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“Dannie May”という“人物”と、その“人生”を想うーEP『五行』、恵比寿リキッドワンマンを経て

■「何物でもない何か」

『「ダニー」と「メイ」という架空の外国人の男女の名前を合わせたものです。身分も性格も男かも女かも分からない、「何物でもない何か」を表してます。』

Eggsマンスリープッシュ Dannie Mayインタビュー 2020年3月

一番最初に読んだインタビューで、バンド名の由来を聞かれたリーダーが答えたのはこんな言葉。言いたいことはわかるけれどその不思議な由来に、「なんやねん???」と思ったのはまだ記憶に新しい。僕がDannie Mayを知ったのは2年前の2020年、流行り病がこんなにも長い間僕たちの生活に影を落とすだなんて思ってもいなかったし、初めて拝見したライブ終わりに挨拶させてもらった3人はマスクをつけていなかった(勿論僕も)。

ギターボーカルでメインコンポーザーのマサさん、楽曲のアレンジやトラックメイキングを一手に担い、作詞作曲も手がけるボーカル/キーボードのタリラくん、DJ・ボーカル・映像監督を兼業するYunoさん。本人たちも折に触れて言っているが、バンドとしては異例極まりないパート分けだ。ひとりひとりの肩書きが多い。ロックバンドだとか、パンクバンドだとか、そういったジャンル分けもちょっと難しいぐらいだ。最近とみに爆増してきた、彼らの音楽に魅了されたリスナーをちょっとした混沌の渦に叩き落としたに違いないメンバー構成。実際構成だけじゃなくて楽曲もそう。今や代表曲になっている『ええじゃないか』はわかりやすいボーカル回しと高速BPMも相まってキャッチーなポップロックという趣だし、この曲が生まれる以前は一番の代表曲だった『暴食(グラトニー)』はR&B調の黒々した切迫感ある暗黒ポップスという感じだった。バンドは生き物が動かしていくものだし、そういう意味では大きな生き物そのものとも言えるから、バンドの進化によってその時々で楽曲の印象が変わるのはよくあることだけれど、こと彼らに至っては曲や盤をリリースする度に全く性質の違う曲を出してくるものだからジャンル分けが不可能に近い。まるで作家が、毎回ガラッとジャンルの違う作品を出版するように。

メンバーに縁もゆかりもない人名がバンド名になっている。彼らの歩みを見つめるということは、“Dannie May”というひとつの人格の人生を見つめるということと同義なのかもしれない。そして彼/または彼女の肩書きは、僕たちの想像の追いつかない速度で絶えず変化/進化を続ける、掴みどころのない作家(ストーリーテラー)だ――――なんて言うのは、ちょっとクサすぎるかな。

 

■彼らはいつか人生賛歌を歌えると思っていた――EP『五行』が超傑作だよ


彼らは今年『五行』と冠されたEPをリリースした。勘のいいひとや民俗学なんかに興味のあるひとは「おや?」と思ったかもしれないが、このタイトルは古代中国思想の考えが元になったものらしい。「五行思想」「陰陽五行説」といった言葉なら、耳馴染みのあるひともいるかも。五行説では、この世界のすべてのものは木・火・土・金・水の五つの元素によって形作られているとされていて、それぞれ緑・朱・黄・白・黒(玄)の色が割り振られており、EP『五行』では収録曲すべてのタイトルにその元素の名前、またはその色の名前が冠されている。

このトーテム的なEPを出す前に、彼らは昨年『ホンネ』『タテマエ』という2枚で1枚のフルアルバムのようなEPをリリースしたわけだが、MVが爆発的な再生回数を記録している『ええじゃないか』はこの音源に収録されたものだった。それまでは正直曲の良さや映像のクオリティに対して数字が追いついてなさすぎだろ!!! とディープファン大激怒な趣だったわけだけけど、これをきっかけに注目度が格段に変わった。正直バズるきっかけなんてよーわからんわけだが、彼らのようなバンドが今生まれて、今多くのひとたちに支持されるようになった理由ならわかる。ファンの贔屓目かもしれないけれど、彼らは『ええじゃないか』の発表よりもずっと前から、“今”を生きるひとたちが生活という名の戦場で戦う剥き出しの生々しい姿を、あくまでポップに歌い続けているからだ。

