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ボクのハナシ(ヒロナ)

【茂木ヒロナ】

 「ひとまず、聴いてください。『ボクのハナシ』」
 アキちゃんの言葉がマイクを通して会場に響いた。優しくて透き通った声。予定していなかった曲名を言ったことにも驚いたが、一番は「ひとまず」というワードをチョイスしたことに鳥肌が立った。
 ライブ前に私とミウが使った言葉を、ステージ上で、しかも曲紹介のMCで使うとは思ってもみなかった。1000席を超える会場。文化祭とは違い、全校生徒が着席しながらライブを見守るという特殊な状況にも関わらず、私たちだけにしか分からないサインを入れる余裕があるなんて。肝の座ったアキちゃんの新たな一面を見た気がする。
 ミウも同じことを思っていたのだろう。こちらを振り返り驚いた顔をしていた。
 練習を重ねてきたとはいえ、予定していなかった曲を披露するのは緊張の度合いが違う。思い入れのある曲だが、大勢の前で演奏するには歌詞のメッセージ性が強すぎるかもしれない。曲調も落ち着いているから盛り上がらないかもしれないと、わざわざ外した曲だった。
 心の中でアキちゃんを恨んだが、身体は喜んでいる。
 アキちゃんが一瞬だけこちらを振り返り、曲のタイミングをとった。目は合わせなかったが、口元は完全に笑っている。怒られると分かっていながらも楽しさを優先してしまう、いたずらっ子のような表情だ。
 私たちがステージに上がってから、何秒が経ったのだろうか。お客さんにとっては短い時間かもしれないが、この僅かな間に、私たちは手を取り合って、一緒に荒波にダイブするような緊張感と高揚感を共有していた。

 スティックでリズムをとり、曲に入る。

 
 ボクの話を聞いてくれ 笑い飛ばしてほしいから
 大きくなったらなりたいものがある 優しい人になりたい
 
 ボクの仮面を取ってくれ 言葉がうまく出てこない
 過去と今と未来の自分は とてもよく似た別人だ

涙が出てしまうのは 弱いからじゃない
涙が出てしまうのは 弱いからじゃない

 成功するってなんだと思う?
 誰かを好きになることだ。

一番の無駄ってなんだと思う?
誰かと自分を比べることだ。

 ボクの罪を教えてくれ また一人ぼっちになった
 シャーデンフロイデが加速する 叫ぶことでしか闘えない
 
 ボクの世界が歪んでいく 笑顔でなんかいられない
 一番勇敢な言葉を叫ぼう たすけてくれ

 涙が出てしまうのは 弱いからじゃない
 涙が出てしまうのは 弱いからじゃない

 
 アキちゃんの歌声に乗って、歌詞が会場に踊り出した。
 あっという間に会場を飲み込んで、空間を掌握するのが分かる。
 これほど大きな会場なのに、アキちゃんの声は隅々にまで届いている。私たちの音楽は、一番遠くの「あなた」にも届いている。未来の「あなた」にも届いている。
 静かに座っていた人たちが、少しずつ立ち始め手を振り出す。静かな音楽祭が激しくなり会場が熱気で包まれていった。
 盛り上がるような曲ではない。どちらかといえば、悲しい曲だと思っていた。でも、私たちの想いに反するように客席の揺れは大きくなっていくのが分かった。
 私とミウが少しだけバンドと距離をとっていた時に生まれた、アキちゃんの曲。あの公園のクスノキの下で、アキちゃんは泣きながら歌っていた。なんとか火が消えないように、力強く叫んでいた。その曲が、人々の笑顔に囲まれて、大きな炎を燃やしている。
 アキちゃんは声の幅を広げ、木枯らしのようなしゃがれ声から、桜吹雪が吹いているような爽やかな歌声まで使い分け、観客を魅了した。
 
 「完全にアキにやられたよー!」
 ライブが終わり、ミウが叫んだ。私も大笑いしながらミウに賛同した。
 「た、たのしかったー! い、い、今までで、一番楽しめたライブだったー!」
 アキちゃんは身体中が赤く染まるほど興奮していた。
 「なんでアキちゃん、急にセットリスト変えたのよ!」
 「ご、ごめんね! ふ、ふ、二人なら、絶対に乗ってくれるって、お、おも、思ったから!」
 アキちゃんは謝ったが、キラキラした生命力溢れる目で謝られるのは不思議な気分だった。アキちゃんはいっそう美人になったというか、可愛くなったというか、メキメキと進化しているのが目で見てわかった。

 興奮冷めやらぬまま、楽器を片付け客席に戻ろうとすると、手のひらを真っ赤に染めた一人の女の子が、私たちが出てくるのを待っていた。

 「あの、あたし、来年から明月高校に入学する、広瀬マキコって言います! ライブ本当に素敵でした!」
 マキコは目力が強く、正義感に溢れたような、端正な顔立ちをしていた。アキちゃんとは真逆のように、イメージも雰囲気もクッキリとしている。
 「えー! ありがとう! 嬉しい! 後輩ちゃんだ! またライブ見にきてね!」
 素直にお礼を言って去ろうとすると、マキコはキュッと眉を上げて、覚悟を決めたように口を開いた。

 「私も、バンドメンバーに入れてください!」

 ステージでは次の演奏も終わり、白い服をきたコーラスグループによる合唱が始まっていた。日本の曲ではない、教会から流れてきそうな神聖なメロディと共に美しいコーラスが会場に響いているのが聞こえてくる。
 マキコの予想外の言葉は、ステンドグラスに石を投げつけるくらい衝撃的で、私たちは思わず固まってしまった。

 出会いと別れの季節。
 まだ私たちは、本当の別れがなんなのかを分かっていなかった。
 新たな出会いは突然始まる。
 私たち3人の背中は、汗でびっしょり濡れていた。

 1時間50分 2200字

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