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来年の夏はもうちょっと涼しくなりますように




嗚呼理系

 特に理系進学をし、in vivo なれ in vitro なれ、それ系の研究室所属で卒論をやるとなると、『夏休み』(と『人権』)いう概念を全く失うのですが、人間不思議と慣れるもので、気づけば私も『夏休み』(と『人権』)を手放してから早10数年。
 我ながらよく続けているものです。

 私の記事は基本的に『R25』としておりますが、もしかしたら高校生のみなさんもうっかりご覧になっているかもしれませんね。
 ではここはひとつ、宣伝でもしておきましょう。
 
 来たれ、未来の理系現場職!☺️✨
 現場はいつでも若い力をお待ちしております。
 どの職場もだいたい常に『7年目中途とか、頼もしいのがあと1人でいいから欲しいな……』とか『qPCRバリバリにまわしてた子こないかな……』とか『起こしと継代得意な子こないかな……』とか『もうとにかくなんでもいいから若くて体力ある子きてくれないかな……』などと切実に思っています。

 人権を失うというのはいささか強火表現ではありますが、夏休みの感覚は失います。お子さんがいらっしゃる場合はまた別として、独身であったり、我が家のように夫婦のみの場合は『あれ?学校って始まったの?』程度の感覚。
 業種は異なりますが、我々夫婦については、なにせお盆も年末年始もへったくれもないお仕事ですから余計にひどい。

 先ほどお手洗いに掛けてあるカレンダーをめくりましたが、先々週くらいに8月に切り替えたようなばかりな気がしてならないのに。
 おかしいなあ。

2015年9月1日、例のツイートは私も見た


 学校が始まるシーズンとなると、毎年話題になるのが2015年の鎌倉市中央図書館のツイート。皆さまご存知でしょうからこちらに詳細もリンクも載せませんが、おそらくは今年も、朝になる頃に、そのツイートが各所で紹介されるでしょう。

 きっと note でも、私のこれとは比べ物にならないくらい、きちんとした関連記事が出てくると思います。
 お悩みの方は、夜中までこんな珍獣の記事なんかご覧になっていないで、寝るか、眠れないのであればゲームでもするか、夜遊びするか、おやつを食べるか、読書でもするかをお勧めします。どれをやってもいいし、どれもやらなくても大丈夫ですが、おすすめは寝ることです。

 まあこの時間(2023年9月1日の2時過ぎくらい)に記事編集をしている私もどうかと思いますけれども。

 ちょっとした夏の思い出話です。
 

自然豊かな環境と言えば聞こえはいいが


 私は小学生〜中学生時代に特に真面目に学校に行っていたタイプではありませんでした。いじめられていたわけでもなく、居場所がなかったわけでもなく、ただただシンプルに、水曜日か木曜日くらいに面倒臭くなっておやすみしていました。

 学校へ行ったとしても、だいたいの場合、お絵かきをするかノートに小説を書くか、安田モデル氏や他の友だちと校舎裏のもぐらの巣がいくつあるか数えに行ったり、学校の裏門の草むらに住んでいるらしき大きなキジを探しに行ったり、アリの巣の近くに飴玉を置いてみたり、校長先生がバラやゴーヤに水をあげているのを遠巻きにボケーッとながめて『きれいだなあ』と思ったり、そういった感じだった記憶があります。

 ただ、私は目と皮膚が日差しにちょっと弱いため、長い間、強い日差しの下にいることはできません。
 日陰から、みんなが手を振ってくれるのを見ていたことも多かった。
 見た目は概ねゲロヤンキーでしたが、優しい子どもたちでした。
 何かを捕まえたら見せに来てくれるし、日陰と日陰の間を通るように一緒に歩いてもくれました。
 
 授業についても、そういえば真面目に受けていたのは実のところ理科と国語と音楽だけでした。

 理科の担当は非常におっかない、剣道部の顧問の男性教師で教育指導も兼任していたかと思います。仮にE先生とします。
 いつも白衣を着ていらしたのですが、白衣越しにでもわかるムキムキのバキバキ具合で、ヤンキーの男の子なんかには割と遠慮なしにパッコーン!とゲンコツをくれている現場を幾度となく目撃した覚えがあります。

 たしか中学三年生の頃、E氏が担当の先生になりました。

 私が特に真面目に学校へ来ないこと、授業も別にきちんとは聞いていないこと、そのあたりのことには触れず、ただプラプラ出歩いている私を見つけると

『おう、元気か?』

 と声を掛けてくださいました。
 教室に戻れとも、職員室に来いとも言われませんでした。
 教育指導として適切かどうかなのかはわかりませんが、全くの間違いだったとも思いません。

 時々、安田モデル氏とも、他に親しい女の子の友だちとも、誰とも一緒にいたくなくて、ただ一人で、校長先生が育てているゴーヤの様子を見に行くこともありました。保健室の近くでもあって、すっかり日陰になる場所もあり、保健の先生が外に繋がるドアを開けていてくれましたから涼しい風も届いて、快適だったのです。

 ゴーヤは、何代か前のクソバカヤンキーたちが夜中にバイクで乗り付けて、悪戯でタネをばら撒き、回収し切れなかったものがそのまま芽吹いて育ち、校長先生や教頭先生がなんとなく育て続けている適当なゴーヤでした。
 鮮やかな黄色い花や覆いのような濃い緑の葉っぱが風にゆさゆさ揺れる様子は美しかった。