今回のEPでもそれは健在どころか、現時点での到達点だとすら僕には思える。1曲目の『玄ノ歌』は1音目から脳味噌勝ち割らんばかりのハイBPMとシンセサイザーが渦巻いていて、その名の通り水(玄=黒)の中で蠢く生まれたての生命が必死に地上へ這い上がろうとしているかのような切実さと、ちょっとのシニカルさを感じる。2曲目の『朱ノ歌』は一転バラード、一声目からリーダーの声色の変化に絶句するほどの表現力の豊かさに息を呑むし、3曲目『木ノ歌』はまたまたバラードだけれど『朱ノ歌』の静かに燃え上がる夕焼けのような温かみとは全く違った、朝の風のような涼やかさと静謐さが溢れている。(ちなみにこの曲の作詞曲はタリラくんで、ボーカルもソロで執っているのだけれど、ここまでがっつり静かで壮大なバラードで勝負してきたのは初めてだったので彼の限界オタクを自称する僕としては感無量だった。なんと美しく儚い低音なのか……。)

4曲目『白ノ歌』は打って変わって今すぐにでもおしゃれな深夜ドラマのエンディングテーマになれそうなハピネスな楽曲で、歌詞はYunoさんが初めて手掛けたもの。「大切なことは今すぐ伝えよう」的な、生き急いででもいるかのような最近の風潮に背中を向けるようなツンデレさに安心感すら覚えるリリックが実に彼らしい。そして5曲目『黄ノ歌』だ。これは話題の『ええじゃないか』のMVとも近い世界観としてアニメMVも制作されているわけだけれど、EPとして通して聴くことによって更にそのメッセージを強く感じることが出来てたまらない気持ちになる。僕はこの曲の、「持たざる者のアドバンテージ」というパンチラインが大好きだ。長々と喋り続けてしまったが、ともかく3人とも優れたミュージシャンである今の彼らの知力と表現力、そしてありったけの感情がとことん詰め込まれた1枚だ。

そして、優れた表現者でありながら“今”この瞬間を生きる3人の20代の若者である彼らの知力と表現力、そして感情がぎゅっと詰め込まれているということは、“今”という時代、ひいては世界そのものの一端がぎゅっと結晶化した音源であるとも言えるんじゃないかと思う。

彼らの初期のホームページには、「弱者である3人が力を合わせて音楽をやってるよ(意訳)」といったようなメッセージが綴られていた。裸一貫で音楽を続けてきた彼らは、自分たちが「持たざる者」であることを当時から標榜し続けていたのだ。そりゃそうだ、まだメジャーデビューもしていない、フリーランスのミュージシャンがどれだけ弱い立場にあるか、彼らが活動を本格化したこの3年間の間、僕たちはいやでも目の当たりにさせられてきた。彼らは優れた表現者ではあるけれど、決してひとりでも戦える最強の天才ばかりが集まったアベンジャーズではなく、3人で力を合わせることで最大限の強さを引き出せる合体ロボットみたいなものなんだ。

EPリリースに際したインタビューで、楽曲制作のブレーンでもあるYunoさんが「五行思想は、始まりから大成するまでの一つの循環のこと」「Dannie Mayというもの自体が、新しい概念や世界を作っていくというコンセプトがあるので、そのテーマ性に沿ったものにしたい」と話していた。バンドの進化が「何者でもない何か」である“Dannie May”という人格の誕生や進化とイコールで結ばれる彼らの活動において、元々掲げてきたメインコンセプトが、五行思想という叩き台をもとに今一度立ち現れたのが今回のEPと言える。いわば彼らにとっては改めて自分たちの在り方を示すための、本当にトーテム(象徴)としての作品だったんだろう。それならば、ここにきてリードトラックに「持たざる者のアドバンテージ」というワンフレーズが出てくる理由もよくわかる。

初めて彼らのライブを観た2020年冬。小さなライブバーで行われた投げ銭対バンイベントのトリで、10人もいないようなお客さんを前に堂々と披露された『バブ28』や『御蘇』を聴いた時、僕は、彼らは「いつか生命賛歌を歌えるバンドになる」と思った。限界オタクの贔屓目と笑ってくれても構わないが、『五行』を聴いて僕は確信した。その時の自分の感想は、何も間違ってなかったんだ!

