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どう呼ばれていますか? 呼び名から始まる自立

突然ですが、自分のこと、どう呼ばれていますか?

子どもからは「お母さん」「ママ」?
お孫さんからは「ばあちゃん」「ばぁば」?
夫からは「お母さん(私、あなたのお母さんではないけれど)」
「おい(これは昭和の不適切かしら)」?

近所や会社では「〇〇さん」と名字さん付けで呼ばれることが増えたけど、その意味は様々、同じ意味では呼ばれない。
近所の「〇〇さん」は何軒となりの、ゴミ当番一緒の、とご近所づきあいを考えながら呼ばれている。
会社の「〇〇さん」は事務の、営業の、と冠言葉が省略されても意識に残る。
子どもの親つながりでは「〇〇ママ」を卒業して「〇〇さん」になってもママフィルターはかかっている。

0.1.2.3歳児向けの文庫のわらべうたの会の最初で名前で呼ぶ。

この子どこの子かっちんこ この子どこの子〇〇さん

はーい

わらべうたより

子どもも大人も名前で呼ぶ。
「自分の名前で呼ばれることなんてずっとなかった」と言われるお母さんたちの多いこと。

「名前」よりも「役割」、「役割込みの〇〇さん」で呼ばれることが多くなった。

私が自分の名前を意識し始めたのは、子どもが「〇〇子」と私の名前を呼んだ時。

18、19、反抗期は過ぎて独立、自立したいがまだ未熟。
経済的にも、心理的にも、社会経験もまだ未熟で独立できない。
それでも「対等に扱ってほしい」と子どもは自立を願う。

対等に扱ってほしい時、子どもは私を「〇〇子」と名前で呼ぶ。
子どもの部分で頼りたいとき、子どもは私を「お母さん」と呼ぶ。

この呼び名が、子どもなりに自立したいともがいているしるしなのだと、あるとき気づいた。(最初に名前で呼ばれたときはギョッとしましたが・・)

お互い名前で呼び合って話をすると、冷静に話ができる。

親は、特に母親は、自分の一部として子どもを育て、産みだし、未熟で歩きも出来ない子どもを自分と同じ大きさへを育てていく。
守らなければ、庇護しなければ、という感覚は大きくなっても中々抜けない。

けれど、子どもは親の一部ではないともがき、親の枠を飛び出そうとする。

小鳥のように1年で子育てを終えて巣立だせ、また次の年に子育てをして巣立だせるのなら、子育ての経験が積み重なっていくだろう。
けれど、人間の子育て期は長く、子どもを巣立させる機会はほぼ1回のみ。
どれも初体験、手探りです。
(子どもが何人いても、巣立ってからの子育ては寿命的に難しい)

わからないことを言葉で補う。
体験を聞いたり、本を読んだりのinput
お喋りしたり、SNSに投稿したりのoutput
言葉の使い方はとても大切。

子どもが私を名前で呼んだ時、
とまどい、生意気だとチョッと腹立たしく、大きくなったと実感し、
自立した(しようとしている)ことに安心する。
その子も30過ぎて、多分自立したのだろう。
意図的に使い分けではなく、適当に呼ぶようになった。
(呼び名がどうであれ、自分は独立したと自覚した?)

自立するのは寂しいことではない。

依存状態から自立し、真の相互依存の関係になる

完訳 七つの習慣 の一節をまとめた
七つの習慣 より

子どもが自立してからのほうが、つき合いやすくなった。

もうすぐ還暦。
密かな野望。
還暦になったら、役割ではなく名前で呼んでもらいたい。


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