誰もが愛や純粋な appreciation を通貨に変換し、手のひらに直接届けられる時代がやってくる

ICO の可能性

イノベーションとなると、学術的な理論や技術、ハードやソフトにばかり目が向けられがちだが、イノベーションの核は間違いなく、ひとりの人間の壮大な夢だ。

しかし、モノがあるところに人が集まり、人が集まるところに金が集まり、金が集まるところに欲が集まる。もう何千年も、その規模を大きくするためには、モノは「金目のモノ」でないといけない世の中だった。しかしこの定石をぶち壊すのが、分散台帳技術と ICO だと思っている。

ICO がどのように定石をぶち壊すのかについて述べながら、私が ICO に乗せる夢として、2 つのことをここで語ろうと思う。
(分散台帳技術そのものに焦点を当てるととんでもない量の長文の記事が沢山できてしまうので、ここではICOという切り口に限定して書く)

(追記:この文章を書いた 17 年 12 月と現在 18 年 3 月の状況はかなり異なり、もともと火傷を負いかねなかった ICO の危うさはますます増大、今後の雲行きも不透明になってきたが、文章はそのままここに残そうと思う)

1. 誰もが愛を手のひらに贈ることができる時代

たとえば、アフリカのマラウイのひとつの農家がある。7 歳の男の子は、日が暮れるまで父と母の農地の手伝いをしているが、暮らしてゆくのにやっとやっとの収入しかなく、学校に行くお金がない。UNICEF という団体が、物資を運んでくれたり、ワクチンを打ってくれたり、井戸を作ってくれた。この間は、空飛ぶドローンというものを初めて見た。支援の届きにくい地域に物資を届けられるよう試験中だそうだ。UNICEF との交流から、自分の知らない世界が広がっているのだと知った。学校に行って学びたい。そして家族や村を豊かにすることを夢見ている。

たとえば、シリアのひとつの母子家庭がある。父親を戦争でなくした 14 歳の女の子は、空爆に襲われたとき、母と自分を救ってくれた国境なき医師団の医師の姿が忘れられない。この地域を出て勉強し、医師になって戻り、たくさんの人を救いたいと思っている。

さて、彼に、彼女に、誰が手を差し伸べるだろうか?おそらく個人では、誰もいない。企業でも無理だ。大企業の CSR だって、彼等には行き届かない。

なぜだろう。たとえば、みずほ銀行からマラウイのスタンダードバンクに送金するには次の手数料が必要だ。(MWK =マラウイ・クワチャ)
1. スターバンク側:送金手続手数料 5,000 MWK + 送金金額の 1 % の手数料
2. みずほ銀行側:手数料 2,500 円 + 為替手数料 1 ドルあたり1 円
つまり、100 円を送るのに 3,000 円近い手数料がかかる。1 万円だと 6,000 円程度にもなる。送金依頼のレターやマラウイ税務局の免税証明書等の面倒な書類を用意した上で、送金に 6 日程度をも要するのに、だ。シリアでも同様で、最低 6,000 円程度といった手数料が発生する。それも、本当に彼等の手元に届くのか、確かだとは言い難い。第一、彼等は銀行口座を持っていないに違いないのだが、もし持っていたと仮定しても、たった 100 円を届けるのにこれだけのコストがかかる。 

だから私たちは UNICEF のような非営利団体への募金活動に委ねるしかないし、彼等は募金をより多く募るために「対象の商品を売ることで売上の何 % を寄付する」というような工夫をしなければならばならい。

ところが、ICO の技術を使えば、届けたい人の手のひらに、直接 100 円を届けることができる。銀行口座は要らない。高い手数料も長い送金時間もなく、確実に届けることができる。しかも、その送金履歴は、世界中にひらかれたトランザクションとして永久に残る。それは「貴方を愛しています、応援しています。私も生きている、貴女と一緒にいのちを生きたい」という、消えることのない愛のメッセージだ。

前回の記事で、

通貨の流動性が劇的に増大したとき、世界は変わる。

と述べたのは、こういうことだ。これは夢物語ではない。技術的には可能な世界が、既に来ている。

2. 誰もが純粋な appreciation を手のひらに託すことができる時代

2-1. 全人類、健やかなることの投資家であれ (というエゴ)

突然だが、しばらくバトンをいったん彼等に託す。(ifname_chem, ifname_pharm)