 

■“Dannie May”の人生はドラマチック


活動初期には――いや、現在も大方そうだが――MVのストーリーを叩き台として曲を作っていたDannie May。コンセプトEPと言えるような作品は『五行』が初めてになるけれど、当時から現在に至るまで、コンセプチュアルアートとしての音楽をずっと追求し続けていたとも言える。僕は先に“Dannie May”という人格の肩書きを“作家(ストーリーテラー)”であると書いたけれど、そういう点からも音楽=物語を綴る作家っぽさを感じる。

ドラマを生み出す存在は、彼らに限らずその本人も劇的な人生を歩んでいることが多い。僕は詩聖とも称される、夭折した詩人の中原中也や、近代詩の父やら母やらと呼ばれることもある萩原朔太郎がとても好きだのだけれど、そんな教科書で名前を見るような偉大な詩人たちもいろんな意味で興味深いエピソードを挙げれば枚挙にいとまがない。文学にあまり明るくないひとでもきっと、太宰治のエピソードならいくつかはわかるはずだ。

“Dannie May”という作家=バンドとしての彼ら自身の歩みも充分ドラマチックだった。バンド活動を本格化した端からのコロナ禍、サマーソニックへの出演を賭けたコンテストもおじゃんになった。そんな2020年を乗り越えて迎えた初の渋谷クアトロワンマンでは重めの機材トラブルで演奏を中断せざるを得なくなってしまったりもした。その度に彼らは力を合わせ、時にぶつかり合いながらも、たゆまぬ努力と度胸で乗り越えてきた、んだと思う――これは僕たちには想像することしか出来ないわけだけれど。
ライブが出来ないならばと音源リリースを怒濤のように続け、その度に音楽性が変化し洗練されていった。のはもちろん、そんな世界の中で醸成された感情を赤裸々に打ち出していく歌詞、そしてボーカルスタイルが何よりも彼らのひたむきな姿を現していると思う。僕の主観ではあるけれど、活動初期から聴いていくとここ2年ほどの彼らの歌声は本当に生々しく、それでいてポップで、かなり色気が増している。

7月に開催された『五行』リリース記念ツアー東京リキッドルーム公演は、そんな“Dannie May”が今年新たに描き始めた物語のハイライトになると断言出来るライブだった。フロアに響くSEは水の音。初ワンマンの時のブクブクとした泡のようなSEを思い出したが、生き物の胎内を思わせるあの音とは一線を画すせせらぎのような音は、新生物が今まさに地上へ這い上がろうともがく瞬間のような不思議な感覚があった。そこから繋がっていくように、『玄ノ歌』からスタートしたライブのセットリストは冒頭から否応なしに聴き手を引きずり込んでいくような力技を感じる勢い。今までのライブではバラードの『バブ28』から始まることが多く、3人の強みであるコーラスの美しさを前面に打ち出してくる流れが多かったけれど、この時は大幅に違った。『五行』のトラックリストの流れを意識していることもあるとは思うけれど、確実な変化を感じる。

元々盛り上げ上手で身のこなしに貫禄すら感じる瞬間があるリーダーは身振り手振りが更に豊かになっていて、ダイナミックにフロアを盛り上げていく。ギターをがむしゃらに掻き鳴らしながらマイクにかじりつくようにして歌い、ハンドマイクでステージ狭しと歩き回りながら朗々と歌い、荒々しくメガネを外してニカッと歯を見せて笑う。

