは常に藤井さんの音楽がBGMとして流れています。
私は母の影響で藤井さんの音楽に馴染みがあることに加え、昨年の安倍元総理の事件がキッカケで宗教二世問題に対しての関心があり、昨年末ごろからTwitter上で巻き起こった、藤井さんをめぐる騒動については、気がかりで情報を追っていました。

今回の騒動前、母は藤井さんについて『神様の子』『風の言葉にはすべて意味がある』とよく話していました。
騒動後、自然とそのようなことを話さなくなった母に、藤井さんの話を振りました。彼女いわく、
『日本はうるさい人が沢山いる…』
『風がかわいそう。(Twitterは)もう見たくないから見ない』
とのことです。
母が私の思っていたよりも深く、藤井さんに盲信的になり、思考停止の状況に陥っていることにショックを受けました。

母の目に『うるさい人』と映る方々には、藤井さんの信教の自由をおびやかす意図は一切なく、ただ真摯に、運営側の皆さんの方針に疑問を呈されているだけと見受けられます。
よって、私は藤井さんが『かわいそう』だとも思いません。
特に藤井さんのファンでもアンチでもない私が、今回の騒動を客観的に見た上での意見です。

そして現在Twitter上でも、多数の盲信的なファンが、IIYYプロジェクトのお2人を含む、少数の建設的な忠告者の意見を黙殺してしまっているという事実があります。
私はそのようなファンが、藤井さんに本当の意味での信頼を置いた上で、彼を支持しているようにはどうしても見えません。
コンコルド効果といって、人間は金銭的・時間的・精神的投資すればするほど、それまでかけてきた労力を惜しみ、それをやめられなくなってしまうものなのです。
つまり、藤井さん及び運営側の皆さんの瑕瑾を『認めたくない』『認めるわけにはいかない』という心理が、私の母も含む多数のファンを盲信的かつ思考停止にならざるを得ない状況に陥らせているのではないかと思うのです。

なぜそこまで思うのかというと、私自身、母がこれまで、決して多くはない収入をやりくりし、藤井さんのCD、ライブDVD、インタビュー掲載誌、LAATツアーチケット、公式アパレルグッズ等…たくさんの金銭的・時間的・精神的投資を藤井さんにしてきた経緯を間近で見てきたからです。
彼女は藤井さんの音楽性だけではなく、端正なルックス、チャーミングな言動、歌詞や話す言葉の深さ(母にサイババ氏の知識は一切なく、藤井さん本人の言葉だと認識していたとのこと。)…つまり『藤井風という人間』そのものにも魅せられ『応援したい』と思っていたからこそ、これまでの投資を一切惜しまずしてきてきました。

運営側の皆さんが、藤井さんのコアメッセージ『HEHN』及び『LASA』は、『藤井風が父親から受け継いだ言葉』であると同時に『サイババ氏の代表的スローガンの引用』であるとはじめから明確にし、ファンに一度立ち止まって考える権利を与えてくれていたならば…と思うと、現状の運営方針には不信感を抱かずにはいられません。

今回、真摯に建設的な問題提起をされた方々の声にきちんと耳を傾け、ファンだけでなく藤井さん本人にとっても、今後の活動が健全でよりよい方向へと向かうことを願います。
何卒、ご対応よろしくお願いいたします。

izu さん


藤井風さんは紅白で初めて知りました。歌詞が良くて共感できました。
しかし、藤井風さんがインドのサイババという宗教信者ではないのか、藤井風さんの作る楽曲やライブステージはサイババの教えに基づくもの・もしくは教えそのものではないのか、というのを知ったとき、「自分が共感した歌詞が、自分の信じる宗教以外の教えだった」「藤井風とプロデュース会社はその事を隠していた(楽曲を聞いたり藤井風の提供するあらゆる場に触れた人々に対して、秘密裏に特定の宗教に誘導する意図があったと捉えることができる)」ことに絶望感がありました。私は仏教徒です。同時に日本人なので、クリスマスを楽しんだり、国内の有名な神社へ行ったりもします。しかし、これらはすべて自分の選択の上で行っているもので、こういう行為に他の宗教を信じようとする意図はありません。そのため、なおさら、藤井風さんの楽曲などがサイババという宗教の教えに基づくものであり、それを隠して広く世界に提供している、ということは許せないことです。
藤井風さんの多くのファンは、藤井風さんの曲のファンだと思います。しかし、藤井風さんのファンが藤井風さんの言葉(=サイババの教え)を口にしたとき・目に見える形で提示した時、サイババやサイババを知る人(信者でない)は「あの人はサイババの信者だな」と認識します。これは本当に怖いことで、知らない宗教に信者だと思われることはもちろん、サイババをよく思わない人からはサイババに近しい人だと認識されて敵対視されます。これが世界規模で起こるのです。
音楽性がいいからサイババのことを隠してデビューさせた、という情報を知りました。音楽性がいいなら、宗教のことを隠していいのでしょうか?デビューさせる方法は他にもあったのではないでしょうか?もしくはデビューさせないという選択はありませんでしたか?
藤井風さんやプロデュース会社が、ここまで記載した藤井風さんの音楽の危険性を認識して、適切な方法で提供することを望みます。