 誰に対しても胸を張って『ド田舎』といえるようなド田舎だったし、土も豊かでしたから、モグラやらネズミやらの生き物もよくいました。学校の近くには川も流れていて、時々様子を見に行くと、ハヤか何かが光を反射してチラチラ、水の中でしょっちゅう輝いておりました。時々、誰かが捨てた金魚も泳いでおりました。
 みかんの木につく芋虫を手早く肉団子にして飛んでいくスズメバチもいましたし、カブトムシやクワガタなんかはそこら中にいて何にもありがたみがなかったし、干からびて死んでいるミミズなんかは数え切れないほどでした。

 夏を生きる様々な生き物や力強い景色。
 お盆が過ぎて朝晩に秋の気配が滲み、あんなに活発だった生き物たちが少しずつ死にゆく感じを、いささか不真面目であったとはいえど、思春期の頃に受け止めておいてよかったと思います。

 私はどちらかと言えば、そういった、無言の生き物が好きでしたから。

『モグラ、いたか?』

 E先生は私がモグラの巣の数を数えて暇を潰していることも、アリの巣の近くに飴玉をおいていることもご存知でした。
 
『キジはどうだ』

 今思えば『ちゃんとあなたを見ているよ』という意味だったのでしょう。
 E先生が、学校の先生として正しかったかどうかはやっぱり分かりません。

 分かりませんが、私にとっての『図書館』は、あの僻地の景色であり、日陰から眺めるゴーヤ畑であり、見ていないふりをしてきちんと見ていた大人たちでした。


令和の学校事情はわからない


 令和の学校教育の良し悪し云々は、私には正直関係のない部分です。
 子どもがいないから実情が分からないということもあるし、なにせ上記のような学生だったため、自分を振り返ると何も言えません。どうもこうもないのです。

 ただ、そんな『ほったらかし』の学生時代も義務教育の間だけで、高校は何をどう間違えたのか、大学受験に勝つことを主眼としたところに行ってしまったため、非常にしんどかった。クラスメートのほとんどの子の手首にリストカットの痕がありました。
 
 残念ながら、私にも。

 しんどかったけれど、中学生までの『たのしかったな』を心の中に置いておき、たまに眺めてちょっと元気になって、高校を乗り切りました。まああれはあれでよかったのでしょう。
 しんどいことを乗り切る経験も、時には必要だったりします。
 
 ただ、この時期になると自分の学生時代の、

『見守られつつ放っておいてもらった時期』
『受験に負けることは人生に負けることだと擦り込まれた時期』
『センター試験の政治経済で引くほど滑って結局志望校にはバッチリ落ちた上に未曾有の大震災が起きて、人生分からんなと思いながら誰にも追いかけられないような僻地へひとりで進学した時期』
『その僻地でアホほど楽しんだ時期』

 を9月1日に子どもの自殺が集中するという事実と一緒に思い出しはします。

 ウェット系の実験や医療系で食べていく理系の定めで人権は失いましたし note 上ではおかげさまで珍獣扱いですが、とりあえず人間の心はまだあります。
 なので、それっぽいことを書き残しておきます。


何かの間違いでこの記事にたどり着いてしまった若い方へ

 
 
 とりわけ未成年の方には不適切なアカウントですから、本当は『大人になってからまた来てください』と申し上げるべきですが、そこはE先生に倣います。たどり着いてしまったのなら仕方がない。
 もし何かの間違いで、これを読んでしまった気の毒な『学校行きたくないどころかもう死にたい子』、まあちょっと聞いてください。 
 
 別に、死ぬなとは言いません。
 言語化できない生きづらさの中で生きる限界なのかもしれません。
 死んでもよろしいけれど、朝が来るまでちょっと待ってみませんか。

 2023年9月1日の日の出の時刻は5時12分。

 日差しが届いて、それでもやっぱりダメなら、あなたの命ですからお好きにしてください。
 あなたの親がどうしようもねえクソバカで暴力を振るってくるだとか、ゴミカスみたいないじめっ子がいるだとか、いろいろ事情はあるかもしれません。
 私では全く力になれない場所で、物事で、悩んでいるのかもしれません。

 あなたに『死にたい』と思わせる事情と気持ちはわかりませんが、『死にたい』と思う瞬間があることは分かります。
 でもできれば生きていてほしい。

 手首を切ってみましたが、特になんの解決にも至りませんでした。
 三十路になると肌の質が変わって古傷も思い出したように目立つので、今切ろうとしている人はやめておきましょう。
 切っちゃったら、思い出のひとつにしておきましょう。
 それか美容整形外科にいきましょう。なんとかなります。
 なにごとにも、実は手段があるのです。

 それで、もしよければ、今日朝まで待ってみて、大人になってからは、人権も夏休みも失うけど理系に来てほしい。理系じゃなくても来てほしい。
 若い方のお力を、それこそ死ぬほど求めている人間がここにいますから。
 あと弊社にも取引先にも同業他社にもめちゃくちゃいますから。
 くたばりぞこないかくたびれた中年ベテランばっかりでもよくないのです。

 求、若い子。
 

 我々はいつでも待っています✨💪☺️🧫✨



 

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