個人的には、メインボーカルとして『木ノ歌』を堂々と歌い上げたタリラくんは特に印象深かった。実は彼は今までバラード曲を作ったことがないというわけではなく、昨年リリースされたEPに『小舟』という素晴らしいバラードを寄せているのだけれど、それもライブでは一度も披露したことがなかった(多分)彼が、打ち込みの音源は一切なし、ピアノ1台で最後まで歌い上げた姿は信じられないほどに美しかった。緑の光が後光のように差して、淡い感触のハスキーボイスが独白のようにその場に広がっていく。

ソロボーカルと言えば、僕のようなリスナーにとってはかなり衝撃的だったのが伝説の初期曲『待ツ宵』の3年ぶりのパフォーマンス。なんとハンドマイクを掴んでステージの中心に躍り出てきたのは、普段なら主にコーラスにしか入らないYunoさんだった。長い手足を活かして堂々たるパフォーマンスを見せる彼は完璧にフロントマンの役割を果たしていて、なんでもっと前からメイン張ってくれなかったんだ!? と疑問にすら思ったほどだ。

最近の彼らの音源で目を見張るほどの変化(進化)を感じる歌声の生々しさ、そして色気は、彼ら自身にとっては当然かもしれないけれどパフォーマンスにもしっかりと反映されていた。月並みな言い方にはなってしまうけれど、今の彼らは全員がフロントマンであると言っても過言ではないバンドへと変容している。まるでそれぞれが、三者三様の人生や思想、その在り方を“バンドのもの”として背負い、生きていく覚悟のようなものが決まったんじゃないかだなんて、勝手に想像してしまう。
今のDannie Mayはとても痛快だ。僕の目を通した感想に限った話ではなく、お客さんも明らかに増えていた。きっとこれから、彼らについて語るひとたちも、どんどん増えていくだろうと思う。僕がここまで書き綴ってきた長い長い文章を読んでくれているあなたなら、きっと彼らが、“語りたくなるバンド”であるということをわかってくれるだろう。

でも、僕たちが抱えるこの熱っぽい感情は、彼らにとって、そして僕たち自身にとっても、諸刃の剣にもなるんじゃないか、とも思う。

 

■人間の人生を“ドラマ”として消費すること


“オタクのクソデカ主語”なんて言い方も最近は目にすることがあるけれど、僕たちは好きなものに対して大袈裟に語りたくなる性分らしい。いわゆる推し活が一般層まで浸透した今どきは、今まで以上にオタクの大袈裟語りがフォーカスされがちで、大袈裟なスラングを使った切実でありながら面白おかしいオタクの皆さんの文章に、僕もnoteやブログを通して楽しませてもらうことが少なくない。「全人類見た方がいい」「作画が完璧」「脚が5メートル」、その言葉たちは全部愛ゆえ。でも、そこには実在する人間である“推し”を戯画的にデフォルメし、キャラクターのように扱ってしまう危うさがあるように思える。

風呂上がりに居間のテレビをつける。家族も寝静まったような真夜中に、画面に映し出されたのはオーディション番組だ。ここ数年ぐらいで見る間に増えたなと感じる。悔しそうな表情で大人たちからの評価に耳を傾ける少年たち。涙を流しながら大人の助言を聴く少女たち。健気に言いつけを守り、時にそれを突っぱね、“理想の人間”に近づいていこうとしている姿は、彼ら彼女らをよく知らない僕の目を通しても魅力的だ。

でも、その“理想”は本当にその子たちにとっての理想なのだろうか、と疑問にも思う。

すべてのそのような番組や企画がそうだと言っているわけではない。自分自身もその肉体や感性を使い、最前線で表現活動をしているミュージシャンが、若人の青春を見届けて育てたいと意気込んで資金を投げ打ってでも企画しているオーディションだってあるし、プロデューサーが参加者と一緒に泣き笑いするようなあたたかな企画もあることは知っている。でも、だからといってそれが絶対的な正義とも思えない。