No Name


曲が好きでファンになったのですが、吹田のライブでの宗教チックな演出に少し引いてしまいました。こういうスピリチュアルっぽい雰囲気で好きになったわけではないのになとモヤモヤしました。その後、Twitter上でサイババのことや宗教2世のことを見かけるようになり、怖いなと思ってしまいました。曲や本人は悪くないはず、でも何も事実が分からないといった状況なので困惑しています。運営側から説明を頂けないと今後は応援できないかもしれません。

No Name


まずグッズデザインの経緯はユニバーサルレーベルもしくはグッズ作成した会社が説明すべきではないでしょうか?
グッズを作る前に通常は色々下調べされてると思いますがあまりにもサイババ宗教のグッズと似ています
少し前にも似たような事があり販売中止をされていますよね?
そこに関しての説明は必須であること以外考えが浮かびません

その回答によってファンだけじゃなくファンの方がいる家族がどう関わっていくか発展していくと思います
決して本人だけの問題ではないからです

回答にどういう反応をするのか、
どういう聴き方をしているか、グッズを購入しているか、イベントに参加しているか、同じく応援しているファンと交流があるのか、どういう交流をしているのか等
会話して知らないといけません

現時点でサイババグッズを購入するファンや教えを言葉にするファンが同じコミュニティにいるので尚更です

それで会話し解決できたら特に問題はないと思います

あまりにも先延ばしにするとタイアップ企業にも影響がでてくるのではないでしょうか
一度考えてみてくださいませ

No Name


はじめまして。藤井風さんの事は全く知らず、ただリツイートされてきた問題提起のツイートを読んだことを機に自分の推し方について内省していた者です。
藤井風さんの音楽も人間性も全く知らない立場ではありますが、貴プロジェクトは藤井風さんとファン双方の人格や信教の自由を尊重し、冷静に問題提起しておられると感じました。
私もfanaticなファンなので「推しを悪く言うな!」「推しを守らなきゃ!」となる心理も残念ながらわかってしまうのですが、この件は藤井風さん個人への非難ではないことは理解できますし、信教の自由や言論の自由に基づく健全な批判や議論は守られなければなりません。
脅迫などもあるようですが、まずは御身を大切に、そしてできれば屈することなく貴プロジェクトが活動を続けられますようお祈り申し上げます。

No Name

コマーシャルなパッケージングをせず、思想を見守りながら、ありのままで切り取らない発信を望みます。彼の音楽性を応援しております。

RieM さん


藤井風さんの曲をほとんど知らない者です。車のCMソングだけは耳にあります
同郷(隣町)出身だからという理由で、年明けになんとなく彼の名前で検索してみました。
問題提起をされた方、それに共感賛同された方(ファン含む)、擁護反論するファンの方のツイートを結構読みました。
延々と繰り返される「そうではなくこうです」という対応 私は見ているだけでうんざりしました。SNSで議論をしようとするのが無理なのでしょうか 
まとまりがありませんが思ったことを書こうと思います。Twitterにあげると凸されるのかなと思ったので。

今回の問題は事務所運営に向けられたものと受け取りました。
・まだ黙っている藤井風の周辺
・問題にはほぼ関心がなく提起者に対し、説得しよう・ねじ伏せようと試みるファン 
・藤井風を貶めるメッセージを本人に送ったであろう人物 
・全世界に(特定の人物↑に向けた)自分の気持ちを表した藤井風 
相関図にしたら全部チグハグな矢印が向いている印象です。

運営サイドが今後どういったアクションを見せるのか気になります。
この問題がどう終着するのか 考えています。
「誰がどうであれ、私はそうはならない・気にしない・関係ない」と思っている人ほど被害に遭うっているのは それ00詐欺じゃが!

年始からこの問題を知り、Nワードの件も併せて知ったのですが
彼は「好き!いい!」と思ったものをただ取り入れている若者(子供)という感じがします。勉強不足、無知だった 本人からそう謝罪があったそうですが、知識というよりも一度止まって考える誰かに相談する(ホウレンソウ!?)それができる環境があれば あのようなインスタのストーリーは生まれなかったと思います。
元々youtubeからやってきたわけですし、本人の意向に沿いつつ大っぴらにできないところは隠しつつ、手放したくはないけど危うい存在  周囲の葛藤が見えるようです。
彼の信仰、スピリチュアルな部分を「欠点」だと判断し、それをコネコネして隠そうとしていたのは彼の身内ではないか?