私たちは上記のような啓蒙のエゴイズムを持ち合わせている。幸福であること、活き活きとしたいのちであることの根本は、第一・第二・第三に健康だ。にもかかわらず、はっきり言って、少なくとも日本人に関しては、健康、つまり食や医療に関する知識が、全国民間違っているといっても過言ではない。 全国民と躊躇なく近似できるくらいには、間違いだらけだ。

私たちは文字通り世界の第一線で研究をしていた化学者であり、薬化学者だ。分子同士が織りなす化学反応とそれが引きおこす現象についての専門家なわけだが、その視点を持って観察したときの、世にまかり通っている健康情報のいい加減さといったら、目も当てられない。化学反応中で起こっている原子や電子の挙動について明るいと、世の中の様々なことが分かる。なぜなら、世界中のほとんどすべての物質変化は、化学反応や化学変化によって起こっているからだ。

それは生体内に限定すれば尚更である。成人の身体の 60–65 % は水でできている。そして、物質には気体・液体・固体と 3 つの状態があるうち、ほぼ全ての化学反応は液中で起こるのだ。

飲酒によって身体がどう蝕まれるのか、抗がん剤を飲んだときに身体の中で何が起こっているのか、ビタミンやミネラルはどういう生体反応で必要だから 1 日あたりどれくらい摂取するべきなのか、糖質の摂りすぎは何故だめで糖質は何に入っているのか、熱した油が良くないのは何故でどういう油なら熱に強いのか、あのサプリメントはなぜ購入に値しないのか、あの洗浄剤はどうして人体に良くないのか、あの高価な美容液はどういう理由で無駄な投資なのか……いろいろなことが分かる。

すると、健康に生きるためにはどうすれば良いのか、分かってくるのだ。 我々がいかに、コントロールされた情報を摂取し、本当に必要なものを疎かにしながら健康食品やスーパーフードに踊らされ、有害なものを口にしているのか、飲まなくても良い薬を飲んで緊急措置だけを施し、根本治療をせずに病み続けているのかが、よく分かる。

なにも、難しいことを言おうとしているのではない。健康の秘訣はズバリ「良質な食・良質な睡眠・適度な運動」この 3 つである。

どうやら、現代の日本は食が豊かになったと言われているようだ。とんでもない。日本は食品添加物大国だ。食の欧米化によって、ユネスコ無形文化遺産に登録されたせっかくの和食を手放しつつある。核家族化が進み一人暮らしが増えるにつれ外食が増え、食卓では、手作りの料理に、コンビニ弁当やスーパーのお惣菜や冷凍食品が取って代わってきている。極めつけに、原子力発電により土も水も汚染されていっている。現在水面下で着々と進められている水道民営化などが現実化したらさらに末恐ろしい。この国の食は、間違いなく貧しくなってきている。

医療は、主に 2 つ分けられると考えている。「日常に根付いた医療」と「緊急時の医療」と言えばよいだろうか。

220 年ほど前にアスピリンという薬の合成に成功して以来、人類は様々な西洋医薬を合成してきた。そして今、人々は薬漬けになっている。薬=悪、と言っているのではない。西洋医薬、つまり人工の化学物質は、外科手術と同様に「緊急時の医療」だと言いたいのだ。

本来はすべての人が「日常に根付いた医療」の正しい知識を持たなければならない。それは血管や血液を綺麗に保つことであり、身体に必要な化学反応が正しく起こって有害な反応が起こりにくいような食と生活をこころがけることであり、場合によっては補助として体質や体調に合わせて適度で適切なサプリメントや漢方を取り入れること。そして良質な睡眠と適度な運動を取り、潑溂とよく笑うことにある。
健康の 3 つの秘訣「良質な食・良質な睡眠・適度な運動」とはシンプルで、たったこれだけのことだ。

こうした「日常に根付いた医療」が、本来は生活の基本、即ち、活き活きとしたいのちの根源である。従って、我々は何よりも、ここに投資をすべきだ。

ところが、メディアはそれを報じない。医学部はそれを教えない。大企業はそれに尽力しない。国はそれを推進しない。なぜか。理由はひとつ、薬が売れないからだ。高価な医療費を要する、今まで何億何兆とつぎ込んできた治療法が売れないからだ。医療業界が儲からなくなる。

科学には、論理による実証と、再現性による実証との、2 つの柱がある。傾向として、人工の西洋医学は、人工ゆえ、論理の柱を頼りに研究が進められる。一方で、何千年もの経験から学び、伝承され確立されてきた東洋医学では、再現性の柱が強固だ。