真っ暗な部屋の中に淡く浮かぶ画面の中で展開されるのは、審査の結果やパフォーマンスだけじゃなくて、そこに向かって頑張る彼/彼女たちの日々の記録だった。オーディション番組は往々にしてドキュメンタリー的な側面も持っている。それは、参加者が立派なアーティストやアイドルになるまでの道程で生じるハプニングすらも、アトラクションとして戯画的に見せることにつながっている。それは、まだ“アーティスト未満”“アイドル未満”の生身の人間である彼女/彼らを、キャラクターのようにデフォルメしてしまうことと等しい。
元来野生であるはずの、成長途中の才能をエンタメとして受容するのは、他人の人生を“ドラマ”と見なして無責任に消費することと同じように思える。それは創作されたエンタメ作品ではなく、ひとりの人間の“人生”であることを忘れたくない。僕たちはわかっている、推しを「全人類が見」ることは不可能だし、実在する人間の美貌は「作画」なんかじゃなくて持って生まれたただの肉体の一部だし、どんなにスタイルが良くても推しの脚は「5メートル」もないことを。

『さよならバンドアパート』という映画を試写させてもらった。JujoeやQOOLANDで活動されている、自身もバンドマンの平井拓郎さんが原作小説を手掛けている。劇中にはKEYTALKやcinema staffといったバンドのメンバーも出演していて、バンド好きならきっと楽しめる映画だったが、その物語はとても生々しく、苦悩に満ちたものだった。“バンドマンのほろ苦い青春ストーリー”とある触れ込み通り、美しい青春映画ではあるのだけれど、でもこれをいわゆる美しい青春の1ページとして処理してしまうのはあまりに酷だと思うほどには、現在進行形で多くのミュージシャンやアイドルが――無名有名問わず――置かれている現状が鮮明に映し出されていた。仕事で書いた記事にも書いた言葉なのだけれど、ファンの目に触れているバンドマンの姿は、言わずもがな表舞台で輝いている面だけだ。当然ながら、その裏には泥のような感情や理不尽な経験があるだろう。

https://realsound.jp/movie/2022/07/post-1075302.html

それを赤裸々に――勿論、自身が他人に「見せていい」とした部分だけだろうとは思うが――自分の言葉で綴ってくれるバンドマンも少なくはない。ブログ文化が一般的になってからは、3 markets[]のカザマさんの本みたいな、文章の上手いバンドマンのブログが書籍化されるほど注目されることも増えた。Dannie MayではYunoさんがひっそりとnoteをやっていて、音源制作の舞台裏やMVの制作背景、隠された意図などが見えてきて興味深い。
でも、それでさえ「エモい」の言葉を発したいがための感動トリガーとして使用してしまう時があるのが、僕たちオタクの性だ。文章だろうがドキュメンタリーだろうがライブ中のMCだろうがハプニングだろうが、そこに現れているのは生身の人間の苦悩や葛藤や思考だ。それを“ドラマ”のように勝手に尊がって、「推しの人生は波瀾万丈」だと涙を流していないか。僕は時々自分が怖くなる。


恵比寿リキッドでのワンマンのアンコールでは、8月にリリースされたばかりの『ぐーぐーぐー』が初めて披露された。彼らにとって初めてのドラマ主題歌。当時出来たてほやほやだったあの曲を披露すると言ってステージに立った彼らはなんと、楽器を放り出し3人揃ってハンドマイクを手にし、舞台の前方まで飛び出してきた!!

曲は録音のオケが響き渡り、ライブT姿で部隊狭しと駆け回る彼らを前に、僕たち観客は一瞬だけ完全に呆気にとられていたに違いない。ORANGE RANGEや、個人的にKEYTALKを彷彿とさせられる曲も相まって、またライブは終わっていないのに打ち上げのカラオケ大会にうっかり迷いこんでしまったような雰囲気が突如フロアを包み込んでしまった。

無事演奏が終わり、ぶったまげる僕たちを尻目に「誰が演奏してたのかな?小人さんかな?妖精さんかな???」だなんておどける彼らを見ていて、僕はハプニングだらけだったあのクアトロワンマンを思い出していた。うんともすんとも言わなくなった電子機材。打ち込みの音源をベースにしている彼らのライブでは致命傷だ。リーダーの咄嗟の判断でアコースティックライブと化したあの日のパフォーマンスは確かに貴重なものだったけれど。彼らの咄嗟の行動力やミュージシャンとしての実力や肝っ玉の据わりっぷりが、これでもかと知らしめられた場だったけれど。
……でも、そんなハプニングなど生じなくったって、こちらの予想を裏切る“まさかの展開”を、彼らは彼ら自身の意志の力で生み出し、僕たちに見せつけることが出来るひとたちだったんだ。僕は、実在する人間である彼らが見舞われた苦難から偶然生まれた産物を、さも“起承転結の転”みたいに尊がっていたんじゃないか。