No Name


風さんのピアノに魅せられてファンになった一人です。風さんの作る歌は、日常生活でふと忘れてしまいがちなことを思い出すきっかけになったり、亡くした人を想うときの慰めになったり…。風さんの多くのファンと同じように私にとっては宝物です。
でも実は、2枚目のアルバムを手に取った頃から、何故かモヤモヤした感情がつきまとっていました。大好きな風さんのライブに、行きたいような行きたくないような変な感覚でした。グッズを目にしたり、風さんの言葉を聞くことに、だんだん抵抗を感じるようになってしまっていて、以前まで毎日のようにチェックしていたインスタからもTwitterからも少し距離を置くようになっていました。
同時に、自分がそうしている理由を自分でも分からず、戸惑っていたことを覚えています。
私は無宗教ですが、縁や言霊を信じていますし、験担ぎもします。神頼みもします。そして風さんの考え方は自分が信じているものと親和性があるのでとても共感します。
その上で、急に宗教色が強くなったように感じた頃から、その状況を違和感なく受け入れられている周りのスタッフの方や大多数のファンの方たちに驚き、自分の感覚が変なのかなぁ、とも思っていたところです。でもここ数日の出来事から、私のような感覚を抱いた人が少なくなかったのだと思い、事の重大さを再認識しました。
これからも風さんの歌を楽しみに待っています。だからこそ、今後の音楽活動の方向性を示してもらえたらいいな、と思います。

No Name


藤井風さんの事務所・運営の方々へ

2020年から藤井風さんの音楽を聞いています。
2021年のHEATツアーに一度足を運びましたが、その後の活動やファン層の変化についていけず、今は少し距離を置いて応援しています。
サイババについてはこの騒動が話題になるまで知りませんでした。

今回の件ですが、私は、藤井風さんが書く詩は問題と思っていません。他のアーティストや作詞家がみんなすべての詩について自分の信仰を含めた解説をしていますか?していないですよね。
そして、藤井風さんの作る“音楽”は素晴らしいです。彼にしか作れない音だからこそ国内外問わず曲がヒットしているのでしょう。
問題は、この売り出し方を決めた事務所、騒動に対して何も動かない運営側だと思っています。

staffブログはすべて読んでいなかったので、藤井風さんの売り出し方について書かれていたのは本プロジェクトで取り上げられていたのを見て知りました。正直、引きました。
個人的には、別にどんな信仰があったって音楽が良ければファンはちゃんと増えると思っています。だからこそ、信仰的なものをちらつかせながらも明示せず、わざと隠しているように見える今の状態が健全でないと思います。
(他の方の、「大切にしているものが分かっていれば自主的に避けられる人もいる」という意見に賛同します。)

また、一方で、藤井風さんご自身が自分が大切にしているものについて明示したくないと言っていたとしても、様々な意見が飛び交う今回の件で少なくとも傷ついているはずの本人を矢面に立たせたまま、両人共の言動を制限しない運営側は藤井風さんを本当に大切にしているのか疑問に思います。
この状態のまま「grace」に続く新曲をリリースできるのでしょうか?
藤井風さんがその時々で本当に作りたい曲を出していけるのでしょうか?
日本を飛び出して世界で活躍できるのでしょうか?

ファンとの距離が近いこのSNSの時代、事務所に所属するアーティストであるならば、しっかりとした指導と迅速な対応を取るべきです。以前のN-wordの件はデビュー前の動画だから本人に対応させたのかもしれませんが、今回は運営側の責任もあるのではないでしょうか。
藤井風さんはまだ25歳です。デビューしてまだ3年です。
こんなことで、彼の音楽が聞けなくなることがあってはならないと思います。
どうか真摯な対応を望みます。

No Name


さいたまスーパーアリーナのライブにもうすぐ行ける事、昨年からとても楽しみにしていた2年来のファンです。
しかし年末にこの件を知り、ライブに足を運び、果たして私は素直に風さんの音楽を楽しむ事ができるのだろうかと現在葛藤しています。

風さんのインスタストーリー、見ました。
今まで見た事ないような口調で嘲笑うかのような表情にショックを隠せませんでした。
風さんの信仰に対しての批判だとご本人に伝わってしまっているようにお見受けします。そのためかなりお怒りだったのだと思いますが…。
誤解を正す意味でも、こちらのプロジェクトから運営に声をあげるのは有益だと思いますので参加させていただきました。

一人一人の信仰は侵されるべきではない。
それに対して風さんはインスタで憤っていたのですよね?
それならば同じように聴き手の信仰も侵されるべきではない事は理解できるはずです。
そのためにも作品にサイババの教えや言葉が含まれている事は明示するべきなのです。