さらなる傾向として、西洋医学は儲かる医療である。なぜなら、人工のものや外科手術といった「人間」に頼っているところが大きいからだ。それらは「緊急時の医療」であることが多い。一方で東洋医学や自然療法といった "非西洋" の医学は、お金がかからないものが多い。なぜなら、科学技術が発達する何百年・何千年も前から、自然にあるものを使った人々の実験によって研究されてきたものだからだ。「緊急時の医療」もあるが、緊急時は稀にやってくるから緊急なのであって「日常に根付いた医療」の方に主軸があると言って良いだろう。

先進国が先導してきた西洋医学の覇権者は、当然、現在の中央集権的な資本主義社会における権力者だ。儲からなくなっては困るので、彼等は「日常に根付いた医療」の普及を恐れている。従って、論理の柱がないのを良いことに胡散臭いと言い、「学問」として認めたくないから大学での学科設立はまず許可を下さない。よって「日常に根付いた医療」の従事者は「論理の柱」を立てるべく科学的なアプローチで研究がしたくとも困難な状況にある。保険治療として認められるのも苦難の道で、認可された後も患者毎のチェックがとても厳しかったりする。

こういった力学的な事情により「日常に根付いた医療」を普及させようとする人々は細々とやっている。資金もない。だから大々的に広告も打てない。しかし、我々が第一に投資すべきなのはここなのだ。

強調しておきたいのは、決して非西洋の方が勝っていると特定のものだけを支持したり擁護しているのではないということだ。むしろ私たちはともに西洋医学的な研究をしてきた。偏見や力学をまっさらにした状態で、化学を基礎とする叡智を通して観察したとき、役割の違いが見えてくる。どれも大切で、その中で先ず全世界の人々が知るべきなのは「日常に根付いた医療」の方だということである。
(ここから ifname_i による記述にもどる)

2-2. 純粋な appreciation を手のひらへ

もちろん、情報をどう仕入れ、どう精査し評価付けをするのか、という問題はある。 しかし、ICO で資金を募ることができれば、今まで日の目を見なかった素晴らしいものが人々に広まることが夢ではない。なぜなら、誰にも邪魔をされずに、1 通貨単位から自由に、相手の手のひらに直接届けられる時代は遠くない未来なのだ。その送金トランザクションは通常匿名であり、たとえ 1 人が 1 億円を届けても、彼が大きな権力によって排除されることはない。もちろん、1 億人が 1 円を届けることで、1 億円を集めることだって可能だ。

appreciation とは「良いものを良いと評価する」ということだ。appreciation によって再評価・再編成され得る一例が、上記に述べた医療業界なのだが、共感する対象はなんだっていい。応援したいのが、隣の友達でも、過疎化が進む地域に一人で暮らしているおばあさんでも、遠く離れた国の少年でも良い。それは個人であれ、NPO 法人であれ、株式会社であれ、関係ない。

VC もエンジェルも、今まで投資家と呼ばれる者たちは、大きなリターンが見込めないものに投資はできなかった。

しかし、これからの世界では、何者であるか、儲かるかどうかは関係ない。 誰でも純粋な appreciation を、誰にでも、確実に直接届けることが可能になる。それも Amazon で 買い物をするように極めて簡単に、1 通貨単位から可能になるのだ。ついでに、その送金トランザクションは、世界中に明かされたまま永久に残る。愛や善意、人々と社会を良くしようとする気持ちが、記録されるようになった。

これは夢ではない。夢にしてはいけない。

もし、このブロックチェーン上に蓄積されたデータが漏れなく個人と紐付いたならば、アルゴリズムはそれをどう判断するのだろう。定量的に評価できない価値がこの世にはたくさんある。そういうものの方が多いのかもしれない。門外漢である私にはまだ論じられないが、これから大なり小なり何らかの「利益」や「価値」の、変化や逆転が起きる可能性はある。

正義とは、人によってさまざまである。人間から見ると、そこに “正解” などないことが多い。上述の世界の到来したとき、アルゴリズムがある範囲で正義を定義し始めることは、果たしてあるのだろうか。やはり勉強不足で論じられるところではないが、もしそうなったら本当に、価値の力学の一新が起こるであろう。

参考リンク
1. UNICEF
2. 国境なき医師団
3. Start Malawi

この記事は、17 年 12 月の喫茶店談話にて執筆し、他の場所に掲載していたものの転載である。

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