 

■感情を賭してシンクしたい

最近、初めてDannie Mayについて書いた時のnoteの記事を非公開にした。しばらく「Dannie May」でググると上位に表示され、そのお陰でメンバー3人にも喜んでもらえたり、ファンの方にもよく読んでもらえた想い出深い記事だった。何故そんな大事な記事を非公開にしたのかというと、彼らについての情報が今程多くなかったとはいえ、少ない裏付けと主観のみを使ってノリと勢いで書きすぎてしまったから。大変お恥ずかしい話だが、あれも実在する人間である彼らをキャラクター視することの一端を担ってしまうことになりそうだと思い、公開から2年が経過した先日、遂に引っ込めることに決めた。

件のライブで『朱ノ歌』を披露する際リーダーが、この曲は結構前からあったもので、今回やっとEPに入れることが出来たのだと話した後、「自分の素直な気持ちを思い切り入れた曲が褒められると、自分が褒められたみたいで嬉しくなる」と口にしていた。沈みゆく夕陽のように足元から照らし出す橙色の光に包まれながら、絞り出すように歌い始める彼の佇まいは、今この瞬間を目の前で一緒に生きている人間だ、という感じだった。

彼らの本懐は、自分自身の人生を結晶化したような想いを込めた、音楽という名の“ドラマ”を僕たちに提供することだ。彼ら自身の歩みに胸を打たれるのは素晴らしい経験だけれど、そこから過剰なドラマ性を読み取ろうとしないように気をつけたい。もしも“Dannie May”がひとりの作家なら、彼/彼女が作品として描く“ドラマ”こそを僕たちは受容すべきだ。
でも、どうしたってバンドという存在はドラマチックで美しい。いや、バンドに限らず、いわゆるオタクたちに推しと呼ばれる存在はそれそのものがどうしたって魅力的なもんだ。ある意味で悪魔的だと言ってもいい。それならば。どうしても憧れを抱いてしまうのならば、せめてそれと全力で対峙し、全身でシンク(sink)したいと思っている。

Dannie Mayのライブのラストを飾ることが多い『御蘇』という曲がある。タリラくんの作詞曲によるホーリーな雰囲気のコーラス曲で、リーダーは過去に「バンドの光になってくれた曲」だと話していた。この曲はアウトロの部分にガヤのような音が入っているのだけれど、実はそれぞれがタイムカプセルとして吹き込んだメッセージらしいと、この日明かされた。 “開封”するのは、目標としているZeppでの公演が決まった時。それまではお互いのメッセージは聴かないようにしているのだとか。なんとドラマチックで彼ららしい、粋な計らい。こちらも気を引き締めてその日を待ち受けなければ。
ハプニングやサプライズがあろうがなかろうが、バンドの存在はそれだけでロマンだ。僕たちファンがそう思ってしまうのは仕方がない。花が咲いたら「美しい」と感じるように、失うよりはあった方がいい本能的な感性なのかもしれない。それなら。“Dannie May”という人物と、それを構成する細胞である3人のこれからの歩みに、全身でシンク(sync)出来たらと思う。それが僕なりの、彼らを無責任に消費しないためのケジメのつけ方だ。

 

■参考文献

・Eggsマンスリープッシュ Dannie Mayインタビュー 2020年3月

・SPICE『Dannie May、自然哲学“五行思想”になぞらえて制作されたEP『五行』はどのようにして生まれたのか?』2022年6月

・五行説(コトバンク)

・シスターリー『なぜNiziUデビュー曲は批判された? アイドルの「物語化」が引き起こす感動搾取』

・物語消費(コトバンク)


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