No Name


私は藤井風さんの音楽をたまに聞く、くらいの人間です。紅白のパフォーマンスもあり最近聞いた記憶がまだある中でこのプロジェクトを知りました。
彼の音楽について深く知らず、なんならリズム感を好んで特に歌詞を知らずに楽しんでいた人間が、わざわざ調べてまでつっこむことではないのではないかと、かなり悩みました。

ただ今後音楽を聞く中で藤井風さんのことを思い出し、「これも布教活動につながる音楽なのかもしれない」と思ってしまうかもしれないことがただただ怖いです。音楽を楽しめないこと、新しい音楽への出会いが怖くなること、そしてそんな自分の中の現象のシンボルが藤井風さんになってしまうこと、それは絶対に避けたいと感じたため、筆をとりました。

音楽がビジネスに直結している時代です。色々な戦略を持って音楽を売り出すこともあると思います。だからこそこれは音楽に関わる人、アーティストに関わる人、もっと多くの人が知り、関わるべきプロジェクトであると思います。

今回のことは、違和感がまだあるような、すぐに距離を取れるようなライト層ほど騒ぎ立ててしまうような話題の性質を持っていると思います。
だからこそプロジェクトを進めてくださっているみなさまには話題の波にもまれて誤解が広まってしまわないように、そして運営のみなさまや藤井風さんには、そういったTwitterや世論で広がったことを先入観として持った状態で、「本当に応援したい」と思っている方の声を聞いてしまわないように、と切に願います。

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藤井風さんの音楽が大好きです。
歌詞も音楽もMVの雰囲気も。
人には隠したいことだって当たり前にあります。
ただ、今までの活動の目的の中に宗教活動があるのならば、ただその意図があったかどうかだけでも教えていただきたい。
教えていただける日を待っています。

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藤井風さんの音楽が大好きです。同郷で同じような方言で話していて、ピアノも弾いたりしていたので、親近感も湧くし、大変素晴らしい音楽的センスには憧れていました。
歌詞は、何か仏教哲学でも学ばれていたのかな?と思っていました。
母にも勧めたら母の友達もみんな好きになったようで、母は友達と集まって配信を観たり、ライブのBlu-rayを見たりしていました。「みんな自分の息子のように思っている」と母は楽しそうに語っていました。母と一緒に来月のツアーの公演のチケットをとりましたが、先日サイババの事を知り、私自身はコンサートに行くべきかどうか迷っています。藤井風の歌詞は全てサイババの教えなんだよと言っても、「でも、藤井風は藤井風だから」という反応をすると思います。私は母が喜ぶ事をしたかったのですが。
私は1人でホールツアーに行きましたが、そこでもサイババの名を冠していないサイババの言葉のグッズが売られており、サイババからの引用を明確にすることのない言葉が歌詞に溢れており、風さんのMCも、観客に深い呼吸を促すことも、後から考えると私がお金を出して観に行ったものは布教のための集会だったのかな?と思う内容でした。そしてgraceからはさらに宗教色が強くなり、ついていけなくなりました。
布教のための活動を本人がしたいのはわかりますが(というか無意識でもそうなってしまうのであろう事情はわかります)運営の方達はどのようにお考えなのでしょうか。他の方も書かれていますが、布教のためなら注意やアナウンスの機会を設けるのが今後のトラブル予防のためにも有用ではないでしょうか。また、本家のサイババ教会とはどのようなご関係なのでしょうか。サイババの言葉のアルバムはグッズは無許可なのでしょうか。
もう私は誰かに藤井風さんの音楽をすすめる事はできません。非常に魅力的な彼の音楽をきいて引き込まれてしまうと、受ける人によっては引き返せないところまでハマってしまいます。信仰の名を明かさずに教義に引き込み、後で正体が明らかになるというのはよくないやり方だと思います。歌詞を聞いてどう思うかは個人の自由だよ、という意見もありますが、「サイババ思想と無関係な藤井風」が存在しないという事がわかってしまった以上(NHKのドキュメンタリーを観てもそれは明らかでした)、「藤井風だけが好きだ」と思っていても、常に藤井風の仮面を被ったサイババ思想を受け入れている事態になってしまわないでしょうか。
これからも、サイババの名前は決して出さない、しかしグッズだけでなくナグチャンパやヴィーガン料理を売り、袈裟を着て座禅をしている彼の歌でコンサートビジネスを続けていくのなら、違和感を覚える人は離れるでしょうし、「宗教と言わず演出、個人の自由だといえば何をやってもいい」という前例が成り立ってしまいます。カルトは「ステルス布教」をしても「ステルス布教をしていました、すみません」とは言いません。
長々と失礼いたしました。このような機会を設けていただき、ありがとうございました。

No Name



メッセージをお寄せいただいた皆様、ありがとうございました。
引き続き、以下のフォームでメッセージを募集しています。
この件に関し、できるだけ多くの方の詳細な声を運営に伝えることができるといいなと思います。
ご協力いただけますと幸いです。